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010 未熟の花園

 フィンチから借り受けたジャガーを走らせ、テッドが訪れたのはオールダム廃棄区画に在るクラブだ。夜は、けたたましく猥雑に輝くネオン街も、闇が生まれないうちは鳴りを潜めている。

 繁華街の一角に店を構える〈クラブ・ラヴ・ポイズン〉は、知る人ぞ知る、変態マニア御用達の会員制クラブで、もはや、ただの娼館では満足できなくなった人間が集う楽園だった。

 テッドからしたら理解の範疇を大きく超えることだが、この変態クラブには政財界の大物からスポーツ選手、果てはジャズ奏者までが身分を隠して足繁く通うほどの魅力があるらしい。そして、VIPが訪れる場所というのは、往々にして情報の坩堝(るつぼ)となる。


「閉店だ。とっとと失せろ」

 筋肉質なガードマンが行く手を阻む。半袖のスタッズ付き革ジャンパーを着込んだスキンヘッドの頭と、いかつい筋肉の鎧が相まって、七〇年代のロードムービーに端役で登場しそうな、古典ルックのステレオタイプな男だ。あまりの珍奇さに思わず失笑しそうになるのを堪えて、相手の警戒心を焚きつけないように近付いたつもりだが失敗らしい。ガードマンは軽い足取りで近寄って来たテッドの眉間を、じっと鋭く睨みつけた。

「客じゃない。顧客名簿に確認を」

「名前は」

「〝ジョー・モンコ・ブロンディ〟」

「てめぇふざけてるな?」

「ヘイ、マジなんだって」テッドは唇を突き出した。「奴のファンクラブのメンバーズカードだって持ってる」

 ガードマンは、にべもなく中指を立てた。

「来る店を間違えてるぞ」拳を回し、ファックサインの先端を売春ストリートの方へと向け、「勘違い野郎が。ここはてめぇみたいなのは歓迎してねえ」

「あんたこそ、だぜ。タイムマシンからでも落っこちたのか? マッドマックスのキャラみたいな格好だ」

 ガードマンの額に青筋が走る。男は一歩踏み出すと、両手を揉み合わせ、指の関節を鳴らした。

 友好的に済ませたかったがダメらしい。この場で男をのすのも手だが、テッドは他の連中と違い省エネ主義でもある。『Peace』と刺繍の施されたマーズ・サングラスのつるを指で弄りながら、しばし思考。やむを得ず、昔の伝手をテッドは頼ることにした。

「ランダに取り次げ」

 ガードマンは訝しげな目つきで、無線機を取り出した。上司と思しき人間と何回か言葉を交わすと、その巨躯を傾け、何の変哲もない扉をあごでしゃくった。無事に許可が下りたようだ。最悪、眼前の男をのして入店しようとしてただけに、幸先がいい。


「邪魔するぜ」

 扉を開いた先には無機質な廊下が続いていた。照明は数個の裸電球のみで、薄汚れたコンクリートの壁が通路を圧迫するようにそびえている。奥へと進み、荷物用エレベーターへと乗り込む。その際、カウボーイハットとサングラスを外して、こちらを覗く監視カメラに顔を見せつけてやる。

 短いブザー音が鳴り、次いで金網扉が閉まり、微かな揺れとともにエレベーターは地下へと降りていく。

 表示は地下三階。あとは道なりに進めばいい。

〝関係者以外立ち入り禁止〟と書かれた扉をくぐるとベルが鳴った。まだ、店は開いてないらしい。店内は薄暗い照明リグの光に包まれていた。妖しいピンクの光をばら撒くミラーボールは、卑しいムード作りに成功している。

 ホール中央部には円形のステージ。真鍮製のダンス用ポールが数本刺さっている。ステージを囲むように、ずらりと黒革のソファーが鎮座し、壁際にはカクテルバーが置かれている。

「ごめんなさ~い! まだ、お店開いてないのよ~」

 控室の方向から足音。テッドは音の方へと体を向け、すぐにそのことを後悔した。


 ――筋肉がドレスを着ていた。


 ボディビルダーと見紛うほどの浅黒い肌に、純白のウェディングドレス。白絹の布地は、いまにもはち切れんばかりの筋肉に悲鳴を上げている。パツパツの袖口から覗く、見事に盛り上がった上腕二頭筋が大きく空を切って、左右に振られている。

