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影絵  作者: 牧野 茉莉花
3/5

(  三  )

 ドラマのような人生だ。どうやらこの世には、神も仏もいないらしい。

 そんなことを考えながら、新幹線は京都駅を通過した。次の停車駅が私の目的地。

――えー、間もなく、新大阪、新大阪――

 いよいよ着いてしまった。テレビでしか見たことのない世界。この地で、私はどうなってしまうのだろう。不安に押し潰されそうな感じがする。

「真琴か?」

 振り返ると、キャップ帽を目深にかぶり、かなり濃い髭を蓄えた青年が、笑顔で私に手を振っていた。 青年?この人は、私の父親のはずなのに。

「えらい大きなったな、真琴! それに、えらいべっぴんさんなって」

 少々、困惑した。だって、見た目が若すぎる。これは父親というよりかは兄貴だろう。

「なんや、やっぱり俺のこと覚えてへんのか。そうやな、そらそうやな。最後に会うたんは真琴がまだこんくらいの時やもんな」

 親指と人差し指で小さな丸を作り、父はニカッと笑った。笑うとくしゃくしゃになる、年輪を感じさせる顔の少し深いしわが、いかにも人の良さそうな感じを顕著に表していた。

「私は昆虫かよ」

 ボソッと言うと、父は大きな声で言った。

「あかんわ、真琴。そういうときは、なんでやねん!やろ! テレビで漫才とか見たことないんか?」

 どうしてこんなに声が大きいのか…。周囲の目を気にして黙っていると、

「よっしゃ、お父ちゃんが大阪弁教えたる! こっち来い!」

 そう言い、父は強引に私を車に乗せた。すっかりコテコテになっていた父ではあったが、そんな姿に少し安心したのも事実だった。




「いやぁ、まさかヒデくんから電話かかってくるとは思わんかったわ。それに、お母ちゃんが亡くなっとったんも初めて聞いたしな」

 ヒデくんとは叔父さんのことだ。正式な名前までは知らないが、母も確かヒデくんと呼んでいた。

「それにしても、真琴。駅でお前見かけた時、一発で分かったぞ」

「どうして?」

 小さく口を開いた。父は、私が返事を返したことがことの他嬉しかったようである。その横顔は、緩みきっていた。

「ん、だって今の真琴は、俺が初めてお母さんと出会ったころにそっくりやからな」

「そんなに?」

「おぉ。そりゃもう、お母さんに似てべっぴんさんやがな。俺に似んで、ほんま良かったのう!」

ついつい、笑みがこぼれ落ちた。

「やだ。パパだって、ちょー若くて渋いじゃん」

「パパってか? おー、テンション上がんの。それ!」

 父は終始上機嫌だった。私との空白の時間を埋めるように、冗舌に話し続けている父を見て、私は、不安が少しずつ安心に変わっていくのを実感した。

「しかし、東京モンはほんまにそんな話し方するんやの。俺が大阪弁、一から教えたるさかいの」

「やだよ、大阪弁なんて。それに、私は東京じゃないし、埼玉だし」

「そうか、埼玉にお母ちゃんの知り合いの人いてはったしな。あれやな? ダサイタマっちゅうやつやな」

「わー、ちょーウゼー。それ、ほとんどの人が言うんだよ。まじオヤジー」

 父は大声で笑っていた。父は、母と同い年のはずで、今年三十四歳。しかし、見かけはもっと若く見えた。

 車は小雨が降る中、南の方角へ進んでいた。

「パパ、飛ばしすぎじゃない?」

 国道とはいえ、常時八十キロ前後で飛ばす運転が少し恐ろしい。しかし、周りの車も同じ速度で流れているため、この地域ではこれが当たり前なのだということに気付く。

「ほら、パパ。信号黄色だよ!」

 アクセルをグッと踏み込んだ父は、爽快に黄信号を渡り切った後、当然のように笑った。

「真琴。大阪ではな、青信号は渡れ、黄色なら急げ、赤信号なら気をつけて渡れ、なんやぞ。覚えときや」

 意味のわからない理屈に、父の自信に満ち溢れた運転に、なんだか圧倒されてしまった。気が付けば私も笑っていた。こんなにも心から笑えたのは久しぶりだったかもしれない。窓を開けた父は、冷たい風を浴びながらタバコに火を点けた。タバコの似合う横顔だった。

「ねぇパパ、私も吸っていい?」

 父は、目尻を下げて煙を外に吐き出した。

「おう! 吸え吸え」

 ざっくばらんな人だ。というのが率直な感想だった。この人とだったら、うまくやっていけるかもしれない。なんとなく、そんな気がした。父親という存在に、深く焦がれた時期もあったが、心のどこかで諦めていた私もいた。私自身、父の記憶が殆どなかったし、母も、父の話をすることはなかった。子供心に、それは聞いてはいけないことなのだという空気は伝わったし、聞けるはずもなかった。

