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021 死人の法理

  生暖かい潮風がびゅうと吹いた。波の音はすぐそこにある。

 護岸ブロック沿いに敷地内に侵入したグウェンの黒髪を、湿気った空気がゆったりと撫でていく。毛先から垂れた雨粒が頬からあごへと伝わり、のどを流れてセーターへと浸みていく。不愉快な感触だ。

 倉庫は海沿いに面した立地に建てられており、半ドックの構造をしているそれは修船ドックとしても機能するユニット建築群で、首を振らなければ視野におさめられないほど巨大だ。

 以前、深夜にテレビミステリー・シリーズの再放送があった。酒を飲みながらの流し見だったので内容はうろ覚えだが、確かこうだ。

 主人公の刑事が長年連れ立っているパートナーとともに、宗教団体の怪しげな施設へ侵入を果たそうとしている。世界平和を謳う教義を持つのに、建物の周囲を見張るのはいかにもなゴロツキたち。運悪く発見された刑事たちはこれおかまいなしと、武装した敵と派手なドンパチを繰り広げるというものだ。

 余りのチープさに眠気が勝って途中で寝てしまったが、いまグウェンの眼前で雨の中を傘も差さずにいる男たちは、まさしくドラマのゴロツキたちと同じ目つきをしていた。


 左耳に装着したインカムに手を当てる。

「ホンボシはない。けど、銃を隠し持った男が巡回してる」

 視線の先の男は一見手ぶらに見えるが、歩く際に僅かに重心が傾いている。長年、軍などに属し、銃器をぶら下げた訓練をこなしていると、どうしても癖というものは付いてしまう。場合によっては悪癖となる習慣をグウェンの双眸は確実に見抜いていた。

『了解。こっちは見つけたぞ。帰ったらミルトンにキスの一つでもくれてやれ』

 一拍の後にフィンチから返答が来た。現在、二人は二手に分かれて行動していた。グウェンが海岸側から。フィンチが正面からだ。

「ハッ、冗談」

 躊躇わずに鼻で笑う。あの脂ぎった顔に口付けなど死んでも御免だった。

『傘を使うのは帰り道だけだ』

「優雅に終わらせましょうか」

『よし、やるぞ。死体を目立たせるな』

 短い空電音の後に、冷淡さを滲ませたフィンチの声が作戦の開始を告げた。


 深く息を吸い、肺を空気で満たすと同時に、目の前を横切った暗色のシルエットに向かって疾走する。驚愕に染まる相手の顔をよそに、グウェンの鋭く直線を描いた掌打が、男の顎を跳ね上げた。涎を撒き散らしながら、頭を仰け反らし、大きく晒した急所――喉元めがけて、グウェンは反対の腕を振るい、親指の付け根をめり込ませた。

 喉は人体でも鍛える方法がないモノの一つだ。

 電光石火の一撃でやわな喉は完全に潰れ、カエルのような呻き声を上げながら地に膝をついた男の顔面に、ぐるりと体を捻転させて勢い付けた肘を叩きこむ。

 鼻から噴水のように鼻血が吹き出し、だらしなく後ろにくずおれた男は、肉体をバイブみたいに震わせる。

 気管が塞がれたことによって肺の換気が止まり、肺胞レベルでの酸素拡散が瞬時に薄まったのだ。男は軽度のチアノーゼを起こして、その顔色を青紫色にまで落とした。


 自身が作り出した惨状を気にも留めずに、グウェンはコートの内側から太い針を取り出した。フィンチから預かった亡者の操縦桿(アンテナ)だ。

 ピンを手に持つと、鋭利な先端を倒れ伏す男の胸元に向けて躊躇なく振り下ろした。人体に深く沈みこむ異物に、男は目をカッと開き、そのまま動かなくなった。

 グウェンは平然と男の遺体に手をかざし、目を瞑って集中する。遠くで雷鳴が轟く中、かざした指先から紫電がほとばしった。特脳で作り出した電気の糸が徐々に収束し、男の胸に突き刺さったピンに流れ込んでいく。


 奇妙なのはここからだった。息絶えたはずの男の上体がやにわに振動し、ゆっくりとその身を起こしていく。グウェンが静かに見守る中で、遂に男は以前と変わらずに立ち上がって見せたのだ。

 目は黒く濁り、口元からは血が滴り落ちる。その姿はフランケンシュタインが作り出した怪物もかくやの容貌だった。


 亡者の操縦桿は特脳者(イルミネーター)であるグウェン専用の特殊装具だ。その役割は使用者の電磁波の糸を信号伝送として、ピンを介した対象物の経皮へと繋げることにある。

 死体となった対象物の神経系を、他者が完全に掌握するということ。

 これがグウェンの束縛接続帯域の真骨頂だ。

 ケーキハウスで見せた、運動神経への電気信号の強制入力とは違い、もはやただの電子回路に見立てた死体を糸操り人形のように操縦してみせる能力。怪物を生み出したフランケンシュタインも刮目するであろう、神をも恐れぬ科学の所業は、グウェンの手により生命の理さえ覆す。

 ぱちん!