〝いや、おかしいだろ!〟

 異様な光景を目の当たりにして、固まるテッドを気にすることなく、筋肉ドレスはその逞しい大胸筋を揺らしながら近づいてきた。

 テッドの生存本能が『逃げろ』と囁く。が、筋肉ドレスがテッドまであと数メートルというところで、頓狂な声を出した。

「あっら~! テディボーイじゃないの!」

 野太い声で我に返ったテッドは、光に照らされた筋肉ドレスの顔を恐る恐る覗きこんだ。

「……って、ランダかよ! ビビるわ、マジで!」

 筋肉ドレス、もといランダはフィリピン系アメリカ人だ。

 彼はオカマでもなければゲイでもない。

 彼曰く、「女と寝る奴がゲイなのよ」とのことらしい。

『クラブ・ラヴ・ポイズン』の店長でもある彼は口を尖らせると、

「ビビるって何よ。あーた、あたしを馬鹿にしてんの?」

 そう言って強面の顔をしかめた。

「いやいやいや、なんでお前ドレスなんて着てるの……しかも、結婚用だしそれ」

 テッドの疑問にランダは笑顔を浮かべると、体を横向け、両腕を腰前で重なるように組んだ。俗に言うサイドチェストである。

「ふふん! いいでしょコレ。今度のイベントで筋肉マリッジ特集を企画してるのよ。どう? 乙女の象徴でもあるウェディングドレスにマッスルが合体した姿は?」

 それは穢れなき処女雪を汚すかのごとき蛮行だった。

「あ~……いいんじゃない? こう、なんていうか、革命というか」

 空気の読める男、テッドは内心と真逆の感想を言った。前方の筋肉の機嫌を損ねるのは拙い。なにより、この珍妙アニマルがいじける姿など見たくもない。

「革命! そう革命よ! マッスルがいつまでもビルパンでいると思うなよ! 私たちは常に進化するのよ! 筋肉の地平線にある桃源郷を目指して!」

 変なスイッチが入ってしまった――ずり落ちそうになるサングラスを必死に押さえる。

「とりま、落ち着けって」

「あ、あら、やだ! ごめんなさいね? つい、マッスじゃないハッスルしちゃった」


 なだめすかすこと数分。いまだ鼻息荒いランダの後をついていき、地下四階への螺旋階段を下る。

 段差を一つ降りる度に、徐々に聞こえる男女の嬌声。鼻孔をくすぐる不愉快な臭い。人間の汗、涎、血液、体液をミックスした獣臭に、ラベンダーの芳香剤を上乗せした空気がむわっと広がっていく。

 悪徳と腐敗した魂の積もり場、正常な精神では直視できないセックス産業の要衝。仄暗いこの地下空間こそが、変態界隈随一の楽園と呼び声高い由縁で――そこは、天蓋を取り外したアトリウムに似ていた。

 エレクトロニカをバックミュージックに添えて、ダンスホールを囲むように設置されている個室からプレイ中の物音が響いている。

 ――鞭打つ音と身を引き裂くような悲鳴。

 ――肉と肉がぶつかり合うスパンキング音。

 ――ボールギャグの隙間から漏れる切ない声。


 廊下上部にはいくつもの飾り窓が貼られ、ピンクのネオンがその内部に佇む少女たちを照らしている。

 アムステルダムのレッドライト地区さながらのギャラリーだ。

 オーナー自ら買い付けた少女たちが、幼くして熟した肢体を色とりどりのビスチェの隙間から覗かせている。薄っすらと塗られた化粧は、未成熟ながらも確かな色気を演出してみせ、その手の愛好家のニーズを完全に満たしていた。

 世界各国の人身売買組織とコネクションを持つが故に、あたかも商品のごとく並べられた少女たちの肌もさまざまだ。大事に飾られた少女たちはまるで人形のように無表情で、ただ、静かにクッションの上に坐っている。

