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014 粗雑な拷問

 未舗装の裏路地に、一台の車が重厚なエンジン音を響かせていた。黒いメルセデス・ベンツだ。運転するのはイヴァンで、助手席にはミハイルが乗っており、二人とも終始無言のまま、目的地である倉庫の敷地内へ入っていく。

 倉庫の周りは高い塀で囲まれていて、裏手のどん詰まりには数台の車が駐まっている。どれも暗色系のボディカラーで、悪行を生業とするならず者たちが一堂に会していた。

 イヴァンが最後列に停車すると、黒いレインコートを着た男が走り寄って、助手席側に傘を差した。ミハイルは組織のボスの息子。雨に濡らさない配慮だ。車から降りたミハイルに続き、イヴァンも後に続いて倉庫内部へ足を進める。ぬめった潮風が海の香りを運び、優しい頬ずりと不快感を残していく。

 入口の横には、肩からライフルスリングを垂れた屈強な体格の男たちが警備を固めていた。スリングの先にはカラシニコフが引っ提げられていて、物騒な空気を醸している。


「こちらです」

 コートの男の案内に従って、倉庫内を進む。でかい建物だ。端から端までどれくらいだろうか。控えめに見積もっても陸上競技のフィールド程度ならば収まりそうだ。視線を彷徨わすと、いたるところで、陰気な色合いの作業つなぎを着こんだ男たちが、忙しなく動いているのが見てとれた。

 激しい摩擦を伴った金切り音。

 ちろちろと赤い舌を見せるバーナー。

 船を解体するエンジンカッターが火を噴く。

 その真横で新しい船が組み立てられていく。

 再生と破壊の輪廻、塗膜屑と鉄屎(かなくそ)の転生だ。

 金属の塊が人の手でバラされ、新しい形を与えられる。その役目は日常物資の運搬だ。赤い大地から溢れ出た鉱物資源やら地下水源やらを代金に、武器が欲しくてたまらない紛争地帯のコマンダーに物資を援助してやるのだ。

 だが、ここで問題が。たとえ、武器商人が営業的なスマイルで大口契約をとっても、政府将校を介さない直接の売買契約は国際法に抵触してしまう。極秘裏に運搬しようとも、海上ルートはインターポールの目が光っており、船舶の登記情報を照会されたら一発でアウト。監視の網を掻い潜るためには、人の手で船を新しい姿に生まれ変わらせる必要があり――つまるところ、違法武器取引の一端を担うのがこの造船所というわけだった。


 ベルトコンベアが厳重に包装された木箱を流している。

 中身はカラシニコフの銃弾だ。紙パックなどにちんけな包装はしない。空の木箱にそのままバラして詰め込んでいく。艶めかしい鉛色でみっちり満たされた箱。誕生から六〇年経ってなお、最前線において現役で在り続ける7・62mm弾。

 これが戦地での日常品だった。

 算数の教科書、サッカーボール、衣服が詰まったワゴン、援助食糧の缶詰め、タウンページほどの厚みがある聖書。それらをさしおいて、ほんの小指一本ぶんの鋼鉄の塊が、向こうではなによりも喜ばれるのだ。

 世界各地で燻る火種。戦火に必要なのは金と鉄。

 法の薔薇が油を注ぎ、世界の強者が利潤を啜る。

 幼子でもわかる明快な理で、世界は狂っていた。


「いやァ、実に壮観な光景ですなぁ! 古きモノから新しきモノへ、鉄塊のリサイクル。わたし、船の造船所を見学するのは初めてでして。なんかこう、子供の時分にやった社会科見学を思い出しますな!」


 男にしてはキーの高い声だった。汗臭い労働者の群れに一際目立つ、明らかに場違いなその男は、ドラマ撮影の現場を仕切る総合演出家のように、きょろきょろと顔を振り、指揮官のように腕を動かしている。

「おい、あいつは?」ミハイルは眉をひそめた。

「ボスと最近、取引している武器商人だよ」

 ケーキハウスの生き残り――ラビが答えた。

「武器商がなぜここにいるんだ」

「今回、輸出する商品がアフリカの内戦に使われるのは知ってるだろう? なんでも、連中は二ヶ月以内に現政権を転覆させる腹らしい」

「それで?」と、ミハイル。

「大事な商品だ。心配で見に来たんだろうさ」

 二人が言葉を交わしていると、それを目ざとく見つけたプロデューサーもどきが近寄って来た。回り込むようにして黒服たちの足を止めた男は、右足を引き、右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し出した。欧州風の紳士然としたお辞儀だ。それから、男は前に垂れた長髪を手ですくい上げて背に流した。

