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愛するお姉様。私のことはお気になさらず、忘れてくださいね

長めの短編です。

 オマケと呼ばれて早十年。

 不名誉な呼び名ではあるけれど、クラリッサはこの生活に納得している。

 クラリッサは王宮の一室で紅茶を飲みながら、一息ついた。


(今日の式典が終われば、当分ゆっくりできそうね)


 今日の式典は一年に一度行われる。豊穣を願う式典だ。

 国民が一番楽しみにしているイベントでもある。

 なぜなら――……。


 コンコンコン。


 クラリッサの思考を止めるように扉の音が響いた。


「クラリッサ、いる?」


 すぐに聞き慣れた声が扉の向こう側から聞こえてきて、クラリッサは慌てて扉を開けた。


「エレオノーラお姉様」


 扉を開いた瞬間、視界が輝く。

 綿菓子みたいに柔らかそうな黄金の髪、優しそうな甘いラズベリー色の瞳。

 長いまつ毛とはっきりとした目鼻立ち。

 レースが幾重にも重なるドレスには、宝石が散りばめられている。

 クラリッサはその眩しさに目を細めた。


「どうしたの? 式典の前でしょう? 忙しいんじゃない?」

「忙しいのはわたくしではなくて、周りよ。準備も終わってしまって時間を持て余していたの」

「そうだったの? 私もゆっくりしていたところだから、入って」

「ありがとう」


 エレオノーラは嬉しそうに微笑むとクラリッサの部屋へと入った。


(いつ見てもお姉様は美しいわね)


 クラリッサは新しく紅茶を入れ直しながら思う。

 同じ親から生まれた姉妹とは思えない。と。

 輝かんばかりの金の髪に比べ、クラリッサの髪は金と言っていいのかわからないほど、くすんだ色をしていた。

 両親は「どちらも素敵だ」と言ってくれていたけれど、周りの評価は違う。

 いつもクラリッサはエレオノーラのオマケだった。

 エレオノーラはクラリッサの入れた紅茶を飲みながら、笑みを浮かべる。


「クラリッサの入れた紅茶は格別ね」

「毎日入れているから、得意になっちゃったの」

「わたくしは入れる機会がないから、ぜんぜん上達しないのよ。羨ましいわ」

「お姉様はいいのよ。それで」


 エレオノーラの周りには使用人が何人もいる。だから、自ら紅茶を入れる必要などない。

 反対にクラリッサには専属の使用人は一人もいなかった。

 基本は一人でなんでもこなした。必要なことがあれば、誰かにお願いする。

 扱いの差がひどいと思ったこともあるけれど、何人もの人に囲まれて生活するのは性に合わないから、これでいいと思っている。

 別に虐げられているわけではない。

「着替えを手伝って」とお願いすれば、手伝ってくれるし、食事ももらうことができる。

 掃除や洗濯は自分でしていたし、困りごとはなかった。

 わざわざ紅茶を入れてもらう必要もない。紅茶くらいなら自分で入れられるからだ。


 なぜ、こんなにも姉妹で扱いが違うのか?

