011 量子ベイズ
鬱陶しい雨だ。誰に聞かせるわけでもなくぼやいた言葉は、降り注ぐ雨音に掻き消された。
ごう、と唸る空の下でも、機構印の携帯端末は重宝な道具だ。市販のものよりも上等なソフトウェアが組み込まれていて、こうした通信ラグが発生しやすい天候でも、不明瞭な通話音声をクリアなレベルまで補正してから送り届けてくれる。この端末を使用することで、機構に現在地を知られるのも織り込み済み。やましいところがなければ、向こうから接触をはかってくるだろうから。
「……法の薔薇か。なるほど、連中の刺青のことまでは知らなかったからなぁ」
『なんだ、おっさん。当てはついてたのか?』
「確信はなかったさ。最悪の予想候補には上げてただけだ。にしても、さすがはランダの店だ。男にゃつらいがいい情報を扱ってる」
頭を垂れるようにして火種を守っていたが、びゅうと吹いた横殴りの風に火を絶やされてしまった。舌打ちしそうになったが、この雨模様で煙草を吸おうとする自分が馬鹿なのだと我慢する。
『ウェディングドレスを着たランダが、おっさんに会いたがってたぜ』
煙草を持つ手が硬直。ややあって、灰皿代わりのコーラの空き缶に吸い殻を放り捨て、脳裏をよぎった最悪の想像を瞬時に忘却の彼方へと追いやる。
『ヨーロッパからアフリカに架けて、独自のルートを持った連中だ。海を渡って大量の兵器を売りさばくのさ。局長が聞いたら喜んでメス入れそうだぜ』
「なるほどね……それにしても思い切った推理をする。ここ最近の爆破事件はアイルランド人の仕業で、爆弾を売りつけたのは法の薔薇。んで何らかのトラブルが起こって法の薔薇は三人を消そうとした。だが時すでに遅し、三人は俺たちに始末されたあと。運悪く、同じ目的を持つ両者がかち合ったと」
二階にある広角にカーブしたテラスで携帯端末を耳に当てるのはフィンチだ。漏洩電波からデータを抜かせないために、ミルトンの部屋は電波暗室となっている。内部から情報が漏れない代わりに、外部からの電波も入らないわけだ。
そのおかげでこうして煙草にありつけたが、こうも野晒しになるとは計算外だった。盛んに降りしきる雨は埃色のラバーマットを威勢よく叩いて、指の第一関節ほどまで水位を高めている。建設当初から交換されていない銅でできた排水溝は、ごぼごぼと不気味な泡を噴きだしながら、必死にその役割を果たそうとしていた。
『推測だけどな。当ってるとしても、稀代の爆弾魔に何故警察や軍じゃなく俺たちを送る? まだ裏があるぜ、おっさん』
「それはこっちで調べておく。とりあえず、お前もこっちと合流しろ」
吐き出した冷たい息が、灰色の空に溶けて消えた。
「ふぅん、火薬庫の中のアイルランド人を消しに行ったら、ロシア人にカマ掘られそうになったと。……それ、初見殺しもいいとこだぜ。よく、生きて戻れたな」
換気扇がたちこめる臭気をかたっぱしから吸い込んでいく室内にて、事情を聞いたミルトンは呆れ混じりに呟いた。額には脂汗が浮かんでいる。
「何人か、元軍人っぽい立ち振る舞いの奴がいたけどね。まぁ、剃刀の刃を渡るような真似はもう勘弁よ」
「……相変わらず特脳ってやつは便利だな。僕も欲しいぜ、テレポートとかさ! 夢が広がる!」
真っ先に移動系を上げた理由は、彼の体型を見れば一目瞭然だ。そこまでして移動に手間を掛けたくないのだろう。
そこへ、下らないとばかりに、
「テレポートなんてSFだ」
鋼鉄の扉をくぐったフィンチが言葉を吐き捨てた。
彼が室内に入ったのを確認してから、ミルトンは椅子のひじ置きに群生したキノコのひとつ――セラミックと合成樹脂で模られたレトロボタン――をパンパンに膨らんだ手の平で圧した。ガス噴射音が響き、ゆっくりと鉄扉がスライドしていく。扉の断面が壁と接着すると、三本のデッドボルトが両脇から回転・施錠し、外界からミルトンの生息域を完全に遮断した。