 テッドはいくつもの無機質な視線の中を歩いていく。やがて、目的の人物がいる部屋へと辿り着いた。

「ボスゥ、テディボーイがお見えよ」

『入ってちょうだい』

 インターホン越しに呼び掛けると、子供のような甲高い返事が返ってきた。電子式のスライドドアが開き、テッドは中に足を運ぶ。

 そこは妙な部屋だった。

 壁にはいくつもの青光りするディスプレイが掲げられ、ハイテクの様相をしている。かと思えば、床上の調度品を除いたブルーカーペット一面に、ロリポップな生きた肉人形(少女たち)が寝そべっている。肉と機械でセットアップされた、アンバランスな部屋の奥。クッションを何層にも重ねた上に、目当ての人物が坐っていた。


 ――通称、プリティヘッド。


 その名の通り、赤ん坊のような幼い顔立ちをしている。が、その体つきは、穏やかな顔立ちにミスマッチな筋骨をしている。まるで異世界由来のオカルティズムで生み出されたような、首から下だけを無理やり成長させたアスリート仕様の赤ん坊、それがプリティヘッドだ。ランダの上司だけあって、盛った筋肉が脈動し、素肌の上にオーバーオールのみを着用した姿は異色極まりない。

 過剰なホルモン剤接種により全身の毛は抜け落ち、男性だというのに、本来であれば大胸筋があるべき部位には、脂肪で出来た二つの双丘があった。

「やっぱり、久々に見るあなたはいい男ねぇ。私の膝の上で踊る決心は固まったのかしら? テディちゃん」

「変態に興味はねぇよ。今日来たのは、お前の情報網に用があったからだ」

 年端もいかない女児のように、けらけら笑う男に、テッドは嫌悪の表情を隠そうともしない。

「んん~その顔もまたプリチング! たまんないわぁ」

 ぽたぽたと涎を垂らしながら、赤ん坊のように膨れた目蓋を震わせた。両手は自身の膨らんだ胸を揉みしだいている。いきなり始め出した気味の悪い行動に、テッドは目を反らして尋ねた。

「客がいたみたいだが……営業時間外じゃないのか?」

「ああ、あれ? いまね、チャイルド・ポルノの撮影中なの。知人に場所貸してほしいって頼まれてさぁ。笑えるのが、いまうちの子にペニスバンドでケツを掘られてるのが市長の甥なの。ロイズ銀行の悲劇を忘れてしまったのね」

 プリティヘッドが愉快そうに膝を叩いた。

「マジでこの世も末だな」

 テッドの呆れた言葉に、彼の後ろに立つランダが肩をすくめた。

 プリティヘッドはまだ笑い続けている。まるで常軌を逸したかのように体を揺らす様子に、心配したランダが声を掛けた。

「ボス? 落ち着いて、ね?」

「あ~! ランダッ! お薬持ってきて!」

 後ろに待機していたランダは、部屋の中央にあるテーブルまで歩き、そこに置かれている小型医療ボックスを開くと、

「いつもので?」

 数本のバイアル瓶を取り出し、プリティヘッドに尋ねた。

「そうそれ! 早く早くぅ」

 皺が一切刻まれていない、つるりとした手で瓶を受け取ると、ゴム製の蓋に注射針を刺した。透明な液体を吸い上げ、それをゴムバンドでくくった上腕に筋肉注射する。

「それは?」

「メチルテストステロンよ。素人にはお勧めできない筋肉増強剤。バズーカ並の効果があるわ。もちろん、ポーランドやロシアの偽物じゃないわよ?」

 テッドの問いにランダが答えた。床に転がったバイアル瓶を、医療ボックスに片付けると「じゃあね」と言い残して、部屋を出て行った。

「ふぅう、ふううぅっ。ああ~きたきたぁ!」

 プリティヘッドは腕を広げて歯を食いしばった。産毛一つない頭に青い血管筋が浮かび上がる。頬は紅潮し、目は蕩けている。おもむろに立ち上がると、しゅしゅっと息を吐いてジャブを繰り出した。

