18 酒場の雑談
夕暮れが迫る頃、四人は領主の城に隣接して築かれた小さな城下町へと辿り着いた。今夜はここで宿をとるつもりだ。町で唯一の宿屋へ足を踏み入れると、フレイヤがふと思い出したようにボーンへ声をかける。
「お二人は同じ部屋でよろしいのですよね?」
「まあ、そうだな。」
「では、ウィンデル、ツインルームを2部屋お願いします。」
自分と同じ部屋に泊まるつもりなのか……その事実に気づいた瞬間、ウィンデルは胸の奥がわずかにざわついた。しかし反論する理由もなく、素直に受付へと歩き出す。その時、背中に何か視線を感じて振り返ると、ボーンとリヴァがどこか妙な目つきで彼を見ていた。
「商会の令嬢と平民の従者が、こんな辺境まで一緒に旅だなんて……ああ、なるほど……」
しかし、ボーンの呟きはフレイヤによって即座に切り捨てられた。
「どこまで想像しているのか知りませんが、私の日常の身の回りはすべてウィンデルが担当しています。同じ部屋になるのは当然です。それに、彼にそんな度胸はありませんわ。」
一瞬、ボーンとリヴァの視線に微妙な同情が混じった気がして、ウィンデルは言い返せないまま、胸の奥にじわりとした鬱屈を覚えた。荷物を置いて四人が再び食堂へ降りてくると、他に客は一組だけ──二十歳前後の男女が一つの席で食事をしている。女はやや整った顔立ちで、男はいたって平凡に見えた。
そこへ女将が夕食を運んでくる。素朴なシチューと焼いた羊肉。しかし、しばらく携帯食ばかりだった四人にとっては格別のご馳走だった。四人は他愛もない話をしながら食事を進め、昼間の出来事に話題が移ったところで、ボーンが口を開いた。
「シャーロットさん、ひとつ気になっていたんだが──どうしてあの農婦たちを助けようと思ったんだ?」
フレイヤは彼にちらりと視線を送り、穏やかに答えた。
「父がよく申しておりました。商人というのは人と関わる機会が多く、人と人との縁が思わぬ形で商談へと結びつくことがあるのだと。だからこそ、可能な範囲で困っている人を助けなさい、と。巡り巡って、その縁がいつか自分を助けてくれることもある……父は生涯で何度か、その恩恵を受けたそうです。」
ボーンとリヴァは感心したように頷く。
「なるほど、確かに一理ある。でも……旅の途中であまり気前よくしていると、悪い連中に目をつけられるよ。あの日の盗賊どもも、おそらくそれが理由で──」
それは事実とは違ったが、フレイヤは訂正する必要はないと判断した。
「ご忠告ありがとうございます。今後は気をつけます。」
しばらく談笑が続いたあと、ウィンデルはずっと気になっていたことを思い出す。
「なあ、ボーン。君は武人の家系だって言ってたよね?」
「言ったけど……それがどうした?」
「ホーンって名前の人物を知ってるか?軍人だったらしいんだけど。」
幼い頃に家を訪れたことのある謎の男。そして父の最期の日、あの嫌な王族が執拗に名を出した人物。ウィンデルはずっと、その正体を知りたいと思っていた。だがその名前を聞いた瞬間、ボーンの表情が固まった。しばし考え込み、慎重な声音で問い返す。
「……ホーン・ノエルのことか?」
「えっと……苗字までは知らないけど、たぶんその人のことだと思う。」
ボーンとリヴァは互いに顔を見合わせ、さらに問いを重ねる。
「どうしてその名を?何を知りたい?」
思った以上に真剣な口調に、ウィンデルは自分が罠を踏んだと悟る。しかし今さら黙り込めば余計に怪しまれる。仕方なく、適当な理由をねつ造した。
「父さんが生前、ときどきその人の話をしてて……どんな人物なのか気になってさ。」
それを聞いた途端、ボーンはフレイヤに視線を向けた。彼女はすでに意図を理解していたらしく、質問が出る前にそっと口を開いた。
「ご安心ください。ウィンデルの父上とノエル将軍の間に特別な関係はございません。これはメグ商会の名にかけてお約束いたします。ご存じの通り、ノエル将軍にまつわる噂は星の数ほどございますし、軍人であったウィンデルの父上が名前を口にしても、何ら不思議ではありません。」
商会の名まで出されたせいか、ボーンは肩の力を抜き、ほっと息をついた。
「悪い、ちょっと身構えすぎた。確かに、あの人について興味を持つ者は多い。それで、どこから話せばいい?」
ウィンデルが答えるより早く、フレイヤがさらりと先回りする。どうやらまた余計なことを言うのを恐れたらしい。
「有名な逸話や、王家からの縁談を断った話、騎術大会の連覇などは存じていますから……よければ、将軍が世に名を馳せた『あの戦い』について伺えますか?庶民の間でも噂だけは広がっていますが、実際に何が起きたのかは誰も知らなくて。」