この部屋を訪れるのは食事を持ってくるアビーだけだ。
ミルトンは出不精なので、まず外出しない。
彼女がやってくる度に、重い腰(比喩表現ではなく)を上げるのは面倒であると考えたミルトンは、自身が楽するためだけに部屋全体にギミックを敷設してのけ――その結果、ミルトンは手元のマッシュルーム・パネル(不衛生な室内環境でこのデザインはよく映える)を、彼の生活に必要な事柄すべてをサポートするインターフェイスとして、活用しているのだった。
フィンチは髪についた水滴を払いながら、
「んなの実現しちまったら、世界の構造が変わっちまう。見たいか? スタートレックになった未来を」
裏の世界の一部しか知らない特化脳力場の存在。その力場に干渉することで、魔法のような現象を起こせる特脳者。さまざまな要素が相互作用することで創発される特脳ではあるが、能力を用いる際には、あくまでも物理法則に見合った操作・干渉しかできないという制限がある。
例えば、ミルトンが述べたテレポートなども、特脳者が現実世界に及ぼせる影響のキャパシティを遥かに超えるため、現実的ではないというように。
「でもさぁ、二人が受けたプログラムって同じものなんでしょ? なのに出来上がった結果は違った。だったらさ、時空跳躍ぐらい夢見れるじゃないか。人間は未だ可能性に満ちているって証明したいのがプログラムなんでしょ?」
口を尖らせ、ムキになるミルトンに二人は肩をすくめた。
「まぁ……人間の脳みそって、意外とフレキシブルがあるからね。あんたの言うとおり可能性はある。だけど、マルチバースまでは夢見れないの」
「だけど――」
尚も続けるミルトン。
グウェンは前髪を気だるげに弄りながら、
「あんた、『熱』って概念が世界に在ると思う?」
「なに? 急になぞなぞ? いいぜ、僕の世界最高峰の頭脳に挑むというなら」
「いーから答える」
「はい……えーあるでしょ、そりゃ。無くちゃPCのファンも回せない」
ミルトンの回答にグウェンは満面の笑みで、両手人差し指をクロスさせた。
「はい、ブー!」
「意地の悪い問いかけだわな」
その横でフィンチが苦笑した。フィンチの言葉を聞いたミルトンが悩ましそうに体を震わせた。
「引っ掛けかよ! 僕、そういうの嫌いなんだっ!」
「正確には問題条件の視点によるのさ。答えを言うとな、『熱』は世界に実在しないが、人間の物理世界には在るってことだ」
「なにそれ、どういうこと」
「グウェンが言いたいのは、『熱』という概念は生物の進化の過程で、体、感覚野・脳、認識野に組み込まれたってことだ。そこに神の介在があるかどうかは置いといてな」
正答と呼べるかは微妙なラインだが、ともあれ、ミルトンは提示された答えを吟味しているようだ。あごに手を添え、ぶつぶつと何かしらを呟いている。
そんな彼に構わず、グウェンは続け、
「ここからは応用問題。プログラムは結局のところ、世界に実在する電磁力場を観測できる〝波動関数〟を被験者に与えるもの……あくまで、生物学的に『人の認識形式』『脳の理解力』を踏まえた上での組み込み」
さぁ、と指を振る。
「ここまでで、人間の限界値を考慮したプログラムを受けた被験者ミルトンくん。そんな、キミが世界の電磁力場を用いて、近所のスーパーまでコーラを買いにテレポート。さぁさぁ、結果はどうなる?」
クイズ番組の司会者の如く、腕を振り、答えを求める。
ミルトンはゆっくりと顔を上げ、自身の考えを述べた。
「パラドックスが起こる?」
満足いく答えだった。グウェンは、形のいい唇を愉快げに歪ませた。
「そういうこと。ま、一種の量子ベイズ主義よ。そして私たちオッドフィッシュは、人間の限界値を見極めるための実験部隊でもあるわけ」