 簡単な話だ。


「お姉様は聖女としての役割で大変だもの。紅茶なんて人に入れてもらえばいいのよ」


 そう、クラリッサの姉――エレオノーラは聖女だから。


 ***


 それは、十年前。

「国を救う聖女が現れた」という神託が下りた。王国の使者が信託を辿った先にいたのは、田舎領地でのびのびと暮らしていたサンクレア家の小さな屋敷で。

 その時、エレオノーラは十二歳、クラリッサは十歳だった。

 エレオノーラはそのころから美しく、領地でも評判の令嬢だ。そして、彼女は不思議な力を持っていた。

 それを人々は『恩恵』と呼ぶ。

 稀に神からこの『恩恵』をもらう者がいるのだ。時には火を操り、水を操り。天候を操った。

 エレオノーラの恩恵は歌に宿る。

 歌を歌うと草木が成長していくのだ。

 王国の使者はすぐに信託の聖女がエレオノーラだと理解した。


『聖女様、どうか王宮にお越しくださいませ』


 使者たちはエレオノーラの前にひざまずいて、こうべを垂れた。

 クラリッサはいまだに忘れられない。

 あの時の困惑したエレオノーラの顔を。

 その顔を見た瞬間、クラリッサは口を開いていた。


『お姉様を連れて行くなら、私も連れて行って』


 クラリッサとエレオノーラは両親を事故で亡くしたばかりだった。

 祖父母が健在だったため、変わらず生活はできていたが、あのころ、クラリッサとエレオノーラは支え合って生きていたのだ。

 エレオノーラを一人にするなんて考えられない。

 たとえ、それが王宮だとしても。


『クラリッサ……』


 エレオノーラは目に涙を浮かべてクラリッサを見た。

 クラリッサはエレオノーラの手を握る。


『私たちはずーっと一緒、そうでしょう?』


 両親が亡くなったとき、クラリッサとエレオノーラは約束したのだ。

 ずっと一緒。

 それぞれが結婚しても絶対に近くに住もう。

 だって、私たちはたった二人だけの姉妹だから。

 両親の葬儀の日、クラリッサとエレオノーラは互いに誓い合ったのだ。

 控えめなエレオノーラは王国の使者に何も言えなかったが、クラリッサは頑なだった。

 結果、クラリッサとエレオノーラは二人で王宮に招待されたのだ。


 ***


(王宮に引っ越して十年。私はオマケって呼ばれるようになったけど、後悔はしていないわ)


 逆の立場であれば、突然「聖女」と呼ばれ王宮で一人で暮らすのは不安だと思ったからだ。

 生活には困っていない。

 王宮で暮らすとあって自由はなくなってしまったけれど、田舎で暮らしていた時と同等の生活は保障されている。

 今やたった一人の家族となったエレオノーラの側にいられるだけで、じゅうぶんだった。

 クラリッサは自分で入れた紅茶を飲んだ。

 最初は濃すぎて飲めなかった紅茶も、今やとてもおいしく入れられる。


「そうだ。街で評判のクッキーをいただいたの。ほら、わたくしたちはお出かけができないでしょう? クラリッサにも食べてもらいたくて」


 エレオノーラは笑みを浮かべると、テーブルの上に木箱を置いた。

 木箱の蓋を開けた瞬間、甘い香りが漂う。


「おいしそう。 お姉様、ありがとう」

「さあ、食べてみて。いつも長蛇の列ですって」


 クラリッサは勧められるがままにクッキーを齧った。

 バターがたっぷりと使われたしっとりとしたクッキーだ。


「紅茶味だわ」

「ええ、そうなの。紅茶に合うでしょう?」

「とっても。お姉様は食べないの?」

「わたくしは大丈夫。クラリッサに食べてもらいたくて持ってきたのだもの」


(もうすぐ式典なのに、私のために持ってきてくれるなんて、お姉様はなんて優しいのかしら?)


 エレオノーラの優しさが胸にしみる。

 クラリッサは一口ずつ味わいながら食べた。


「今日の式典、お姉様のことを歌を楽しみにしている民がたくさん来ていると聞いたわ」

「ええ、そうみたい。緊張してしまうわね」


 エレオノーラは眉尻を下げる。

 彼女の歌声には力が宿っている。彼女の歌声を聞いた人は病が治った。

 彼女の歌は枯れた大地を蘇らせ、恵の雨を降らせる。

 年齢を重ねるごとにエレオノーラの力は増していっていた。そして、国民の支持も強いものになっている。

 しかし、エレオノーラはいつも謙虚だ。


「わたくしが歌うだけでみんなが幸せになるのなら、嬉しいわ」


 クラリッサはそんなエレオノーラの優しい心に胸打たれるのだ。

 クラリッサはふわりと大きなあくびをした。

 なんだか、とても眠い。

 目の前のエレオノーラが歪んだ。


「ね……え……。なんだか……眠い、わ……」

「あら? 疲れたのかしら? 少し横になったら?」

「ん……」


(それがいいかも)


 強い睡魔に考えることができず、クラリッサは立ち上がった。

 しかし、足に力が入らずそのまま床に崩れ落ちてしまう。

 足音が聞こえた。


「あらあら、困った子ね」


 エレオノーラの声が降ってきた。

 目が霞んでよく見えない。しかし、ほんのりとエレオノーラの口角が上がっているような気がした。


 ***


 まだ頭がくらくらする。

 どのくらい時間がたったのかわからない。

 クラリッサは瞼を上げようとしたが、うまく上がらなかった。


「本当に、手のかかる子」


 冷たい声が降ってくる。

 この声はエレオノーラだ。しかし、いつものような優しい声色ではなかった。

 氷のように冷たい。声


「聖女様、準備が整いました」

「そう、早くこの子を馬車に乗せてしまって」

「かしこまりました」


(馬車……?)