「真琴、どうや?」

「うん、楽しいよ」

 父はハンドルを大きく切り、弧を描くように曲がり角を曲がった。私は、わざとらしく「きゃー」と叫んだ。

「おもろいやろ?」

 父の問いに、笑顔で答えた。

「うん、おもろい!」

 私は、父の横顔を見つめながら、流れていく初めての景色を堪能しながら、隣で豪快に笑う父親に、不思議な感覚を抱いていた。まるで長い夢から覚めたように、都会の景色がこんなにもはっきりと見えた。




「ねぇ、パパのおうちはどんなところなの?」

「もう、すぐそこやで」

 すぐ近くに通天閣が見えた。そのとき、私は大阪に来たのだと強く実感した。

「わ、あれが通天閣? すごーい、初めてー」

 間近に見る通天閣は以外に高くて、威圧的だった。ちなみに、父は通天閣の真下で飲み屋を営んでいるらしい。

「通天閣の下の居酒屋なんて、素敵だね。綺麗なお店なんだろうな」

 父は自虐的に笑い、手を振った。

「いやいや、多分、真琴が思ってるようなええモンとちゃうで、ほんまに。毎日、汚い酔っぱらいのおっさんとの格闘やで?」

「またまたー」

 車は通天閣を越えて、更に南へ進んでいった。

 やがて、非常にレトロな街並みが見えてきた。父は車を停め、明るく言った。

「ようこそ、愛釜へ!」

 へ? 呆気に取られている私を後目に、父は勢いよく車を降りた。

「真琴、今日からここがお前の家やで」

 一歩、車を出ると、なんともいえない臭いと、今にも崩れ落ちそうな木造建築の長屋が連なっていた。

「なに、この臭い…くさっ!」

「あぁ、その辺のおっさんの小便や。じきに慣れる」

 そんな、至極当然のように小便だと言われても困ってしまう。違和感を覚えながらも、私は父に背を押されるように木造長屋の敷居を跨いだ。

「きたない…!」

 家の中はむせ返るような湿気。表面上はその場凌ぎ、付け焼刃の掃除をしたようには見えるが、明らかに細部まで掃除が行き渡っていないことは明白だった。

「ほんまかいな? これでも、真琴が来るってことでめっちゃ掃除したんやで」

 父は驚いたように言った。しかし、驚いているのは声だけで、その表情はまるで驚いていなかった。「汚い」と言われるのは織り込み済み。そんな風な。

「ちょー汚いよ! なにこれ。私、こんなところに住めない」

 ぶ然と言うと、父は少し神妙な面持ちになった。

「うそやん。これが、俺の限界やって」

「あの台所見てよ、あそこ、確実にゴキが大量発生してそうじゃん」

 父は落ち込んだ様子で、目を泳がせる。

「ゴキって、なんや?」

「ゴキだよ。ゴキブリじゃん! もうやだ」

 言葉が出てこないという具合に、父は黙り込んだ。

 よく見ると、父はピアスを空けていた。高価そうなダイヤのピアスが左耳に二箇所。それは、父の全てに怖いほどマッチしていなくて、私はひどく違和感を覚えた。軽薄そうな眉毛に薄い唇、細い目に痩せっぽちの身体。その全てが不釣合いだった。

「この家、気に入らんか?」

 首筋を掻きながら、父は呟いた。

「気に入る、入らないの問題じゃないよ。私は、ここに住むんでしょ」

 私が言うと、父は現金なほどに態度を変えた。

「じゃあ、」

 ニコリと笑う父が、少し可愛らしく感じられた。

「ほら、パパ。車出して。お掃除道具買いにいくよ。今日は徹底的にお掃除するんだからね」

「よしきた。どこにでもお供しますよ」

 父は上機嫌に、まるでタクシーの運転手のように助手席を開けてくれた。「どうぞ、姫」そう囁く父に対し、私はドキドキしながら(うそぶ)いた。

「ありがと、爺や」

「こいつ!」父は優しい笑顔を湛えたまま、しかし相変わらず荒い運転で、国道を古ぼけたセダンで走り抜けた。カーステレオから流れてくる、古そうな知らない曲。聞いたこともない曲なのに、なぜか心打たれた。




 情けなくも叔父さんに泣きついて、そして父が私を快く引き取ってくれ、また季節は幾つか巡っていった。

 私はその春、高校生になった。

「なぁ、真琴。お父ちゃん調べたんやけど、ごっつい簡単な入試で入れる夜間高校があるらしいで。興味なかったら無理に行かんでもええけど、もし毎日ヒマしとるんやったら高校、行ってみたらどうや」

 父に背中を押されて入った学校だった。興味など皆無に等しかったが、その学校に通うことで父が喜ぶのならば、私は学校に通う意味があると感じていた。私は、十七時半から二十一時までの学校が終わった後、通天閣下の父の職場を手伝いに行くのが日課になった。

