第五話
それからひと月半、僕たちはロンドンに発った。
ロンドン塔、ビッグ・ベン、テムズ川、赤い二階建てのバス。僕のよく知るロンドンは10数年前とたいして変わっていなかった。相変わらず飯はくっそまずいし、というかやる気が一切感じられないテキトーさだし、晴れていたと思ったら次の瞬間には雨が降る。でもまあ、セデュと一緒に見て回るロンドンは、これまでにないくらい楽しかった。
マダム・タッソーの蝋人形館では、ヘンリー8世やエリザベス女王とともに、映画スターも多数展示されている。本物よりもいくぶんかお堅い表情のセデュや、ダイアナの人形まであって、僕らは指さして笑いあった。
「お前の人形がないのは納得がいかない」とか、セデュはぶつぶつ言っていたけど、僕はじゅうぶん満足して、彼に凭れ掛かりながら館内を回った。
グラント・ミュージアムでは大量の骨格標本や剝製、ホルマリン漬けの動物の胎児など、不気味なものを満喫して、どんどん無表情になっていくセデュに笑った。
ロンドンには僕好みの、悪趣味なものがたんとある! マトモな感性のセデュには眉を顰められるような、拷問器具の展示されたミュージアムとかね!
刺激の強い展示物にいちいち「ウッ」とか「ハッ」とか呻くセデュがおかしくて、僕は彼を連れまわした。
「明日は、いわくつきの古城とか行ってみる?」
「古城はもういい…」
最終的にしゃがみこんで膝に頭を埋めるセデュに、僕は大いに哄笑した。
急場で予約を入れたロンドンの宿は、一等地に建つ五ツ星ホテルだった。
しかもスウィートルームだ。ハネムーンだからってセデュが浮かれすぎてるのがよくわかる。部屋にあるふかふかのマットも頑丈なベッドも、いくらくらいするものなんだろう。壊したら賠償金とか請求されんのかな、と考えると、おちおちベッドで暴れられない。
体重の軽い女の人と一緒ならともかく、180オーバーの男二人だ。まあ僕は体重58キロ前後だから、重量級ではないけれど。
「ところで君って体重幾つだっけ?」
「…72」
「えっそんなに重い? なかみが詰まってるからかなあ」
「…平均体重だ。おまえは軽すぎる」
「えーそうかなあ? まあ筋肉はつきにくい体質だけど…」
ぺろりと服を捲ってありかなしかの腹筋を調べる僕からさりげなーく目を逸らすセデュである。
「ふたりあわせて130キロか。ギリ、いけるか…?」
「何を企んでいる…」
「えっセックスできるかできないかって話だけど」
「…」
「できるかできないかって話だけど!」
「…何度も言うな。わかったから…」
「ちなみに僕、そのつもりでけっこうゴム持ってきたけど!」
「………」
「けっこうゴムもってきたけど!!!」
「わかったから、もうそれ以上、誘うような真似はやめてくれ…」
我慢がきかなくなってしまう、と真っ赤に染まった耳朶で言われて、僕もしぶしぶ口を噤んだ。
セデュを揶揄いたかっただけで、彼に本気でグイグイ来られたら、困るのは僕のほうだからだ。
ちなみに僕らは、ベッドを壊すことはなかった。やっぱり高価なベッドは、どれだけ軋ませても、頑丈にできてるみたいだ。
セデュとロンドン観光したり、1日中部屋にこもっていちゃいちゃしたりしていたら、2週間はあっという間に過ぎた。
セデュのクランクインの日も近い。ここから電車で3時間弱の、リバプールでの撮影だ。
毎日通うつもりでいるらしいセデュを説得して、とりあえずはリバプールにも宿を取らせる。撮影は深夜にまで及ぶこともあるっていうから、やっぱり日帰り弾丸ツアーは彼の身体に負担がかかりすぎる。
ロンドンでのレコーディングが終わったらすぐにそっちに行くから、と伝えれば、セデュはしぶしぶ了承した。
撮影前の顔合わせにでかけていくセデュをユーストン駅まで見送り、マチウに駅まで迎えに来てもらってレコーディングスタジオに向かう。地図を読むのが果てしなく苦手な僕は、ひとりでいたら絶対に迷う自信があったためだ。行ったことのある場所なら風景を見て道を辿れるけれど、初めての場所は確実に迷う。反対方向に突き進んで日没になっても辿りつけないなんて可能性もある。作曲以外のことは、てんでダメダメな僕なのだ。
「じゃーん! 見てよマチウ、僕の結婚指輪だぜーいいだろーえへへ」
金の台座にイエローダイヤモンドが埋め込まれた指輪をひらひらと翳せば、夕間暮れにきらきらと光る。ちなみにセデュのは、銀の台座に、装飾のないエメラルドだ。シンプルなデザインだけど、お揃いだ。くふふ。
「はあ、やっと決意なされましたか…長かったですねえ…」
「ねー! いろいろあったよなあ、君ともいろいろ…」
「碌なことはなかったですがねえ…」
タクシーの中で遠い目になる僕とマチウだ。
ここにセデュはいないので、思う存分のろけられる。マチウがうんざりしようが、知ったことかと僕は話し続けた。もちろん、夜のむにゃむにゃについては口外しない。僕にだってひとなみの羞恥心ってものはあるからだ。
「あいつ、おっかしいんだぜ、拷問器具見て顔青くしちゃってさあ、かわいらしいったらないの」
「はあ…私も拷問器具は嫌ですね…」
「蝋人形館はもう行った? セデュがいたよーダイアナも! あれは、『嵐が丘』のシーンだったな」
「…」
「ん? どうしたのさ僕をまじまじと見て!」
「いえ、何と言うか…ずいぶんと吹っ切れられたのだなあと…その、いろいろありましたからね、マドモワゼル・ローズとも…」
「あーうん。でも僕もともとあの子のことは好きだし。ふたりがくっついちゃうんじゃないかなんてのも、誤解だったわけだしね。気にしてないよ! 法律上は認められていないけど、今はセデュは僕のだし!」
「そうですか。それはよかった…」
ダイアナは、前の事務所と大揉めに揉めて、セデュの事務所に移籍した。映画の本場・ハリウッドから、はるばる海を渡って、パリにまで転居したってわけだ。まだおそらくセデュのことが好きなのであろうダイアナがセデュの近くにいるってのは、気にならないこともないけど、僕も彼女には恩があるし、才能ある彼女の活躍の場が縮小されずにすむなら喜ばしいことだ。
ちなみにあの時の映画プロデューサーは、ダイアナを干すどころか頬を打たれてぞっこんになっちゃって、毎晩のようにアプローチの電話をかけてくる、らしい。これはセデュのマネージャーの、バロットからの情報だ。因果なモンだね。
窓外を滑るように通り抜けていく、オレンジに染まった風景を見ながら、僕は座席に深く沈み込む。それで今の、奇跡が積み重なってたしかに僕の手のなかにある、宝物のような幸せを、噛み締めるんだ。




