36 風域
昼食を終えると、フレイヤは二頭の馬をそのまま売り払った。
「どうせ中には連れていけないし。」
それが彼女の理由だった。そのため、翌日、二人は徒歩で風域へ向かうことになる。
風域へ至る道は、ウィンデルが想像していたような、来たときと同じ広大な平原を貫く平坦な道ではなかった。
村を出てしばらくの短い区間を除けば、ほとんどの時間、二人は鬱蒼と茂る森の中を進む。木々の間を縫うように続く細い小径は、緩やかな上り坂となって、くねくねと先へ延びていた。
夜明け前に慌ただしく村を発った二人は、枝葉の隙間から朝の光が差し込み始める頃には、すでにこの原始的な森の中をかなり歩いていた。
ウィンデルが驚いたのは、その原始的な雰囲気に反して、林間の小径がほとんど雑草に覆われていないことだった。それについて、フレイヤはあっさりと説明する。
「ここは、いつもたくさんの人が通るから。風域に行くには、この道を通るしかないんだ。」
「他に道はないのか?」
そう尋ねると、フレイヤは首を横に振った。
「まったくないよ。理由は……すぐにわかる。」
そう言われてしまい、ウィンデルは胸に芽生えた好奇心を抑え込み、黙って彼女の背中を追うことにした。
長靴が小枝を踏み折る軽やかな音と、澄んだ鳥のさえずりが、朝の森ではひときわ大きく響いている。それは同時に、この古い森がいかに静謐で穏やかな場所であるかを際立たせていた。
だが、歩みを進めるにつれ、その空気が少しずつ変わり始める。言葉では形容しがたい音が、この静けさを侵し始めたのだ。
最初はあまりにも小さく、ウィンデルは自分の聞き間違いだと思ったほどだった。しかし間もなく、その音は無視できないほど大きくなり、森の隅々にまで満ちていく。
それは、子を失った母の慟哭にも似ており、あるいは群れからはぐれた孤狼の、遥かな遠吠えのようでもあった。
「……今の音は、なんだ?」
ウィンデルが口にしたその瞬間、二人の前に森の終わりが現れた。
フレイヤは一度大きく息を吸い、足早になる。ウィンデルもそれに合わせて歩調を速めた。
森を抜けたあと、フレイヤは前方を見据えたまま、ゆっくりと口を開く。
「帰還を歓迎する声だよ。」
彼女の視線を追って前を見ると、丘の頂がすぐそこまで迫っていた。
頂上には小さな平坦地があるようだ。だが、左右を見渡したウィンデルは、もう一つの異様な光景に気づく。
丘を覆っていた森が、まるで示し合わせたかのように、ここでぴたりと途切れているのだ。
伐採者たちが言うような、森林限界だ。
ウィンデルが驚いたのは、この場所の標高が決して高くないことだった。せいぜい六百から七百メートルほど。理屈で言えば、樹木が育たない高さではないはずだ。
それなのに、なぜここに森林限界があるのか。その疑問への答えは、すぐに示された。
数歩進み、丘陵の頂へ辿り着いた瞬間、突如として吹き荒れた強風が、ウィンデルの身体を弾き飛ばしかけた。
必死に体勢を立て直し、眼下を見下ろした彼は、その壮観な光景に、思わず息を呑む。
耳をつんざくような咆哮とともに、刃で削られるかのような風が頬を打ち、じんとした痛みを残す。
これでは、樹木が育たないのも無理はない。どれほど強靭な根や幹を持っていたとしても、この風に一年中さらされ続ければ、耐え切れるはずがない。
そのとき、まるで先ほどの問いへの続きを告げるかのように、フレイヤがぽつりと呟いた。
「……それに、これは外から来る者への警告でもある。」
ウィンデルが振り返る。華奢なその身体は、本来ならこの暴風に耐えられるとは思えない。それでも彼女は、まるで大地に根を下ろしたかのように、微動だにせず立っていた。
白い衣と金色の長い髪だけが、命を与えられたかのように、激しい風の中で翻り、舞い上がっている。
荒れ果てた大地を取り囲む丘の頂で、気ままに、風に身を委ねるように。
ここが風域。