「ふむふむ。なるほどねー……ふと、思ったんだけど。これってさ、ひょっとしなくても、聞いたらマズい情報じゃない?」
「へっへへ、気付くのが遅れたな、ミルトンくん。お前さんはすでに、予算がついた国の機密指定研究を知っちまったわけだ。なに、命までは取らねえさ」
フィンチのにやけ顔に、してやられたという表情のミルトン。徐々にその顔が紅潮していき、
「なんだよ! 僕の人生にいちいち危ないネタぶっ込むのやめろよ!」
ふしゅう、と鼻息荒く抗議するも二人はどこ吹く風といった様子だ。フィンチはにやけながら、
「協力してもらうぜ、ミルトン。馬鹿な妄想を口から垂れ流して、アホなビデオでシコる前によ」
「おい、フィン! 女性がいるんだぞ。わざわざ蒸し返すなよ! ……それに、僕は今週の目標を達成しなくちゃならないんだ!」
いまさら取り繕っても遅いが、ミルトンなりにあの行為には確固たる理由があるようだ。コーラのプルトップをその太い指でこじ開けると、鼻息荒く、ぐっと一息で飲み干す。地割れのようなげっぷをすると、パソコン奥の壁上を指した。
――「異種姦強化チャレンジ週間」
無駄に流麗な筆記体で横長の紙に、頭が痛くなる言葉が書かれていた。ミルトンは、どうだと言わんばかりに腕を組み、その巨体を踏ん反り返らせている。
「……相変わらず未来に生きてるわね、あんた」
グウェンは嘆きに似た賞賛を送る。言葉の裏に気付いてない彼は、恥ずかしそうに頭を掻いた。本当に残念な男だ。
「まぁ、ミルトンの性週間は置いといてだ。ロレッタに報告する前に、出来るだけの事情を把握しておきたい。お前さんに頼みたいのは、アイルランド人とロシア人の関係だ。テッド曰く、ここ数日の連続爆破事件の犯人はアイルランド人かもだと」
「どういうこと?」
眉をひそめたのはグウェンだ。いきなり突拍子もないことを言い出すものだから、ミルトンもぽかんとしている。
「ロシア人は法の薔薇っつー犯罪組織だ。そんで、そいつらの主な収益は違法な武器売買……拳銃、マシンガン、ロケットミサイルとかな。もしも過激派のアイルランド人に爆弾が渡ったら?」
「ぼふぅっ、使っちゃうね」
握りこぶしを爆発に見立てて勢いよく開いたミルトンに、フィンチは鷹揚に頷き、
「さらにだ。ロシア人は最初の爆破事件二日後には、アイルランド人を探してた」
「臭うわね」
慌てて脇の匂いを嗅ぐミルトンの頭をグウェンがはたく。
「でも、それだと私たちが動く意味がない。よっぽど隠したい裏事情でもない限りね」
グウェンもフィンチと同じ結論に至ったのだろう。アイルランド人たちは秘密裏に消される必要があった。オッドフィッシュを動かすとはそういうことだ。
「でもなぁ、僕の予想とは違うなぁ」
「言ってみなさいよ」
ミルトンは自信ありげに口角を吊り上げた。
「黒のターバンを顔に巻いた茶色いロビンフッドが犯人さ。白人社会を混乱させたいテロリズムだよ」
「その心は?」
グウェンの合いの手に、ミルトンは鼻を膨らませ、
「過激派の宣伝さ。いまじゃあ、軽くネットを彷徨うだけでプロ御用達のパッケージが手に入る時代だよ。イデオロギー、ターゲットの選び方、武器の作り方までしおり付きでパックされてるんだ」
ネットの普及に合わせて世界の在り方も変化した。そしてそれはテロリズムにおいても例外ではない。ミルトンが言うように、少しアングラサイトに深く潜れば、ご丁寧に母国語で書かれたテロの教科書がダウンロードできる。先週までお茶会を開いていた主婦が、翌週にはダイナマイトを腹に巻き付けている――決して笑えない話だ。
「それを調べるのさ、ボーイ。これにアイルランド人の情報が入ってる。裏を洗え」