「まァまァ、これはこれは、初めまして。ミスター・ミハイル。わたくし、あなたの父君と〝シリア関係のお仕事〟をさせていただいているティアドロップと申します。此度は貴重な作業現場へお招きいただき、まっこと嬉しく存じ上げます」

 ふざけた男だとミハイルは思った。おそらく、周りの連中も同じ感想を抱いたはずだ。ワインレッド色のベルベット生地に胡桃のボタン。鉄臭い作業場に不釣り合いなフロックコートが放つ上品な光沢は、まさしくテレビ局の気取り屋にぴったりだった。

「それはよかった。父共々、水も漏らさぬ付き合いをしたいものだ。なにか飲み物でも持ってこさせよう」

 仕事用の外面を作って、笑顔で答える。

「いえいえ、お構いなく。それより、どうです。今後の親交も兼ねた一杯をともにしませんか?」

「いや……申し訳ないが先約があってね。またの機会にでも」

「あァ、気付かなくて申し訳ない。あの捕まえたアイルランド人ですな」

 ぴくっ、とミハイルの右目蓋が震えた。

「なぜ、それを?」

「いやなに、彼を捉える際に、我々も少しばかりの協力を。あなた方にとっても我々にとっても大事な時期ですのでね」

「やはり、なにか持ってこさせよう。簡素だがゲストルームに案内してやれ」

 ミハイルの指示に、脇にいた男がティアドロップの背を軽く押す。それでも、にこやかに歩く武器商人をミハイルたちは胡乱な目つきで見送った。

「ふざけた野郎だ」

 イヴァンが冷めた口調で言った。

「奴の胸元を見たか? 十字架にユダヤの星がくっついていた」

「ああ、武器商人ってやつはイカれた感性の奴がほとんどだからな。奴もその口だろう」

「マネキンみたいな格好だ。気色悪いぜ」

「ボスが言ってた協力者が連中か」

 周りの男たちも口ぐちに喋り出す。それぐらいにインパクトのある男だった。そんな彼らをミハイルが制する。

「おしゃべりはここまでだ。食事処にいくぞ」




 ……ボォン……ボォォン……

 船の警笛が室内へ静かに響いた。

 味気ない蛍光灯が燈るそこは従業員用のランドリーだった。

 所狭しとドラム型の洗濯機が並べられており、ダクトから流れる熱風に紐で吊るされたシーツがゆらゆらとなびいている。ドラムの振動音とたなびく蒸気が満ちた洗濯場に違和感があるとすれば、部屋のところどころに付いた赤い水玉模様だ。渇いてから時間が経ち、赤黒く変色したものもあれば、付着して新しい新鮮なものまでさまざまだ。

 中央に置かれたパイプ椅子には男が坐っていた。

 リングサイドで項垂れるボクサーのように頭を下げ、スチールパイプの骨組みに手足を雁字搦めに縛られている。

 紐が肉に食い込み鬱血(うっけつ)して、広東料理のチャーシューみたいだ。混じりけのない純白だったワイシャツは赤黒色で薄汚れており、上物であろう黒のスラックス股間部には、濃い染みが出来ていた。頭にはファストフード店の持ち帰り用紙袋がかぶせられ、無漂白の茶生地に紅い斑点とポテトから染みた油が浮かんでいる。


 男にはかろうじて意識が残っていた。

 ここに拉致されてから、おおよその感覚で三時間弱。

 安物の椅子に坐らされ、始まったのは拷問。

 体の節々に鋭い痛みが走り、いま鏡を見ても自分の顔を判別できないだろう。船の警笛がまた聞こえた。磯の香りがすることから、マージー川をくだった辺りだと推測できた。

 パンチとパンチの合間に聞かれたのは、非合法な金儲けに使っている三人の部下のことだ。ショーンら三人は信じがたいことにマフィア組織に喧嘩を売ったらしい。サイドビジネスの展開云々については、男も文句を言うつもりはなかった。

 だが。

 三人がクソを顔に塗りたくったのはロシア人だ。よりにもよって傷口にウォッカを注いで喜ぶイカれ人種、ファッキン・グレート・ロシアン様だ。奴らはきっと、ヨシュカル・オラの悲惨なクソ都市で頭がシャーベットみたいに凍っちまって中身がスカスカに違いない。ふざけている。男は風前の灯火のように萎えきった頭の中で、あらん限りの罵倒を吐く。

 今日は七歳になる娘の誕生日だ。めでたい日であって、断じて、こんな魚臭い部屋で北の田舎者にいたぶられる日ではない。

 ふざけるな! ふざけるな!

