よつば2
おばさんが帰って、残されたのは僕と少女の二人。これから二人でずっとではないにしろ、少なくとも今夜は一緒に過ごすことになるだろう。……不安だ。
「とりあえず、中、入って」
声は上ずっていたかもしれない。少女はこくりと頷いて中に入る。
「おじゃま、します」
なんだ、喋るんじゃないか。おばさんが全然喋らないと言っていたから、本当に喋らないのかと思って不安に思っていたが、これならばそんなに大変でもないのかもしれない。
僕は両親が残していった家をそのまま使っているため、基本的に一人暮らしの割に家は広い。とはいえ、男の一人暮らしだから、そんなに多くの部屋を使うわけでもなく、せいぜいがキッチンとテレビのある部屋と眠る部屋くらいだ。残りの部屋は倉庫というか、物置代わりになっている。よくある今風の家で、瓦屋根に部屋の中は畳もありフローリングもありという様相。両親、二人ともが働いているので、お金に困るということはなく、家は近代的な要素をたっぷり詰め込んだ使いやすい機能性重視の家になっている。
僕は少女を居間に通す。背中に背負ったリュックを大切そうに置いてカーペットの上に座り、僕のほうをじっと見ている。見られているとなんだか落ち着かない。今まで預かってきた親戚の人達もこの視線攻撃を食らったのだろうか。
「えっと、とりあえず何か飲む? それともご飯はまだ?」
「…………(ふるふる)」
首を横に振って、断りの意思。ツインテールがパタパタと揺れるのがなんだか可愛かった。
「えーっと……それはどっちの意味かな?」
「……のばら、ごはん、まだ」
どうやら少女の名前はのばらというらしい。おばさんによれば小学校にあがったばかりだろうし、自分の名前を自分で呼ぶのも珍しくはないだろう。
「じゃあとりあえずご飯にしようか。今まで一人だったから簡単なものしか作れないけど、いいかな」
「…………(こくり)」
肯定。
「じゃあ作ってくるから少し待っててね。テレビとか見てていいから。リモコンそっちね」
「…………(こくり)」
頷いて、リモコンを手に取ったのを確認して台所に移動する。台所と現在いる居間とはガラス戸で仕切られただけで、一人でいるとガラス戸も動かすことはなく、開けっ放しだ。
冷蔵庫を確認して使えそうなのは鶏肉とキャベツ、ニンジン、玉ねぎあたりか。もやしもあるけど賞味期限は一昨日だ。自分一人ならともかく、子供がいる手前賞味期限も気にした方がいいだろう。
とりあえず今日は鶏肉とキャベツをしょうゆか何かで軽く味付けして炒めて、米は昨日炊いた残りがあるし、みそ汁はインスタントでなんとなくの体裁は整うか。基本的に一人暮らしの生活なんて、そんなに量も種類も冷蔵庫にはない。せいぜい、調味料が各種揃っているくらいで、夕飯を豆腐一つにしょうゆをかけて済ませることも多々ある。でも
「まあそういうわけにはいかんだろうなぁ」
「なにが?」
何気なく言った言葉に返事があって驚いて振り返る。見下ろせば二つのツインテールと、睨みつける目。来てから、というより連れてこられてからずっと怒った顔をしてるけど、何にそんなに怒ってるんだろう。
「いや、さすがにご飯を適当にするわけにはいかんよなぁ、と思ってね」
とりあえず素直に言う。まだどんな子か判らない以上は、どんな子か見極めるのも大切だし。
「…………ごはん、のばらつくる」
「……え? 作れるの?」
またも驚いて聞き返す。第一、作れても作らせるべきなんだろうか。いや、とりあえずは何が出来るのかを把握するのが先かもしれない。無理そうなら当初の予定通り僕が作ればいいわけだし、元々全部やらせるつもりもないし。
「…………(こくり)」
頷いて、のばらは僕からキャベツを受け取ると、さっそく調理を開始……しないで戻ってくる。
「とどかない」
確かにまだ身長が足りない。調理台の上で切ったりするには椅子や踏み台がいるだろう。
「うーん、ちょっと待ってね」
そう言って我が家の倉庫に踏み台を探しにいく。と言っても無駄に多い部屋のうちの使ってない部屋の一つなんだけれど。倉庫の中には小さな頃に使っていたものや、邪魔になったものが詰め込んである。一応暇なときには整理をすることもあるため、どこに何があるかはいくらかは把握している。
後ろをひょこひょことついてきたのばらの視線を感じながら、昔僕や姉が使っていた踏み台を探す。踏み台はほどなくして見つかり、振り返るとのばらの視線は僕ではなく床の一点に向けられていた。
アルバム。それも適当に堀ったせいか、開かれて置かれている。そこに写っているのは幼い男の子と、それより少し年上の女の子の姿。言うまでもない、僕と姉だ。
「これ、だれ」
のばらが女の子を指さして、僕に尋ねる。
「これは……」
言いよどむ。君のお母さんだよと言ってあげるのがいいのか、それとも何かごまかしてしまうべきか。迷っているうちに、のばらが心配そうな、怒っているような顔で僕を見上げる。
