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002 特殊実験群

‐十月下旬‐

 澄みきったブルーキャンバスに放射状の太陽光。

 空はどこまでも高く、季節は秋に差し掛かろうというのに、かんかんと大地に降りそそぐ日光が、地上に映る影の輪郭を強く描いていた。

 場所はイギリス中部にあるウェッソンマーケット――統制された美しい景観が観光客の目を引き、アンティーク・工芸品・ジュエリー・衣類・食料品などのバイヤーが忙しなく脚を動かしている観光名所だ。

 橙色で出来た煉瓦造りの旧街道には、暑さを跳ね返すような熱気が広がっていた。まだ太陽も昇りきっていない。どこか所在なげに立つ時計付街路灯は午前九時を指している。

 多くの人出で賑わう様子は、初期のシェイクスピアに登場するロンドンの市場を思わせる盛況ぶりだった。アジア人からアフリカ人まで、いろんな肌色の人間たちが波濤のように行き交っている。

 露店のオレンジやリンゴの新鮮で瑞々しい香りが風に漂い広がり、ハーブのアクセントが効いているソーセージの匂いが道行く人の喉を鳴らした。嗅覚を刺激する(かぐわ)しさに加え、バグパイプの繋ぎ目のない旋律が通りを行き交い、その豊かな鳴奏により、往来を包む雰囲気にはエスニックな趣があった。


 ……カシャン……カシャン……カシャン……カシャン……

 そんな人々の騒がしい生活音を切り裂くようなカメラのシャッター音。道外れにある青々とした小樹の陰にひっそりと置かれた、廃材を再利用して組み立てられたベンチ。その背もたれに中望遠レンズの顎を乗せて、さながらバイポッド(二脚)を取り付けたスナイプ姿勢を取るジャージ男――コナーはニコン・デジタル一眼レフカメラのファインダーを険しい目つきで覗きながら、今回のターゲットとなる人物をばしばし撮っていく。

 忙しないコナーの隣では、相棒であるジャックが黙々と新聞に目を通している。短く刈り込んだ胡麻塩頭の男だ。やがて、忙しない相方に嫌気がさしたのか、新聞を折り畳むとやおら口を開いた。

「コナー、そんなにパシャパシャやってどうすんだ。俺たちはパパラッチじゃない。そこいらの〝中国人観光客〟のように、お行儀よく、ゆっくりとレンズを回すんだよ」

 コナーがファインダーを覗く目を横に向け、

「ヘイ、お前はどっしり構えすぎなんだ。俺はな、ジャック。繊細なんだよ。せ・ん・さ・い! だから、俺は常に気を回すのさ」

「繊細? ビビってる口実にそんな言葉使うな」ジャックは苛立たしげにフラットトップの髪を掻いた。「いつも言ってるだろう。ショーンが立てた計画に従えば何の問題もないってな」

 きっぱりと言い放つジャックに、コナーは鼻を鳴らした。

「あ~、だぁから、これがその計画の第一歩なんだろーがよ」

「お前は不自然丸出しなんだ。一ヶ所を集中して取る観光客がどこにいる」

 コナーはジャックの物言いを無視して、再びシャッターボタンを押し始めた。バシバシと乱雑に。コナーの視野とカメラの焦点を合わせた先には、小洒落たカフェテリアのオープンテラスにてコーヒーで一服する、やや神経質めいたインテリ風の風貌をした中年男性の姿があった。


 コナーとジャックは、別に浮気調査員でも警察上がりの探偵というわけでもない。二人は〈事故死偽造(スーサイドショップ)〉をビジネスとする、いわゆる裏の人間というやつだった。

 ターゲットの行動履歴をチャート化して、より自然で、より(もっと)もらしい死に方を用意する。暗殺した際、警察に死因を疑われては困る後ろめたい金持ちが彼らのお得意様という訳だ。

 用意できる殺し方は多種多様、千差万別に及ぶ。

 児童ポルノの周旋を生業とし、ジャンクフードをこよなく愛するデブの喉に大量のピザを詰め込んで窒息死させたこともあるし、盗難品の宝石類を加工し直して市場に流し、築いた富を鼻にかける高慢ちきな女の手首をダイヤモンドカッターで動脈ごと切断して殺したこともある。

