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55 師と弟子

 六人の先頭に立つ、四十歳前後の男が、柔らかな笑みを浮かべてモーンに挨拶した。


 その呼び方から察するに、彼は老人の元教え子なのだろう。残る五人も、おそらく同じだ。


 モーンは口をへの字に曲げる。


「どこが久しぶりだ。最後に会ったのは、せいぜい二か月ちょっと前だろうが。」


 容赦のない言葉に、男はますます楽しそうに笑った。


「相変わらずですね、先生。口が全然優しくない。」


「今さら何を言う。これだけ長く私の弟子をやっておいて、まだ気づいていなかったのか?」


 その一言で、扉の外にいた六人が一斉に笑い出した。


 その様子を見て、ウィンデルもつられて微笑んでしまう。


 すると先頭の男がウィンデルの存在に気づき、目が合う。男は一度、友好的に微笑んだが、何かを思い出したようにモーンを振り返った。


「まさか……この少年が?」


 老人が小さく頷くと、残る五人も一斉にウィンデルへと視線を向ける。その注目に、彼はさすがに居心地の悪さを覚えた。


 だが幸いなことに、彼らはこれまで出会った多くの臨界者のように、外来者だと知った途端あからさまな敵意を向けてくることはなかった。


 むしろ表情は穏やかで、そこに混じるのは純粋な好奇心の色だ。


 それに、なぜか六人全員が先頭の男と同じように、彼の目を見た瞬間、はっとした表情を浮かべていた。


「おい、いつまでも人をじろじろ見るものじゃない。行儀が悪いぞ。話は外でする。」


 モーンにそう言われ、六人はばつが悪そうに視線を外し、老人の後について家の外へと移動する。


 ウィンデルも話の内容は気になったが、わざわざああ言った以上、モーンが聞かせる気がないのは明らかだった。彼は扉を閉め、二階の窓辺へと向かう。


 聞けなくても、見るくらいはいいよね。


 モーンは家から少し離れた草地まで六人を連れていき、ちらりと視線を上げる。二階の窓辺に立つウィンデルの姿が、すぐに目に入った。


 まあいい。自分が若い頃でも、きっと同じことをしただろう。


 その心中を察したように、先頭の男が言った。


「この距離なら問題ないでしょう。彼には聞こえませんし、必要なら『風語』も使えます。」


 モーンは首を横に振り、必要ないと示すと、改めて六人を見渡した。


「……本当に、覚悟は決まっているんだな?」


 六人は顔を見合わせ、そして笑った。


「先生、心配しすぎです。」


 明るく笑う六人とは対照的に、モーンの表情は曇ったままだった。


 彼には理解できなかった。どうして、こんな状況で笑っていられるのか。


 彼の目には、この者たちはまだ若すぎる。まるで咲き誇る花が、理不尽に冬を迎えようとしているようにしか見えなかった。


 モーンの重い表情を見て、先頭の男はそれまでの軽い口調を改め、真剣な声で告げる。


「先生こそ、一番わかっているはずです。僕たちは十年前から、もう覚悟を決めていました。正直に言えば……待たされすぎたくらいです。」


「待たされすぎた?馬鹿なことを言うな。お前たちはまだ若い。そんな……」


 だが、モーンの言葉は途中で遮られた。


「先生、もういいんです。そもそも僕たちは、家族を持たなかったからこそ、和者になることを志願した。これだけ年月が経てば……先生より、僕たちの残り時間の方が少ないかもしれません。」