「お帰り、真琴! 学校楽しかったか?」

 それが、父の決まり文句だった。

「別にふつー」

 決まってそう言うと、父も決まって言った。

「何事も普通が一番やからな」

 今日もお決まりのやり取りと、お決まりの客。

「真琴ちゃん! 今日も可愛いなぁ。真琴ちゃんに入れてもらう酒は、格別やな」

「おい、オッサン。俺の娘に手出したらしばくぞ」

「なんやねんお前、飲み屋のオッサンの分際で、偉そうやの」

「今や真琴は、俺の命やからの」

「かー、敵わんの。真琴ちゃんには貧乏神が憑いとるで」

 この新世界界隈では、私は一部の人達の中で看板娘のような存在になっているらしい。しかし、父はそんな状況をあまり快くは思っていないようだった。

「真琴、店を手伝ってくれるんは嬉しいんやけど、はっきり言ってこの辺は治安悪いやろ。父としては、あんまりこんな時間にこの辺うろうろしてほしくないんや」

 閉店後、父はいつもぼやいていた。そして、生意気に言い返す私がいた。

「でも、私が手伝うようになってから、このお店の売り上げちょっとは伸びたんでしょ? 心配しなくても、パパが私を守ってくれるから安心じゃん」

 今の生活には概ね満足していた。父親とはいえ、人に愛されることがこんなにも心地良いことだと知った。

「ヒデ叔父さんに感謝しなきゃ、だね。あの人がパパに連絡取ってくれてなかったら、今こうしてパパと一緒に暮らせてなかったんだもんね。私、パパとこうして暮らせて、めっちゃ幸せだよ」

 父は目尻を下げて、照れくさそうにはにかんだ。

「なんや、お小遣いか?」

「違うもん! 私、パパめっちゃ好きだもん」

「お父ちゃんも、真琴のこと好きやで」

 そう言って頭を撫でてくれる父が、心から大好きだった。

「お母ちゃんは、あんまり真琴のこと構ってくれへんかってんな」

 母と私の生活が気になるのか、父がたびたび聞く度に、私は目を潤ませた。

「あの人の話はしないで…」

 策略だった。父が私以外に目を向けないように。健気で、可愛くて、陰のある可哀想な女の子を演じることによって、父が私だけを愛してくれるように。若くて将来のある父を、私だけの所有物に出来るように。父性愛。それに訴えかけることで、私は父を独占したかった。

働き者で、小利口で、上っ面上手。

まるで、かつてのリュウちゃんのような自分の姿に嫌悪感を覚えながらも、私は嘘を纏い(まとい)続けた。こうすれば、父は私から離れることが出来ない。私を捨てることが出来ない。出来ない…?

ガサガサ!

ん?

木造長屋の借家の汚い壁に、狐が浮かんだ。野良犬でも通り過ぎたのだろう。私は影絵から逃げるように布団に包まった。少し、頭が痛んだ。




 すっかり釜ヶ崎にも馴染んだ。父が言うところの、「住めば都や」その意味が少しずつ分かってきた私がいた。この夏に、十七になる。


――釜ヶ崎。


 日本最大級の日雇い労働者の街。常識では考えにくい価格設定で、多数の宿泊施設が存在する。ほとんどスラムに近いような寄せ場が多数存在し、こういった日雇い労働者の多く集まる町を、ドヤ街とも呼ぶそうだ。その治安の悪さといえば…。と、多くの人は思うだろうが、案外、労働者も街も、温かさに包まれている。しかしその捉え方は、そこに住む人間だけの特殊な感覚なのかもしれない。

最近は、あいりん地区と呼び方が変わったそうだが、この地に根を張って生きてきた人々は、昔の名残で釜ヶ崎と呼ぶ。あいりん(愛隣)と釜ヶ崎を繋げて、愛釜とも呼ぶそうだ。単に「釜」とだけで呼ぶ人もおり、その呼び方は人それぞれ。父や、お店に来る常連さんは、釜の呼び方で統一されていた。

「しかし、アレやな」

 常連の神野(じんの)さんが、突如として口を開いた。いつも一人で飲みにやってくる神野さんは、特別騒ぐわけでもなく、語るでもなく、絡むでもなく、マイペースに燗を飲み続ける人だった。

「真琴ちゃんも、すっかり釜の姉ちゃんになったな。勿体ないで。こんな先の知れたショボい店と、先の知れたオッサンと同じ道を歩いていくんなんか、アホやで」

 神野さんはちびちびと燗を飲みながら、冷奴を口に運んでいた。その表情は、いつになく楽しそうに見えた。

「こら、オッサン。文句あるんやったら帰れや。アンタも、こんな先の知れたショボい店で、安い酒を飲んどる先の知れたオッサンやろがい」

 こんな、客と父との会話を聞いているとハラハラしてしまう。およそ客商売の会話には聞こえてこない。私だって曲がりなりにも仕事をしたことがあるし、それがコンビニのレジ打ちだとしても、接客業の経験も多少はある。しかし、この街ではこのような会話が日常茶飯事なのだということが最近やっと分かってきた。