 二人がターゲットの行動パターンを観察し、リーダーであるショーンが死に方を決める。コナー、ジャック、ショーンの三人がチームを組んで以来の不文律だ。


 ウェッソンマーケットはそれなりの規模とそこそこの歴史を持つ観光名所だ。往来が人でごった返すからこそ、それに見合った行動を心掛けなければならない。

〝だというのに、こいつは……〟

 路上に聖母の絵をスプレー缶で描くパフォーマー。その周りを囲むチャイニーズの集団。アルカイックな笑みで異国に馴染もうとする彼らを、コナーも少しは見習うべきだ。今日の恰好にしたってそうだ。ラスタカラーの派手なジャージなんて、きょうび本場のラスタマンでさえ御免被るにきまってる。多少なりとも自分の仕事にプライドがある人間、おのれを弁えてる人間なら、誰もこんな服装で街中に降りようなんて思わない。

 ジャックは軽く頭を振った。視線を腕時計に向ける。ショーンの連絡から二〇分経つ。そろそろ、こちらと合流する頃合いだ。

 何気なくベンチの後方へと首を曲げると、雑踏に紛れ、こちらに向かうショーンの姿を見つけた。

 南瓜の陳列棚から一押しの一品を見つけるのは大変だが、なにせショーンの頭はつるりと剃ったスキンヘッドだ。太陽光の直射を一面に跳ね返すものだから、一目で居場所が分かる。

 合流に遅れたのは、標的を穏便に始末する案を講じていたからだろう。それでも、ジャックがショーンの到着時刻を予想できたのは、長い付き合いゆえだ。

「ショーンがきた」

 視線を前に戻す。刹那――


 辺り一面を覆い尽くす強烈な閃光。全身を打ちつける猛烈な衝撃波の渦。耳小骨と鼓膜を震わす、雷鳴にも似た爆発音が轟いた。




 二〇〇五年のある日、ロンドンの地下鉄三か所と一台のバスが木っ端微塵に爆破された。死亡者の数は五十六人。イラク戦争やアフガニスタンのテロリスト掃討作戦で、ブッシュ米政権を積極的に支持したツケが回ってきたのだ。

 世論は報復を叫んだ。世界は正義を掲げた。

 怒りが目を眩ました。この世に悪が(うま)れた。

 戦争で大勢が死んだ。全てが狂っていった。

 だけれども、人々はそれで満足しなかった。それら過去の歴史に刻まれた惨劇すら凌駕(りょうが)する、人間の悪意に満ち満ちた陰謀劇が、いま幕を切って落とされたのだ。

 これは、世界を巻き込む狂騒劇の序幕であり、

 また、痛烈な音色を含んだ交響曲の序曲でもあり、

 同時に酷くつまらない三文芝居の開演ブザーでもある。

 観客はあなただ。

 注意して「物語」に目を向けてほしい。

 さもないと、この凶行の裏で巡らされた陰謀の網を潜り抜け、幾つもの事実で覆い隠された真実に辿りつくことは、決してできないのだから。

 もし、真実の一片でも掴むことができるとしたら、それは、あなたが「物語」と渡り合ったという証しになる。

 ただ、ひとつだけ。アドバイスを。

 世界の深部に巣食う陰謀劇に立ち向かうのなら、あなたは〝怪魚〟の痕跡を辿るといい。きっと、最前列にてすべてを目撃できるだろうから――




   沸騰世界のロリポップ   




‐十一月五日‐

 薄暗い部屋に電話機の液晶が点滅した。無機質な電子音が規則正しいリズムを刻みながら、受話器を取れと振鈴を続ける。だが、部屋の主は繰り返し鳴り響く着信音を意にも介さずに、布団にくるまり眠りこけていた。

 ひとしきり催促の合図を発したのち、留守録機能が作動。備え付けのスピーカーから、清澄な朝の空気をどよもす胴間声が放たれた。

『よう、フィンチだ。朝早くにすまねぇが、緊急の仕事だそうだ。残念ながら休暇は今日までのようだぜ。部屋にいんのは分かってる。いまからウィスパーを向かわせるから、くれぐれもブッ放すなよ? あぁ、それとな――』