 男は誓う。神への誓約だ。ショーン、コナー、ジャック……たとえ地の果てまで逃げようとも見つけ出し、自分が受けた責め苦の倍にして殺してやる。ネオ・プロヴォの掟など無視だ。もとより経済活動に重点を移した組織など恐れる必要はない。過激派(・・・)など過去の老人の遺物だ。

 殺してやる! 殺してやる! ぐるぐるぐるぐる……

 男は既に意識が混濁していた。

 頭の中で思い描く妄想が、金輪際、実行できないことを理解できていないのだから。精神がひっ迫し、肉体のダメージを覆した非合理的な考えが男の脳裏をめぐる。


 ぐるぐる……

 ぐるぐるぐる……

 ぐるぐるぐるぐる……

 突然、男の視界がひらけた。

 蛍光灯の電球色が顔を照らす。

 足元には頭を被っていた油臭い紙袋がある。血と油で酷い色合いだった。紙袋の表に描かれたマスコットキャラの絵が、赤と黄と茶と黒でまだらに色付けされていて不気味だ。

 男が顔を上げると、先程までいなかった人間が何人か増えていた。

「ハロー、ミスター・スイフト。まだ喋れるか?」

 そのうちの一人。

 分厚い眉の上にシップを貼った坊主頭の男が声をかけた。

 椅子の男――スイフトは眼前の男のシップと太眉が気になってしょうがなかった。返事を返すべきなのに、気の利いた返しができず、言葉をまごつかせる。声をかけた男は頬を緩めているが。目には感情の色が浮かんでいなかった。

 スイフトはごくりと唾を飲み込んだ。血の味がした。

「ダメだな……意識がブッ飛んでる。おい、水」

「はい」

 男の指示に従って、横に立っていた熊のように図体のでかい男がキッチンに向かう。手にはゴムホース。捻られた蛇口から大量の水が管を通ってスイフトの顔面にぶつかった。勢い付いた水が傷口をえぐる感触に、おもわず、スイフトは叫んだ。

 男は笑う。

「喋れるじゃないか。手間取らせるな」

「この〝黒いケツ〟のクソコーカサス野郎! ただじゃおかねえ! オレに指一本触れてみろ、首を引き裂いて血の噴水でウォッカ割りを作ってやる!」

 シップの男――ミハイルが事もなげに言うものだから、スイフトは先程まで頭に渦巻いていた妄想を口から投げ出した。砕けた歯が飛んでもお構いなしに吠える。壊れたラジオのように舌を回し続けるスイフトだが、彼を囲む男たちの反応は冷ややかだ。

「おいおい、まだ寝ぼけてんのか。誰が〝黒いケツ〟だって?」

 ミハイルがスイフトの(すね)を蹴りあげた。苦鳴があがる。

「どこをどー見たら、俺がニグロに見えんだ? 俺がアフリカ系ロシア人(・・・・・・・・・)だとでも言うのか? あいにく、そんなふざけた人種はこの世に存在しない」

 ミハイルが言葉を切った。

「だが、後半の提案はなかなか面白い。よし、決めたぞ。俺の聞きたいことに答えたら、お前の首を裂いてウォッカのボトルを突っ込んでやろう」

 そう言いながら、じぃっとスイフトの目を覗いた。

 スイフトの心臓が跳ねる。最初、男の言うことが理解できなかった。それなのに、男と視線があった瞬間、むきだしの神経にやすりをかけたみたいに、全身に怖気が走り、否が応でも理解させられた。


〝狂ってる〟


 この男は、たとえ神が許したとしても、自分を殺す。

 合理性のかけらもない思考。ナチュラルにイカれてる。

 ふと、スイフトの脳裏に娘の顔が浮かんだ。

 恐らく、いや……もう会えないだろう。自分はここで死ぬ。惨めに惨たらしく。自分が死んだら、あとには何が残るのだろうか。分からない。体が酷く冷たかった。男の虚空の瞳が自分の魂まで拘束しているみたいだった。

