表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/24

5 裂け目の儀式

「まさか忘れたなんて言わないでしょうね。儀式を始める前に、先に『アレ」を渡してもらわないと。」


 白いローブの女が右手を差し出すと、年配の王族は数秒ためらったあと、懐から小さなガラス瓶を取り出して彼女に手渡した。女は瓶の中身をちらりと見てから、彼の苦い表情に気づいたのか、口の端で冷たく笑う。それから振り返り、ほかの者たちに言った。


「準備して。風向きが変わるよ。」


 若い二人の王族はすぐに後ろへ下がり、残りの六人は前へ出た。白ローブの女と視線を合わせるや否や、七人は一斉に動き始める。女が左右へ腕を広げた瞬間、まるで魔法のように、雪原の一角がすとんと沈み込んだ。


 見えない棒を突き立てたように、そこだけが異様に凹む。そしてその凹みはじわじわと広がり、雪を深く削りながら線を描いていく。線は伸び、曲がり、再び伸び、最後には女を中心とした巨大な正六角形になった。


 ぽかんと見つめていたウィンデルの前で、六人は示し合わせたように六角形の角へ移動する。七人がお互いを一度だけ見て、そして目を閉じ、腕を広げ、天へ向かって祈るように頭を上げた。ウィンデルは興味と混乱で胸がいっぱいになり、瞬きすら忘れていた。


 その時、白ローブの女の歌声が、ふいに森へ溶けていった。その声は空気を震わせるように澄んでいて、深くて、どこか懐かしい。風さえも歌に耳を澄ませるようにぴたりと止まり、世界が息を潜める。


 覚えているかい

 長く短かった輝かしい歳月を

 君が、わたしと共に歩んでくれた

 恐ろしく曲がりくねった心の谷を

 君が、優しく寄り添ってくれた

 あの大雪が舞う午後に

 旅は終わりを迎えた

 だがわたしは未だに知らない

 春風のような君が

 どの神から遣わされたのか

 ああ、吐いた息が白く消える

 まるで世界の果てまで一緒に来てくれた君を悼む

 青い瞳の少女よ

 わたしの悔恨は、君に届くだろうか

 果てない白昼の悪夢は

 終わりなき冬の

 絶望的な永夜のようだ


 森にゆっくり広がる旋律は、その瞬間を永遠みたいに閉じ込めた。歌が抱える哀しみは、その場の誰の心にも染み込んでいく。さっきまで軽蔑の色を見せていた若い王族でさえ、わずかに目を伏せていた。


 歌声が空気の中へと溶けていくにつれ、空き地には突然、鋭い悲鳴のような強風が巻き起こった。雪面を引き裂くように吹き荒れ、大量の雪が舞い上がる。その変化に気づいた六人の白衣の者たちは、すぐさま両手を頭上へ掲げ、何かを呟き始めた。純白の袖が風に翻り、まるで嵐の中に取り残された小舟の帆のように、ぱたぱたと揺れ続ける。それでも、不思議と裂けることはない。


 やがてウィンデルは、吹き荒れる風が六角形に沿うように、つまり白衣の女を中心に、渦を描き始めているのを感じ取った。


 まさか、風を操っている……?こいつら、一体何をしようとしているんだ?


 息を呑んだウィンデルの目の前で、巨大な六角形へと流れ込む風が……色を帯び始めた。虹色に輝くつむじ風が女の周りで狂ったように渦を巻き、混ざり、叫び声を上げる。そして、女は迷いなくガラス瓶を地面に叩きつけた。


 ぱりん――

 砕けた瓶からこぼれた赤が、雪の上にゆっくり染み広がっていく。すると七色の風は一気に整い、視界の中にひとつの映像を描き始めた。


 ――村だ。

 いや、村だった場所だ。

 焼け落ちた黒焦げの家々。まだ煙を上げているものもある。そしてなぜか、ウィンデルには見覚えがあった。年配の王族がぽつりと言う。


「ブレット、分かるか?」

「サーチとの国境の村じゃないかな……名前は、たしか……ヴィーゲル。」


 ……え?ヴィーゲル!?