 いきなり始めたシャドーボクシングを、冷たい目で見ていたテッドだったが、部屋主が先程まで坐っていた場所に視線を向けてぎょっとした。

 裸の少女がぐったりとしていたからだ。褐色の肌には汗が浮かび、息も絶え絶えにこちらを見ている。

 プリティヘッドは巨漢とまではいかなくとも、その筋肉質な体は、ゆうに九〇キロはあるだろう。いったい何時間押し潰されていたのか、少女の様子を見れば想像だに固くない。

「おい! しっかりしな」

 テーブルにあったペットボトルを口元まで運ぶと、ゆっくりとだが中身を飲んでいくのが分かった。

「……ん? あらまぁ、ちょっとやだ! この子ぐったりしてるじゃないの!」

「てめぇのせいだろがっ! 前にも言ったが、死人が出たら強制査察が入るってわかってんだろうな?」

「分かってるわよ! もう、坐り心地があんまりにもよくってさぁ、うふふ」

 プリティヘッドは、にこやかに頬笑みながら、部屋の角に吊るしてあるサンドバッグを叩き始めた。腰をひねり、鋭角高めに拳を打ち込んでいく。左右の連打に合わせて、ばん、ばん、ばん、と小気味良い音が鳴り、サンドバッグと天井を繋ぐ金属の鎖が軋んだ。


 奇妙なことに、彼が一発ずつそれを叩くごとに、男の呻き声がどこからか聞こえた。テッドがその発信源を探していると、その呻き声は、サンドバッグに打ち込まれる拳と、リズムが合っていることに気付いた。

「ふぅんッ!」

 ――ぐぅ

「ふぅうんッ!」

 ――あ゛ぁっ

「あ、そぉれッ!」

 ――ぎぃぃ

 ぼすん、といい音を出したそれに、プリティヘッドは汗をぬぐいながら話しかけた。オーバーオールの隙間から覗く、絹肌から白い湯気が立っている。

「どーお? そろそろ正直に話す気になった?」

 そうすると、おかしなことにサンドバッグの内側から、くぐもった男の声がした。

「――ボスぅ、俺じゃねえよぉ、ネタの横流しなんて、してねぇよぉ、別の誰かだよぉ」

「んー……頑なねえ、そーいうの嫌いじゃないけどさぁ。いま、お客様がきてるのよね。だからさ、思い出したら声掛けてね」

「――ボスぅ、信じてくれよぉ、俺じゃねぇよぉ」

 言葉の節々から、ある程度の状況を理解したテッドに、プリティヘッドが事情を話した。

「うちの情報網の管に、どこかのおバカちゃんが手を突っ込んでるみたいなのよ。まるでコソ泥だわ! 腹が立つ!」

「それが、その中身か?」

「なかなか口を割らないの。掠め取ったネタは意地汚い雑誌記者のもとへ……そいつも、もう少し利口なら長生きできたのにね」


 それはあたかも、雑誌記者は既にこの世を去ったような口ぶりだった。だが、真実、その男はプリティヘッドによって消されたということを意味していた。

「おかげ様でウチの周旋人が死ぬハメになったわ。ピザを喉に詰まらせて窒息死とか、あぁ~やだやだ! ドンちゃん超かわいそう!」

 遠巻きに一連のやりとりを眺める少女たちの目は、生きる気力を欠いたものだった。テッドはちらりと少女たちに顔を向け、光の失せた視線とかち合うや、感情の籠もっていない表情をわざわざ(・・・・)作らなければならなかった。家族に売られたか、夢見がちなところを悪人に騙されたか、はたまた、そういう手合いの業者にさらわれたか。

 テッドは酷くつまらない気分になった。助けを求めるでもなく、自力で逃げ出す手段を取るわけでもなく、ただただ、この筋肉質な赤ん坊の言いなりになっている。弱者が圧倒的強者の庇護に縋って生きている光景なんて、とても見れたもんじゃない。


 はっきり言えば、ここは人間のクズの集まりだ。特にテッドはこの手の人間を嫌っていた。それでも、お上の庇護を受けているのは、このクラブのバックに政財界の大物がついているからだ。イカれたVIPの膝元にイカれた赤ん坊が懐くのは当然だ。そして、赤ん坊の周囲にベビーグッズ(赤ん坊用品)が転がるのと同じように、プリティヘッドの下にもベビーグッズ(有益な情報)が無造作に集う。裏の人間御用達のグッズだ。