 大気を震わす男の声が聴覚を刺激したのだろう。藍色のシーツの隙間から、白肌の腕がゆるりとナイトテーブルに伸びた。

 指先の感触だけで発信源を探した為に、読みかけのペーパーバックが床に落ちる。異世界を舞台にした長編ファンタジー小説で、読みごたえは十分だが読破寸前で体力を使い果たし、そのまま投げ置いたものだ。

 リーフレット(しおり)がどこかに飛んでいってしまったが、腕の持ち主は気にすることなくテーブル上をまさぐり続け、ようやく目当ての発信源を掴んだ。

 受話器を外すと、そのまま、カバーのかかっていない剥き出しの羽毛布団の中へと引きずり込んだ。

「……フィン?」

『お、やっとお目覚めか、グウェン。いまは……あー、七時過ぎだ。頭働いてるか?』

「……微妙、いま何時?」

『太陽は隠れてるが朝だ』

「そう……朝、もう朝か」

『ウィスパーの迎えは必要かね?』

「いらない。あの豚に部屋見られたくない」

 布団を少しだけ持ち上げ、目覚まし時計をチェックする。午前七時十二分。デジタル液晶が青く光っていた。

「それで緊急の仕事って?」

『その説明は後でだな。まずは合流しよう。四〇分後にドーソン・ストリートの〈ポテトワーフ〉前に車を駐めておく』

「わかった」

『それと道具は用意しておくが、〝予備薬〟も携帯しておけ』

 一通りの用件を伝え終わり、男の声が切れる。無地のベッドの上でシーツを巻き込むように体をよじった部屋の主は、ビジートーンが漏れる受話器を枕元に置いた。


 布団のなかで身体をほぐしていく。中の体勢に合わせて、シーツ表面にできた皺が伸び縮みする。やがて、布団を押し退けて出てきたのは、ショーツのみを纏った半裸の女だった。

 肩にかからない長さで切り揃えられた髪は、黒オリ―ブのように艶やか。そこから覗く顔は妙齢と言うほどには及ばず、若いと断じるには、やや枯れた雰囲気を持っている。

 年齢不詳と言っていい女――グウェン・オールズは一つ伸びをすると肩に腕を回し、筋力の活性化を行った。

 一見、そこいらのバーで働く女のような風貌を持つグウェンだが、隆起する広背筋は、明らかに特殊な訓練を受けた者のみの獲得物を意味し、青白く澄んだ怜悧な瞳と併せて、彼女が只の一般人ではないことを如実に物語っていた。

 懐かしい夢を見た気がした。半ば忘却の彼方へ追いやったはずの悪夢だ。罪の意識が権化したそれを、久方ぶりに体験したグウェンの顔色は優れないものだった。

 グウェンは目を閉じ、両手の指で顔を隠した。

 コバルトブルーの瞳。仄暗い星空。銃撃の音色。

 いまもまだ、脳裏に余韻として燻るそれを、ふたたび忘却の彼方へと追い返すように、指で目頭を強く圧迫する。もう、うんざりだった。過去の罪の記憶が、いまの自分を殺しに来る。覚醒してから絶えず襲い来る罪悪感が、たまらなく不愉快だった。

 こんな目覚めの悪い日は、良くない。

 手近にあったハイネックのセーターを着込み、窓際のアンティーク調丸テーブルに置かれた飲みかけのブランデーを一気に呷った。ぬるいアルコールが胃の底で燃えあがる。気付けにはちょうどいい塩梅だった。


 約束の時間までまだ余裕はある。

 グラス横に無造作に転がっている煙草(ロスマンズ)に手を伸ばし、口に咥え、火を点ける。寝起きの肺を芳香な煙で満たし、ゆっくりと紫煙を吐き出す。これを二度三度繰り返すうちに、グウェンは完全に体が覚醒したのを感じた。

 彼女が暮らすワンルームは、一言でいってごちゃついていた。

 ベッドは部屋の中央に置かれていて、その周りは雑多なもんだ。読みかけの書物が壁際の書棚に積み立てられ、薄い埃をかぶった雑誌、脱ぎ捨てられたままの衣類が床に飛び散らかっていた。

 唯一といっていい洒落た作りの出窓には、何枚もの金属の板をすだれのようにつなぎあわせたような、鉛色の遮光カーテンが覆いかぶさっている。まるで部屋にこもりきりの臆病な人間を、外界に蔓延る悪意から守るシャッターのように、びっしりと。