 二人の会話が耳に入った瞬間、ウィンデルは思わず息を呑んだ。


 いやいや、この前行った時は普通に元気だったじゃないか。なんで……こんな……?


 ウィンデルが住むハサードと一番仲の良い村は国境向こうのヴィーゲルだ。ハサードは合衆国領、ヴィーゲルはサーチ領、本来なら国を跨ぐ交易には、面倒な手続きや許可が山ほど必要になる。だが、北方の辺境に暮らす人々の生活はどこも苦しく、国境を守る兵士たちも、そのあたりの事情はよく分かっていた。だからこそ、彼らはこの手の「違法ではあるが、害のない取引」については、あえて見て見ぬふりをしているのだ。


 そうした事情もあって、ハサードの村人にとっては、たまに北地まで商売に来る旅商人を除けば、ヴィーゲルこそが最も大切な取引相手だった。困ったときには互いに助け合い、大きな祭りの時期には一緒に祝うことさえある。そんな関係だったのに、今ウィンデルの目の前に映っているのは、ただの廃墟。


 頭が真っ白になり、何も理解できないまま、映像は次々に別の村や町へ切り替わっていく。どれもこれも、戦火で焼け落ちた地獄の光景。


「これはエレック村……次はウッドの町……」


 王族二人は映った村の名をひとつずつ控えていく。どうやらすべてサーチ側の町らしい。そして映像が進むにつれ、首都に近づいているようだった。ついに映し出された最後の大都市――それがサーチの首都であることは、ウィンデルにすら分かった。


 しかしその首都は、火の海だった。崩れた城門から押し寄せる無数の兵士。その鎧に刻まれているのは、合衆国の紋章。


「……最終的に西の城門から突破したというわけか。」


 やがて風は弱まり、映像は薄れていく。七色の渦が完全に消えると、六人は腕を下ろし、疲れ切ったように息を吐いた。年配の王族はしばらく空を見つめ続け、それから白ローブの女に向き直った。


「ご苦労だった。最後に、一つだけ聞かせてほしい。」

「どうぞ。」

「今のところ、僕らの間柄はまだ良好な協力関係ってことでいいんだよな?」


 女の表情が一気に冷え込む。


「遠回しな言い方は嫌いよ。私たちが何かしたというなら、証拠を見せなさい。」

「証拠はない。ただ、奇妙な出来事があってね。」

「奇妙な出来事?」

「長いこと追っていた相手がいて、最近ようやく手がかりを掴んだと思ったんだ。だから信頼できる部下を向かわせた。だが……全員、消息を絶った。」


 女は鼻で笑った。


「つまり相手に返り討ちにされたんでしょう?部下の無能を私たちのせいにしないで。」

「彼らほど無能から遠い存在はいない。」

「そう?あなたと私では基準が違うみたいね。」


 王族の拳がぎゅっと握られた。煽られて怒りがにじむが、必死に抑えこんで話を続ける。


「その相手は、あなたも知っている。名前はザグフィ・フェイト。」

「なるほど。じゃあ、あなたの部下も無駄死にではなかったわけね。」


 年配の王族は女を鋭く見据えたが、恐れも罪悪感も見えない。


「……いい。いまのは忘れてくれ。」

「今日いちばんの正しい判断ね。将軍、まだ作戦会議があるんでしょう?ここで時間をつぶしてる場合じゃないわ。早く行きなさい。」


 王族たちは一斉に立ち去った。女だけは裂け目のそばに少し残り、そして去り際に、ウィンデルの隠れている茂みをちらりと見た。女が完全に消え、森に静けさが戻った頃、ようやくウィンデルはへなへなと肩の力を抜いた。


 だが安堵も束の間、頭の中は新たな動揺でいっぱいになる。だって、あの二人が口にしていたザグフィ・フェイトって名前は、紛れもなく、彼の父親の名前だったからだ。


明日夜12時後続きます!

もし『面白い』『続きが気になる』と思われましたら、是非ブックマークや評価をお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