 確かに、考えられないほどオンボロな店である。雨漏りした天井は継が貼られ、老朽化した壁はヒビが走り、カビのこびり付いた洗い場にはよくわからない虫が大量に発生している。しかし、私は、それほど深刻な状況だと捉えていなかった。

 こんなにも無茶苦茶な関西ノリに付いていける。あんなに嫌いだった虫を見ても、冷静に対処できる。出産よりも、愛よりも、適応力という人間が備える能力は神秘的である。そんな気がした。

「なんじゃ、その言い方は。わしは客やど」

 カウンターを高速で動き回る、活きの良い小さな虫を親指で押し潰し、何事もなかったように神野さんは言った。父は気にも留めず、ジョッキに入れたビールを少しだけ残しグイッと飲み干した。父はいつもビールを少し残し、おでんを煮込んでいる鍋に豪快に流し込んでいた。こうすることによりコクがでるそうだ。とても信じられなかったが、父の作るおでんはどれもおいしかった。

神野さんは、酔うと少し気前がよくなって、

「真琴ちゃんも呑みや! あ、お前おったんか。オッサンもついでに呑んだらええんちゃうか」

 と、従業員にお酒を奢ろうとする癖があった。私は、未成年だとか、呑んだら仕事どころじゃない。などと適当に神野さんのお誘いを断り続けてはいたが、父はいつも神野さんに付き合いお酒を呑んでいた。後から知ったのだが、そのぶんのお代は付けていなかったらしい。

「おい、神野のオッサン。ここはそういう店とちゃうねん。そうしたかったらそういう店に行かんかい。俺の娘に手出そうとしたら、ほんましばき倒すぞ」

 ニコリとも笑わず吐き捨てる父を見て、本当に客商売を続けてきたのかと疑問に思う。神野さんは、やれやれという具合に肩をすくめた。

「親馬鹿」

「なんとでも、言わんかい」

 神野さんにも、私にも顔を合わせるのが恥ずかしいのか、父はぶっきらぼうにテレビを見つめていた。テレビからは、乾いた笑いが聞こえてきた。

そこには、確かに愛があった。

 時刻は、日付を跨いで三時前になろうとしていた。明日は土曜日。神野さんも時間に余裕があるらしく、気分よくお酒を楽しんでいる。ニヤニヤと顔を百面相のように変化させながら神野さんは言った。

「真琴ちゃん。この店の名前、由来知ってる?」

 父はテレビを見ている振りをしていた。その浅黒い顔は、茹でダコのように少し紅潮しているようにも見えた。

「えー、パパから直接聞いたことはないけど、『まこっちゃん』でしょ。明らかに私のことだよね。たぶん」

「そうやねん。このオッサンほんまに、子供の名前を店に付けるほどに、」

 パンパン! パンパン!

 振り向くと、父が両手を力の限り叩いていた。「もうやめんかい」そんな父の心の声が、私のフィルターを通して伝わってきた。

「オッサン! とっくに閉店やねん。ええ加減に帰らんかい。迷惑じゃ」

「もう。パパはまた、」

いそいそと閉店準備を進める父に苦言を呈したが、父はそれっきり一言も言葉を発することはなかった。照れているのかもしれない。ここにも一つ、愛があった。

父の気持ちを汲み取るように、神野さんは席を立った。

「照れとんねん。このオッサン、舌足らずの寸足らずやから。アホやから」




「ああぁああぁあっ、ああぁあ!」

「おどれ、承知せんど! ワレ、おぉこら!」

 夜の釜ヶ崎に、今夜も奇声が響き渡る。

「パパ。おっちゃんがなんか叫んでる!」

「おぅ」

「何してるんだろうね」

「喧嘩やろ。それより真琴、はよ寝んと明日も遅刻するぞ」

 そんな日常にも、すっかり慣れてきた感じがする。私は、生まれた時からずっとここに住んでいたような気すらしてきていた。初めは薄気味悪く感じていたこの界隈も、今や立派な私のホームグラウンドだった。

「はーい、お休みなさい」

 昨年の誕生日プレゼントでねだったベッドに入り、目を閉じた。父は台所の間接照明の光のみで、何やらパソコンに向かっていた。

「パパ、寝ないの?」

 父は好物のピスタチオと一口チーズを肴に、ウイスキーをロックでちびちびとやっている。少し間を空け、タバコの煙を吐き出した。この独特の匂いが好きではなかった。『わかば』の香りもいつの間にか慣れてしまった。

