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25 理解しがたい彼

 結論から言えば、ウィンデルとフレイヤは定期便に間に合わなかった。


 ふたりが桟橋へ着いた頃には、すでに昼近く。


 岸辺には船影ひとつ見えず、乗船を待つ客の姿もない。それを確認した瞬間、フレイヤは喉の奥から絶望に満ちたうめき声を漏らした。


「だから……あれほど長く寝かせないでほしいって言いましたのに……」


「ごめん。俺もつい、一緒に寝落ちしちゃって……」


「はぁ……」


 深々とため息をついたあと、フレイヤはまだわずかな望みにすがるように、岸辺にひとり立っている老船頭へ声を掛けた。


「すみません……下流行きの船は、もう出てしまいましたか?」


 老船頭は振り返り、美しい少女の姿を見た瞬間、数秒だけ完全に意識が飛んだ。ようやく我に返り、ぼりぼりと頭をかきながら答える。


「おう、出たとも。二時間くらい前にな。」


「二時間?どうしてそんなに早く?」


「そりゃあ、今日は荷の積み下ろしも早かったし、乗る客も少なかったからな。全部片付いたら、さっさと出るさ。」


 フレイヤは細い眉をひそめ、すぐさま次の質問を投げかけた。


「では、乗船されたお客様の中に……二十代前半くらいの大柄な青年と、小柄で十三、四歳ほどの男の子がいませんでしたか?男の子の髪は鮮やかな赤色です。」


「ん……いたような気がするな。あんたらの知り合いかい?見たところ、あんたらはここの人じゃなさそうだ。わしも長く生きてるが、あんたみたいな美人を見るのは初めてだよ。どこぞのお貴族様――」


「下流の次の船着き場まで、おおよそどれくらいの距離があるのでしょうか?」


 話を遮られて少し不満げだったが、老船頭は素直に答えた。


「速い馬なら……日暮れ前には着けるんじゃないかね。運が良けりゃ、さっきの定期船より先に着いちまうかもしれん。


 だが正直、あの船は毎週来るんだし、今日無理に急ぐこともないだろう。若いってのは落ち着きが――」


 また逸れかけた話を、フレイヤは容赦なく切り落とした。


「おじいさま、突然で申し訳ありませんが……お願いしたいことがございます。」


 不満は不満だが、美人相手では男は年齢を問わず寛容になるという悲しい現実は、どこでも変わらない。


「……なんだい?」


「数日の間、この二頭の馬を預かっていただけないでしょうか。」


 老船頭が依頼を受けると、ウィンデルとフレイヤはすぐさま桟橋を離れた。


 視界から人影が完全に消えたのを確認した瞬間、フレイヤは風乗りを発動し、ウィンデルを連れて本道とイテナ川の間に広がる雑草地帯を南へ駆け抜けていく。


 本道と比べれば足場は悪いが、行き交う者はほぼ皆無。つまり、常識外れの速度で走るふたりの姿を誰かに見られる心配もない。


 道中、ウィンデルがしょっちゅう欠伸をしているのに気づいたフレイヤは、思わず口を開いた。


「ねぇ、さっき『寝落ちした』って言ったの、嘘ですよね?」


「いや、本当に寝ちゃったんだって。」


「では、私と同じように丸一晩寝ていたのに、どうして先ほどからあんなに眠たそうにしておいでなんですか?


 もし夜番をしていて、最後にうっかり眠ってしまったのなら、どうしてその前に私を起こしてくださらなかったんです?」


 実のところ、ウィンデルは嘘をついていない。


 夜番をするつもりだったが、一日の疲れが限界で、フレイヤが眠りについた直後、意識が落ちてしまっただけだ。ただ起きたあと、彼には「彼女を起こさなかった別の理由」があった。


「……」


 沈黙を選んだウィンデルに、フレイヤはまたひとつため息を落とした。


「理由はわかりませんが……これから生き残りたいのでしたら、ああいう形で足を引っぱるのは、もうやめてください。」


 そう言い終えると、フレイヤは再び意識を集中させ、イテナ川に沿って下流へと疾走した。二時間ほど走り続けた頃、目の前の景色が「啓」で見た情景に近づいていることに気づく。


 胸の奥で、メッシの乗った船がもうすぐそこだと確信が強まった。


「……そろそろ、近いのか?」


 突然の問いかけ。集中しきっていたフレイヤは声を出さず、ただ小さくうなずいて返した。だが同時に、ひとつの疑問がよぎる。


 どうして……ウィンデルがわかるのですか?


