十人の呪い
深夜一時、爆音をあたり一面に鳴り響かせながら、十数台のオートバイが走り過ぎる。
「ひゃっほ~、最高に爽快だぜ」
橋本が先頭で叫びながら、振り返って仲間の方を見た。仲間は旗を大きく振り回しながら、道を目一杯使ってジグザグ走行をしていた。
橋本はニヤッと笑って、目を前方に向けた。
「あっ、ヤバ!」
前方にパトカーの赤色灯が回っているのが見えた。
橋本は左手を高く上げて、仲間に合図をすると、キキッーとタイヤをきしませながら、オートバイの向きを変えた。
仲間も同じように次々と向きを変えて行く。
待ち受けていた数台のパトカーが一斉にサイレンを鳴らし、橋本たちを追いかけ始めた。
街の安眠を妨害するように、あたり構わず爆音を撒き散らしながら暴走族は逃げ回っていた。パトカーのサイレンがそれに一層の拍車をかけた。
「うるさいなぁ、眠れないじゃないか!」
鈴木幸二はベッドの上で起き上がると、苛々して頭をかきむしった。
残業続きで、今日も帰宅したのは午前0時を回っていた。急いでシャワーを浴びて、ベッドにもぐりこみ、ウトウトとしかけたところだった。そこに暴走族の爆音と、パトカーのけたたましいサイレンが、耳に入ってきた。
「何時だと思っているんだ!こっちは明日も仕事なのに…」
鈴木は怒りをぶつける相手もなく、一人部屋の中で怒鳴った。爆音に対する怒りが鎮まるのを待って、再び寝ようとした途端に、また暴走族の爆音とそれを追いかけるパトカーのサイレンが響き渡った。
「くそっ!」
鈴木は布団を跳ね上げると、ベッドから起き上がった。
窓のカーテンを開けて、下の道路を見ると、向こうの方に暴走族のオートバイとパトカーの赤色灯が見えた。
「あいつらは人の迷惑というものを、考えないのか!まったく腹の立つヤツらだ」
鈴木は怒りを露にしたが、どうしようもなかった。ただひたすら我慢して、爆音が走り去るのを待つだけだった。
その後も寝ようとしてウトウトし始めると、爆音とサイレンが近くに戻ってくる。結局、寝たかどうか分からないようなまま朝を向かえて、会社へ出かける羽目になった。
「ああ…」
眠そうな欠伸をしながら、エレベータに乗ると、上の階に住んでいる曽我明から、声をかけられた。
「おはようございます。鈴木さん、眠そうですね」
「いやあ、暴走族のせいで、眠れなくって。ホント腹の立つ!」
鈴木は忌々しそうに言った。
「鈴木さんもそうですか。実は私もそうなんですよ。はらわたが煮えくり返る思いがします」
「あいつら、何とかならんかな?警察に早く捕まえてほしいよ」
「警察を当てにしても、中々難しいですからね。もしも…」
曽我は言おうか、どうしようかと迷った。
「もしも、何ですか?」
鈴木は曽我を見た。
「もしもあの暴走族をなくしたい、と心から願っているなら、一度私たちの会合に来ませんか?」
曽我は無理強いする風でもなく言った。
「会合ですか?暴走族をなくすために?」
鈴木は不思議そうな目をして、首を傾げた。
「ええ、そうです。大切な眠りを邪魔する暴走族をなくすために、彼らがうるさい爆音を撒き散らすと、私たちはみんなで集まって呪うのです。そうすれば、少しは気も晴れて、ぐっすりと眠れるようになります」
曽我は楽しそうに言った。
「そうですかね?」
鈴木は関心がなさそうに言った。
「まあ、気が向いたら、一度私の部屋へ来てみて下さい」
曽我はそう言うと、駅の方へ駆け出して行った。
その後姿を見ながら、鈴木は変なヤツだ、と思った。
午前一時、またしても暴走族が街中をわがもの顔に、バリバリと音を立てながら走り回っていた。
ベッドから飛び起きた鈴木の頭の中には、爆音がこびりついたように、ガンガンと鳴り響いていた。
「あいつら、いつか殺してやる!」
鈴木は右手を強く握り締めながら、前の道を走り去って行くオートバイを憎しみの込めた目で見つめた。
腹立ちを鎮めようと、深呼吸を二三度してからベッドに入ったが、爆音がまだ頭の中を駆け巡っているようで、中々寝付けなかった。
「ちくしょう!」
鈴木は叫ぶと、冷蔵庫からビールを取り出した。ゴクゴクと一気に飲み干すと、その空き缶をギュッと握りつぶした。ぶつけようのない怒りが腹の底から湧き起こってきた。
鈴木はふと今朝の曽我の言葉を思い出した。
『みんなで集まって呪うのです。そうすれば、少しは気も晴れて、ぐっすりと眠れるようになります』
「まさか…」
鈴木は呟いたが、このままでは苛立って眠れそうになかった。
「こんな時間に、ホントにみんなが集まっているのか?」
疑問に思いながらも、少し覗いてみる気になった。
