1 赤足す青は
グロ注意です><
苦手な方はバックを……
殺して。
真っ赤になった彼女を、否、彼女だったモノをナイフで刺して。刺して刺して刺して。
そして赤く染まった手を見て気が付く。コレハナンダと。
それでもまだ、まだ足りない。床には乾いて赤黒く染まった血が固まっている。その上にかぶせるように、ナイフの装飾が見えなくなるほどに刺す。
ぽつり。
窓の外で雨が降ってきた。窓枠で一枚の絵のように縁どられた街は、ホテルのネオンの色がちかちかと輝いている。
顔に付いた血をぺろりと舐めとり、ナイフを床に叩き付けた。
「…………不味い」
雨の日になると、あの日の事を思い出す。
「こんにちは、チェシャ猫さん」
目の前で笑うのは、一体何人目の『侯爵夫人』なのだろうか。数えるのも面倒臭い。
いつもなら白い腕を伸ばして優雅にニコリと笑うはずなのに、彼女は健康そうに少し焼けた小麦色の腕をしていた。前までとの些細な違いに警戒してしまう自分に気が付き、にやりと笑った。
笑える。ここまで来て俺がこの人を殺さないとでも思うのか。
目の前にこの世界を創っている『神』とやらがいたらそいつに笑いかけるだろう。何て滑稽。
ちりん、と首に付いた鈴を鳴らしながら彼女に近づく。
「よろしくね。俺は『チェシャ猫』。貴女の名前は?」
「名前……。そんなの与えられていないわ。むしろ貴方の名前が知りたいわね」
俺が縮めた距離の分壁際にはなれながら訊いてくる。組んだ腕には力が入っていて、俺を要注意人物として認識したようだ。
面白い。
最後の『侯爵夫人』にピッタリな性格じゃないか。今迄の彼女たちのように少しでも気があるようなそぶりを見せるだけで頬を染めた、あの不快感で胸焼けがしそうないかにもオンナノコの集団より。最後の最後で楽しませてくれるみたいだ。
「俺の名前かー……。適当に決めちゃっていーよ」
「馬鹿じゃないの。名前は人が適当に決める様な軽いものではないの。容姿や性格と一緒に、人生の最後まで付きまとうものなんだから」
会って数分で説教と来た。この女、違うタイプでイラつく。熱血のスポーツタイプ、オプションで人情に篤い。
「……でもなるほどね、名前が大切か……」
心の中の不快感を悟られない様に、笑顔の仮面を張り付ける。この仮面を使用するようになったのはいつからだったか。
「だったらなおさら貴女に決めてほしいな」
「だから。『チェシャ猫』何て大役、名前を貰っているに決まってるでしょ。本当の貴方の名前は?」
一歩も引かない彼女に聞こえない様に、小さく舌打ち。
「……エシル。俺は『チェシャ猫』のエシルだよ」
内心渋々、しかし顔は完璧な笑顔で答える。
この時点での彼女の位置づけは、「とっとと殺す対象」だった。
「そう、エシル。よろしくね、エシル。私は『夫人』でいいわよ」
向日葵。
そう、向日葵のようにふわりと力強く、でも安心するような笑顔。
思い返せば、この時から彼女に淡い期待を持っていたのかもしれない。
彼女なら、俺を自由にしてくれると。
この滑稽で醜いゲームのルールから。
「……よろしく、夫人」
ふわりと笑った俺の顔は、彼に見せると笑われるくらい、何もかも任せ切った笑顔だったと思う。
そう、彼――白ウサギに。唯一心から信じられる、幼いころから一緒に育ってきた友達に。
彼の前では仮面をつける必要はない。つけてもばれてしまうのだ。だからつけない。嘘もつかない。――そんな関係にあった。
……今思い返せば、そんなの昔の話だ。愉快で軽快な、時々狂ったお伽噺。
そんなものに縋る気はないが、気が緩むと彼の昔話に走ってしまう。
「……糞っ……」
ぶらぶらと歩いている森の中、俺は気づかないうちにできていた拳を見ていた。強く握っているため、ほんのりと赤くなっていた。
コツコツと革靴の音が響く。普段は足音なんて立てていないのだが、時々こんなことが起きる。自分は役者。自分ではない他人を演じる、腕の立った役者だ。にやにやとシニカルな笑みを浮かべる、猫のようにしなやかな動作を持つ男性。『アリス』に興味を持ち懐くが遊びの対象。
それが――、一体何故、彼女とあの人を重ねてしまっているのだろうか。彼女は今迄の『アリス』とは違う。特に前回のアリスと。
「分かってるんだよ……!」
荒々しく地面を蹴って走り出す。とりあえず登れそうな木を探すためだ。
途中、綺麗な赤い花が咲いていた。それを見て眉を顰め、足で踏みつぶした。息が荒い。普段とは全く違うその動機は、きっとあれだ。――憎しみ。
『アリス』でありながらも違う彼女に苛立っているのか。それともあの夜の事を思い出しているのか。それとも――。
今重ねている赤と青は、混ぜ合わせて紫にできることができない。




