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43 モーンの誘い

 夜になってから、二人は質素な夕食を済ませた。


 老人はそのまま茶を淹れ、手慣れた仕草でウィンデルの前に一杯差し出す。


「お茶は嫌いじゃないか?」


 ウィンデルは両手で湯呑みを包み込み、立ち上る湯気に息を吹きかけてから口を開いた。


「特別好きというわけではないですが、嫌いでもありません。」


「ふふ、珍しいな。君みたいに正直な若者はよ。大抵の者はな、本当は苦手でも、わしの顔を気にして愛想笑い浮かべながら『好きですよ』なんて言うもんだ。


 だが、一口飲んだ瞬間の顔を見りゃ、本音なんてすぐ分かるよ。」


「じゃあ、僕もそうやって取り繕ったほうがよかったですか?」


「まったく思わん。」


「ですよね。」


 老人は興味深そうに、じっとウィンデルを眺めた。


「ひょっとすると、私たちは意外と気が合うかもしれんな。そういえば、まだ名乗ってもらっていなかったな。」


「ウィンデル・フェイトです。」


「どこの出身だ?」


「合衆国北東部、雪の山脈のふもとにあるハサードという村です。」


「ハサード……聞いたことがないな。そうだ、君の名前は誰が付けた?」


 思いもよらぬ質問に、ウィンデルは一瞬言葉を失ってから答えた。


「分かりません。親父に聞いたことがなくて。」


「父親は誰だ?」


 まるで身元調査でもされているみたいだ。ウィンデルは少し不快感を覚えながらも、正直に口にした。


「ザグフィ・フェイトです。」


「ふむ……それも聞き覚えがない。まあいい、今度は私の番だな。私はモーン・ベイルだ。見ての通り、ただの年寄りさ。」


 それを聞いた瞬間、ウィンデルは思わず吹き出した。


「そんな自己紹介、初めて聞きました。」


 モーンも愉快そうに喉を鳴らす。


「回りくどいのが嫌いでね。そんな生き方、疲れるだけだ。もうこの歳だ、何をするにも何を言うにも、いちいち先を案じる気はない。」


「それも一理ありますね。」


「だろう?君もそう思うなら、前置きは省こう。」


 そう言って、モーンは少しだけ表情を引き締めた。


「ウィンデル。なぜ風の都へ来た?自分に臨界者の才能があると気づき、ここで風の術を学ぼうと思ったからか?」


「それが一番の理由ではありません。でも、学びたい気持ちがないと言えば嘘になります。」


「では、真の理由は?」


 ウィンデルは一瞬、正直に話すべきか迷った。だが直感が告げていた――目の前の老人は、信じてもいい相手だと。


「父が、なぜ合衆国に反抗したのかを知りたいんです。」


「それなら本人に聞くべきだろう。どうしてわざわざ、こんな遠くまで?」


 何気ない一言だった。しかしそれは、鋭い杭となってウィンデルの胸に突き刺さった。


「……父は、もう亡くなっています。」


 たったそれだけの言葉なのに、言い終えた途端、喉がからからに乾いた。


 モーンは彼の表情を見て、しばし沈黙してから問いを続ける。


「なぜ、ここに来れば答えが見つかると思った?」


「クリストも、父の遺書にも、そう書いてあったからです。」


「父親まで?それは妙だな。君の父は臨界者ではなかったはずだろう。なのに、どうして……」


 言いかけて、老人ははっとしたように目を見開いた。


「ああ、そういうことか。父親は臨界者ではないが、君にはその才がある。となれば、母親が臨界者だったか、あるいは両親の先祖に臨界者がいた……違うか?」


「はい。生前、親父は母が風使いだったと言っていました。」


「言っていた?君は母親に会ったことがないのか?」


「ありません。少なくとも、記憶には残っていません。」


「なら、母親の名前は?それくらいは知っているだろう。」


 ウィンデルは言葉に詰まり、しばらくしてから力なく首を振った。


「……それも、知りません。」


 モーンは驚いたように瞬きをした。


「一度も父親に聞かなかったのか?」


「聞きました。でも、母の話題を出すたびに、親父ははぐらかして……」


「なるほど。何か、言えない事情があったのだろうな。」


「……たぶん。」


 老人と話すうちに、ウィンデルは思い知らされていた。自分が、両親のことをあまりにも何も知らなかったという事実を。その瞬間、胸の奥に、罪悪感が静かに芽生えた。


 ウィンデルの表情がどこか重く沈んでいるのを見て、モーンは小さく息をついた。


「まあいい、今はその話はよそう。現実の話に戻ろう。これからここに留まるつもりなら、どうするつもりだ?」


 唐突な問いに、ウィンデルは一瞬、意味を掴みかねた。


「どうするって……?」


「考えてもみろ。わしですら君の父親を知らない。まして他の者たちが知っているはずもないだろう。君は誰に、何を聞くつもりだ?まさか村中の人間を一人残らず捕まえて回る気か?」