 懐をあさり、男は二枚の写真を取り出して、スイフトの前に突き付ける。見ろということらしい。ぼやけた視界のピントを写真に合わせる。一枚はマントみたいなコートを着た黒髪の女が。もう片方にはクラブシーンにいそうな風体の男が写っていた。

「こいつら、誰だ」

 これが最後の質問だろう――スイフトは、そう予測したうえで考える。

 斜め上からの写真だったが、顔はよく見えた。

 女は、ぱっと見で二〇代後半といったところ。場末のストリートで立ちんぼしている娼婦とも思える顔立ちだと、一瞬考えたが、それにしては色香がないように感じる。写真に色気が載るとは思えなかったが、スイフトは男のほうへと記憶をめぐらせる。

 カウボーイ帽にサングラス、派手な色味のバンダナが顔の大部分を隠している。誰もクソもないだろう。筋トレ三ヶ月後のジャスティン・ビーバーです、と言われても納得するほかない、判別しようがない写真だ。

 馬鹿げている。

 似たような女は腐るほどいるし、男はそこらのデパートの服で仕上げることができる。

「……分からない、知らない」

 だから、スイフトはこう答えるほかなかった。

 ミハイルはうんうんと頷いている。納得ではなく、最初はそう答えると目星をつけていた頷き方だった。

「こいつらはな、お前の部下ばかりか俺の弟もほかの仲間も殺した。皆殺しだよ。端的にいえば、いまお前が痛めつけられてるのだってこいつらが原因だ。だから、よく考えるんだ」

 男は続ける。

「絶対にお前らと関わりがあるはずなんだ。俺の勘がそう囁く」

「本当に……知らないんだ」

 ミハイルが熊男から何かを受け取った。蛍光灯に照らされ、鈍色に輝くそれはアルミ製のワイヤーカッターだ。

 スイフトの顔色が急速に失せていく。

「まて、やめてくれ!」

 左右の男に靴下ごと靴を脱がされ、新たな拷問が始まることを感じ取ったスイフトは声を荒げた。

 体がパイプ椅子ごと後ろに仰け反らされる。

 ひんやりと乾いた鉄の感触が、左足の小指を覆う。

「頼む! いや、やめて、お願い!」

 バヅンっ。骨肉を裁断する音。不要な枝木を剪定する気軽さで、ミハイルは手の先の両刃を閉じた。必至の懇願もむなしく左足小指は宙を舞い、切断面から鮮血がホースのように噴き出した。スイフトの絶叫が部屋中に響き渡る。

 ミハイルはうるさそうに眉根を上げ、

「次は薬指だ。その次は中指。さらに人差し指、親指、反対に渡って親指から人差し指だ。足で終わらなかったら手にいく」

 冷厳な声で告げるもんだから、スイフトは涙と涎でぐしゃぐしゃの顔を必死に横に振った。

「しっ知らないって言ってるだろっ、本当なんだってああぁあ!」

 薬指にあてがわれた上下の刃先が勢いよく折り重なった。

 ぱぱぱっ、と血飛沫が飛び、床に敷き詰められたリノリウムの白いタイルを汚していく。

「俺たちはあらゆる伝手を使って、こいつらを捜している。そん中には警察もいるわけだが……なぁ、イヴァン」

「ああ、まったくこの国の警察はひどい」

 苦悶の表情を浮かべるスイフトを無視して、パイプ椅子を斜めに支える熊男、イヴァンと言葉を交わす。

「モスクワじゃあ、車が汚れてるってだけで運転手に手錠をはめて、ワイロをせびる。払えなかったらボコボコだ。向こうの警官は総じてクズだ。事あるごとに金をねだる乞食さ。だが、それでも連中は小賢しいことに月に受け取る額を決めてる。内部不正を捜査するチームがあるからな」

「法を破ってまで稼ごうとしないんだ」

 イヴァンが相槌のジョークを打つ。

 周りの男たちがどっと沸いた。

「イギリスの警官ときたら、どいつもこいつもホモ野郎ばかりだ。愉快にケツ振りながら、もっと寄こせだとか殺したくなるよ。分かるか、スイフトさん。俺たちはできることなら、この手でさっさとこいつらを捕まえたい。さぁ、教えてくれ、こいつらの名前を!」

