第十一話
「…ルー、ルー、寝ぼけているの?」
「起きろよ、もう朝だよ」
ベッドカバーを捲り上げたおにいちゃんがそう言う。
僕はシーツを掴んでもっと奥に潜り込んで、「こら」とか「おーい」とか言うおにいちゃんの呆れたような声を聞いて、くふくふ笑う。
朝のイタリアの日差しはいつも鮮やかで眩しくて、僕は瞼をあけていられない。
「おにいちゃん、もうちょっとねかせてえ」
甘えたように言えば、おにいちゃんはいつも、
「しかたがないな」
と僕をあまやかしてくれる。
まあるくなった僕を、ベッドカバーの上から、ぽんぽん、あやすように撫でてくれる。
「きょうはどこに行こうか。ふもとの村の教会に行ってみようか? ステンドグラスがきれいなんだ。おまえもきっと気に入ると思う」
「きょうは暑くなりそうだから、川遊びもいいな。こんどはちゃんと、下着の替えも持っていこう」
おにいちゃんの優しい声を聞きながら、僕は微睡む。
僕が何もかもなくすまえの、優しい記憶だ。
僕と、セデュの、宝物みたいな、たいせつな思い出だ。
――僕はあのころから君のことが、好きだったんだろうか。
ギイ、と軋む音がして、僕は重い瞼を上げる。だるくなった手足にはもう感覚がない。痺れたみたいで、指一本動かせない。
「いい格好だなあ、カナリアちゃん。セデュイールに見せてやりたいくらいだ」
ククク、と籠った笑い声がして、ベッドにやつが腰かける。
僕は鬱陶し気に瞬いて、すぐにふいと他所を向く。首だけはまだなんとか動かせるから、こんなときに視界に入るのがこいつだなんて、寒気がするくらいに嫌だから。
「何か言いなよ、カナリアちゃーん? こわーいとか、さびしーいとか、俺に聞かせてくれよお。その可愛い声でさあ」
「………」
「それとも、こんなの、平気なのかな? セデュイールとはもっと過激なプレイしてるとか?」
伸ばされた腕が意図をもって僕のシャツをなぞり、ぐいと掴まれた襟からボタンが飛び散り、かつんと床に落ちる音がする。
「ヒュウ。こりゃあすごい。伯母さんが激するわけだなあ」
僕の素肌をむき出しにしたファルコはそう言って、僕の首元、鎖骨、胸元と、点々とつけられた赤い痕を辿っていく。それはセデュがつけた、キスマークだ。
僕は唇が切れるほど噛み締め、ため息ひとつ漏らさないように息を詰める。下半身は熱をもってじくじくと熱い。もう何時間も。苦しいけど、絶対に、こいつらの前でブザマな姿を見せてやるもんかって、歯を食いしばる。
「セデュイールのやつ、涼しい顔して、随分と性欲が強いんだなあ。いや、それより、支配欲、独占欲かな? 君によっぽど惚れこんでるんだ。周りも見えなくなるほどに。そんな彼が、今の君を見たら、何て言うかなあ? 半狂乱になるかな、それとも、いよいよ君を棄てるかな? 使い古しの中古品はいらないよってね!」
「ぼくは、きみたちの、おもいどおりには、ならない」
荒い息の隙間から言えば、ファルコはハハハと空疎な声で嗤う。
「いつまでそのやせ我慢がつづくかなあ? もう随分、盛られてるみたいだけど」
僕の身体、腕と、下半身とに突き刺さった管をピンと指先で弾いて彼は言う。ぽたりぽたり、断続的に垂れる点滴には、催淫剤と、モルヒネか何か、ごく少量の麻酔薬が入っているらしい。頭がぼんやりしているのに意識を失うことはできない、ぎりぎりの量で。
嫌なのに、身体の芯がうずうずして、こすり合わせるようにする僕の汗ばんだ膝を掴んでむりやりに開かせたファルコは、むき出しの僕のあそこを見て、また大声で嗤う。
「辛いだろう? 苦しいだろう? 懇願しなよ、吐き出させてくださいってさ。俺のあれを咥えさせてって、言ってみな? 強引に突いて、揺さぶって欲しいんだろ? 物足りないよなあ、身体が疼いて仕方ないよなあ。毎晩のようにセデュイールに抱かれてたんだから!」
嬲るような言葉を重ねるやつを、僕は心底、軽蔑する。
セデュに対して手も足も出ないからって、僕をいじめて鬱憤を晴らしているんだ、こいつは。別に僕を抱きたいとかそんなんじゃなくて、ただ、いたぶる対象がほしいだけなんだ。
アンフェリータは時折姿を見せる。