 ウィンデルははっとして、初めて自分の考えがいかに甘かったかに気づいた。


 風の都に来さえすれば、すべてが明らかになる――そんなふうに思い込んでいたが、冷静に考えれば、その前提自体があまりにも理想論だったのだ。


「そうなると……ここで暮らしながら、少しずつ手がかりを探すしかない、ってことですよね。」


「では、どうやって食っていく?」


「えっと……以前は伐木の仕事をしていました。滞在している間、伐木の手伝いくらいなら……」


「その考えは、他所なら通じるかもしれんが、ここでは無理だ。」


 モーンはきっぱりと言い切った。


「正直に言おう。風の力をどう扱うかも分かっていない君が、善意で手伝おうとしても、周りの足を引っ張るだけだ。」


「そこまで言わなくても……伐木の経験なら、かなりありますよ?」


「では聞こう。その『豊富な経験』に照らして考えてみろ。屈強な男ばかりの伐採隊に、ある日突然、五歳のガキが『手伝わせてくれ』と言って来たら、連中はどう思う?」


 その瞬間、ウィンデルはモーンの言いたいことを完全に理解した。


「……邪魔だから、どっか行けって言われますね。」


「その通り。現実とはそういうものだ。」


 そこまで言われて、ウィンデルは肩を落とした。


「じゃあ……僕にできることは、何もないんですか?」


「まったくない。」


「本当に一つも?風の術が役に立たない仕事だって、どこかには……」


 モーンは真剣な眼差しで言葉を遮った。


「若者よ。信じがたいかもしれんが、ここで生きる以上、理解せねばならん。この場所は、もはや君の知っている世界とは別物だ。


 我々が一般人の暮らしを想像しづらいように、今の君にも、我々がどうやって生きているかは想像できまい。」


 ウィンデルは返す言葉を失った。だが同時に、老人の言うことが事実である可能性も否定できなかった。次にどうすべきか考えあぐねていると、再びモーンの声が響いた。


「そこでだ。ひとつ提案がある。私の助手にならんか?」


「……え?」


 呆然とした表情のウィンデルを見て、老人はもう一度繰り返す。


「助手だ。私は村で、臨界者の一部に風の力の扱い方を教えている。君にはその手伝いをしてもらう。同時に、風の術も基礎から教えよう。


 いずれ助手を辞めたくなっても、他の仕事に就けるだけの力は身につくはずだ。どうだ?」


「……悪くは、ないですね。」


「だろう?それに、私が教える内容を順調に身につけていけば、君の質問にもできる限り答えよう。君の両親については詳しくないが、臨界者に関することなら、多少の知識はある。ただし……」


 モーンは肩をすくめた。


「衣食住の面では、少し我慢してもらうぞ。このくたびれた老人と、一緒に暮らすことになるからな。」


「それは別に問題ありません。」


 ウィンデルの返事を聞いて、モーンは満足そうにうなずいた。


「よし。では明後日から手伝いに来い。明日は……村を少し回って、土地勘をつけておくといい。


 そうそう、クネイトの娘も明日、君を訪ねると言っていたな。二人で行くといい。あの子なら、良い案内役になるだろう。」


 話があまりにもあっさり決まってしまい、ウィンデルは現実感のなさを覚えた。


 立場としては自分の方が圧倒的に弱いはずなのに、なぜか一方的に恩恵を受けている気がする。モーンは本当に、そこまで助手に困っているのだろうか。


 何か裏があるのでは、と考え始めたそのとき、老人は肘掛け椅子から立ち上がった。


「わしはもう寝るとしよう。」


「もう?ずいぶん早いですね。」


 ウィンデルは窓の外に目をやった。まだ夜の八時頃だろう。


「はは。君もわしくらいの歳になれば分かる。年寄りというのはな、早く眠りたくなるものだ。」


「分かりました。おやすみなさい。」


「おやすみ。」


 モーンが部屋を出て行ったあと、することのなくなったウィンデルもベッドに就いた。だが寝返りを打っても打っても、眠気は一向に訪れない。


 そのとき、ふと一つの考えが頭をよぎった。


 もしかして、助手というのは、あまりにきつくて誰もやりたくない仕事なの?


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