フィンチはテッドと別れる際に、車から持ち出したヘビーデューティー・ノートパソコンを手渡した。ぺろりと唇を舐めたミルトンは、フラッシュドライブ・ケーブルを自前のコンピュータに繋いだ。
情報に関してはミルトンの右に出る者はいない。
一時間もあれば、上院議員の不倫名簿を作れると豪語する男だ。
「傷害、婦女暴行、違法賭博に自動車窃盗などなど……殺人はないけどうまく隠してるね。裁判の土壇場で証人が証言を拒んで、立件できずに不起訴で終わってる」
三〇ワイドの液晶ディスプレイに浮かぶ複数のウィンドウに、文字コードの羅列が次々に書き加えられていく。ミルトンの華麗な指捌きは、たちまち、入国管理局の情報中枢へのアクセスを許した。
「警察記録から分かるのは、酒飲みで喧嘩っ早い典型的なバカの集まりだってこと……なんだけど」
キーの上で跳ねまわる指がふいに止まり、ミルトンは静かにかぶりを振った。
「ダメだね。ショーン・オコナー、コナー・デランティ、ジャック・キンセラ……こいつらの査証記録が無い。たぶん観光とかの短期入国だね」
「口座は調べられるか?」
「……あのさ、僕を誰だと思ってるんだ? 僕がその気になれば、パジャマ姿でナゲット片手に世界中のスパイを一月後には無職にできるんだぜ?」
昂然たる口ぶりで、ミルトンは厚い胸を張った。
世界は科学とともに常に進化を続ける。その果ては終わりなく、情報社会は一つの生命体へと、移りゆく時代が来る。ミルトンが常日頃から口にする言葉だ。世界最大の権力機関に喧嘩を売っただけあって、彼の言葉には有言実行の力が見て取れた。
「さすが、アメリカに喧嘩売ったクラッカーは言うことが違うわね」
「僕を、そこらのスクリプトキディに頼った多感なガキと一緒にしないで欲しいね。IRCじゃあ、僕の事を神だと崇める奴も少なくないんだ。五〇年後のは宗教勢力図が塗り替わってるさ!」
非常に惜しいことに、頭のネジが何本か緩んでいるため、せっかくの名文句もただの妄言へと為り下がるのだが。
「スイフトの会社の従業員名簿から口座番号が分かる。ロレッタちゃんからの情報は正しいみたいだ」
「あんなのちゃん付けしないで」
渋い顔のグウェンにミルトンは鼻を鳴らした。
「あの冷たい視線、すました態度……すごくぞくぞくする。彼女と話していると、何故だか心臓が高鳴るんだ。紅くぽってりした唇も凄くキュートだ」
「ハッ。フェラのしすぎでズレた口元が?」
「下品だぞ、グウェン」
「ミルトン、知ってる? 人類学の研究では、紅い口紅は性器に似せるためって言われてるのよ」
「嘘だろっ? 激アツなんですけど!」
「お前らなぁ……」
そうこう言っている間も、そのソーセージのような指は絶えず動き続ける。いとも簡単に警察情報を抜き取ったミルトンは、次に銀行へハッキングを仕掛けた。彼が行っているのは、職員用サーバーへの侵入である。いかなウィザード級ハッカーだとしても、銀行のシステムそのものに潜り込むのは難しい。
画面上にいくつもの乱数表が浮かんでいく。
バッファオーバーランによって、セキュリティ上にバックドアを作成し、職員の権限を奪って情報を覗く。ごく一般的なクラック方法だ。
「んー?」ミルトンは首を傾げ、「十月の二〇日付で、ショーン・オコナーの口座にUSドルで五万の分割振り込みがあるね。わかりやすいなぁ、送り元はルクセンブルクを経由してる」
「辿れるか?」
フィンチの要望にミルトンは首を後方にねじり、「足跡は残ってる。妙なことにね」とモニタを指で示した。
「戦略的創造研究計画?」訝しげにフィンチが呟いた。
「政府関係?」棚に飾られていたフィギュアを弄りながら、グウェンが訊いた。
「どうだかな、ネーミングが臭すぎる」
「ちょっと待って、前に送ったのが……」