 誰かがクラリッサの身体を抱き上げた。

 抵抗したいが、身体が思うように動かない。まるで自分が大きな岩にでもなったような気分だ。


(どういうこと……?)


「クラリッサ、あなたが悪いのよ」


 エレオノーラがクラリッサに語りかける。

 返事はできなかった。


「直接お別れをしなくてもよろしいのですか?」


 エレオノーラの隣に立つ男が尋ねた。彼はこの国の司教だ。

 いつもエレオノーラに付き添っている。

 クラリッサも話したことはあったが、聖女であるエレオノーラ以外には興味がないような男だった。

 クラリッサ自身も彼にはあまり興味はない。いつもエレオノーラの側にいるいけ好かない男というイメージだ。


「いいのよ。だって、目が覚めたら絶対に『いや』と言うに決まっているもの」

「クラリッサ嬢はあなたに寄生しすぎている。これを機にご自身の立場を理解してくれればよろしいのですが」

「そうね……。もっと自立してくれると思っていたのだけれど……」


 エレオノーラは小さくため息をついた。


(どういうこと? お姉様は私が側にいることが迷惑だったの……?)


 クラリッサは呆然とした。

 寄生していたつもりはない。

 王宮内で大きな顔をしたこともなかった。

 クラリッサはこの十年、エレオノーラの側にいるために慎ましやかに暮らしていたのだ。


「クラリッサ、ごめんなさいね。これはあなたのためなの」


 エレオノーラが頭を撫でる。

 疑問はたくさんあるのに、全身が重く口は開かなかった。


(どうしてこんなことをするの?)


 扉が閉まる音が聞こえる。

 そして、馬車が左右に大きく揺れるとゆっくりと走り出した。

 クラリッサはただ考え続けた。

 何がいけなかったのか。

 クラリッサの選択は間違いだったのか。

 何度考えても答えはでなかった。


 ***


 クラリッサの意識がハッキリし、身体が動かせるようになったのは、次の日のことだった。

 二つ山を越え、向かっている先はどこだろうか。


「私はどこに捨てられるの?」


 クラリッサは同行していた王国の役人に尋ねた。

 状況がつかめない。

 エレオノーラはどうしてクラリッサを遠くへやろうとしているのだろうか。

 役人は困ったように眉尻を下げた。


「捨てるなどと。クラリッサ様はこれから、カルデロン王国に嫁がれるのです」

「そんな遠くに……?」


 カルデロン王国は隣国ではあるが、西の果てだ。クラリッサが生まれた国――オーリアン王国は東西に長い。

 オーリアン王国の王都から、カルデロン王国までは馬車で半月はかかるだろう。


「これは……お姉様が望んだことなのですか?」

「そうです。わが国はカルデロン王国との強い繋がりを求めています」

「そういうのは普通、王族が婚姻を結ぶものではありませんか?」


 クラリッサはただの令嬢に過ぎない。

 オーリアン王国とカルデロン王国を繋ぐ架け橋になるには弱いと思うのだ。

 オーリアン王国に年頃の王女がいないわけではなかった。


(どうして私が?)


