3 変な夢
目を開けると、目の前の光景に驚愕した。
森に囲まれた雪原の真ん中。そこに、まるで小さな山のように巨大な氷の青の巨人が立っていた。手には、深い蒼色をした途方もなく大きな戦斧。その怪物は、雪原の上で呆然と立ち尽くす一人の女を、まるで獲物を見るように見下ろしていた。
女の周囲は、すでに血の海だった。雪は真紅に染まり、あちこちに死体やちぎれた手足、さらには臓物までもが散乱している。そんな地獄のような光景の中で、白いローブをまとったその女だけが、ひどく浮世離れした聖なるもののように見えた。
……だが、その女を見た瞬間、ウィンデルの胸に燃え上がったのは、畏れでも驚きでもない。憎しみと怒りだった。
理由なんて言うまでもない。彼女は彼の最愛の人を奪った。この世でただ一人、絶対に許せない相手。そして自分がここに来たのも――彼女を自分の手で殺すためだ。
だから、邪魔されるわけにはいかない。
たとえ相手が「神」だとしても。
「……おい、デカブツ。どけ。」
そう吐き捨てながら、ウィンデルは雪原へ一歩踏み出した。予想外の声に反応したのか、女が振り返り、ウィンデルの顔を認めた瞬間、驚愕に目を見開く。
「ホーン?どうしてあなたがここに……?」
ウィンデルは女の問いを完全に無視し、代わりに胸元から黒い石の短棒を抜き放つと、巨人に怒鳴りつけた。
「聞こえなかったか?どけって言ってんだよ!」
その時になって、ようやく巨人が動いた。氷でできたような無表情の顔がぎぎと音を立て、ウィンデルの方へ向く。サファイアのように深い青の瞳が、ウィンデルの手に握られた短棒を捉えた瞬間、低く震える声が、ウィンデルの脳内に直接響きわたった。
「源の石を、持ち出したのか……」
その声だけで、ウィンデルは全身を震わせた。だが、恐怖よりも濃く、熱く胸に満ちているのは怒り。
「なあ、クリスト。そいつに殺されたくなかったら……手伝え。」
顔が青ざめている女は、乾いた笑みを浮かべた。
「その後で、あなたに殺されるのかしら?」
「よくわかってるじゃねぇか。さぁ、誰に殺されたほうがマシか、自分で選べ。」
「ほんと、昔から我がままね……いい?きっと彼の弱点は目よ。私が「一」って言ったら跳びなさい。いくわよ……三、二……」
「一」が響いた瞬間、ウィンデルは迷わず跳んだ。足元から突き上げるような力に押し上げられ、体は矢のように巨人の顔めがけて飛ぶ。巨人が左手を伸ばして掴もうとする。が、ウィンデルはそれを読んでいた。
空中で蹴り出すはずのない彼が、何か柔らかいものを踏みつけ、さらに跳ね上がる。巨人の指に着地し、相手が驚くよりも早く、それを蹴ってさらに跳ぶ。重力に引き戻される寸前、巨人の髪――細い木の枝のような氷の束を左手で掴み、空中にぶら下がった。
「はぁ……っ、はぁ……っ!」
息を整え、見下ろす巨人の蒼い瞳に、自分には見覚えのある誰かの顔が映る。その正体がわからずとも、嫌悪感だけははっきりしていた。
「……俺の獲物を、横取りすんじゃねぇ!!」
怒声とともに、ウィンデルは黒い短棒を高く振り上げ――全力で、その目へと突き立てた。巨人の口が、大きく裂ける。次の瞬間、音なき絶叫が、無数の鋭い針のようになってウィンデルの脳を突き刺した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――ッ!!」
ウィンデルは急に起きた。肩で息をしながら、頭を押さえる。巨人の悲鳴が、まだ脳の奥にこびりついていた。
「ゆ、夢……なのか?」
ふらりと起き上がると、そこは雪の上だった。どうやらあの少女と話している途中で気を失い、そのまま眠ってしまったらしい。
「巨人……夢で見るのなんて初めてだ。」
ぼんやりあたりを見渡すが、白いローブの少女は当然もういない。
「今日は本当に変なことばかりだな……」
イノシシに襲われ、妙な歌を聞き、謎の少女に会い、気絶し、奇妙な夢まで見る。そして、あの裂け目。思い出した瞬間、ウィンデルは遠くを見た。山脈そのものを断ち割ったような、巨大な暗い亀裂。胸の奥で、嫌な予感がじわりと広がる。
何かが起ころうとしている。
どうしてか、そんな確信めいた感覚があった。
「……って、やば。隊長たちが探してる!」
一時間ほどして、ウィンデルはイノシシを倒した場所に戻った。案の定、ジョアンとシードが待っていた。ジョアンはウィンデルの顔を見た瞬間、肩を押さえて大きく息を吐いた。
「本当に……どこ行ってたんだ! 心配で死ぬかと思ったぞ!」
ウィンデルは、少女のことを言う気にはなれず、適当にごまかした。
「近くで変な音がして、気になって見に行ってただけです。」
「変な音?で、何だったんだ?」
「うーん、たぶんウサギの足跡とかじゃないですかね。……で、他の人は?」
ジョアンは軽くウィンデルの後頭部を叩いた。
「お前を探しに行かせたんだよ。イノシシの解体はシード一人で十分だしな。クリフ曰く、イノシシがお前らに突っ込んできた後、お前が『人呼んでこい』って言ったって本当か?」
「隊長はどう思います?」
ウィンデルの冷たい目に、ジョアンは小さく息を飲んだ。沈黙ののち、深くため息をつく。
「……あとでクリフにはきっちり言っておく。でもな坊主、何度も言ってるが、もっと村のやつらとうまくやれ。いざという時、お前の身を救うのは人の繋がりだ。」
「……別に、そんなもの要りませんよ。」
「お前が村の連中を嫌う理由はわかってる。しかし、こんな田舎は噂が広まりやすいんだ。それにザグも滅多に村にいないし、お前は誰とも話さない。誤解が解けるわけがないだろう。だからまず――」
「もういい。」
ウィンデルはぴしゃりと言い捨てた。
「仲良くしたところで何が変わるんです?そもそも、それが誤解なのかどうかすら知らないんですよ。もし聞かれたら、僕はどう答えりゃいいんですか?」
「そ、それは……」
ジョアンが言葉に詰まり、ウィンデルは心の中で冷笑する。どうせ、隊長だって本当は信じているんだ。自分が貴族の落とし胤だって噂を。そんな気まずい雰囲気の中、イノシシを解体していたシードが突然声をかけてきた。
「ウィンデル。この野豬、本当にお前が仕留めたのか?」
「……他に誰がいるんです?」
「ちょっと、来てみろ。」
ウィンデルとジョアンが近づくと、解体途中のイノシシの体内から、一本の矢が心臓に深く突き刺さっているのが見えた。それは、首から胸へ――肉の最も分厚い部分を一直線に貫いていた。
「ここの胸肉はな、骨みたいに固いんだ。普通の矢じゃまず通らねぇ。」
同じく狩りに慣れたジョアンも目を丸くする。
「ここを射抜いて即死させるなんて……すごい腕だぞ。」
褒められても、ウィンデルは首をかしげるだけだった。自分の腕力がこんなに強いとは思えない。
まさか、あの瞬間だけ、何か特別な力が湧いた?
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