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ウンディーネは白日に誓う  作者: 咲佐きさ


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第一話

「えへへ、へへ、へへへ…」

 鍵盤の上で指先が跳ねる。

 新作の打ち合わせに、後ろ髪引かれるような様子ででかけていったセデュを見送り、グランドピアノの前に掛けた僕はぶっつづけに、プッチーニ「私のお父さん」ドビュッシー「アラベスク」エリック・サティ「ジュ・トゥ・ヴ」を弾いた。

 もっと弾き続けていたかったけど、途中から入室してきたマチウの拍手でそれは叶わなかった。

 曲が終わるたび腰を浮かせて僕に話しかける機会を窺っていたらしいマチウは、椅子から立ち上がると拍手して、

「ブラヴォーブラヴォー大変お見事です。素晴らしい。感動しました。さて仕事の話ですが」

 と切り出した。

 マチウは僕専属のマネージャーだ。セデュとも面識があって、だからこのセデュの豪邸にも、顔パスで通してもらえている。

「へへ、へへへ…」

「…なんですか気色の悪い。いつからムッシュ・リーヴェは軟体動物になられたので?」

「へへ、おしえてあげよーかなあ、どうしよーかなあ」

「…果てしなく嫌な予感がいたしますので、それ以上仰らなくて、結構です」

「じつはねえ、ぼくね、…やっちゃったんだ! セデュと! きゃー!!」

「…はあ、それがなにか…?」

「驚かないのかい! 僕たちがやっっっっと結ばれたっていうのに!」

「まあ、驚きはしませんね…何を今更と申しますか…お二人は恋人同士ですし…むしろ毎晩なされていてもおかしくないほどに、ムッシュ・レヴォネはムッシュ・リーヴェを、溺愛されているご様子でしたし…」

「まじか! そんなふうに思われてたのか! なんか恥ずかしいんだけど!!」

「恥ずかしがるポイントがそこなのですか…?」

 両頬を抑えてバタバタ足を踏み鳴らす僕をマチウは冷静に眺め、再度「仕事の話です」と言った。

 先日納品した僕の曲が承認され、これでいこうということに決まったので、ついてはロンドンのスタジオでレコーディングを、という話になったのだそうだ。

「ロンドン? わあー久しぶりだなあ! あそこの飯はクッソマズイけど、あそこの気候は鬱陶しいしにおいも耐えがたいけど、旅は楽しみだ!」

「いいところがひとつもないのですが…?」

「あーでもそっか、訪英するとなると、セデュと離れないといけないのか…」

「まあそれは、仕事ですので…」

 足元に視線を落としてシュンとなる僕である。

 だってやっと、やっっっっっと結ばれたばかりだっていうのに、もう離れないといけないなんて! 耐えがたい! 仕事ほっぽりだしてずっとセデュといちゃいちゃしてたい! 部屋にこもって、一週間でも、それこそひと月でも、べたべたしてたい! できないけど!! 仕事は大事だからね!!!

「…わかったよ。レコーディング、行くよ…」

 スランプに陥って仕事を全部失った経験のある僕は、二度と同じ轍を踏むまいと決めたのだ。お金のない辛さは、よくわかってる。もうあのボロアパートには戻りたくない、ていうか、戻れない。

「わかっていただけましたか!」

 マチウはぱっと笑顔になって、持参した黒カバンからいそいそと書類の類を取り出す。

 僕はぼんやりとマチウの話を聞きながら、帰ってきたセデュにはなんて切り出そうかな、とか考えていた。



 セデュが戻ってきたのは、ランチのちょっと前の時間だ。

 前庭に停車した車から降りて、ほんの僅かな入口までの距離を駆け、後を追うハウスメイドよりもはやく扉を自分で開けて、玄関ホールで僕を呼ぶ。

「ルー!」

「おかえり、セデュ!」

 二階にいた僕は階段を小走りで駆け下りで、ぴょんと彼に飛びつく。

 ぎゅっと強く抱きしめたセデュが僕をぐるぐる振り回して、遊園地の回転木馬みたいで、僕はけらけら笑い声を挙げる。

「早かったね、もっと時間かかるとおもってた」

「お前に会いたくて、早く切り上げた」

「ほんとう? うれしいなあ、ランチはどこかに出ようか?」

「ああ、うん。シャンゼリゼのホテルに、新しくできた店がある。予約も入れた。お前がいいなら、そこへ行こう」

「やった、じゃあ着替えるから、ちょっと待ってて」

「そのままでもお前は十分、きれいだよ」

「おしゃれさせてよ。せっかくの君とのデートなんだから…」

 至近距離で囁きあい、額を合わせてくふくふ笑う僕らのうしろを、気まずそうなマチウが通りすぎていく。

「では私はこれで。またご連絡します、ムッシュ・リーヴェ…」

「あ、うん。お疲れ様ー」

「…新しい仕事の話か?」

「ううん。この前の、来年公開の映画の劇版のこと。レコーディング、ロンドンだってさあ。ちょっと、遠いよね…」

 スムーズに切り出すきっかけを捉えて一息に伝える僕に、セデュが驚いたような瞳を寄越す。いつも難しいことを考えているような仏頂面か、悩まし気な愁いを帯びた顔、もしくはクールな無表情、でいることの多い、セデュのこんなビックリした顔は、あまり見たことがない。貴重だ。目に焼き付けておこう。

「…お前の仕事は、いつからだ」

「えーと、ふた月後? だったかな?」

「…それなら、ちょうどいいな」

「え? なにが」

「新作の撮影が、ふた月後に開始する。イギリスで」

「え……」

「宿をとって、前乗りしよう。…ハネムーンだな、ルー」

「………」

 僕は口をぱくぱく、金魚みたいに開閉させて、それから、言葉を探すことを諦め、セデュの首っ玉にかじりついた。

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