第四話
ぺたぺたと室内履きで寝室に向かう。僕が裸足でうろうろするから、若干潔癖症のきらいがあるセデュは、寝室と音楽室、浴槽をつなぐルートを土足厳禁にしたのだ。もちろん使用人のみなさんも、ここでは揃いのスリッパを使用している。
僕は一等きれいな、ヴェネチアングラスの花瓶をもって、ベッドに腰を下ろす。
ベッド脇のランプを灯してチェストに花瓶を置くと、落ち着いた室内装飾に華が添えられ、しっくりくる感じだ。
献身的なメイドさんたちが張り替えてくれたらしいシーツはぱりっとしていて、昨夜の痕跡はどこにもない。
あの汗みずくになったシーツを女の子たちに替えられたのだと思うと、顔から火が出るくらい恥ずかしいけど、仕方がない。僕は自分で洗濯なんてできやしないし。
セデュのためにハウスメイドになってもいいなんて思ったこともあったけど、当然それが不可能なことは、自分が一番よく知ってる。
ベッドにころりと横たわると、昨夜の記憶がまた戻ってきて、炙られているみたいで、僕は顔を覆ったままじたばた転がりまわった。
「ルー? だいじょうぶか?」
「おわあ! いるならいるって言ってくれよお!」
戸惑ったような声を掛けられがばりと跳ね起きると、バスタオルで頭をがしがしやりながら寝室に来たらしい、セデュと目が合う。
彼は僕がプレゼントした、古着のプリントTシャツ(襟元が緩んで鎖骨が丸出しだ)と麻のパンツ(こっちはゴムが伸びたせいで僕が履けなくなったやつをセデュに押し付けた)を身に着けていて、セットしてない無造作な前髪が眉を隠している。…いつもと全然違う。普段とのあまりのギャップに、僕は目を白黒させてしまう。
似合ってない、わけじゃないけど、なんだか別人みたいだ。
だらしないゆるゆる大学生って感じ。服装でこうも印象が変わって見えるのは、彼が役者だからなのだろうか。
いつもの理知的なセデュも大好きだけど、なんというか、こっちの彼も魅力的で、かわいくて、噛みつきたくなる感じだ。
…顔とスタイルがいいと結局何でも似合うんだよなー! 羨ましいぞちくしょうめ!
「珍しい格好だなあきみ…なんだかハタチくらいに見えるよ」
「お前の好みではなかったか?」
「そんなこともないけど…」
「ならいい」
そんなふうに嘯いて、セデュは僕の隣に掛けようとして、
目を見張って、がばりと僕の手指を掴んだ。
「怪我をしたのか!? 大丈夫か!?」
「え、ああ、へーきへーき。ちょっとトゲを刺しちゃっただけだから…」
ヨランダが貼ってくれた絆創膏がぐるりと巻かれた指から手を離さずに、セデュは呻るような声を出す。
「刺はすべて落とさせるべきだった。これは私の失態だ」
「いやあんな大量の刺を全部落とさせるのは無理だって! 花屋さんがかわいそうすぎる! やめてあげてよ!」
「浮かれていて、周りが見えていなかった…愚かな私のせいだ。すまない」
「いいって。だいじょーぶだよ、明日にはもう創も塞がって、絆創膏もとれるさ…」
「お前の身体に、一片の傷も負わせたくない。…これまでずっと、傷ついてきたのだから、お前は…」
「……一片も、ってのは、むりだよ。僕だって生きてるんだし…君は僕を閉じ込めて、思い通りにしたいってわけでも、ないんだろう?」
グロリアみたいにさ、と呟くと、セデュは眉間の皺を深くする。この話題は、彼にとっては鬼門らしい。
気分を変えて、ほらみてよ、きれいでしょう、とバラを指さし言いかけた声は、声にならなかった。
セデュが僕の手を取って、恭しく、神様に誓うみたいに口づけしたから。
「…わたしに守られるのは、嫌か? おまえは」