 この不人気な色合いから誰にも見向きされなかったカーテンを買ったのは、人生最悪の投資だったかもしれないと、いまさらながらに彼女は思った。

 この街は雑音に溢れている。

 車の排気音、警笛に運転手の罵声。近くの部屋から老婆のヒステリックな泣き声。日によっては赤ん坊の泣き声がそこにミックスされる。上空を行き交うヘリコプター。裏手の駐車場で浮浪者と揉めるチャヴ(低所得労働者階級を親に持つ不良少年少女の俗称)の集団。

 つまるところ、この街はかまびすしい生活音によって支配されているわけだ。それらから、少しでもこの部屋を隔絶しようと選んだのが、たったの五ポンドで安売り籠に突っ込まれていた固い布地――鉛色の遮光カーテン――だったのだが、やはりというべきか、いかんせん部屋の空気が重く感じるのだ。()めた夢を見てしまったのも、きっとこいつが原因に違いない。

 グウェンは苦々しい顔で窓辺に近づいた。

 遮光カーテンの隙間から外の様子を窺う。僅かに降り注ぐ太陽光が寝起きの顔を射した。いまにも降り出しそうな雲模様だ。

 眼下に広がるのはイギリス北部代表の大都市マンチェスター。経済、交通、スポーツ、芸術のターミナルとして栄えたこの都市は、産業革命の進展とともに急成長し、〝英国病〟によって不況のただ中を彷徨い、浮き沈みの中で熟成された多民族都市である。

 グウェンが住むアパートの部屋から、街の中央を走る大通りが見渡せた。日ごろは賑わっている往来だ。が、普段ほどの活気は鳴りを潜めているように見えた。

 警邏中のパトロールカーが、ひっそりとしたドライブウェイを進んでいく。グウェンは肺に溜めた紫煙を燻らせると、灰皿に煙草の燃えさしを擦りつけた。


        ◇


 開店前の〈ポテトワーフ〉と通りをへだてた反対側の路肩に駐まっているのは、型落ちして数年経つ暗緑色のジャガーXJ4.0ソブリンだ。かつての高級セダンの面影はなく、年季の入ったフォルムの内側では、ニュース情報がリアルタイムで流されていた。


『――現在、ホーランドパーク周辺は市警察の特殊部隊が封鎖しており、非常に物々しい状況です。先程、専門の爆発物処理班が到着したとの情報も入ってきており、近辺に住む住民の避難が完了し次第、作業を始めるものと思われます。

 先月の三〇日より発生した連続爆破事件の累計死傷者数は一〇〇人を超す見通しで、シティ線は現在も警察と軍の現場検証が引き続き実施されており、運行再開の見通しはいまだ立っていません。

 いずれの事件も同一の爆弾が使用されたと見られており、実行犯と思われるグループの概要については依然詳細は分かっておらず、イギリス当局は現在、テロ警戒レベルを最高の「クリティカル」に設定しており、公共イベントの中止や政府機関の閉鎖、公共ビルや輸送機関の閉鎖も順次、実施されています。

 四件目となる今回の爆弾テロでは、これ以上犠牲者を出さないために、周囲の警察官の顔には緊張が見られ――』

 物騒がしい女記者の声に嫌気が差したのか、助手席でカウボーイハットを目深に被って眠りの態勢に入っていた男の手が、車載ラジオのつまみへとおもむろに伸びた。

 小さな雑音。

『――おやすみからおはようまであなたの側にをモットーに! 今宵もそろそろお別れの時間がやってきました、現在時刻は七時五〇分、DJヘンドリックが送るブルーオーシャン・ラァジオ、今日も素敵な一日になりますように、朝はしっかりと食べましょう! エンドはサウンドブローのBlitzです! See You!』

 小さな雑音。

『――により亡くなったジェイラス・スチュアート氏の葬儀が四日に行われました。氏はかねてより欧州共同の経済圏新興に尽力を注ぎ、実効性のある政治運動としての欧州統合運動など多大な貢献が知られています。近年では王立国際問題研究所《RIIA》の政策顧問としての登用もあり、――』