 老人はしばらく言葉を失い、やがて絞り出すように尋ねた。


「……和者になってから、これまでに何度歌に協力した?」


 正直なところ、答えを聞くのが怖かった。


 背の高い女性が、静かに答える。


「次で十二回目です。十八のときに和者になりました。今年で三十ですから、よく覚えています。」


 先頭の男を除く他の四人も、彼女の言葉に頷いた。彼らもまた、同じ時期に和者となった者たちだった。


 その数字を聞き、モーンは呆然と立ち尽くし、やがて深く息を吐いた。


「十二回……すまなかったな。本当に、苦労をかけた。」


 先頭の男は首を振る。


「いえ。計算すれば、もう頃合いです。だから今回は……別れを告げに来ました。」


 そう言って一歩前に出ると、彼は腰を折り、力強く老人を抱きしめた。続いて残る五人も、一人ずつ前に出て、敬愛する師との別れの抱擁を交わしていく。


 すべて終えると、モーンは一人ひとりの顔をゆっくりと見つめ、静かに口を開いた。


「知っているか。私はずっと、自分に教師の資格などないと思っていた。教師の最優先の務めは本来、生徒を守ることのはずだからな。」


 その言葉に、六人はどこか哀しげな、それでいて覚悟を帯びた笑みを浮かべた。自らの責任を理解し、選択を後悔していない者たちの笑顔だった。


「先生。だからこそ、僕たちは和者になったことを後悔していません。僕たちにとって最優先なのは、同じ聞き手である仲間を守ることです。


 それに……自分たちが志願したのと比べれば、選ぶことすらできなかったあの子の方がよほど不憫でしょう。」


 老人は空を仰ぎ、重く息を吐いた。


「ああ……あの子か。仕方あるまい。あれもまた、彼女の運命だ。」


 先頭の男は、わずかに目を見開いた。


「運命……珍しいですね。先生、その言葉は嫌いじゃなかったでしたっけ?」


「大嫌いだ。だがな、それでも……その言葉でしか説明できないことがあるのも事実だ。」


「……それも、確かに。」


 そのとき、六人の中でもひときわ体格がよく、これまで黙って後ろに控えていた男が、不意に口を開いた。


「先生、今回はあの少年も、俺たちと一緒に行くんですか?」


 その問いに、モーンは即座に、きっぱりと首を横に振った。


「行かせるつもりはない。確かに素質は悪くないが、基礎すら身についていないのが現状だ。連れて行っても、お前たちの足を引っ張るだけだろう。


 それに……前回の件を見ても、下手をすれば無駄死にしかねん。」


 先頭の男は、興味深そうに眉を上げた。


「素質が悪くない、ですか?それはどうな程度で?」


 そう問われて、モーンは、彼の負けず嫌いな性格を思い出したのだろう、思わず笑ってしまった。


「エル、お前は本当に何も変わらんな。」


 エルと呼ばれた男は、照れくさそうに頭を掻く。


「いや、ちょっと気になっただけですよ。」


「まあいい。そこまで知りたいなら教えてやろう。あの子はな、初めて私が子供たちに基礎の風の術を教えているのを見たときから、誰がうっかり想像力を使ったのか、正確に見抜いていた。


 しばらく様子を見ていたが、一人たりとも見逃していない。最初は運が良いかとも思ったが……すぐに分かった。


 あの子にとって、風の中のごく微かな違和感を感じ取ることは、呼吸をするのと同じくらい自然なことなのだ。」


 それを聞いたエルは、驚きのあまり口が塞がらなくなった。すると、その隣にいた背の高い女性が、からかうように彼の肩を軽く突く。


「まあまあ。これじゃ、ついにあなたも負けちゃったわね?どうするの、あの子と勝負でもする?」


 意気消沈したエルは、むっとした顔で彼女を睨んだ。


「勝負?今の僕が、そんな子どもじみたことするわけないだろ。」


「一番弟子の座を奪われるのが怖いんじゃない?」


「馬鹿言うな。先生の一番の――」


 そこまで言いかけたところで、背の高い女性の鋭い視線に気づき、エルは自分の失言を悟った。彼は慌てて、何事もなかったかのように話題を変える。


「……それにしても、相当な素質ですね。以前に風の術の訓練を受けたことがあるんですか?」


 モーンは、エルが本来言いかけた名前に気づいていたが、あえて触れなかった。


「私の知る限り、ない。」


 最初に質問した屈強な男が、腑に落ちない様子で言う。


「ですが先生。行かせるつもりはないとおっしゃいましたよね?彼は予言の子では?もし『フェイト・ワインダー』が示したものが正しいのなら……」


「タフ、まだ彼が本当に予言の子だと決まったわけではない。だからこそ、無用な危険を冒させるつもりはない。」


 そう前置きしてから、モーンは静かに続けた。


「もっとも……仮にあの子が本物の予言の子だったとして、私のような無力な老人が、どれほど必死に止めようとしたところで、運命を変えることなどできはせんがな。」


 その言葉に、六人は揃って頷いた。


「だからもし、あの子が本当にお前たちの前に現れたら……不甲斐ない教師が言うのも厚かましい話だが、そのときは……どうか、あの子を頼む。」


 そう言って、モーンは深く頭を下げた。


 年齢だけ見れば、彼らの祖父になっていてもおかしくないというのに、無理な頼みをするのはいつも自分だ。教師であるはずの自分が、与えられてばかりいる。


「ええ、もちろんです。」


 エルは即答し、他の者たちも静かに頷いた。


「ただし、その代わりに……一つ、お願いがあります。」


「……お願い、だと?」


「先生、もう一度だけ、僕たちを鍛えてください。最後に、未来のクネイトに、みっともない姿を見せたくないんです。」


 その言葉に、モーンは、安堵と苦味の入り混じった笑みを浮かべた。


「まったく……馬鹿なことを言う。お前たちは、私の最高の弟子だ。


 すべての臨界者が知っている。モーン・ベイルの最高の弟子が、未来のクネイトを失望させるなど、あり得んとな。」


 そのとき、二階にいたウィンデルは、七人が示し合わせたように微笑むのを目にした。


 そして、かつてクリストが歌を発動したときと同じように、六人はモーンを中心に、六つの方角へと分かれて立ち、正六角形を形作った。


 その光景を見て、ウィンデルはようやく気づく。


 彼らこそが、あのとき、クリストの歌を支えた六人の臨界者だったのだ。


 六人はその場に腰を下ろし、中央に立つモーンだけが、静かに立ったままだった。


 老人は、皺だらけの両手を高く掲げる。やがて、その口から、低く、重厚な歌声が流れ出す。


 歌は風に乗り、遠くへと広がっていった。


 四方へ、八方へ。


 遥かな過去へと、そして掴みどころのない未来へと。


 草地に座る六人が、それを聴いた。二階の窓辺に立つウィンデルが、それを聴いた。遠く村にいるクリストとフレイヤも、それを聴いた。


 そしてもちろん、残る三人の歌い手たちも。


 そこに込められた、深い感慨と、静かな悲しみを。


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