11 寒い、熱い
行き成り腕を引かれ、前に倒れる。地面にぶつかると思い目を閉じると、すぐに鼻先に柔らかいものが当たった。
「……っ、」
恐る恐る目を開けると、黒色のネクタイ。薄い灰色のワイシャツも見え、少ししてからそれがエシルのスーツだと分かった。……と言う事は。
上を見上げると、私の頭に顔をうずめるエシルの姿。栗色の髪の間から見える彼の顔は、気のせいか少し赤いように見える。
「……え、ちょ、何々これ」
しばらく硬直したのち、一向に動こうとしないエシルに訊いてみる。一体何をしようとしているんだこいつは。
首を少し揺らすとようやく顔をあげ、にやりといつものようにシニカルな笑みを浮かべて答える。
「俺がアリスに抱き着いています」
「それくらいわかるわボケ」
間髪入れずに反論すると、むう、と唇を尖らせられる。……別に可愛くもなんとも思っていないんですが。
「ところで、いつ離れてくれるんですか」
「いつか」
「具体的に」
「……三日はこの体制でいける」
無言で鳩尾を蹴る。ぐき、と言う鈍い音が辺りに響き、どんよりとした空に消える。
「……痛い」
でしょうね。
うんうんと頷いた私は、なんとなく空を見上げた。あの一撃が決まっても離さない所を見ると、どうやら相当の覚悟がおありの様だ。
「雨、止まないね」
空から止めどなく落ちてくる透明な雫は、止まることを知らずに、コップの水をこぼしたように大粒だ。……止む気配がないことも考えると、コップの水ではなく最早ホースだ。このままじゃしばらく屋敷に戻れない。五日間も気を失っていたこの身体はすでに重く、一刻も早くふかふかのベッドで眠りたい。
ああ、こんなこと一回思ったら体は素直だ。足からだんだん震えてきて、私は思わず呟いてしまった。
「…………さむ」
小さく呟いただけのつもりだったが、どうやらその一言は拾われていたようだ。ピンク色の耳をぴん、と立てて、身体を少し離して金色の瞳が顔を覗いてきた。
「寒いの?」
「う、寒くなんかない」
ふうん、と意味深に頷き、エシルはまた体を密着してきた。
こ、これ、言い方はいいけど結構苦しい……。
息が止まりそうな勢いで体にギュッと抱き着いてくるエシル。私との距離をゼロにしたいのか何なのか。
「ちょ、エシル待って苦しい……」
その前に心臓が持たない! ……両方の意味で。
苦しそうに息を吐いた私を見て「わわ、ゴメン!」と慌てて力を緩める。
「えっと、別に下心は……ちょっとはあったけど、アリスをあっためようと思っただけで! ほら、俺体温高いじゃん?」
「ありがたいけど……限度があるわよ限度が!」
とりあえず反論はしたものの、いつの間にか体の震えは収まってきた。手で半そでから出た腕をさすると、さっきまであった冷たい肌は跡形もなく消えていて、代わりにほんのり温かい健康的な腕になっていた。
「……ありがと」
「ん? 何聞こえなかった」
目線をわざわざ逸らして呟いたお礼の言葉は、にやにや笑いのエシルには聞こえなかった――いや、明らかに聞こえているけどわざと聞こえないふり。
ぷつん、と頭の中で何かが切れたので、反論。
「ああそうですかもういいませんよ」
「酷い、何それ俺ただの出来心! 許してよ!」
ふん、とそっぽを向くと、雨が止んで活動を開始した太陽がきんきんに輝いていた。この気候の変わりようは、流石とでも言うべきか。