ミルトンが一つのファイルを開いた。そこにはいくつもの企業名がずらりと並んでいた。政府所有の実験公社、民間軍事企業、戦地でのインフラ開拓を請け負う企業、医療関係の企業群、なかには世界的な多国籍企業の名前も載っている。
「これは?」
ミルトンの肩越しにフィンチが訊いた。
「積極的にロビー活動している企業とその団体名一覧さ。何週間か前に、ロレッタちゃんから調べてくれって頼まれたんだ。それのコピーファイルがこれ」ミルトンがリストにソートをかける。「なーんか、聞き覚えあるなぁと思ったら、ほらここ見てよ。出資者が複数の民間企業でオーバーラップになったところ」
「……戦略的創造研究計画」
フィンチの呟きに、ミルトンがない顎で頷き返し、
「そう。形式上は同じ業界の主義主張を、まとめて政府に訴えましょうって感じなんだけど……それらの利益団体は全部、うまく偽装された登記でさ。経営実態なんてほとんどないんだ。人が出入りした形跡なんてない、空っぽの事務所があるだけ」
「事業拡張の準備じゃないの?」
「それはないよ。だって、これらの事務所全部が一つのビルに入ってるんだぜ」
画面をとんとんと叩きながらミルトンは否定した。
「足が付いた切っ掛けは?」グウェンが訊いた。
「利益団体の一つをバックアップしているグルジアの休眠会社。ここ数年で何か所も本拠地を移してる。アトランタ、リスボン、マルセイユ……そこから辿っていったんだ」
「それで? 結局何が言いたいんだ?」フィンチが訝しげに言う。
「つまるところ、戦略的創造研究計画はたった一つの企業が運営する偽造ロビー団体ってこと」
「その企業ってのは?」
「――ローテックだよ」
国防省からの資金提供のもと、医療用ナノボットの軍事転用化を目指し、『技術』と連携して共同開発研究を行う民間企業。それがローテック・バイオテックグループだ。そのことを『技術』に属するグウェンたちは知っていた。
「ふぅん、意外なところが来たわねぇ」
「確か、アメリカの製薬会社と合併するんだっけ? 今回の件と関係あるのかな……って、グウェン、僕の人形に触らないで! ああ、下から覗くのも禁止!」
真っ青になったミルトンが2オクターブ高い声で叫んだ。
「なにこれ。緻密すぎじゃない? こんなのにどんだけの技術使ってんのよ」
二人のじゃれ合いに背を向けて、フィンチは一人思考する。
アイルランド人の口座に振り込まれた大金。偽造されたロビー団体。タイミング的には爆破事件と都合がつくが、それだけでは納得できない事柄がある。アイルランド人が、金でテロを依頼された場合だ。いくら大金とはいえ、グロス五万ドルぽっちであれだけのことを仕出かすとは到底思えなかった。法の薔薇もそうだ。結局のところ、ロシア人が動いた理由に見当もつかない。
「五万ドルか……」
ついこぼれた独り言だったが、耳聡く聞き取ったグウェンが相槌を返した。
「引き出す前に死ぬ額ね」
フィンチは苦笑を漏らした。あまりにチープで、ラジカルな考えだからだ。
〝テッドの推理は掠っているとは思うんだが〟
煮詰まったときは最初へと目を向けるべきだ。
フィンチは唾を飛ばして喚くミルトンの肩を叩き、
「ミルトン、爆破事件の詳細を一件目から出してくれ」
「ほい」
ハッカーとは情報を覗き見る者だ。そして、情報深度が深ければ深いほど、その探求心を燻られるのが性というもの。
一件目の事件から各主要機関の動きを覗いてたのだろう。ミルトンは一言返すと、デュアルモニタの片方に情報を立ち上げた。薄暗い室内に新たな光源が灯り、三人を照らす。
機密ファイルを手当たり次第に掻き集め、情報深度の高いものをピックアップ。事件発生当初から現在に至るまでの、政府・警察・軍情報部の動向をチャート化したリストが、青光る文字群としてモニタ内部に表示された。