「…いやじゃない、けどさ…」
「けど?」
「…あんまり、その、お姫様みたいに扱われるのも、違うかな、というか…ぼく、男だし。もう、25だし」
「幾つになっても、お前の神々しさが失われることはないだろうさ」
「こうごう…? なんか話がかわってきたな…」
「お前を女性扱いした覚えはないが…そう思わせてしまったのはわたしのせいだな。すまない」
「きょうは、あやまってばかりだね、きみ…」
「おまえと、ずっと過ごしたいから」
「…」
「お前の許す限り、そばにいさせてほしい。かまわないか?」
「…」
何も言えない僕はこくりと頷き、目を閉じて、彼のキスを待つ。
ゆっくりと唇が近づいて、息も奪うようなキスをされて、頭がどんどんぼんやりとなって。
ベッドに押し倒されて、それで僕は、ようやく我に返った。
「まってまって、ぼくまだシャワー浴びてない! ちょっとストップ!」
「お前のにおいがきえてしまう。どうかこのままで…」
「いやいやいや! 汗も一杯掻いたし! うんこもしたし! きれいにしないと、君がビョーキになっちまうよ!!」
「…どうしてもだめか」
「だめっていうか、だめっていうか…」
「…」
「あ、ちょっと、待ってってば、や…」
無遠慮な掌に弄られて、きもちがいいのと頭の中の警鐘とで、僕は頭の中がパニックで、暴れることもできずに、彼の背にぎゅうと爪を立てて。
腰回りに触れられて一瞬女の子みたいな声が出ちゃって、僕はぶるぶると涙目で顔を覆う。どうしようもないくらい恥ずかしい。恥ずかしすぎて、セデュの顔が見られない!
「うう、うううう…」
喘ぎ声というより、泣き声になってきた僕にセデュは驚いたように手を離して、僕の頬を両手で挟み、上を向かせる。
「急ぎすぎた。お前のきもちも考えず、私は最低だ…ああ、泣かないでくれ、ルー」
「ううううう」
「悪かった、今日はこのまま休もう。…何もしない、もう何もしないから…」
「ばかばか、ばか野郎…この絶倫の、どすけべ野郎!」
このまま流されてもいいかな、なんて頭の片隅でちょっと思っていたことも棚に上げ、僕はセデュを罵る。
昨日はどうやって成功したんだっけ、って、改めて考えちゃうくらい、今夜もまた失敗する可能性が濃厚すぎる。なんなんだよもう、僕のバカ!
「シャワー浴びてくるから! ねないでまっててよ!」
「…もちろん」
「何もしないなんて、もう言うなよ!」
「…は、」
「ぼくだってきみと、したいんだから! 待っててよって言ってるの!」
投げつけるように言って、ダッシュでシャワー室に向かった僕は、セデュがへなへなと頽れて顔を覆うところは見られなかった。
翌朝、目が覚めた時にはもう昼過ぎで、慌てて起き上がった僕は室内履き(トルコ風スリッパ)をつっかけるのもそこそこに屋敷中を駆け回ったのだけど、セデュの姿は見当たらなかった。
「あああ、見送りできなかったあ…」
「きもちよさそうに眠っていらしたので、坊ちゃんも、起こさないようにと仰っておりましたよ」
にこにこと着替えを手伝ってくれるヨランダが言う。
それはそうなんだろうけど、寝坊した僕を叩き起こしたりはしないセデュなんだろうけど! 仕事に行く前に、一声かけてくれてもいいんじゃないかなんて、柄にもないことを考えてしまう僕である。こういうのも、セックスの後遺症、なのかな?
「なにかいっていた? セデュは…」
「ええ、本日も早く帰れると仰っていましたよ。帰ったら、指輪を見に行こうとも」
「…」
「坊ちゃんをよろしくお願いしますね、ルーシュミネ様」
慈愛に満ちたヨランダの暖かい声に、何も言えない僕はこくりと頷いた。