 そう考えるたびに、エレオノーラの言葉が頭を過る。


『もっと自立してくれると思っていたのだけれど……』


 あれはクラリッサが見た夢ではなく、本当のエレオノーラだったのだろうか。


(こんな方法で追い出されるなんて……)


 王宮に住むのが迷惑なら、言ってくれればよかったのに。

 クラリッサは絶対に王宮で暮らしたいわけではなかった。

 エレオノーラにすぐに会える場所であれば、王都で小さな部屋を借りてもいいと思っていたのだ。


「お姉様と一度お話がしたいわ。王宮に戻って」

「それはできません。これは国王陛下、聖女様、そして大司教様が決定したことです」

「……そんな。私の結婚を!? 私抜きで!?」

「はい。ですから、諦めてください」

「なら、尚更直接聞きたいわ! どうして私なのか。お姉様や陛下から直接!」


 クラリッサは馬車の中で立ち上がる。

 馬車がぐらりと揺れた。

 役人は大きなため息をついて、クラリッサを見つめる。


「……まだわかりませんか?」

「わからないわ」

「あなたは『聖女の妹』というだけで何の力も持たないただのオマケ。そのくせ、王宮に寄生し甘い蜜を吸い続けている。聖女様も陛下もあなたの扱いに頭を悩ませておりました」

「お姉様が……そう言っていたというの?」


 声が震えた。

 エレオノーラはずっとそんなふうにクラリッサを見ていたのかと思うと、胸が苦しかった。

 今までであれば「嘘よ!」と言えることができた。

 何か理由があったのだと、信じていたかもしれない。

 けれど、この状況でエレオノーラを信じていられるほど、クラリッサは馬鹿ではなかった。


(お姉様はにとって、私はお荷物だったのね)


 ずっと仲のいい姉妹だと思っていた。

 しかし、一番遠くの国に嫁がせるくらいだ。

 よほど嫌っているのだろう。


(なんて惨めなのかしら? 今まで、私たちずっと、支え合ってきたと思っていたのに……)


 クラリッサは唇を噛みしめた。


 ***


 カルデロン王国はあまり土地に恵まれていない。

 そして、魔獣がよく出る場所だと本で読んだことがある。

 カルデロン王国の人々は魔獣を狩り、その肉や皮を取引に使うのだ。


 半月かけてクラリッサはカルデロン王国の王都に到着した。オーリアン王国とは違って、無骨な街だと思う。

 まるで別の世界に連れてこられたような感覚。

 謁見の間には、カルデロン王国の王族が集まっていた。

 玉座には国王が、そしてその隣には王妃が座っている。国王の隣に立っている夫婦が王太子と王太子妃だろうか。

 では、王妃の横に一人で立っているのが、第二王子だろう。


(この人が私の夫になる人……? 名前は、レニオスだったかしら?)


 日に焼けた色黒の男だった。

 癖のある黒の髪、通った鼻筋。目鼻立ちは整っていて、美男子の部類に入るだろう。

 服の上からでもよくわかる筋肉だ。クラリッサなど、片手で潰されてしまいそうだと思った。

 目が合って、クラリッサは慌てて逸らす。

 あまりじろじろと見るのは印象がよくないだろう。

 静かな会場に国王の声が響く。


「そなたが聖女の妹か?」

「はい。クラリッサ・サンクレアと申します」

「ふむ……。聖女は美しい金の髪だと聞いていたが……」

「姉と私は別の人間ですので」


 クラリッサは胸を張って堂々と返事をした。

 国王はクラリッサの髪が金と言っていいのか、茶と言っていいのかわからないと言いたいのだろう。


(それは耳にたこができるくらい言われたわよ)


 その程度では傷つかない。

 美しい金の髪じゃないからなんだというのだろうか。

 この色は祖母とおそろいの自慢の髪だ。

 値踏みをするような目を向けられるのも、慣れている。

 好きなだけ見ればいい。

 クラリッサはクラリッサでしかない。

 空気を変えるように、王妃の隣に立っていた男が口を開く。


「父上、聖女の血縁をわが国に迎えられることは非常に喜ばしいことではありませんか」

「レニオス」


 予想通り、彼こそがクラリッサの夫となるレニオスのようだ。

 レニオスが玉座を離れ、クラリッサの前に歩み寄った。


(大きい……)