「これが済んだら寝るよ。眩しいか?」

 私は体を起こし、

「パパ」

 と言い、

「私も帳簿付けれるように勉強する。いつもひとりで遅くまで、大変そうだもん」

 そう、勢いよく続けた。父は小さく苦笑いして、

「アホ、これはお父ちゃんの仕事やねんど。真琴の仕事はあくまでも勉強やねんから、そんなこと心配せんでええねん」

 それは、実に冷たい一言だった。父がどういうつもりでその言葉を吐いたのかはわからないが、私には冷たく聞こえた。

「なんで? ひとりでやるより、ふたりのほうが効率いいでしょ」

「子供はそんなこと考えんでもええ」

 それは少なくとも、私にとっては暴言だった。

お話にならない。私からすれば百%の好意であって、いや、そもそも家族である以上、家の仕事を分配してやっていくのは当然だと思っていたし、理想でもあった。炊事、洗濯、そして仕事。何でもひとりでこなしてしまう父に対し、偉いなと思う反面、もう少し頼ってほしいという願望もあった。

母は、何も出来なさすぎた。父は、何でも出来すぎた。

なぜか、上手くいかない。

「それに店の手伝いかて、そんな毎日来ることないんやど。どうせ暇な店やねん。真琴は高校生やねんからもっと遊ばなあかん。銭かて、お前に小遣いやるくらいはあるがな」

 父はにっこりと笑っていた。しかし、このとき私ははっきりと知った。私たちは家族ではない。戸籍上、私は酒井から山下(やました)に変わり、間違いなく父の娘ではある。が、私たちは家族ではない。この人は親戚のおじさんと何ら変わりはない。私の存在は、言うならばお客様だ。父の態度を見ていればわかる。このやりきれない虚無感。

 こんなの今までに感じたこともない。なんだ、これは。不謹慎にも馬鹿馬鹿しい感じ。こういった経験は過去にもしていたのかもしれない。だが、初めて感じた。こういったものは。

「ほんとありえない。まじありえない」

うわ言のように喚いた。父と暮らすようになってもうすぐ一年が経つ。様々な感情が私の胸を去来した。

「遊ばなあかんて、そんなの私が決めることでしょ。私はパパのお手伝いしたいから、してるだけなのに。子供はいらんこと考えんでもええって、なに?それ。パパが大変そうだから、ちょっと手伝いたいって思うことが余計なことなの?」

父は、困ったように言った。

「そんなん言うてへんやん。お父ちゃんとお母ちゃんが今の真琴くらいの歳ン時は、もうすでに真琴がおってん。だから、ふたりとも学校も辞めたし、友達とも遊ばれへんかったんや。真琴には普通の高校生をやってほしいねん」

普通の高校生って、何だろうか。高校とは、現時点で人生の目的が明確に定まっていない人間が、自分の道を探しに行く場所ではないのだろうか。父の薦めで入学した高校だったが、私は勉強が好きなわけではないし、これといった目的があるわけでもない。現状、父に安心してもらいたいがための高校生活になっていた。すべて父中心の生活になっている私が、その父から生活スタイルを否定されたのならば、いったいどうすればいいのだ。ただ、私の生活の道しるべがこのオヤジだなんて、なんとも危ういという気もしながら。

「なんで逆ギレ? 意味わかんない。パパなんて嫌い」

 私が吐き捨てると、面倒くさくなったのか、父の口はそれっきり開かれることはなかった。親と子とでの考え方の相違。それは、こんなにも深い。

 空が白み始めていた。夏も本番を向かえ、日の出はこんなにも早くなってきていた。蝉の合唱がここまで聞こえてきていて、少し苛立った。目蓋の裏にじわりと涙が浮かぶ。

 嘘を本当だと言い切るのが難しいように、好きなものを嫌いだと言い切るのが簡単なはずがないじゃないか。くそ。




 次第に父の帰りが遅くなりはじめた。私も以前ほど店に出ることはなくなり、常連客からは毎日毎日ブーイングの嵐やど。特に神野のオッサン。そう、父は小さく笑う。だったら私を頼ればいい。なのに、父は決して私を頼らない。

 父が真っ直ぐに帰宅しなくなりはじめて、家の湿度が抜けた。いつもカラカラに乾いていて、喉を潤すための酒の量が異常に増えた。…というのは言い訳で、本当は孤独を埋めるための酒だった。女だ。あのオヤジ、あのダイヤのピアスからして、女というか、オヤジを援助している女がいるに違いない。だって、あんな流行っていない店だけで、今の生活を維持し続けられるはずがない。売り上げなど、詳しいことはわからないがなんとなくそんな気がした。

「まこっちゃんは、お父さんが好きやねんね?」

 そう言って笑うのは、学校で知り合った麻衣(まい)ちゃん。

 つんと通った高い鼻、サラサラした綺麗な髪にパッチリと開いた大きな目。特に印象的なのは、そのキラキラと輝くつぶらな瞳。キレイ系の顔立ちをしたお姉さんだった。現在二十四歳で、思わず見とれてしまうほど可愛い女の子だった。現役高校生の時は男に狂い、大恋愛の末に家族と揉めた結果、学校を中退してしまったが二十歳で思い直し、もう一度やり直そうとこの学校にやってきた。いつか、そんな話をしてくれた。どんな形であれ、自分自身を修正できる能力があるというのは素晴らしいことだと思う。しかも、人の勧めではなく自分の意思で。

