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41 前代未聞の状況

 大門の方角から、せわしないノックの音が響いた。それを耳にした瞬間、クリストは眉をひそめる。


 大事な話を途中で遮られたことに内心で不快感を覚えつつも、彼女は応対に出ることにした。だが、扉の外に立つ人物を目にした途端、不快感がさらに色濃くなった。


「リヴィアス、何の用?」


 いつもの落ち着いた態度とは打って変わり、リヴィアスはどこか切迫した様子だった。


「クネイト様、風域の風が……完全に止まりました!」


 クリストの表情が鋭く引き締まる。だが、慎重な彼女は、まず事実確認を優先した。


「それは噂?それとも、あなたが直接見たの?」


「自分の目で確認しました。クネイト様。本日は私ともう一人で風域の見張りに当たっていたのですが、およそ二時間ほど前、突然風域の風が止まったのです。」


「二時間前?それなら、なぜ今まで報告に来なかったの?」


「それは……最初は一時的な現象だと思ったからです。ご存じの通り、風域の風は強まったり弱まったりを繰り返します。すぐに戻るだろうと判断しました。ですが……」


「……まったく回復する兆しがなかった?」


「はい。」


 想定外の事態に、クリストはしばし沈黙し、思考を巡らせてから再び口を開いた。


「今日、一緒に当番に入っていたのは誰?」


「ナイヴです。」


「それならちょうどいい。二人とも実力は十分ある。今すぐあの子と一緒に風域の入口へ向かいなさい。隙を突いて侵入しようとする外来者は、容赦なく排除して。」


「排除というのは……」


「気絶させるだけでいい。必要がない限り、命までは奪わなくていいわ。ただし……もし誰かにあなたたちの姿を見られたら、その場で殺しなさい。」


「はっ!直ちに向かいます!」


 命令を受けるや否や、リヴィアスは風のような勢いで駆け出していった。


 クリストが扉を閉めた、その直後。室内で二人のやり取りを黙って聞いていた老人が、低い声で問いかける。


「……これは、どういうことだ?」


「どう思われます?」


「知らん。わしは老いぼれだがな、生きてきてこんな話は一度も聞いたことがない。」


 クリストは小さく首を横に振った。


「いいえ。あなたも、きっと聞いたことがあります。」


「わしが?」


「ええ。私たち全員が、です。」


 そう言ってから、クリストは不意に、詩を詠むかのような調子で言葉を紡いだ。


「喧噪なる大地は

 一瞬にして静寂に呑まれ

 ただ純粋な畏敬と共に

 百年ぶりの混血を迎え入れる……」


 老人の顔色が一変し、勢いよく椅子から立ち上がる。


「『フェイト・ワインダ』……まさか、それは以前お前が話していた、あの子のことか?」


 クリストは厳しい表情のまま、はっきりと頷いた。


「私の読みが間違っていなければ――フレイヤが、あの子を連れて戻ってきたのでしょう。」


 わずかに震えるその声から、クリスト自身も強い動揺を抱えていることが伝わってくる。


 老人はしばらく呆然と立ち尽くしていたが、やがて力が抜けたように腰を下ろし、ぽつりと呟いた。


「……本当はな、前回の提案を断るつもりで、ここへ来たんだ。」


「今は?それでも、拒否されますか?」


「……行こう。わしの目で、何が起きているのか確かめたい。」


 出発は遅れたが、そこはさすが年の功。風城を出て間もなく、風乗りを全開にして進んできたクリストと老人は、リヴィアスとナイヴに追いついた。


「クネイト様!」


 追いついてきた人物が誰かを確認した瞬間、ナイヴの張り詰めていた表情がはっきりと和らぐ。


 前代未聞の事態に、不安を感じていたのは確かだ。だからこそ、クネイトとして君臨するクリストの姿を見て、胸の奥に安心感が広がった。


 だが次の瞬間、クリストの隣に立つ人物の正体を認識した途端、彼女の表情は再び強張る。


「……モーン様。おはようございます。」