 クラリッサはレニオスを見上げる。

 レニオスはクラリッサの頭一つ分大きいのではないか。

 肩幅もぜんぜん違う。


「遠路はるばる来ていただいたのに、なんの歓迎もできなくてすまない」

「いえ……。お気遣いなく。私はこういう扱いに慣れておりますから」


 クラリッサは取り繕うように笑った。

 レニオスの眉がぴくりと跳ねる。

 変なことを言っただろうか。

 クラリッサはエレオノーラのオマケだ。オマケを丁重に扱う者などどこにいるだろう。

 クラリッサ自身、あまり気にしていない。

 自分自身、おまけであることを自覚しているからだ。


「私はレニオス。あなたの夫となる者だ」

「私はクラリッサです。どうぞよろしくお願いいたします」


 レニオスがクラリッサに手を差し出す。

 クラリッサは目を瞬かせた。


「長旅で疲れただろう。難しい話はいつでもできる。あなたの部屋に案内しよう」


 レニオスの言葉にクラリッサは目を丸くした。

 こんなふうに気遣われたのは、いつぶりだろうか。

 睡眠薬を盛られ、無理やり嫁がされた。

 雑に扱われるのは今に始まったことではない。クラリッサは姉のエレオノーラとともにオーリアン王国の王宮に住み始めてから、ずっと雑な扱いを受けてきた。

 クラリッサ自身が聖女ではなかったので、それもしかたないと思っていた節がある。

 そして、聖女ではないクラリッサが嫁ぎ先で大切に扱われるなど、想像もできなかった。


(多分だけど、すごくいい人)


 クラリッサはレニオスを見上げながら思った。

 彼はにこりとも笑わない。しかし、温和な雰囲気をまとっている。

 クラリッサはレニオスの手を取った。


(この人となら、うまくやれるかもしれない)


 ***


 クラリッサは与えられた部屋を見て目を見開く。


「こんなに大きな部屋を!?」

「広いか? オーリアンに比べたら狭く無骨ではないかと心配だったんだが……」


(たしかに、お姉様が使っていた部屋の五分の一にも満たないけど……)


 クラリッサの部屋の何倍も広い。

 クラリッサは満面の笑みを浮かべてレニオスを見上げた。


「こんなに広い部屋だと掃除で一日が終わってしまいそうです」

「掃除はメイドが行うから問題ないだろう」

「メイドが……。そこまでしていただいていいのでしょうか?」

「普通のことだろう?」


 レニオスは不思議そうに首を傾げる。


「つかぬことをお聞きしますが……」

「なんだ?」

「本当に私を妻として迎えるつもりですか?」


 クラリッサは訝し気にレニオスを見た。

 謁見の間での雰囲気からして、国王はクラリッサとレニオスの結婚にはあまり乗り気ではないようだ。

 なら、クラリッサが逃げ出すように仕向けるのではないかと思った。

 よくある話だ。

 使用人を与えず、放置する。

 クラリッサがオーリアン王国の王宮でされてきたことだ。

 それでいいと思っていた。

 食事さえ貰えれば、生きていけるから。オマケ根性を見せるつもりだった。

 しかし、彼は今のところ、

クラリッサをそういうふうに扱うつもりはないらしい。


「では、『君を愛することはない』的な?」


 白い結婚というやつだ。

 王宮で生活して十年にもなると、そういう話には詳しい。

 暇つぶしに噂話を集めて回っていたこともある。

 レニオスは眉根を寄せた。


(正解かしら?)


 図星をさされて、レニオスは怒っているのではないか。


「大丈夫ですよ。本当に愛する方がいても。私は慎ましやかに生きますから」


 雨風をしのげる場所と、食事がもらえればじゅうぶん。

 次第にレニオスの顔が険しくなっていった。


「私はそんなに不誠実な人間に見えるか?」

「見えません。ですが、この結婚はきっと国同士が決めたものなのでしょう。殿下に拒否権はなかったはずです」

「王族に生まれた以上、自分の好きに結婚できないことは覚悟の上だ」

「つまり……、私と普通に結婚するということですか?」

「普通の定義がわからないが」


 レニオスが深く息を吐いた。

 クラリッサの前髪が揺れる。


「私はあなたを妻として扱う。あなたも私を夫だと思ってほしい」

「はあ……」

「もしも、その気がないのであれば、教えてほしい」

「その気がない場合、どうなりますか?」

「この国から逃げられるように手配しよう」

「なるほど」


 クラリッサは何度も「なるほど」と繰り返した。


(なるほど。私は普通の結婚をするのね?)