「ゆるじっで、っあアア゛ア゛ッ!」

 中指の切断に合わせて、口角泡がはじけ飛ぶ。

「がねやる゛がらっ金やるがらッ! 取引ッ取引をッ!」

 嫌々と首を振りながら叫ぶステファンに、イヴァンが心底不思議そうな面持ちで口を開いた。

「……何言ってんだ? お前は親に〝ブーツと蟻は取引しない〟って教わらなかったのか?」

「――え゛っ」

 ワイヤーカッターの刃が、足の人差し指の付け根を咥えこむ。

「泣き言はよせ。自業自得だ」

「左足が終わるぞ。さぁ、答えろ」

「現実を受け入れるんだ。その方が身のためだぞ」

 スイフトを囲む男たちが次々に捲し立てる。

 拷問はまだまだ始まったばかりだ。

 スイフトは気付けただろうか。

 死ねば終われるという事実に。

 彼は屠殺場の哀れな家畜だった。

 いつ終わるともしれぬ、まさに永遠にも感じる、質問と切断のループにスイフトの自我は少しずつ、ほころんで、ばらばらになっていく。

 いくら記憶をめくろうとも答えは出せない。当然だ。二人なんか知らないのだから。だが。それを声高に主張しても無駄だった。こいつらは、はなっから自分の答えを期待していない。

 心が自壊する。

 その時だった。

 8ビートの軽快なメロディが、男のポケットから鳴ったのは――


        ◇


「動くな! 両手を頭の後ろで組め!」


 二つの銃口がテッドの体に向けられていた。灼熱の銃弾がいまにも飛び出しそうなショットガンにオートマチックの自動拳銃を、一寸のすきもなく構えているのは二人組の制服警官だ。

 思わず舌打ちをしてしまう。

 最後に接敵した高架下からおよそ二キロの地点にある廃車集積場。ファミリー仕様のシボレー・カマロ、ギャング映画に引っ張りだこのインパラ、アル・カポネから合衆国大統領まで股を掛けたキャデラック。時代の変遷で取り残された過去の遺物たちが眠る墓場だ。 三〇〇台が息を潜める墓所にテッドと穴ぼこだらけで走行に支障をきたしたジャガーXJ4.0ソブリンが、鉄屑の森に紛れるように身を隠していた。いくらなんでも、ばかすか撃ち過ぎだ。市街地でやるには派手すぎる銃撃戦に即座に反応したのが警察だった。

「聞こえないのかっ、手を組むんだよ!」

 ショットガンを構える警官が大声でがなる。雨が浸みこむ土くれと青い回転灯の光がぶつかり合って、廃車の剥げた塗装に乱反射する中で、テッドは銃口に背を向けて佇んでいた。

 よもや、警察に見つかるとは不覚もいいところだ。頭がずきりときしんだ。集中力不足。フィンチに知られたら、ぶん殴られるレベルの失態にテッドは重い溜息を吐いた。白い息が銃煙のように、灰色の曇り空に溶けていった。


 ――さて、どうするか。


 彼らに自分の本来の所属である組織名を言っても意味がない。表向き、オッドフィッシュの三人は調査機関の従業員という触れ込みだからだ。もっとも、よっぽど特殊な経歴の持ち主でない限り、上の正式名称を述べたところで、キチガイ扱いされて警棒でのされるのがオチだ。

 痛みが走る頭で考える。

 雨が頬を伝って、足元に落ちていく。

 不可能だ。この状況をうまく言い包める術なんて、マスケリンのAフォースでもできっこない。有り体にいえば、テッドは追い詰められていた。

 ファッカーどもめ!

 よりにもよって銃を装備した警官が相手とはついてない。イギリスは銃規制がチャイルド・ポルノよりも厳しい国だ。警官だって例外ではない。メンチを切る犯罪者の血圧を上げないように、ロンドン市内など一部を除いて基本装備が黒光りのマラ(・・)警棒で、頑張って相手を取り押さえましょうを地で行く国だ。

 ただ、今回ばかりは時勢が悪かった。

 現在進行形で問題を撒き散らしている、イギリス連続爆破事件の影響で銃器の常時携帯が義務付けられているからだ。

 さらに、ロッカーズ(暴走族)もケツを巻いて逃げだす逃走劇がプラスされれば、いまを取り巻く状況も至極当然のことだろう。

 運が傾いていく気がした。

 やむを得ない。一旦拘束の後に、〝上〟に釈放命令を出してもらうのが一番だろう。腕をブリキのように、ゆっくりと上げ、後頭部に手をつく。

 それを見て、互いに頷き合い、警官がぬかるんだ地面を進む。

 ばしゃんっ。跳ねた水がテッドのジーパンにかかると同時に、

「こいつ、銃を持ってるぞ!」

 大声で叫びながら、警官のひとりが銃底でテッドの頭を思い切り殴りつけた。ハット帽越しに響く鈍い音とともに、テッドの視界にちかちかと星が飛ぶ。おかしいと感じる間もなく、第二撃が膝をついた体の背にめり込む。内臓が喉からせり上がりそうな痛みに、たまらず、テッドは全身を泥水の上に沈めた。