パジャマ姿のまま、上の階に駆け上がって、曽我の部屋の前に立った。インターフォンを押そうとして、その指が止まった。
こんな時間に起こして、もしも迷惑そうな顔をされて、あれは冗談ですよ、とか言われたらどうしよう、笑い者になってしまうぞ、と考えると、ためらってしまった。
やはりよそう、と思い直して階段を降りかけた時に、また暴走族が戻って来て、そこら中に爆音を鳴り響かせた。
「くそっ、あいつらめ!」
鈴木は怒りが爆発しそうになって、急いで曽我の部屋の前に戻ると、インターフォンを力強く押した。
ドアが開けられ、曽我が顔を出した。鈴木の顔を見て、うれしそうに言った。
「いやあ、よく来てくれました。どうぞお入り下さい」
鈴木はその様子を見て、ホッとした。こんな時間に叩き起こすなど、非常識にもほどがある、と言われて怒鳴り帰されてもおかしくはなかった。それが歓迎するような素振りで、部屋の中へ招き入れられた。
玄関口には多くの履物が揃えられていた。
「他の人も来ているのですか?」
鈴木は履物の数を、何となく数えながら訊いた。
「ええ、みなさんお集まりですよ。今日のように、土曜日の夜は始めから集まることが多いのですよ。暴走族どもは必ずと言っていいほど、辺り構わず騒音を撒き散らしますからね。でも来ていただいてよかったです」
曽我はそう言いながら、鈴木を奥の部屋に案内した。
鈴木は部屋に入ると、その異様な雰囲気に驚いた。部屋の電気は消されていたが、テーブルの真ん中には十本のローソクが立てられ、炎が小さく揺れていた。それを取り囲むように男女合わせて、7~8人が座っていた。その中には、鈴木が見知っている顔もあった。
「みなさんに新しい仲間を紹介します。この下の階に住んでいらっしゃる鈴木さんです」
曽我が鈴木をみんなに紹介すると、一斉に拍手が湧き起こった。
鈴木は照れたように、頭をかきながら言った。
「どうも鈴木です。あの暴走族のヤツらに腹が立って、腹が立って、眠れそうにもないから、つい曽我さんから言われたことを思い出して、ここに来てしまいました」
「みなさんも同じ気持ちですわ。私もどうしても眠れなくって、曽我さんの家にお邪魔するようになったのですが、みなさんとこうしていますと、なぜか気持ちが落ち着いてきますの。それからは幾分か眠れるようになりましたわ」
女性の一人が微笑みながら言った。
「鈴木さんにも入っていただいて、みんなで、真剣に楽しく呪いましょう」
曽我が明るい声で言った。
「さあ、鈴木さんはこちらへお座り下さい」
一人の男性がイスを持って来て、鈴木に座るように勧めた。
「はあ…」
鈴木は訳がわからないまま、グループの輪の中に入った。
「鈴木さん、あなたの暴走族に対する今のお気持ちはどうですか?」
曽我が訊いた。
「あんなうるさい音を出して、夜中に走り回るなど、言語道断です」
鈴木が怒りを露に言った。
「そうでしょう、そうでしょう。ここのみなさんも同じ気持ちです」
曽我が満足そうに肯きながら言った。
「あんなヤツらは死んだ方がマシだ、そう思いませんでしたか?」
曽我が訊いた。
「何度も思いましたよ。こっちは仕事でクタクタになって、帰ってきて、さあ、寝ようと思ったら、あの忌々しい暴走族が撒き散らす爆音ですよ。全然眠れなくて、いい加減体も神経もまいりますよ」
「ここにいるみなさんも同じです。さらに殺してやりたい気持ちにもなりませんでしたか?」
曽我が口元に笑みを浮かべながら、楽しそうに訊いた。
「もちろんですよ。今日はどれほど思ったことか。気を鎮めようとして、ビールを飲んだのですが、どうしても腹の虫が収まらなくて、曽我さんを訪ねてしまいました」
曽我も他の人も全員が肯き合っていた。
「みなさんも鈴木さんの気持ちと一緒です。あの暴走族が深夜に鳴り響かせる爆音が癇に触り、どうしても腹の虫が収まらず、苛々して眠れないのです。そこで私たちはあの暴走族たちを呪い殺すことにしたのです」
曽我の顔はにこやかに笑っていた。
「呪い殺す?」
鈴木はドキッとして訊き直した。
「ええ、そうですよ」
曽我は相変わらず楽しそうに微笑んでいた。他の仲間たちも同じように楽しそうな微笑を浮かべていた。
「呪い殺すなんて、そんなことができるのですか?」
鈴木は不思議そうな顔をして訊いた。
「もちろん、そんなことはできませんよ。ただ私たちはあのうるさい暴走族に対して、みんな同じ気持ちを持っていることだけは事実です。その同じ気持ちを、こうしてみんなが集まって、一つに気持ちを集中させて、あの暴走族たちに呪いをかける。これはこれで中々愉快なことでしょう。それであの暴走族が死んでしまえば、尚更愉快なのでしょうが、そうはいきませんよ。でも少なくとも私たちの気持ちは幾分か晴れますよ。それでもいいじゃないですか。眠れないで悶々としているよりも、こうしてみんなが力を合わせて一緒に呪う、心の健康にいいですよ」