 この男と。

 クラリッサはレニオスを見上げる。

 女性には困っていなさそうな美丈夫が、このオマケを妻にするという。


「ではもう一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「私に求めているものはなんでしょうか?」


 それが不思議だった。

 クラリッサはただのオマケ。この国にクラリッサを迎えるメリットはあるのだろうか。


「国同士の繋がりのため。では、納得ができないか?」

「はい。私は聖女の妹ではありますが、王族ではありません。オーリアン王国との繋がりというにはあまりにも弱いと感じています」


 カルデロン王国は豊かとは言えない。だから、オーリアン王国の王女たちが全員、拒否した可能性もある。

 しかし、国の繋がりが目的であれば、王族同士の結婚を望むはず。


「あなたは自分を卑下しすぎだと思うが」

「姉が聖女というだけで、私はただの田舎貴族の娘ですから」


 クラリッサは困ったように笑った。


「なんと説明をすればよいか……」

「遠回りは嫌いです。私が傷ついたとしても、率直に教えていただけますか? そうすれば、私はこの国でどう立ち振る舞えばいいか判断することができます」


 そう、率直に。

 建前など必要ない。

 一度それで失敗して、眠らされて遠路はるばるこの国に嫁がされたのだ。

 同じ轍は踏みたくなかった。

 レニオスは小さく息をついた。


「君に期待していることはただ一つ。聖女の妹として、振る舞ってほしい」

「聖女の妹として……?」

「知っていると思うが、わが国はけっして豊かとはいえない。食物は育ちにくく、魔獣に悩まされている」

「はい。魔獣の肉や皮などを取引に使って食物を手に入れているのですよね?」

「そうだ。しかし、それがじゅうぶんとは言えない」


 クラリッサは相槌を打った。

 食料自給率が低いということは、常に相手に足元を見られることになる。


「実のところ、オーリアン王国には結婚の打診ではなく、聖女殿の訪問を希望したんだ」

「お姉様の訪問ですか?」

「ああ、少しでも食物が育つ環境を手入れたい。一度でいいから訪問をと。しかし、オーリアン側からは君との婚姻を提案された」

「そういうことですか」


 エレオノーラの歌があれば、カルデロンの地にも恵がもたらせるかもしれない。

 そう考えるのは当たり前だろう。

 しかし、オーリアン王国はそれを許さなかったようだ。


「私は姉のような力はありませんよ?」


 クラリッサはエレオノーラのように歌を歌えば傷が治り、花が開花するような力はない。

 あったら、クラリッサの扱いはもっといいはずだ。

 レニオスは頷いた。


「それは知っている。だが、民の希望となってほしいと思っている」

「民の……希望」

「聖女の妹が来た。だから、もう大丈夫だと。民がそう思えるように」


(希望か)


 クラリッサはどう答えていいかわからなかった。

 それは民を騙す行為と同じなのではないかと。


「それに、君が何も持っていなくても、私たちの子に力が宿るかもしれない」

「私たちの……子」


 クラリッサの顔は真っ赤に染まった。


(そ、そんな! こ、子どもだなんて!)


 結婚するということはそういうことだ。わかってはいる。しかし、クラリッサはそこまで意識をしていなかった。


(そんなに冷静に言われると、恥ずかしがっている私のほうが変な人じゃない)


 クラリッサは何度か頭を横に振ると、小さく咳払いする。


「わ、わかりました。私ができることをやりましょう!」


 クラリッサに居場所はない。

 ここから逃げたところで、帰る場所はないのだ。両親も、祖父母も亡くなっている。

 唯一の家族である姉ももう家族とは呼べなくなってしまった。

 天涯孤独の身。たとえどんな理由であろうと必要とされているのであれば、力を貸そう。


「うちの事情に巻き込んですまない」

「いえ、素直に教えてくれてありがとうございます。私は一宿一飯の恩義は忘れないタイプですから」


 クラリッサは胸を張って言った。

 レニオスが小さく笑う。


「それに多分、少しは役に立てるかと思います。多分、ですけど」


 クラリッサが微笑むと、レニオスが不思議そうに首を傾げた。


 ***


 クラリッサは侍女とともに王宮の廊下を歩く。

「一人で大丈夫」と言ったのだが、「迷子になっては困りますので」と言われて断れなかったのだ。

 監視の意味もあるのかもしれない。

 よその国から来た令嬢に好き勝手歩かれては困るだろうから。


「クラリッサ様、次はどちらに参りますか?」

「人が多いところは他にない?」

「でしたら……訓練場などはいかがでしょうか? 今日は騎士たちが訓練をしています。レニオス殿下もいらっしゃるかと」


(騎士か……いいかも)