 小さな雑音。

『――衝撃の芸能ニュースです。俳優でマーチ映画批評家協会男優賞の受賞経験もある栄華の人、ロビング・ダズナーが児童買春の罪で起訴されました。カナダの警察当局が実施した大規模な児童ポルノ摘発捜査により発覚したもので、国際刑事警察機構の協力のもと五〇ヶ国にも及ぶウェブサイトへのアクセス状況を調べ、顧客を突き止める大捕り物が成果を結んだとして、――』


 押しボタンを指先で乱雑に叩き、ラジオを消す。車中には運転席に坐る壮年の男の新聞を捲る音のみが残った。黄ばんだ再生パルプ紙の擦れる音を、ゆったりとした空調が撹拌(かくはん)していく。が、それはそれで落ち着かないのか、助手席の男はジャケットの内ポケットから〈オークリー〉のマーズ・サングラスを取り出すと、つるを弄りながら運転席の男に話しかけた。

「おっさん、いまオレ面白ぇジョーク思いついたんだけどさぁ……聞いてくんねぇ?」

 おっさん――そう呼ばれた男の名前をフィンチといった。くすんだ金髪には所々に白髪が混じり、纏めて後ろにかき上げている様は整髪とは無縁なものだ。無骨な身体を覆うバイカー卸しのくたびれた牛革ジャケットは、彼の顔に刻まれた皺と意外なほどマッチしている。一見無害なロートルを装っているが、新聞の小さな文字を追う目は猛禽類のそれで、壮年期特有の力強さを感じさせる男だ。

 フィンチは煩わしそうに、顎ひげを一撫ですると新聞から顔を上げ、助手席の男を見た。

「見て分かんねえか? テッド君。俺はいま新聞を読むのに忙しい。後でグウェンにでも聞かせてやるんだな」

「かあぁっ」

 テッドと呼ばれた助手席の男は喉奥から声門破裂音を上げると、掌で遊ばせていたサングラスをかけた。シルバーのつるには金の刺繍文字で『Peace』と彫られている。赤一色の編み上げブーツに裾が擦り切れた綿パン、無地のシャツにチョッキを羽織り、首元にはラウド・カラー(独特で派手な色合い)のバンダナを巻いている。埃除けのコートには焦茶色のスリッカーを。

 さながらクリント・イーストウッドの西部開拓劇(ワイルド・ウエスト)に登場するガンマンといった出で立ちだ。比較的整った顔立ちは見る者に優男を想起させるが、風体あるいは軽やかな口調はお調子者という、不均衡な人物像を醸し出している。

「出来立てホヤホヤだぜ? こういうのは鮮度が大事なんだ。時間を置いちまったら〝尖り〟が無くなっちまう。ついでにオレのテンションがいま言えって囁いている」

 まくし立てるようにテッドが言うものだから、フィンチは鬱陶しそうに右手で眉根を揉みしだいた。グウェンが来るまで夢の国にいればいいものを――心の中で軽く嘆息し、言ってみろ、と左手で無言の手振りをする。

 それを見てとったテッドは口角を吊り上げると、軽く喉を慣らし、

「十歳の息子が帰宅すると、寝室で母親と隣の家の男が裸でヤってた。息子はショックを受け、父親の銃を持って隣家へ。母親は青ざめ『どうしましょう、見られてしまったわ』とオドオドするだけ。

 男は『大丈夫。僕に任せて。家には寝たきりの母がいるだけだからうまく説得して見せるよ』と、安心させるように言った。

 男が静かに家の中に入ると、母の寝室から暴れるような物音が。こりゃマズいと慌てて見に行くと、そこには宙に視線を彷徨わす母の上で腰を振る息子の姿が。息子は言った」

 そこで一息つき、フィンチが耳を立てているのを確認してから一気にオチを言った。

「『ほらね、自分の母親だと笑えない』」

 テッドは得意顔でフィンチの顔を見やるが、彼の視線は手元の新聞に落ちていた。外したかと肩を竦めるが、思いもよらずに笑いの壺を刺激したらしい。フィンチの口元からは、こみ上げる笑いを抑えようとして小さな声が漏れていた。