 グウェンが指をはじくと、男はおぼつかない足取りで倉庫の裏口前へと歩いていく。成り立て(・・・・)ということもあるが、それ以上に盛んに降りしきる豪雨の影響もあった。なにせ、一連のやりとりの物音を消し去ってしまうほどの雨量だ。あられのように落ちてくる雨粒に、グウェンが流す糸が阻害されるのはやむを得ないことだった。

 ――腹の立つコンディションだ。

 背中に回したカービン銃を担ぎ直し、体を低くして敷地内を進む。この建物のどこかにテッドがいるはずだ。時間はない。早急に見つけ出す必要があった。


 一方、正面から建物の影を縫うように侵入したフィンチは、倉庫の裏手にいた。そこには目当ての白いバン(・・・・・・・・)から高級車まで、ずらりとお行儀よく並んでいる。

 フィンチは口角を吊り上げた。バックパックから金属製の筒を取り出す。中身はセムテックス。テロリストのC4と呼ばれるほど汎用性が高く、極めて探知が困難なのが特徴だ。筒は全部で四本。それを車体の底へと取り付けていく。

 敵が車に乗り込んだ瞬間がそいつの最後。天まで吹っ飛ぶ爆発力だ。こうした破壊工作はフィンチのもっとも得意とするものだ。首尾よく爆弾の設置を終えるころに、グウェンから通信が入った。

『グリッドB‐2に人形を一体配置完了。いまから倉庫内部に入る』

「了解。こっちは車への工作を終えた。といっても半分しか弄れなかったがね。俺は巡回の連中を消していく。気ぃ引き締めろよ」

 通話を終え、腰もとから銀光りするナイフを抜いた。

 視界は雨の影響で最悪だ。だからこそ、俺たちにとってはやりやすい。ナイフを順手で握り、中腰で歩みを進めていく。

 造船所が隣接しているだけあって、敷地内はかなりの広さだ。そこかしこに点在する廃材を楯に、身を隠しながら敵の姿を探る。

 くすんだ金髪を湿らせ、ぼやけた景色に溶けこむ姿は自然界の獣さながらだ。細めた目を爛々と光らせ、周囲から浮いた人影を見咎めるや、シマウマを狩るはぐれライオンの如く、気配を一切遮断して背後へと忍び寄る。

 敵は肩からライフルスリングを下げた男だ。

 ヒルトを軸に、手中でくるんとナイフを回転させる。

 踏み込みと同時に泥が跳ねた。男が振り返る前に、フィンチは逆手に持ったナイフを前方に滑らした。重い刃風が宙を駆ける。

 透明な軌跡を描いた刃先(エッジ)が、男の右上腕を素早く撫でつけた。

 急激に灼熱感を持った腕に、男が短い悲鳴を上げた。

 敵襲! フィンチの姿を見咎めた男は、咄嗟に銃の引鉄を引こうとする――が、脳が下した命令を男の腕は実行できなかった。

 一挙動で振り抜かれた閃光。その一瞬に上乗せされた紫電流が、男の筋皮神経から固有掌側指神経までを通電せしめたのだ。コンマ数秒足らずで、母指球筋が委縮し、手関節に知覚障害が起こる。

 要は、男の手首から先が低位麻痺を発症したのだ。

 フィンチは相手の動揺をよそに、ナイフと反対側の腕を男の首に絡みつかせた。抱きかかえるようにして肩にぶら下がったライフルスリングを掴み、男の喉許を掴んだストラップ紐で絞めあげ、硬直した足を外側に刈った。

 男の視る世界が、ぐんと加速。訳も分からず反転する視野に、男は口から零れた悲鳴を置き去りにして、泥水のなかに突っ伏した。無駄を一切排除した熟練の兵士の動作に、男は為す術もない。

「は、なせっ!」

「いいよ。おじさんの質問に答えてくれたらな」

 雨でてらてらと歪に光るナイフの切っ先を、組み敷いた男の鼻面に突き付け、

「あー、若い男。クラブ好きそうな小僧がこの建物のどっかにいるはずなんだが……知ってるよね?」

「知るかっ、クソ野郎」

 男は口から泡を飛ばして、訛り混じりのスラングを返すのがやっとだ。

 ぴっ、と刹那の閃きが走る。返事と同時に、ナイフが小さな円弧を描いて男の右耳を切り落とした。痛みの雄叫びを上げそうになった男を、眼前に突き付けたナイフで制する。

「もう一回聞くぜ、俺の仲間がここにいる。場所を教えろ」

「そっ倉庫の地下だ! 従業員の洗濯場にいる!」

「そうかい、あんがとよ」

 ナイフの一閃が男の頸動脈を削いだ。噴き出た血がぬかるんだ泥の上に赤い水溜まりを作る。男は小さく唸り、やがて完全に沈黙した。

 フィンチはナイフに付着した血を袖で素早く拭き取ると、物言わなくなった男の両足を抱えた。ぬかるんだ泥に赤い軌跡を引きずりながら、野積みされた木材の影に男の亡骸を押し込む。