「ちょっと、やめて。なに言ってんの。なんで私がパパなんかを!」

 麻衣ちゃんの言葉を慌てて否定すると、少し妙な感じがした。

「うそ。まこっちゃんの話を聞いてると、そうとしか思えんもん」

「そんなわけないじゃん。だって、三十過ぎのオヤジだよ」

 動揺を悟られぬよう、早口にまくしたてる。

「だってあの人、暇さえあればお酒ばっかり飲んでるし、仮にも接客業なのに口悪いし態度悪いし、都合悪くなったら黙っちゃうし。それに!私が好きなのは、中島くんみたいに爽やかな人だし。あの人、爽やかさとはかけ離れてるし」

「誰? 中島くんって。そんな奴ウチにおった?」

「学校の人じゃなくて、西武ライオンズの中島くんだよ。ちょーカッコいいんだから」

「野球?」

「うん。プロ野球」

 これで大丈夫だ。ここまで否定すれば麻衣ちゃんの誤解も解けるはずだ。私があんなオヤジに惚れているなんて。そんな誤解は一刻も早く解かなければいけない。

「フフッ」

 笑顔だと? 

「なに笑ってんの?」

怒気を含んだ声で訊くと、麻衣ちゃんは更にクスクスと笑い続けた。

「だから、なに?」

「ごめん、ごめん。いや、やっぱりお父さんのこと好きなんやなって」

「違うってば!」

「わかるなぁ」

「だから!」

 キーンコーンカーンコーン。

 休憩時間終了を告げるチャイムが鳴った。こんな状態で授業なんて出ていられない。

「麻衣ちゃん、四限さぼっちゃお。出席、大丈夫だよね?」

 有無を言わせぬ強制的な言葉で誘うと、麻衣ちゃんは控えめに笑った。

「いいよぉ。じゃ、飲みにでも行きますか」

 この学校は一年間を前期・後期の二つで分け、クラスではなく、個人で選択した授業を受け、単位を取るタイプの単位制の高校だった。そこには、明確に単位を取るのに必要な日数が決まっている。すなわち必要最低出席日数が決まっているということは、最大これだけ欠席してもいい日数も決まっているということになり、自己責任で出欠を管理できる人間からすればこんなにも生温い環境はなかった。日数さえ取れていれば、後は極端な話が0点でもテストに出席さえすれば「はい、どーぞ」と、後ろめたい気持ちもなくありがたく単位を頂戴できる。そんなシステムだった。大学を卒業して二年目のメガネをかけた優男風の担任が言うには「この学校を卒業できないということは、すなわちその生徒は学校という制度に向いていない」ということだった。バッサリと斬るなぁ。と漠然と思ったが、優男なりの厳しさはまさに実感だった。

 一応、週一の集まりである形だけのクラスがあり、私はA―Dだった。入学も卒業もバラバラな単位制高校では、一年目の生徒をAとし、二年目をB、三年目以降をCとし、区別した。一クラス十五名ほどで、年齢は現役の十五歳から八十歳過ぎまで。まさに、様々な人間が様々な事情と気持ちを持って入学していた。当然、私のような堕落の先にこの広い門を叩いた者もいることはいるのだが。

 麻衣ちゃんは四年目で、クラスはC―B。

「去年もCやったのに、今年もC。まこっちゃんはウチみたいになったらあかんでぇ。ほら、まこっちゃんのクラスの担任の先生。あの人同い年やからさ、なんか授業で会うたびに「お前いつまで学生やっとんねん、カスが」って言われてる気になって、うち最近ノイローゼやねん」

 そういって自虐的に笑う麻衣ちゃんの悪戯っぽい笑顔は、いつ見ても本当に可愛かった。




 学校の最寄り駅近くの居酒屋に入った。未成年がこんな店に入ってもいいのだろうか。不安で落ち着かなかった。連れは成人しているとはいえ、年齢の近い友達とこのような店に入るなどとは、想像もしていなかった。