 もしも、頭の後ろに目玉がついていたら、警官たちがジェリーをいたぶるトムキャットの表情をしていることに殺意を覚えただろう。

 ピクリとも動かない男を前に、警官たちはせせら笑う。

「はは、なんだ、おい。楽勝じゃないか」

「ああ、これで懸賞金は俺たちのもんだ」

「こんな幸運ありえねえ。善良な市民(・・)さまさまだ」

「このクソ野郎、俺たちの街で面倒起こしやがって。一時間前まで平和で楽しい街がいまじゃ戦争地帯だぜ」

「善良な人々が脅える」

「そう、ガタガタびびっちまう」

 プッ、と唾を吐きかける。

「こいつをロシア人に引き渡して、今日のお仕事終了だ。このうざい雨ん中を出張ったんだ。約得だぜ? 署の連中に見つかる前にズラかるぞ」

「まてって……? こいつ、まだ意識がありやがる。アレ貸せアレ」

 はいはいアレね、ボヤキながら取りだしたのは縦にぬっと伸びた棒だ。警棒をもう一回り大きくして、持ち手の部分にハンドガードがつけられたそれは、どう見ても警察の正式装備には見えない禍々しさを備えている。警官が力を込めて握った瞬間、雨をも弾き飛ばす白い電気の束がひらめいた。

 バトン型スタンガン――違法改造された威力は一三〇万ボルトをゆうに超え、左右に振るたびに雨の蒸発する音があがる。

「趣味で作ったもんだが、このスパークの光がいい……うなすじいくぜ」

 弧を描いて振り下ろされたバトンが、頸部に接触した刹那、電極から白糸の電流が溢れ、テッドの体が大きく痙攣した。泥水でもがく淡水魚のようにびくんと。テッドの意識が体から抜け落ちていく。一瞬、脳味噌の一部が短絡(ショート)を起こしたような、得体のしれない虚脱感が体内を駆け巡る。視界がブラックアウトする直前に見たものは、醜悪な笑みでこちらを覗きこむ警官の顔だった。


 雨音に混じって、ベルトクリップにさした無線がガリガリと鳴った。

『コード02、8号車、通報のあった該当車は発見したか?』

 天候不順による通信ラグのせいで、無線から流れる音声には酷いノイズが入っている。警官のひとりが襟に挟んだスピーカマイク越しに、「本部224‐11、該当車は発見できず、発見できず、巡回を続ける」と告げると、

『本部了解』

 無線は再びガリガリと鳴って、やがて沈黙した。

 彼らは荷物の搬送作業に取り掛かる。

「おい、そっち持て。あぁ、くそ! パイロンでトランクには入らないぞ」

「後部座席でいいさ。ビニールに包んじまおう」

「ロシア人はなんでこいつを高値で買う?」

「大方、ボスの女房を寝取ったんだろ」

「あっちの車はどうする?」

「ほっとけばいい。明日になれば、ここの管理人が見つける」


 雨足が強まる中、手錠で拘束したテッドを乗せた警察車輌が通りへと引き返す。消灯したパトランプの残光が、廃車集積場一帯からぼんやりと色味を失っていった。

 凶行の跡形は鉄のガラクタ。緑の廃車だけ。

 ぱらぱら、ぱらぱらぱら。

 静かな眠りにつく廃車たちの背を大量の雨粒が激しくノック。

 そこに小さな足音が混じる。

 泥溜まりの汚水を避けるように、おっかなびっくりと緑のジャガーに近寄っていく、ちいさなシルエット。蜂の巣になったボンネットまで到着すると、人影は体をくの字に曲げて車底を覗きこんだ。

 手を伸ばして何かを探り当て、ゆっくりと引き出す。

 それは泥がついた携帯端末――テッドが殴打を受けた際に、とっさの判断で投げ捨てたものだった。

 人影の口角がほんの少しだけ吊り上がる。

 そして、こう言うのだ――「ナイス判断です」と。

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