ねえアリス?
うっそうとした木々の間。灰色のフードを頭から深くかぶった青年が、近くの木に『wonderland』と書かれた矢印の看板を掛けていく。
「また、新しい『アリス』が来るの?」
13個目の看板を掛けた時、ピンク色の猫耳をつけた、白スーツの忌々しい猫が声をかけてきた。誰の飼い猫でもなくなった、シニカルな笑みを浮かべる猫が。
「…………」
「えー? 何々無視? ちょっとそれは酷いんじゃなーい?」
僕が無視をしていると、彼がフードを引っ張ってきた。その反動で、さらりと僕の白いうさ耳が垂れる。
紅い目を細めて睨むと、彼は苦笑いをして僕に近づく。ピンク色のふわふわの耳が楽しそうにピコピコ揺れている。いくら僕が彼を嫌っても嫌っても、彼は何故――、僕に近づいてくる。
「……近づかないでください、チェシャ猫」
「えー。それは無理ー。君がまだ前回の『ゲーム』から抜け出していないみたいだからさー。手伝ってあげようと思って」
水色の看板を手に取った彼に、僕は拳銃を向ける。
そのせいで看板がバラバラと落ちてしまった。かきん、と音がして一部が欠ける。
「…………エシル」
「お、やっと俺の名前呼んでくれたね。でもその拳銃は感動しないなぁ。君、俺と銃で勝ったことなんてないじゃないか」
「何も持っていないくせに何を言っているんですか」
「うーん……どうしようかねェ……」
肩をすくめて、彼が胸ポケットから猫缶を取り出した。この場にそぐ合わないものの登場に、手に力を込める。
「それで何をしようと言うんですか」
「うーん、何だろうね。生憎俺は今、拳銃もナイフも剣も持っていない。武器といったらこの猫缶ぐらいだしー……それに、もう彼女が来るころなんじゃない?」
ざわざわと、木が凪いでいる。歓迎をしているのか、悲しんでいるのか。僕には見当はつかない。それでも……僕の心が凪いでいる理由はなんとなくだが分かった。
「俺は最初から彼女と会うのはルール違反だから、行くよ。じゃあね、アビ。また」
僕の名前を言いながら、彼は足音を立てずに去って行く。
彼女を殺したであろう右手をひらひらと振りながら。
「……アリス…………」
心の中で僕に笑顔を向けている少女の名前をぽつりと呟き、血が出るまで唇を噛んだ。
――ねえ『アリス』。今回の貴女はどんな人なのかな。
きっとまた、いつもみたいに不思議そうな顔で俺を見つめてくるんだろうね。
そして問う。「どうやったら帰れるの?」って。
その時は、逆に問いかけるんだ、俺が。「君の帰る所は何処?」って。
……貴女の帰る所はたくさんあるけど、俺の帰る所はないんだよ。
俺は、ただの飼い猫。だから、「貴方のそばが帰る場所よ」なんて――、
「きっと貴女を、殺しちゃうから」