「ひろみ、こまってる?」
「いや…うん、そうだね、困ってるかな」
「じゃあきかない」
そう言ってのばらはアルバムをそっと閉じて、僕から踏み台を受け取る。頑丈な割には軽いもので、僕が小さなころには既に持ち運べていた。のばらも慎重に運んでいく。
おおよそ子供らしくない子供だなぁ、とぼんやりと思う。両親が死んでそれでもまだ子供らしい子供がいるなんて思ってないけど、それにしたって少し覚めすぎているというか、大人っぽすぎる気がする。僕が気を付けてやらなければいけないだろう。
そう考えて、倉庫を適当に片づけるとのばらの後を追って台所に行った。
台所では既にのばらが調理を初めていた。少し危なっかしい手つきながらも包丁を扱う。慣れているというほどではないが、全然やってこなかったわけでもないようだ。小学校にあがったくらいでそれが出来てしまうというのは、今までどんなことをやらされてきたのか不安になるが。そういった部分もおいおい聞いていかなければならないだろう。
僕が難しい部分や火を使う部分を手助けしながらも、かなりの部分をのばらは調理スキルを発揮し、当初の予定通りの料理ができた。メインが鶏肉とキャベツを炒めただけのものというのが、果たして料理と言えるのかは疑問だが。
「いただきます」
「いただきます」
二人で手をあわせて、食べ始める。色々なことを聞くなら今かもしれない。けれどやっぱり、一番気になっていることを今聞くべきだろう。
「ねぇのばらちゃん」
「……ちゃん、は、いい」
「じゃあのばら」
「ん」
「何か怒ってる?」
「…………?」
「いや、怒ってるように見えるから」
「…………(ふるふる)」
首を振って否定を示し、続けてゆっくりとのばらがいう。
「よく、いわれたけど、おこってない。こういうかおな、だけ」
ということらしい。
「このかお、だと、ひろみはいや?」
「いやなんてことはもちろんないけど、怒らせたなら何が原因だろうって思ってただけだよ」
「そ」
頷いて、のばらはもくもくと再び食事を再開する。箸の使い方もきちんとしているし、ちょっと変わった喋り方と怒ったような顔以外はどこにでもいるような可愛い子だ。いったい親戚は何が気に入らなかったんだろうか。
そんな疑問を抱えながら、食事を終えるとのばらはすぐに洗い物をしようとする。僕も手伝っての洗い物を済ませる。
このすぐに色々と自分から率先してやろうとするのは、何か原因があるのだろうか。例えば僕と姉が昔、両親がいないので、やむにやまれず家事の全てを二人で分けてやっていたように。
僕はのばらをシャワーに行かせ、仕事をする。といっても副業のほうで、ペンマスターの仕事だ。
ペンマスターは簡単に説明してしまえば、文章や字の先生だ。手紙の書き方、言葉の使い方や、詩的な文章から公的な文章まで、様々な分野がある。僕のメインは手紙の文章で、少し硬い言葉だ。
学びたい人は仲介業者、企業を通して、僕に直接手紙を送る。僕はそれを添削し、次の課題を送る。といった繰り返しだ。もちろん、雑談を交えた手紙も一緒に送ることもあるし、珍しいところでは将棋を手紙ですることもあった。それもペンマスターの趣味次第で、仕事以外のことをしない人もいれば、僕みたいになんでもかんでも付き合ってやってみるという人もいるだけだが。
一か月の給料はそれほど高くなく、僕の場合は生徒さん一人につき3000円程度だ。それでもないよりはずっといいし、貯金もそれなりにしてきたものだから、一人暮らしに女の子一人を比較的すんなりと受け入れられたのかもしれない。お金がなければ受け入れたくても受け入れられないわけだし。
一人目の手紙を添削し、課題を出したところでのばらがシャワーから出てくる。
「……のばら」
「……ん」
「今度からシャワー浴びるときは着替えを脱衣所に持って行ってからにしてね」
「…………(こくり)」
頷いた全裸ののばらを置いて、僕は手紙を片づけ脱衣所に向かう。さっとシャワーを浴びて出てくると、のばらは上下青色の揃いのパジャマに着替えていた。
「着替えちゃんと持ってきてたんだね」
「…………(こくり)」
「じゃあ寝ようか」
「…………(こくり)」
同じ部屋に男女が……って言っても小学生にあがるかどうかくらいの女の子と、成人男性だけど。それでも世間的にはどうなんだろうか……。最近はそういう危ない事件も増えてるとかいうし、世間の目も……。
まあ細かいことは明日弁護士が来てくれるらしいし、その時にでも聞こう。
それにしても、突然連れてこられた姉の娘。僕は姉に娘がいるなんて知らなかったから驚いて、結局なんとなく預かってしまっているわけだけど。
なぜ姉は僕に娘がいることを教えてくれなかったんだろう。確かに両親は今どこにいるのかもわからない上に、携帯も殆どつながらないありさまだけど、僕にくらい教えてくれてもいいんじゃないだろうか。
そんなことを考えながら僕の意識は、ゆっくりと眠りに落ちて行った。