「まこっちゃん、緊張してる! カワイイー」

 麻衣ちゃんは小さな子供をあやす様に、私の顔を覗き込んだ。

「大丈夫やで、このお店の店長は友達やから」

 その言葉に少し安心した。反面、社交的で、多方面に顔が広い麻衣ちゃんを羨ましくも思った。

 一時間ほどの他愛のない雑談の後、やがて自然に父の話題へと移っていく。

「好きなんやったら、好きでええやーん」

 私もそうだが、女のコは恋の話が好き。多分に漏れず、麻衣ちゃんもそうらしい。

「違うって。あんな髭の濃いオヤジは、私の好みじゃないってば、」

「普通、」

「え?」

「普通は実の父親のことを恋愛対象として好きにならへんよね? お父さんって時点で有り得へんやんね」

「うん…」

「でもまこっちゃんは、好みじゃないって言ってる。お父さんやから有り得へん。じゃなくて、好みじゃないって言ってる」

 突然、真面目な顔で話し始めた麻衣ちゃんの目を凝視する。その瞳はキラキラと輝き、目薬でもさしたかのようにウルウルとした瞳に吸い込まれていきそうな感覚がした。麻衣ちゃんは、嘘をつかない人間だ。この目を見ていると何となくそんな気がした。きっと私とは正反対な女のコ。

「どういうこと? 私は、」

 質問の途中で、麻衣ちゃんは「ごめん、ちょっと」と、席を外した。ひとりになったカウンターで、私は麻衣ちゃんの言葉を反芻していた。好みじゃないって言った?        うん。好みじゃないって言った。確かに私は、父親だから駄目だとは言っていないし、父親だから男に見られないとは思っていない。

直接私に向かってくる冷房のせいか、背筋がぞくっとした。

「まこっちゃん。ごめんやけど、電話出てくれへん?」

 戻ってくるなり、麻衣ちゃんは唐突に言った。私は自分の顔を指差し、「私?」というジェスチャーをした。麻衣ちゃんは、済まなさそうに小さく頷いた。

「はい…。もしもし?」

 小さな声で呟くと、少し甲高い。少年ヤンキーに多く見られる所謂粋がったような耳障りな声が聞こえてきた。

「あ、自分麻衣の友達? 俺、あいつの彼氏やねんけど、ほんまに自分とあいつふたりだけで遊んでんの? それ、証明できる?」

 いきなり、なんやねん。そんな感情が私を支配した。

「は?」

「いや、は? じゃなくて。あいつとほんまにふたりなん? それを証明、」

「私の大事な友達を、あいつ呼ばわりするんじゃねぇ」

 そう言って、電話を切ってやった。怒りのあまり、通話終了ボタンを押しっぱなしにしていると、ピーっという機械音と共に、携帯電話の電源も切れた。

 振り返ると、麻衣ちゃんは幽霊でも見たかのような顔をしていた。

「え?」

 だらしなく笑うと、麻衣ちゃんはクスクスと笑った。

「まこっちゃんすごーい。東京のヤンキーや」

「いやいや。だから、私は東京じゃなくて埼玉で…、」

「ハハハっ、アホちゃうん。あいつ今どんな顔しとんやろ。めっちゃ見てみたい!」

 怒りに任せて、私のいつもの突発的な行動だったが、麻衣ちゃんは笑っている。笑いすぎて涙が出てきた麻衣ちゃんは、ポケットティッシュを取り出して涙を拭いた。麻衣ちゃんの力のある目を演出している付けまつ毛が半分剥がれていた。下まつ毛だけが外れた麻衣ちゃんは、少し顔が薄くなった。

「あはは、ごめんね。さっきのアホ、うちの彼氏やねん。うちがどこにおってもアホみたいに電話ばっかりしてくる束縛男」

 よくある話だ。深く思い返してみると、平井の元彼もその類の男だった。

「そんなアホ男、別れたらいいんじゃん」

「ほんまやな。あんなアホ、さっさと別れたらよかったのにな」

「別れられないの?」

 麻衣ちゃんは無言で頷いた。何考えてんだ、この女。心の底から湧き上がってくるような感情があった。

「いやいや、別れたらいいじゃんか。何か弱みでも握られてるの?」

「あかんねん」

「何があかんの?」

「あのさ、さっきからうちの彼氏、アホアホ言われすぎな。どんだけアホやねん」

「アホだから? っていうか、話逸らさないで」

「無理やねん」

「だから、なんで無理なの?」

「ちゃうねん」

「なんも違うことないじゃん。別れたらいいだけの話でしょ?」

「だから、それが無理やねん」

「なんで?」

 心底、訳が分からないというような感じで訊いた。というか、麻衣ちゃんの気持ちが理解できなかった。うっとうしい束縛男などさっさと別れて次にいけばいいのに。麻衣ちゃんは私のライターを無言で奪い、鞄から取り出したタバコをくわえた。タバコ、吸うんだ。以外だった。

 レモンサワーのおかわりがやってくる。

「ねぇ、なんで?」

 再度問うと、麻衣ちゃんはその長くて綺麗な黒髪を指でくるくると巻きつつ、憂鬱そうに壁時計をジッと見つめた。

「だって、好きやねんもん」

 こんがらがった頭を整理するように、私はタバコに火を点けた。私の愛銘柄クールライトだが、メンソールの刺激がやけに気持ち悪い。壁時計を見つめているはずの麻衣ちゃんの目線は、どこかもっと遠い所を見つめているような気がした。どこか開き直ったような。吹っ切れたようなそんな横顔が印象的だった。