 血塗れた手でインカムに触れ、

「テッドの場所が分かった。地下のランドリーにいる」

 小さなノイズ。

『……了解』

「屋上にも歩哨がいる。気をつけろよ」

『……一〇分で見つける。退路の確保をお願い』

 電波の状況がよくないようだ。通信にラグが入る。天候には敵も味方も関係ない。それは歴然たる事実だった。ロシア人も襲撃を警戒している。倉庫の屋上に設置されている投光器が、縦横無尽に雨中を照らしている。まるで要塞だ。穏便に脱出するのは難しそうだった。




 ドラマの宗教団体が警察の目から隠していたものは大量の麻薬だ。ベトナム戦争真っ最中の当時、麻薬の密売よりも銀行強盗の罪の方が十倍は重かった。

 頭のいい犯罪者は、それを知って自分の専門を変えた。金庫破りからビニール農家へとだ。麻薬収益は莫大な利益を上げ、よりクレバーな悪人は、一日に一〇〇万ドルも稼ぐ時代だった。

 だが、麻薬中毒者による犯罪が激増し、社会の悪化が進んだ。世界は麻薬根絶を掲げ、表立った麻薬ビジネスは鳴りを潜めていった。

 悪人たちは新たなビジネスを求めた。

 東西冷戦期に生まれた法の薔薇もそうした悪人たちの集団だ。

 旧ソ連時代、共産主義の名のもと、保安上の理由でシベリア南西地区に強制移住させられた多民族の犯罪集団。その地域はすぐにスラム街と化し、派閥ごとに分割・支配されていた。悪の道義がルーツに敷かれた犯罪の温床地帯、陽も当たらない氷の大地の一角で〝それ〟はゆっくりと芽吹いていった。

〝それ〟ははじめ、とても小さな組織だった。道義だけではけして得られない、金と権力を求めた追放者たち。グルジア人、ユダヤ人、それにシベリア人。そこに民族間の隔たりはなかった。道義に縛られなくなった彼らはあらゆる犯罪活動に手を染めた。武器の闇市、宝石売買、売春窟の経営――そこに道義はなかった。

 小さな組織の転機はソビエト連邦の崩壊とともに訪れた。

 国が混迷する中、軍内部の混乱も凄まじく、行方が分からなくなった兵器も数多く存在した時代だ。神隠しの主犯は懐を温めたい軍上層部と組織の拡大を図る追放者たち。

 単純に利害が一致したのだ。

 手始めに軍装備保管庫にあった三〇〇〇丁のAKライフルが一夜にして八方へと売り飛ばされた。自動小銃だけじゃない。対戦車擲弾、速射砲、装甲戦闘車輌、軍用機、国家防衛のためのあらゆる兵器が、トランクケースに詰まったドル札と引き換えに姿を消した。

 世界は人の心で動いている。

 善心をうながすなら現実を与えればいい。

 悪心を揺さぶるなら慈悲を与えればいい。

 欲心をくすぶるなら実物()を見せればいい。

 矮小な身の丈に合わない野心を抱く輩どもの世界に、ガンパウダーをまぶして、注いで、満たしてみたして点火する。

 簡単だ。それだけで世界は激動するのだから。

 新生ロシアが生まれるころには、法の薔薇は裏社会のビッグネームとなっていた。


 世界各地で発生する内紛。浄化戦争。代理戦争。

 血で血を洗う戦火の裏で暗躍する戦争ビジネス。

 いまグウェンの眼前に広がる光景は、人命を金の力で掃く経済活動の一端だった。

 倉庫内部に敷かれたベルトコンベアがウッドクレートを次々と流していく。軍が戦場で使うタイプの頑丈な木箱だ。中身は数えるのも馬鹿らしくなるほどの銃弾の山。戦争犠牲者の九割がこの銃弾で死んだ。ロシア製突撃銃、7・62mmアブトマット・カラシニコバ〈AKライフル〉、別名『天使の筒』。核兵器よりも恐ろしい、真の大量破壊兵器。その実包が、まるでジャックポットを連発したスロットマシンの払い出しを想起させるほど、大量のクレートとともに積まれていた。

 ベルトコンベアの横には改装中の船が佇んでいる。

 船体識別番号が削られ、新しい番号が打刻されていく。

 おそらくは違法貿易の中継地点の役割をこの倉庫が果たしているのだろう。

 ミルトンの話では、従業員は東南アジア系を使っているとのことだったが、実際にあくせく手足を動かしているのはスラヴ系だ。

 確認できただけでも三〇人はいる。

 ベストは穏便、迅速、秘密裏に救出を終えること。だが、いざという時の為にこちらの手駒を仕込むのを忘れずに。

 グウェンは手についた血をコートで拭った。

 足元で横たわるのは、胸にピンが刺さった男ふたり。

 グウェンが腕を横凪に払うと、男たちはぴくりと震え、何事もなかったようにのっそりと立ち上がった。カラシニコフで武装した男たちを人目のつかない影へ送り、グウェンは地下へ足を向けた。

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