僕に食事を与えるためと、あと、僕のシモの世話のために。…シモっていっても、べつに彼女と僕の間にナニかあったってわけじゃない。単純に、尿瓶の始末ってことだ。
両腕両脚、手錠でベッドの桟に括りつけられた僕は身動きもできないから、そのための介護要員ってところだろう。ハウスメイドとして有能だったらしい彼女は今は看護師よろしく、微塵の躊躇もなくてきぱきと立ち働く。これだけ有能なら、いくらでも稼ぎ口なんてあるんじゃないかと思ったくらいだ。
彼女の養う家族が、予想外の大人数――この村に所属する全員――でなければの話、だけど。
「貴方には浄化の儀式を受けていただきます。そしてそれを終えた後、貴方様は晴れて、我々の主導者となるのです」
ファルコの伯母にあたるらしい、カティアと名乗る村長は教会でそう宣言した。
そうして、わらわらと群がる村民に拘束された僕は、なすすべもないままに、囚われの身となったのだった。
…いや、波乱万丈すぎるだろう、僕の人生。本でも書けそうなくらいだよ。
「セデュイールはどんなプレイがお好みなのかな、俺に教えてくれよ。同じように抱いてやるからさ。そしたら俺の方が、あいつより巧いって、君にもわかるだろう? あいつが好きなのは正常位? 騎乗位? 立ったままがいいとか? なあ、俺に乗っかって、君がガンガン腰振ってるところ、写真に撮ってセデュイールに送り付けてやろうぜ。あいつが泣いて悔しがるところが見たい。これは復讐なんだ、あいつは俺から全部を奪った。だから俺も、あいつの大切なもの全部、奪ってぶち壊してやるんだ…」
相変わらず、セデュにいたくご執心なファルコは自分の言葉に夢中になって、涎も垂らさんばかりだ。復讐って言えば、何してもいいと思ってる、浅はかな男だ。ほんとに、そんなんじゃ絶対、君はセデュには勝てないよ。
おそらくはセデュのみじめな姿でも妄想して興奮しているのか、熱を帯びた掌が僕の足の付け根まで伸びて、また膝の方まで戻る。びくびく震える身体の反応を、止められないのが忌々しい。僕はこれ以上、汚れるわけにはいかないんだって、なんども言い聞かせる。
セデュをもう傷つけたくない。僕のせいで悲しむあいつを見たくない。
だから僕は我慢するんだ。死にそうなくらいの痛みだって、苦しみだって。泣いてすべてを投げ出して自由になるには、僕はもう重荷を負いすぎてしまった。
…もうこれ以上、僕を堕落させないでくれ。
は、っと息が漏れて、ファルコが好奇の目を向ける。面白がるように僕の身体をいじくりまわして、セデュの触れ方を、模索しているみたいだ。
「ここがいいのかな? セデュイールは君のここが好きなの? ここに来る前の晩も愉しんだのかい? あいつは一晩に何回くらいやるの?」
ふんふんと鼻を鳴らしたやつが僕の内腿を撫で、そこに舌を這わせる。ぞぞぞ、と鳥肌が立つ僕を尻目にやつはジュウと強くそこを吸い、がぶりと噛みつく。
「いっ…」
「はは、痛いのがいいんだ。倒錯的だねえ。セデュイールにそう仕込まれたのかな? あいつは君を鞭で打つの? それとも縄で縛るのかな。今みたいにさ…」
煩い、煩い、煩い。僕はおおきく息を吸って、吐いて、それから、ふと思いつくことがあって、
頬を半分傾け、長い前髪の隙間からやつを上目遣いに見上げて、ぱちぱちと何回か瞬いた。
セデュが好きな僕のしぐさだ。他の男に通用するかはわからないけど。こいつのために使うのは、本当に、癪に障るんだけど。
ごくりと唾を飲み込む音がして、やつがのしかかってくる。
僕は膝をもじもじこすり合わせながら、懇願するような声を出す。
「はずかしい、から、もうすこし、そばにきて…」
「……」
ファルコの目の色が、なんだかいつもと変わって見える。鼻息も荒い。性欲に支配された、オスの顔って感じだ。ちょろすぎて哂える。
「ね、ちいさいこえで、はなしたいから、耳かして…」
男の汗ばんだ黒髪が傾き、その耳朶が、僕の唇の前に差し出される。息を詰めて、僕が陥落する音を待ちわびる男に、僕は、
「きみは一生、セデュには勝てない」
毒を注ぎ込むように言って、がぶりとその耳朶に、思い切り嚙みついた。