 プリティヘッドの事業と有益性の天秤。

 そのバランスがひっくり返った瞬間、眼前でおどける男を、テッドが即座に撃ち殺すことだけは確実だった。


 少女をクッションで出来たベッドの端に寝かせ、早めに用件を済ませることにしたテッドは、その口を開いた。

「……ロシア人の情報が欲しい。銃で武装した危険な連中だ」

「あのねぇ、この国に住むロシア人は大抵危険で銃を隠し持ってるわ」

 それだけで絞り込める訳がない、とプリティヘッドは首を振る。いまは落ち着いて、監視カメラの映像をチェックしている。

「刺青で分かるか?」

「刺青?」

「青くぼやけた薔薇だ。茨が羊皮紙をぐるぐる巻きにして、その上に薔薇の花が咲いてる」

 途端、プリティヘッドの顔が愉快気に歪んだ。薔薇の刺青に心当たりはある。だが、まずは確認をしなくては――

「場所は?」

「首」

 そう言ってテッドは自分の首筋を手刀で叩き、テーブル上の酒を口に含む。気を利かせたランダが先程用意したものだ。

 アンゴスチュラ・ビターズを数滴垂らした臙脂色(えんじいろ)を喉奥へと流し込んだ。ジン・トニックの苦味剤が飽和し、喉奥が辛みで焼きついた。自分の好みを未だに覚えているとは、ランダも大したものだと感心する。彼にこの七面倒なオーダーを出したのは、覚えている限りで二,三回だ。顔と体型に似合わず、繊細な配慮が出来る。それがランダという男だった。

 沈黙が続く。

 見れば、プリティヘッドは面白い顔つきになっていた。喉奥をくつくつと鳴らしている。

「知ってるみたいだな?」

 テッドの確信にも近い言葉に、今度こそ、プリティヘッドは孤を描いた口をゆっくりと開いた。

「犯罪刺繍ね。燃焼した靴のかかとの煤と尿を混ぜて、電気シェーバーに繋いだギターの弦で皮膚に注入する。自身のライフスタイルを表す記号よ」

「建前はいいよ。言ってくれ」

「――法の薔薇。本国にも深い根を張り、東ヨーロッパにも手を伸ばしているマフィアン・コミュニティーよ。彼らの主な商売は武器密輸。他にもあくどいことは、たくさんしてるでしょうけどね」

「チェチェン系?」

「そこまでは知らない。でも、拠点はモスクワにある」

「この国でも商売を?」

「港湾を中継して、アフリカのギニア湾に販売ルートを敷いてるの。地方議会や行政機関に金渡して、いかがわしい事してるけど目をつぶってちょうだい……ってね」

 そう言って、プリティヘッドはつぶらな瞳でウインクした。

「やばそうだな」

「やばいなんてもんじゃないわ。戦争犯罪人も組み込んでいるの。虐殺や民族浄化の罪のね。国連にも指名手配されてる連中よ」

「〝ロシアは休みなき犯罪の温床〟ってのは誰の言葉だったか」

「さぁね。でも、普通は3ストライクで終わりのところを、こいつらは50ストライクでも、プレー続行するような連中ってことよ」

 ただの武装集団ではないと考えていたが、予想を超える規模だ。分からないのは、そんな連中が何故あの場にいたのかだ。

「そいつらのここ最近の動きとか分かる?」

「動きって?」

「なんでもいいんだ。そうだな……どっかの組織と揉めたとか」

 プリティヘッドが笑みを深めた。

「法の薔薇かは分かんないけど……三人組のアイリッシュを捜すロシア人の噂が、一時期話題に上がったわねぇ」

 ビンゴ! やはりあの襲撃はこちらではなく、アイルランド人を狙ったものらしい。それよりも、いまプリティヘッドが気になる単語をいくつか出した。

「アイルランド人?」

「ニューカマーの殺し屋よ。事故死にみせるやり口が特徴っちゃ特徴ね。ま、しょせん〝職人〟レベルってとこかな」


 この国にはカジュアルな殺し屋が溢れている。かつて、国の調査機関が裁判所記録から契約殺人の実態を追ったところ、殺し屋は四つのグループからなるとした。

〝初心者〟初めて契約殺人を犯した殺害者のグループ。能力に不足があるわけではなく、平均年齢は一〇代後半の若者が多い。報酬額も四つのグループ中、最も低い。

〝素人〟 ほかのグループのなかでも最も平均年齢が高く、犯罪歴がある殺害者が最も少ないグループ。意欲や技術があるから手を出すわけではなく、借金や人間関係のもつれから契約殺人に至るケースが多い。