「――へ、ははっ悪くない。ふ……く、下らねえけど面白いわ、うん」

「だろぉ? いやぁ、思いついた時からイケると思ってたんだよね。オレってばやっぱ、こっち方面の才能あるわ。グウェンにも聞かせてやろっと」

「やめとけ。機嫌悪いぞ、きっと」

「あんな立地の悪い場所に宿を置くからさ! もっと上等な部屋あっただろうに。どうせ、またケチ癖でも出たんだ。スパルタ人も倹約をしたが、進化しないと身を滅ぼすぜ」

「手配を回したのはロレッタだよ。それとな、今回の仕事は局長直々のオーダーだから」

 一旦は気を良くしたテッドだったが、フィンチの言葉を聞いて口を尖らせた。

「そう、それ! 今回の仕事内容だよ! フィンのおっさんも詳しく知らないって何なのよ。朝っぱらから招集掛けられる身にもなれってんだ。グウェンとかブチ切れてんじゃない? 典型的な宵っ張りだし。そーすっとさ、矛先が俺に来るんだから」

「噂をすればなんとやらだ。我らのお姫様がやっとこさお出ましだ」

 フィンチがドアミラーを見ながら言う。鏡面越しにこちらに向かって歩く女の姿は、黒のケープコートに手を突っ込み、咥え煙草をしながらゆらゆらと気だるそうに肩を揺らしていて、朝っぱらからおかんむりの様子なのは一目瞭然だった。


 グウェンは排水溝に吸いさしの煙草を吐き捨てると、紫煙をふかしながら、車中後部座席に転がるように乗り込んだ。

「おう、時間どおりだな。休暇は楽しんだか?」

 胸ポケットから煙草(マルボロ)を取り出し、年季が入ったロンソン・オイルライターの火を点しながら、フィンチが訊いた。

「それなりにね。てゆーか、このメンツ?」

「緊急の案件らしいからな。ここにいるのはみんな暇人さ」

「なぁ、聞いてくれよ。新しいジョークを考えたんだ。ウケるぜ」

「あんたが毎日電話で話せばみんながハッピーになるわ」

 跳ね返すような返しに、たまらず煙草を咳きこんだフィンチを、間を外されたテッドが睨んだ。

 二人のやりとりも露知らず、続けざまにグウェンは口を開き、

「てゆうか、どっかの革命戦士気取りの馬鹿のせいで、そこいら中にお廻りがいてうざいったらありゃしないわ。誰がプッシャーだっつの。私がラリパッパに見えんなら眼科行って丸ごと目ん玉取り替えろってんだ!」

 数日前の不愉快な出来事を思い出したのか、スラング混じりの早口で捲し立てた後に顔をしかめた。

 煙草が切れたので夜分遅くに買い出しに出向いたところを巡回中の警官に捕まったのだ。ぼさぼさの髪に()れたジャージ姿という出で立ちは、厳戒態勢の市中において不審なもので。長時間問い詰められ、挙句の果てに立ちんぼ呼ばわりされた記憶は、いまだ鮮明に思い出すことができた。

「清廉な処女は夜道を歩かないのさ」

 まさしく余計な一言だった。出所は助手席。グウェンは橙色のタイトレザーパンツを纏った足を振り上げ、助手席の背もたれを思いきり蹴りつけた。

「ちょっ、ちょっやめろって! 背中蹴るのナシだって!」

 テッドの抗議を鼻で笑い、グウェンはドリンクホルダーのチルドカップを指して、「それ、コーヒー?」と運転席の頼れるリーダーに訊いた。

「ああ、ほれ。あと車が痛むから程々にな」

〝車かよ――〟

 助手席からの冷たい視線を無視して、コーヒーを後ろでに渡す。グウェンは軽く礼を述べてから受け取り、自身の真横に置かれてる紙袋に視線を向けた。

「今回使うお前の道具が入ってる」と、フィンチ。

 紙袋を開ける――中にはベレッタM92と予備弾倉一つ、ネジ式の消音器が入っていた。グウェンはベレッタを手に取り、排莢子(エキストラクター)のマークを確認する。排莢子には装弾済みの赤いマークが出ている。遊底(スライド)を少しだけ引き、薬室内の銃弾を視認。セーフティをかけて袋に戻しながら、不満気な面持ちでグウェンは言った。

「緊急の仕事って殺しのこと? わざわざこの面子を集めておいて? そもそもが私たちの管轄じゃないでしょ」

「グウェンの言うとおりだぜ、おっさん。この国に山ほどいるフリーランスにでもやらせりゃいい。局長も分かってんのかね、その辺」

「あーあー喚くな喚くな。言っただろう、緊急だって。文句はこっちに言ってくれや」

 膝上に置いたヘビーデューティ・ノートパソコンを、面倒そうに弄りながらフィンチは紫煙を吹かした。本体背部からアダプタケーブルを伸ばし、センターコンソールに挿しこむ。