 モーンと呼ばれた老人は、二人をちらりと一瞥し、「……ああ」とだけ、冷ややかに朝の挨拶を返した。


 モーンの冷淡な態度に、リヴィアスは内心不快感を覚えつつも、目前の事態がただ事ではないことは理解していた。


 なんといっても、クネイトだけでなく、聞き手の中で唯一の「歌い手」までもが、わざわざ様子を見に来ているのだ。


 風域の風が、なぜ突然止まったのか……一体、何が起きているというのか。


 ナイヴとリヴィアスに歩調を合わせるため、クリストとモーンはわずかに速度を落としたが、それでも一行はあっという間に囁きの森を抜け、風域へ足を踏み入れて間もなく、今回の目的の人物と遭遇した。


「フレイヤ!」


 正面から駆けてくる相手の顔を認め、ナイヴが手を振りながら声を上げる。遠くでそれに気づいたフレイヤも、こちらへ向かいながら軽く手を振り返した。


 合流した直後、クリストたち四人の視線は、まるで重さという概念を失ったかのように宙へ浮かぶウィンデルへと、一斉に注がれた。


 言うまでもなく、フレイヤの風の術によるものだった。


「……これは、どういう状況なの?」


 母の問いかけに、フレイヤは即座に答える。


「簡単に言うと、今朝目を覚ましたら、ウィンデルが私の張った絶風結界の外に出ていて……それに、風が全部、彼の周りに集まっていたの。」


「風が……彼の周囲に?」


 老人は驚いたように目を見開き、クリストへと視線を向ける。


 この子は、風の術が使えないと言っていなかったか?


 その無言の問いに、クリストは首を横に振り、自分が嘘をついたわけではないと示した。ただし、フレイヤの話は、彼女自身にとっても不可解だった。


 臨界者であれば、風を身の周囲に留めておくこと自体は、決して難しい技ではない。だが、それは少なくとも、初学者がいきなり扱える類のものではないはずだ。


「……見間違いじゃないの?」


「間違いないよ。それに、ウィンデルは誰かと話しているみたいに、ずっと口を動かしてた。しばらくして、彼の周りの風が突然散って、ちょうどその時、風域が無風状態になったの。


 何があったのか聞こうとしたら、いきなり意識を失って倒れちゃって。」


「それで、このままじゃ大事になると判断して、彼を連れて直接村へ戻ってきた……そういうこと?」


「うん。」


 二人のやり取りを聞いていたモーンが、ふいに口を挟む。


「風が集まっていた時、その子は……誰かと話すように、口を動かしていたと言ったな?」


 それに対し、フレイヤは少し迷ってから答えた。


「はい、モーン様。実際には、声は出ていませんでした。少なくとも、私は何も聞いていません。」


 その返答に、モーンとクリストは無言で視線を交わす。傍らで話を聞いていたリヴィアスが、訝しげに眉をひそめた。


「つまり今の状況は、この男が原因だって言いたいのか?」


 まるで今になってリヴィアスの存在に気づいたかのように、フレイヤはちらりと彼を一瞥し、淡々と告げる。


「ウィンデルが原因かどうかは、まだ断定できない。でも、どのみち、彼と無関係とは思えない。」


 そう言い切られ、残る四人もまた、宙に浮かんだまま、意識を失い続けるウィンデルへと視線を戻した。


「いずれにしても、目を覚ましてもらわないことには話にならないわね。


 リヴィアス、イヴ。さっき言った通り、すぐに風域の入口へ向かって。周囲も念入りに捜索して、すでに侵入者が入り込んでいないか確認しなさい。」


「はっ、クネイト様!」


 リヴィアスとナイヴは声を揃えて応じると、即座に風乗りを発動し、南へと駆け出した。だが、ほんの数歩進んだところで、二人とも思わず振り返り、ウィンデルへと視線を投げる。


 その一瞬の視線の中で、ナイヴの澄んだ空色の瞳には、無邪気な好奇心が満ちていた。対して、もう一対の碧色の瞳は、どこか危険で、底知れない深みを宿していた。


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