果てしなく広がる、巨大な荒原だった。
荒野の上では、強風に煽られた土砂が舞い上がり、目に見えない風を灰色に染め上げる。
その灰色の衣をまとった風が、草一本生えない大地の上で、混沌としていながらも壮麗な群舞を繰り広げている。
この風が吹き荒れる土地では、作物が育つ余地などないだろう。
幸いなことに、風域は東・西・南の三方を丘陵に囲まれており、そのおかげで、内部で吹き荒れ、砂埃を巻き上げる烈風が、外界へと漏れ出すのを防いでいる。
一方で、遠くまで延び、視界の彼方へと消えていく風域北端は――ウィンデルの推測では、大陸最北端の雪の山脈と、直接つながっているに違いなかった。
もしその推測が正しいのだとしたら、風域という場所はまさに不思議な存在だ。
群山によって外界から隔てられ、なおかつ一年中、怒涛のごとき暴風に覆われている。物見遊山で一目見てみたいと願う旅人が後を絶たないのも、無理はないだろう。
風域へ入る手段は、どうやら彼の足元から下へと続く、この険しい砂礫の道しかないらしい。確かに足場は悪いが、手足を使えば、ゆっくりと降りていくことはできそうだ。
それに対して、周囲の丘陵の風域に面した側は、どこもかしこも剥き出しの断崖絶壁である。登るどころか、掴めそうな突起すら見当たらない。
フレイヤが「唯一の道」だと言ったのも、もっともだった。
ウィンデルがあれこれと思案していると、突然フレイヤが声を張り上げた。
「伏せて!」
わけもわからずまま顔を上げた瞬間、凄まじい風圧が正面から叩きつけてきた。
巨力に押され、ウィンデルはたたらを踏んで何歩も後ずさり、やがて重心を崩して尻もちをつく。危うく平台から転げ落ちるところだった。
無様な姿を晒したウィンデルを見て、まるで強風など存在しないかのように平然と立つフレイヤは、くすりと微笑んだ。
「だから言ったでしょ、警告を聞かないから。驚いた?」
冷や汗を浮かべたまま、ウィンデルは思わず頷く。
「最初の風でも十分すぎるほど強いと思ったけど……これが風域の風なのか?」
「そう。私たち臨界者を守るための障壁だよ。ただし、厳密に言えば、ここはまだ風域の内部じゃない。この丘陵に当たる風は、下の平原に比べれば、かなり弱められているんだ。
一度風域に足を踏み入れたら、風の強さは一気に何倍にも跳ね上がる。さらに奥へ進めば、地面に伏せた成人男性でさえ、絶え間なく吹き荒れる暴風に、簡単に吹き飛ばされてしまう。」
「そんなに?それじゃ、事実上入れないじゃないか。」
「じゃあ、何があって今まで臨界者の存在が世に知られずにきたと思う?」
「……言われてみれば、確かに。でも、この強風はいったいどこから来るんだ?君たちの仕業なのか?」
「たぶん違う。少なくとも、これほどの風を恒常的に操れる臨界者はいないよ。自然現象だと思う。記録によれば、この地は太古の昔から、たびたび強風に見舞われてきたらしい。」
少し言い淀んだあと、フレイヤは付け加えた。
「ただ、文献を見る限り、二百年前までは、今ほど極端な強さじゃなかったみたい。風域って呼び名自体も、古代からあったわけじゃないんだ。」
「じゃあ、その名前はいつ頃から?」
「そこまではわからない。でも、合衆国が成立して以降は、ずっとそう呼ばれているよ。」
「ふうん……そういえばさっき、成人男性でも伏せてたら吹き飛ばされるって言ってたよな?」
「うん。」
「それなら……どうやって中に入るんだ?」
「さあ、どうすると思う?」
なぜかその問い返しを聞いた瞬間、ウィンデルの胸に嫌な予感が走った。
「えっと……君が連れて行ってくれる、とか?」
「不正解。今から、いちばん基本的な風の術を教える。それを身につけられたら、風域を越えて、私たちの村に入れる。でも……」
そう言って、フレイヤは背筋が寒くなるような笑みを浮かべる。
「覚えられなかったら……悪いけど、おとなしく故郷へ転がって帰ってもらうよ。」