 付け根のダッシュボードに埋め込まれた小型プロジェクタが、光格子を投射、フロントガラス内部のナノフィルムに光が編まれていく。カップル向けのデートムービーからライブコンサート、全三〇チャンネルのスポーツ中継を、車内にいながら楽しめる人気のオプション装備だ。


 数瞬の後、映像カーテンに亜麻色の髪を後ろで結った女が映った。黒縁の眼鏡から覗く瞳は知性を窺わせ、黒のオフィススーツも合わせると、地味ながら理知的な風貌の美人だ。彼女が映った途端、後部座席から、小さな舌打ちが鳴った。

 スピーカーから、美しくあだっぽい声が車内に放たれた。

『――全員揃ってますね、結構。では任務の内容を伝えます』

 画面内の女が手元の書類に目を落とした。

 同時に、画面上にウインドウが複数、展開されていく。

『この男はジョージ・スイフト。一九八〇年代にイギリスに移住。民芸品などの小さな貿易商を行っています。出身はダブリンですが、妹の再婚相手がネオ・アイルランド共和軍暫定派《NPIRA》内の新興過激閥に所属しており、スイフトの貿易会社を通じて過激閥へと資金援助が行われています。一見、真っ当な会社経営ですが財務記録を調査したところ、バランスシートに不自然な計上を発見。かなりの額が過激閥に渡っているようです』

 女の説明にフィンチが口を挟んだ。

「連中の家業は廃れただろう。友誼の和解はとうの昔。なぜいまになって?」

『過激閥を名乗ってはいますが、これは便宜上のモノ。彼らの本来の目的は、暴力をチラつかせることによる出資者の確保にあります』

「時代は移ろいゆくものだぜ、おっさん。志願兵が工作員に。将来はプロテスタントかプロヴォかの二択が消えて、利潤優先の組織がプラスされたってだけさ」

「最近物騒だしなぁ、怖いねえ。それで、どいつを消すんだね? ロレッタ」

 ロレッタと呼ばれた女は小さく咳払いをし、

『ターゲットはスイフトの部下三人。いま映ってる男たちです。彼らはスイフトの裏稼業に従事しており、犯罪行為も含めた非合法活動を活発に行っています。名前等の詳細は送ったデータを参照してください。昨今の情勢もあるので、余計な社会不安を煽る真似はそろそろやめていただきたいのです』

 表示されている不逞の輩はどいつも冴えない面構えをしてる。つまらない闘争に明け暮れると、覇気が全身から抜け落ちていくのかもしれない。下らない仕事に下らないターゲット。グウェンがせっかく養った英気は、いまにも溶けて消えそうだった。

『ターゲットは現在、レイランドのミード・アベニュー四十三番地。ケーキハウスのB棟、六〇三号室に潜伏していると思われます』

「はい質問! オレたちの仕事は本来、海外での工作が基本じゃん? 局長だって、国内には関わらせないようにしてたっしょ。それが何だっていまさら、こんなつまらない仕事回すんだ? 相手全員がメイトリックス大佐だっつーなら分かるけど」


 フィンチ、グウェン、テッド。他にも不都合で招集できなかったメンバーを含めて、彼らは『技術』に関する国外秘匿事案の解決工作を専門とする〈特殊実験群:戦闘適応班〉部隊コード〝オッドフィッシュ〟所属の武装要員である。

 ナイフを用いた殺人術にさまざまな銃火器の取り扱い、爆薬の効率的な使用法から各種機械工学にまで精通したプロフェッショナル――厳選された暴力の担い手というやつだった。

 彼らには『技術』が生み出した特別な人体処置(プログラム)――〝脳の限界領域に挑むための改善手術〟――が施されている。

 科学産業を大幅に進化させたドッグイヤーを経てもなお、いまだ人体実験の域を出ない危険な脳外科手術で、その成功率はわずか二割弱。リスクヘッジが確立されていない、脳の改善手術の成否いかんで、被術者のその後の処遇はかなり変わる。


