よつば3
「それじゃ、後はよろしくお願いします。また時々見にきますんで。いいですか、ちゃんと家族として過ごしてあげてくださいね」
そう言って出ていくのは弁護士。今回のことでのばらのために来てくれたらしい。幸いのばらは運が良かったらしく、弁護士ものばらの境遇に同情的な人だった。同情的だったのは、僕の想像だが、のばらが可愛い女の子だったことと、弁護士が女性だったことがあったと思う。
のばらがなぜ僕のところにきたのか、そしてなぜこの時期になってきたのか。僕のところで一緒に住んでも大丈夫なのか。そういった事情も含めて、概ねのところは解決したと言ってもいい。
僕が親戚運が非常に悪いということは、姪であるのばらも非常に親戚には恵まれていないということで、たらいまわしにされた先では様々なことがあったらしい。あからさまな差別に始まり、苛立ちをぶつけられたり、暴力や家事の押しつけと言ったことが多かれ少なかれ行われたそうだ。自分のところで預かりたくないなら僕が一番近親者なのだから僕のところに最初から渡すという案が出なかったのか、というと、僕という存在を素で忘れていたとかで、毎月あるらしい会合だか懇親会だかに出ていないことを考えるとあながちおかしな話ではない。
家事がつたないながらも一通り出来る理由もこれでなんとなくわかった。そして進んでやろうとする理由も。やらざるを得ない状況になれば、人間案外やってしまうものだ。そういう状況に今回なってしまった、ということだろう。だからと言って、全面的に投げるつもりはない。まだ小学校にあがったばかりの子にそんなものを押し付けてのうのうとしていられるほど、人間くさっているつもりはなかった。
養子をとる場合には結婚していて、夫婦が子供を養えるだけの経済力があるだとかという審査があるらしいが、身内の子供を引き取って育てる、程度ならそんなに面倒な審査はないらしく、比較的すんなりいった。細かいことは僕はプロではないのでわからないが、とにかく育てる能力があって、意思があれば可能、とか。
また一週間程度の時間をおいて、適当な期間弁護士が様子を見にきたり、代理の人が見に来たりして、僕とのばらの意思を確認、また虐待が行われていないかなどのチェックが入るとか。
もちろん、僕のほうはといえば、悪く言ってしまえば口が増えるから出費が増える一方かと思えば、そうでもなかった。養育するためのお金が出るほか、彼女の両親が残した遺産を、彼女のためという名目であれば運用することができるらしい。らしいばかりで申し訳ないが、僕もまだよくわかっていない。
はっきりしているのは、僕がとりあえずのばらを引き取って育てるということ。毎月それなりの額の養育費が出るということ。次の四月から小学一年生で、既に入学などの手続きはしてくれたとのこと。弁護士の「男の方なのでその辺は抜けてるかと思いまして、勝手ながらやらせていただきました」という言葉が少し僕の中にしこりを残したが、反論できることではないのでいいだろう。実際僕たちはちゃんとした自己紹介もしていないわけだし。
「ひろみ」
のばらの声に振り返る。
「ん?」
「ごはん、のばら……つく、る?」
「あー、そんなに食材もないし、いい機会だから一緒に買いにいこうか」
「…………(こくり)」
頷いたのばらを連れて近所のスーパーへ向かう。今日ののばらの恰好は、髪をひとつ結びにしていて、服は白いキャミソール、下は紺色のデニムのハーフパンツという活動的な姿だ。道行く人に挨拶をされるたびに、小さく頷くだけだが、それはそれで微笑ましい。 「今日、は……何、にする?」
隣を歩く買い物かごを持ったのばらが僕に聞く。僕がのばらに買い物かごを持たせたわけではなくて、のばらがどうしても持ちたいと言ったから持ってもらっているだけだ。もちろん、重いものを買うときは僕が持つつもりでいる。この辺も、話し合っていったほうがいいんだろうな。
「今日はそうだな。とりあえず昼はチャーハンでいいかな? 夜はどうしようかな。のばらは、何か得意な料理とかある?」
「…………(こくり)」
「……のばら、は、オムライスとか、とくい」
「じゃあ夜はオムライスにしようか。僕、のばらの作ったオムライス食べてみたいな。いいかな?」
「…………(こくり)」
いつもと同じように怒ったような顔をしてるけど、怒ってるわけではないんだよな。それに、食べてみたいって言った時にどこか嬉しそうな顔したし、案外料理自体は嫌いというわけではないのかもしれない。
「じゃあタマゴと鶏肉とケチャップと…あとなんだっけな」
「とりにく、ある」
「え?」
「……とりにく、れいぞうこに、あった。のばら、きのうみた」
「ああ、そっか。ありがとう。まあこんなものか。あれ、のばら?」
さっきまで隣にいたのばらの姿が急になくなった。と思えば、遠くから走ってくる。その手にはミックスベジタブルの缶詰。
「……これ……いい、かな」
「ああ、そういえばあったほうがいいね。ありがとう」
「…………(こくり)」
なんだ、付き合えば付き合うほど普通にいい子じゃないか。
「じゃあ一緒に帰ってご飯にしようか。それから、少し二人で話そう」
「…………(こくり)」
「ただいま」
誰もいない家の扉をあけながら声に出す。これは姉と住んでいるときに決めたことで、挨拶だけはきちんとしようとするものだった。
「……あの」
後ろからのばらに呼び止められる。
「……のばらも、いっても、いいの?」
「うん? もちろん」
妙なことを聞くなと思いながら頷く。
「えっと……た、ただい……ま」
「うん、おかえり」
「えへへ」
おかえりという言葉が以外とすんなりと出てきたことに驚きながら、嬉しそうなのばらを見て僕も嬉しくなる。もう何年おかえりなんて言ってないし、聞いてないかな。
「さ、のばら。荷物冷蔵庫に入れて片づけちゃおうか」
「う、うん」
僕とのばらは協力して買ったものを冷蔵庫にしまうと、昼食を作り始める。
「のばら、ご飯炊いてくれる?」
そう言って圧力釜を指さす。案の定のばらの顔には疑問符が浮かんでいる。
僕は圧力釜でいつもご飯を炊いていて、理由は色々あるが、早くて美味しいというのが一番の理由だ。一度炊飯器で炊いてみたことがあるが、どうにも圧力釜のほうが美味しくてすぐにやめてしまった。おかげで炊飯器は保温専用機になってしまっている。
「えーっと、まずお米を洗って、圧力釜の中に洗ったお米を入れる。そしたら次に、水を入れる。水は……そうだなぁ、これくらい」
実際にやってみせながら教える。僕が教えられるときも目の前でやってもらいながらだと理解がしやすかったことから、僕も教えるときは出来るだけ自分でやりながら教えることにしている。
「んで、強火にかけて、上のこの錘があるのがわかるかな。それが回り始めるから、そしたら中火にして、2分ね。2分経ったら火を止めて、シュンシュン言わなくなったら完成」
聞きながらふんふんと興味深そうに聞くのばらを見ていると面白い。怒ったような目なのは変わらないが、その瞳の中でくるくると興味深げに色々な思いが回っているのが手に取るようにわかるのだ。
「後で紙に書いて渡すよ。もしかすると僕がどうしても外に出てて帰れないときとかもあるかもしれないから、これだけは火を使うけど覚えておこうね」
「…………(こくり)」
「じゃあご飯が炊けるまで少し話そうか。まだのばらのこともあまり知らないし」
「…………(こくり)」
のばらを連れて居間に移動する。錘が回るまでは時間もあるだろうし、ある程度時間が制限されていれば変なところまで踏み込むこともないだろう。