「ああ、峠の戦いか。確かに語る価値はあるな。知ってると思うが、あの戦いの前って、うちの国はちょうどソフィットとの五年戦争を終えたばっかでさ、国力なんてガタガタだったんだ。それで、敵国ライフェルが『今だ』って感じで大軍をぶつけてきたわけだ。しかも、その頃は東南部から西側戦線に部隊がまだ戻りきってなくてな。誰だって、西の砦なんて三日ももたずに陥落するって思ってたんだ……」
ボーンは武人の家系らしく身を乗り出し、熱を帯びた声で語り続けた。要するに、当時まだ無名の中尉だったホーンが、主将戦死という絶望的な状況で軍の指揮権を引き継ぎ、圧倒的不利な兵力差の中、険しい地形と数年ぶりの豪雨を利用してアズール山道を進軍するライフェル軍を退けた。
「ちょうどその豪雨が降ったタイミングが絶妙すぎてさ、『天さえホーンに味方したんだ』って、皆が口をそろえて言ってた。ともあれ、この戦いで中尉だったホーンは王室に認められ、史上最年少で将軍に昇進した。その後も数々の侵攻を退け、『王国の盾』と称されるほどの英雄となった。だが……」
ウィンデルが話にどんどん引き込まれていったその時、ボーンはふいに口をつぐんだ。ここまで聞かされた以上、幼い頃に数日だけ共に過ごした男への興味はますます強くなる。
「だが何?」
「えっと……どう言えばいいか……」
ボーンが眉間に皺を寄せて言い淀んだその瞬間、女将が、ビール入りのカップを四つ持ってやって来た。ウィンデルたちは誰一人として酒を頼んだ覚えがなく、戸惑って顔を見合わせる。そんな彼らに、女将はにこやかに笑みを向けた。
「これはご馳走よ。あんたたち、レノ家の母娘さんを助けてくれたんでしょう?」
フレイヤが軽く会釈した。
「ありがとうございます。ただ……もう噂が広がったんですか?」
「こんな田舎じゃ、朝に起きた出来事は昼になる前には領内中の知れ渡りさね。」
そう言いながらも、女将の笑みはすぐに消えた。
「でも、あんたたちには明日の朝一番で出発することを勧めるよ。」
「……どうしてですか?」
女将は近くの椅子を引き寄せて腰掛け、深いため息をついた。
「まあ、話せば長いけど、そんなにややこしい話でもない。あんたたちも知ってるだろうけど、徴兵で男手がほとんど取られちまってね。だから今じゃ収穫期になると、領主さまの兵が代わりに畑を刈って回ってるのさ。兵の数は少なくないけど、毎年初雪の前に全部の畑を終わらせるなんて無理な話で……それに、レノ家の末の娘は、この辺りじゃちょっとした評判の美人でね。」
ここまで聞いた時点で、フレイヤはすでに察していた。
「つまり、あのラスグという税務官か、あるいは領主本人がレノ家の娘さんを狙っていて。だから兵たちにレノ家の畑をわざと最後に回させて、人頭税を払えない状況を作り出すことで、彼女を連れ去る口実にしていた……というわけですね。」
「そうさ。領主さま本人の指示ってわけじゃないだろうけど、あの方は部下の狼藉に関しちゃ、まるで興味がないらしくて。」
ウィンデルが眉をひそめた。
「じゃあ……俺たちがその算段を台無しにしたせいで、逆に狙われる可能性があるってこと?」
女将は心底不安そうに、強くうなずいた。
「奴ら、領主さまの威光を笠に着て、まるで盗賊みたいな振る舞いばっかりだよ。で、ラスグって奴に至ってはね、真相は知らないけど、南の大きな街の人買いとこっそり取引してて、時々若い娘を横流ししてるって噂もあるんだ……まったく、こんなことになったのも全部、徴兵のせいさ。家の主人が残ってりゃ、ここまでひどくはならなかったろうに。」
その言葉にフレイヤもボーンも険しい表情を浮かべる。しかしウィンデルが気になったのは、むしろリヴァの様子だった。表情は硬いが、それだけではない。どこか落ち着かず、まるで「自分に責任がある」とでも言いたげに肩を強張らせていた。
ウィンデルがじっと彼を見ていることに気付いたのだろう。フレイヤが「見るな」と言わんばかりの視線を飛ばし、続いて女将に向き直った。
「ご忠告、感謝いたします。明朝には出立いたしますので。ただ一つお伺いしたいのですが、領主配下の兵は実際どれほどの人数なのですか?」
「そうねぇ……はっきりとは言えないが、まあ二、三百はくだらないだろうね。」
その数字を聞いた瞬間、ボーンとリヴァは顔を見合わせ、同時に小さく頷いた。その様子を見たウィンデルは「あの二人は何を意味しているんだ?」と疑問を浮かべたが、その思考はすぐに遮られた。
――ドンッ!
凄まじい衝撃音と共に、十数名の大柄な男たちが、長剣や棍棒を構えながら扉を押し開いて雪崩れ込んできた。
「へっ、見つけたぜ。やっぱりここにいやがったか。」