「そうかもしれませんが…」
鈴木は納得できない様子で言った。
「鈴木さんも私たちと気持ちは一緒ですから、一度やってみて、どうしても合わなければ、抜ければいいことですよ。そんなに真剣に考えないで、折角ここに来たのですから、一緒にやってみましょう。それともこのまま部屋に帰って、腹立たしいままベッドに入りますか?私たちはどちらでもいいですけど」
曽我の淡々とした言い方には、大人のゲームを楽しむ余裕が感じられた。
「分かりました。このまま帰っても眠れそうにないので、一度みなさんと一緒にやってみます」
鈴木がそう言うと、全員が小さく拍手した。
「ということで、鈴木さんに快く参加していただきました。鈴木さんが参加してくれましたので、今日は十人で呪いをかけることになります。今日こそは呪いがあの暴走族に届くかもしれません。十人で呪えば、きっと暴走族に呪いが届く、そう信じて呪いましょう。それでは、隣の方同士で手をつなぎ合って、ローソクの炎を見つめながら、怒りの気持ちを集中していきましょう」
曽我は全員の手がつながったのを確認すると、ローソクの炎をジッと見つめて、呪文のように言い出した。
「あの暴走族に死を、あの暴走族に死を、あの暴走族に死を…」
曽我の言葉に続くように、全員が同じように言い出した。
鈴木も初めは小さい声で言っていたが、その内に腹の底から湧き起こってくる怒りをぶつけるように、大きな声で言い出した。
「あの暴走族に死を、あの暴走族に死を、あの暴走族に死を…」
十人の呪いの声が幾度となく重なり合って、部屋中に響き渡った。やがてその声が、部屋の中で徐々に強い怒りの念に変ると、そのまま外に飛び出して行った。
遠くから暴走族の爆音が近づいて来るのが分かった。
パラパ、パラパとけたたましい音と爆音を鳴らしながら、十数台の暴走族がこの街に戻ってきた。
風を左右に感じながら、日頃のストレスを発散するかのように、暴走族のリーダー橋本はジグザグにオートバイを走らせていた。
突然耳の奥に『死ね!』という言葉が聞こえたような気がした。妙だなと思いながらも、大きな爆音を聞いていると、すぐに忘れてしまった。
「やはりこの音を聞いていると、体の芯からしびれてくる。最高だぜ」
橋本は誰にも聞こえないが、恍惚とした表情で叫んだ。
『地獄へ落ちろ!』また囁くような声が耳元でした。
橋本はその言葉を振り払おうとして、頭を二三度軽く振った。
『おまえは死ぬ!』
今度は不気味な声がはっきりと聞こえた。
橋本は辺りを見回したが、もちろん誰もいない。仲間が同じように爆音を響かせながら、ジグザグに走っているだけだった。
『死ね!』また耳元ではっきりと聞こえた。『死ぬのだ!』『早く死ね!』『地獄へ落ちろ!』立て続けに聞こえてきた。
「一体何だって言うのだ!」
橋本は闇に向かって大きく叫んだ。
『死ね!死ね!死ね!』橋本の頭の中で、何度も響き渡った。
橋本は耐え切れずに、ヘルメットを投げ捨てた。左手で頭を何度も叩いて、忌まわしい声を追い出そうとしたが、その声は一層はっきりと聞こえるようになってきた。
後ろを振り向くと、大きな白い煙のようなものが橋本を目掛けて、猛スピードで迫ってきていた。仲間全員の顔は地獄の門番のように口元が大きく裂け、目が血走っていた。
「た、助けてくれ!」
橋本はアクセルを目一杯回すと、その場から逃げようと必死になった。目の前には大きな壁が迫っていた。
「ああ!」
大きな叫び声を上げると、オートバイは壁に激突して大破した。
「今日はここまでにしましょう」
曽我がみんなに言った。
つないでいた手を離すと、みんながすっきりとした表情になっていた。
「鈴木さん、どうでしたか?」
曽我がにっこりとして訊いた。
「ホントに呪いが届いたような気になって、気分がすっきりとしました」
鈴木はどうしようもなかった怒りが、自然と鎮まっていたのを感じた。
「それはよかった。私たちも同じ気持ちです。特に今日は十人で呪ったせいか、多少は効果があったような気がします」
曽我は満足そうに肯いた。
「これからも十人で、うるさい暴走族に呪いをかけてやりましょう。そうすれば気分爽快です」
鈴木は晴れやかな顔をして、曽我の部屋を後にした。
完
吉沢潤のブラックストーリー集より、呪いの作品を投稿しました。
呪いの作品は三作品ありますので、順次投稿していく予定です。
読みやすくて結構面白い(?)かと…^_^;)
楽しんでいただければうれしいです。