この人は、こんなにも強い。

ひきかえ、私はこんなにも中途半端だ。

やるせなかった。




 ついつい、後ろを振り返ってしまう。

「なにしてん?」

 麻衣ちゃんが声をかけてくれるたびに、ひとりではないと安心して、ため息をついてしまう。

「どしたん?」

 埼玉での放浪時代に、見知らぬ男が路上で突然抱きついてきたことが三度もあった。中でも最悪なのが三度目で、胸を触られ、挙句奴は下半身を露出していた。そんなことを思い出し、飲みすぎたというのも相まってか、私は嘔吐を催した。

「大丈夫? タクシー拾おか?」

「だいじょうぶ…。タクシーなんて、もったいないからダメだよ。もうすぐ家に着くから」

 麻衣ちゃんが家に泊まることになった。束縛男と同棲している麻衣ちゃんは、先ほどの私の暴言で家に帰り辛くなったらしい。「まこっちゃんのせいやから、今日はまこっちゃんの家に泊めてや」異存はなかった。

「あれ? お父さんは?」

 到着するなり麻衣ちゃんは言った。近頃、二日に一日は帰ってこない父が無性に腹立たしく思えて、

「あいつはまだ仕事中だよ。でも、今日は水曜だから帰ってこないよ」

 そう、吐き捨てた。例外はあるが、ほぼ月水金は父の帰ってこない曜日になっている。

「うそー、残念! 見たかったのに」

 麻衣ちゃんは小さく笑った。

「ビールでいい?」そう訊いた私は、麻衣ちゃんの返事が返ってくる前に、すでに栓を抜いていた。

「やきもち妬いてるー」

「妬いてないよ! なんで私がやきもちなんて、」

 ムキになって言い訳をしている私がいた。素直になれないって、こんなにも面倒くさい。言えばいいのに。好きだって。麻衣ちゃんは、きっと笑ったりしないだろう。気味悪がったりもしないだろう。 「好き」たった一言が、なぜ言えない?

 麻衣ちゃんが羨ましい。

 先ほどの居酒屋。彼女は彼氏をボロカスに言われ、前後関係も何も知らない私に「別れたらいいのに」と言われた。しかし、麻衣ちゃんは逡巡こそしたものの、「だって、好きやから」と宣言した。私に気味悪がられるであろうことも考えたはずだ。バカな女だと思われるかもしれないとも考えたはずだ。だが、きっぱりと言い切った。そんな勇気、少なくとも私にはない。

「素直になりぃや。好きでいいやん。素敵なことやん」

 やっぱり羨ましい。私は、こんなにも真っ直ぐになれない。

「有り得ないよ。実のパパを好きだなんて。気持ち悪いじゃん」

 自爆だ。自分で自分を気持ち悪いと言っていれば世話はない。麻衣ちゃんは、私の空いたグラスにビールを注いでくれた。

「気持ち悪くなんかないやん。事情はどうあれ、人を好きになることが気持ち悪いわけないやんか」

 くらっとした。こんなにも真っ直ぐに言い切れる彼女は、神じゃないかとも思った。

「でもさ、常識で考えてみてよ。有り得ないじゃん」

 ずるい言い訳だ。ずるくて陳腐だ。言葉というものは、陳腐であればあるほどその言葉は正当性を増す。反面、普通の人が普通に言う言葉には説得力がある。しかし、私が放つ言葉はどうなのだろう。私は誰かに評価してもらいたかった。あるいは、断罪してほしかった。

 麻衣ちゃんは、大真面目な顔で、

「常識なんて知らんよ。一番大事なんは、まこっちゃんの気持ちやろ?」

 と言った。そこには、一切の冗談や茶化しは受け付けません! というような無言の圧力があった。さらに、

「常識って、なにか知ってる?」

 と続けた。真剣な麻衣ちゃんの顔を前にした私は、首を横に振るしか出来ない。

「常識っていうのはね、皆が平等に持つ心の病。決め付けの病気やで。この病気を治せば、ウソみたいに視界が開けるから。今までの世界は、ウソばっかりやったって気付くから」

 やっぱり神だ。

だって、その一言で私は視界が開けたよ。

「私、好きでいいのかな?」

「うん」

「気持ち悪く、ないかな」

「うん」

「じゃあ私、あの人のこと、好きみたいだよ」

 言葉にすると、涙がこぼれた。

 釜ヶ崎は今日も綺麗だった。遠目に見える飛田新地の灯篭からこぼれる光。到る所に点在するコンビニエンスストアが放つ光。大阪限定激安スーパー『スーパー玉出』の迷惑なほどのド派手な光。パチンコ屋のサーチライト。雲の切れ間から、微かに差し込む月明かり。

 大阪の夜は白夜のよう。明るくて、眩しくて、思わずしかめっ面になってしまうような光の集合体。まるで、光で組まれた篝火のように。

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