〝死者〟は安息を手に入れる。医学博士(マッド)たちによりコマ切れにされ、培養液による主要臓器の保存処置を受けて終わり。二度と目覚めることのない眠りによって、地獄のような苦痛とも一生おさらばだ。


〝患者〟になると悲惨だ。ポートランドの実験病棟で、一日の大半をアセトン溶液で満たされたプールで過ごす。時間経過による術後壊死と感染症を予防するための処置だ。彼らは頭蓋骨の一部を、電子デバイスに接続された耐磁金属プレートへと置換されており、そこからインターフェイスを通じて〝夢〟を見続ける。医学博士たちは、微睡む彼らの脳味噌を弄り倒すのに夢中ってわけだ。


〝被験者〟は国家の未来戦略の礎だ。プログラム(改善手術)を無事クリアした被験者はテクノロジーの恩恵を授かり、極微的な集合体である電磁界の観測を可能とする特化脳力場観測者――通称、特脳者(イルミネーター)と呼ばれる存在になる。彼らは、〈特殊実験群〉を統括する機構の指向性を受けて、さまざまな国家プロジェクトへの参加を義務付けられる。


 電波照射装置の名を持つ特脳者のなかでも、与えられたプログラムにとりわけて適合した被験者は、特化脳力場を観測するだけでなく、それらに干渉するだけの力を手に入れる。いわば選りすぐりのというやつで、脳力場の集合体に干渉し、擬似的な超常現象の発現・操作を可能とした被験者で構成されたのが、グウェンら〈特殊実験群:戦闘適応班〉というわけだ。

 自らの命を対価に『技術』と取引して得た技能を、ならず者の暗殺に用いるのはテッドにとって不本意であった。そもそもが戦闘適応班三人を用いるまでもない仕事だ。一人で十分釣りが来る。


 諸々の感情を含んだテッドの問いに、ロレッタはあくまで事務的な返しをする。

『――休暇明けの鈍った体にはちょうどいい塩梅になるでしょう? 正式な作戦指令、セカンダリまでの行動規範を許可します。人目を引かぬように、迅速に、秘密裏に。万が一にも取り逃がしてもらっては困ります。不測の事態に備えて、あなた方を集めたのですから。確実な処理を期待しています。……ああ、それと』

「あん?」

 ロレッタの無機質な視線がグウェンの冷たい瞳とかち合った。

『局長からあなたに伝言です。〝お肉とお酒ばっかり食べてないで、たまにはお野菜も取りなさい。そろそろ健康にも気を使わなきゃね〟だそうです。ありがたく受け取っておきなさい、グウェン。あなた、もうすぐ三十路なんですから』

 捨て台詞を残し、ロレッタとの通信が閉じる。男二人は同時にあちゃぁと額に手を当て、天を仰いだ。

 後部座席から、低く押し殺した陰鬱な笑い声。

 グウェンとロレッタは致命的といっていいほど相性が悪い。喩えるならば、キリストの大工とムスリムの預言者が互いの釜の飯に毒を刺し合う程度には仲が悪い。

 例えそれがモニター越しだろうとも二人には関係ないことだ。

 グウェンの冷え冷えとした怒気が車内に充満。リアクターの臨界点はレッドゾーンに突入、あとは炉心溶融の被害がこちらに向かないよう、男衆は祈るのみ。

 ――そして、グウェンは静かに切れた。

「へぇ……三十路……へえぇええー、みそぉじぃ! 私がか? てめぇもだろ、糞ブリっ子ちゃんよぉ――大体、私と一つしか年違わねーだろうがよ! ア゛ァ?」

 徐々にその語気が荒くなっていく。テッドの額に一筋の汗が流れた。

「――ざけてんじゃねーぞ、あんの腐れビッチ! 局長の腰ぎんちゃくの分際で性悪が! いつもいつも澄ましやがって、イケてるとでも思ってんのか、勘違い阿婆擦れぇ!」

 自身の脚を工事現場の掘削機の如く、眼前のちょうどいい的に叩き込む。律動的な脚の振りに、テッドのサングラスが鼻上で飛び跳ねた。

「ちょっ、やめ、タイム! タァーイムッ!」

 さっきも似たような光景見たな――フィンチは遠い目をしながら紫煙を吐き出した。

 いつしか太陽は厚い雲に覆われ、世界は一雨きそうな空模様へと色を変えていた。

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