〝職人〟 契約殺人の常習者で、独自の殺人技術を持っているグループ。地元の犯罪地下組織に強力なコネクションがある場合が、往々にして多い。仕事道具を手に入れやすく、また、最も警察がマークしているグループ。

〝達人〟 経歴に、軍ないしそれに準ずるバックグラウンドを持つ殺害者のグループ。高度な殺人技術を有しており、トレーサーとしての能力を持つため、自身にかかわる痕跡をいっさい残さずに仕事を行う。


 そう考えると、ケーキハウスでの連中の慌てようも納得ができるというもんだ。便座に腰がけて逝くなんて――シネフィルを気取っていたティーンエイジャーのころ、タランティーノ作品を二本立て上映していた深夜のシネマハウスにて、『パルプ・フィクション』を観たのだが――六〇三号室のトイレで死んだ暗殺予定者(コナー)とジョン・トラボルタ演じるヴィンセントの死に様は、かなり似通っていることをいまさらながらに思い出す。あえて違いをあげるなら、トイレの中身を殺したのはブルース・ウィリス演じるプロボクサーではなく、〈戦闘適応班〉所属のカウボーイだったってだけ。

 あの死に様は、そうそうお目にかかれるもんじゃないだろう。意識を切り替え、気になったもうひとつの単語について訊ねる。

「一時期っていつらへん?」

「ん~あれは……プエル! ちょっとおいで!」

 思い出せなかったのだろう。プリティヘッドは手元のスタンドマイクでプエルなる人物を呼び出した。

 店内監視カメラの映像のひとつ。カクテルバー付近のビリヤード台で、ゲームに興じる筋肉たちを映したモニターを見る。そのうちの一人が小走りで画面内から消えた。暫くして、先程の男がプリティヘッドの部屋に入ってきた。

「どうしたの? ボス」

「あなた、前にロシア人がアイリッシュを捜してるって言ってたじゃない? それって何日くらい前だったかしら」

 プエルと呼ばれた筋肉は可愛らしく首を傾げ、「あっ」と手を叩いた。

「五日前よ、あたし覚えてるわ。だって二件目の爆弾事件が起こった日だもの」

「そう……戻っていいわよ。そろそろ開店だから、情調(ムード)ホロの準備お願いね」

 プエルは豊満な尻を振りながら戻っていった。去り際に意味ありげな一瞥を残していったが、テッドは深く考えないことにした。ろくでもないことは確かだからだ。


 テッドは考える。ロレッタはアイルランド人のことを犯罪行為も含めた非合法活動をしていると話した。そして、その上司はネオ・アイルランド共和軍暫定派の過激閥に属するとも。

 その前身であるIRA暫定派は一般犯罪はもちろんのこと、武装闘争としてのテロ活動にも手を深く染めており、その中には爆弾を用いた事件――一九九〇年代、ユニオニスト政党を支持するイギリス人を誘拐、その家族を人質に取り、イギリス軍拠点への自爆テロの強要など――といった残虐な攻撃にも出ている。

 武器を放棄して休戦するという趣旨の第二次ベルファスト合意も無期限停止になった現在、旧暫定派から派生した過激閥が強硬手段に訴えてもおかしくはない。

 おかしくはないが……それではロシア人と繋がらない。


「法の薔薇は武器を密輸してんだろ? その中に爆弾ってあるか?」

「そりゃあ、あるだろうけどさ……なに、あなた、法の薔薇がアイルランド人に爆弾を売りつけたっていうの?」

「聞いてみただけさ」

「ま、いいけど。モスクワのやり口はエグイわ。気をつけなさいな」

「……いや、急に訊ねて悪かったな。役に立った。報酬は?」

「金でいいわ。サービスよ」

 テッドはゴムで丸めたポンド札の束を、テーブルの上に置いた。そして、横になっている少女を肩に担いだ。

「ちょっと! 私の座布団!」

「こんなところで気が休まるわけないだろ? ランダんとこに持ってく」

 せめてもの慈悲だった。

「しっかしまあ、欲しい情報があるもんだな」

 小さな呟きだったが、それを聞き咎めたプリティヘッドは胸を張り、

「特殊な性産業の場ではね、特殊なものが引かれ合うものなのよ。特殊な嗜好、趣味、人種、情報ってね」

 口をすぼめて飛ばされたウインクに、テッドは吐き気を覚えた。

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