 ただ、フレイヤに深く考える余裕はなかった。というのも、その時、視界の果ての川面に、二隻の大型船がぶつかり合ったまま停まっているのが見えたからだ。


 おそらくどこかの岩に引っ掛かっているのだろう、二隻はそのまま川の中央で動かずにいた。


 それを目にした二人は足を速めた。さらに近づくと、かすかに金属がぶつかるような音が聞こえてくる。だが、甲板には人影がない。


 つまり、戦っているのは船内ということだ。


 その光景を見たフレイヤには、すでに事の流れが読めていた。どうやら伯爵は最初から、部下を下流の船着き場から先回りさせて、船を待ち伏せさせるつもりだったらしい。


 道中で追っ手の姿がまったく見えなかった理由が、ようやく腑に落ちる。失敗したときの逃げ道を確保するため、連中を河賊に見せかけようとした、というところだろうか。


 そう考えながら、フレイヤは対岸に並ぶ黒装束の弓兵たちを見やった。


 もし自分の推測が正しければ、彼らへの命令は、船室から味方以外の者が甲板へ逃げ出した瞬間、あるいは外部が干渉しようとした瞬間に、一斉射で仕留めること。


 幸い、今のところ彼らは草むらに身を隠して走ってくるこちら二人に気づいていない。


 じゃ、今いちばんの問題は――


「……わたしたち、来るのが遅すぎたんじゃないか?」


 対岸の弓兵を見て、ウィンデルが不安そうに呟いた。


「あり得ません。」


「どうして言い切れるんだ?まさか君の予知ではメッシたちは死なないって出てるのか?」


「少なくとも、あの船では死にません。」


「……そんなに自分の予知を信用していいのか?」


「これまで、私が視た未来は全部現実になりました。ここで待っていてください。私一人で船に乗り込み、メッシたちを救出します。」


 言うやいなや、フレイヤは弓兵の死角を正確に見極め、風の術を使って一気に船へ跳び移った。だが、すぐに振り返って仲間が草むらに隠れているか確認したと、目を疑った。


 ウィンデルが、ためらいもなく川へ飛び込み、こちらへ泳いで来ていたのだ。


 冬の川で泳ぐなんて、正気?!


 船に辿り着き、舷梯をよじ登って甲板に上がったウィンデルを、フレイヤは慌てて物陰へ引きずり込んだ。


「どうしてついて来るんですか?岸で待つように言ったはずですよね!」


「僕には来なきゃいけない理由がある。」


 その言葉に、フレイヤは思わず頭を抱えたくなった。


「いいですか、ウィンデル。あなたは絶対に私と一緒にいてはいけません。今すぐ戻ってください。」


「なんでだよ?」


「……私が視た未来で、確実に死ぬのはメッシでもボーンでもなく、あなたなんです!」


 しかしウィンデルはまるで意に介さないように、濡れた上着をゆっくり絞り、再び袖を通した。その落ち着き払った態度に、フレイヤの苛立ちは増す一方だった。


「聞いてるんですか?あなたは死ぬんですよ!死ぬのが怖くないんですか?」


「一生後悔するくらいなら、僕は今、ここで死んだほうがいい。」


「何を言って……」


 その瞳に宿る強い決意を見て、フレイヤは言葉を失った。


 初めて会ったときは、彼のことを「無知で単純な田舎の少年」程度にしか思っていなかった。だが知れば知るほど、彼の考えは読めず、理解しづらくなっていく。


 これは、彼女の人生で初めての経験だった。


「……あなたは本当に死にます。死んだら、後悔すらできないんですよ。」


 そう告げた瞬間、フレイヤは人生の初めての「啓」を思い出していた。


 あの時の選択を、彼女は今日に至るまで悔やみ続けている。


「決まった未来に抗っても……ろくなことになりません。」


「つまり、君は前に失敗して、そのせいで怖くなったんだろ。もう一度挑戦する勇気を失った。」


 胸の奥に深くしまってきた傷をえぐられ、フレイヤは思わずウィンデルの胸ぐらを掴んで怒鳴りたくなった。


 だが、今はそんなことをしている場合ではない。彼女はぎり、と唇を噛みしめ、衝動をねじ伏せた。


「……あなたに何が分かるっていうんですか。」


「分かるんだよ、その気持ちは。」


 フレイヤが驚いてウィンデルを見ると、深い蒼の瞳には揺るぎない誠実さが宿っていた。


 次の瞬間、少年の低い声が静かに響く。


「でもね……未来を見るって、本当は『より良い明日を望む』ためだろ?」


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