 クラリッサは満面の笑みで笑うと頷いた。

 先ほどまでは王宮で働く使用人を紹介してもらっていた。

 これから王宮で暮らす身だ。その程度は問題ないだろう。

 早速クラリッサは侍女とともに訓練場へと向かったのだ。

 訓練場には多くの騎士が集まっている。しかし、みんな同じ方向を向いていた。

 広場の真ん中に、向かい合っている二人の男。一人は名も知らない騎士。そしてもう一人はレニオスだ。


(試合でも始まるのかしら?)


 肌に感じるのは緊張感。

 二人は互いに微動だにせず睨み合っている。

 すると、突然騎士のほうが叫び声を上げながら地を蹴った。


「うりゃぁあああああああ!」


 剣を振り上げる。

 しかし、レニオスは剣でその攻撃をう軽々と受け流す。


(素人の私でもわかる。圧倒的ね)


 クラリッサが関心していると、侍女が耳打ちしてきた。


「レニオス殿下は国一番の戦士なのです」

「そうなのね」


 クラリッサは感嘆の声を上げる。

 そんなすごい人の妻になるのだと思うと、少し責任を感じてしまう。


「なによりレニオス殿下がすごいのは――……」


 侍女が自慢げに話をし始めたときだった。


 ゴーンッ

 ゴーンッ

 ゴーンッ


 鐘の音が鳴り響く。


「何? この音」


 腹に響くような重たい音だった。

 一瞬にして訓練場にいた騎士たちの表情が変わった。


「クラリッサ様、中へ」


 侍女がクラリッサの腕を引く。しかし、それよりも早く大きな影が練習場を覆った。

 クラリッサは影の正体を追い、空を見上げる。

 訓練場の上空に大きな鳥が飛んでいた。

 こんな大きな鳥は見たこともない。

 侍女が腰を抜かした。


「ま、魔獣……」


(……これが、魔獣)


 クラリッサはなぜか冷静だった。

 現実味がなかったからかもしれない。


「総員! 迎撃!」


 レニオスが叫んだ。

 その声に反応して騎士たちが剣を構えた。

 しかし、相手は空の上。

 場所のせいか、飛び道具があるようには見えなかった。


「ギィイイイ!」


 魔獣が吠える。

 不気味な声にすくみ上がった。

 クラリッサはその場にへたり込んだ。

 逃げなければ。

 そう頭ではわかっているのに、足に力が入らない。

 魔獣がギロリとクラリッサを睨む。

 その瞬間、魔獣は大きな羽をさらに広げた。

 何か思う暇もなく魔獣がクラリッサめがけて突進してくる。


(殺される……!)


 クラリッサはかたく目をつぶった。

 突風がクラリッサの髪をさらう。


「ギィィイイイイ!」


 すぐ近くで魔獣の声が響く。しかし、いくら待ってもクラリッサは痛みを感じなかった。

 もしかしたら、痛みを感じる暇もなく死んでしまったのかもしれない。

 しかし、落ち着いた声が降ってきた。


「大丈夫か……?」


 おそるおそるまぶたを上げる。

 クラリッサの目の前には大きな男――レニオスが立ちはだかっていた。

 手には血に濡れた剣。しかし、虚しくもそれは半分に折れている。

 剣の半分は魔獣の片目に刺さったままだった。


「レニオス様……」

「ここは危ない。今すぐ逃げろ」

「そ、それが……足が立たなくて」


 クラリッサは眉尻を下げた。

 情けない。

 足手まといになっている自覚はあった。


「ギィィイイイイ!」


 魔獣が再び咆哮を上げる。

 その声には怒りすら感じた。

 魔獣は再度攻撃の態勢に入る。

 次こそ死ぬかもしれない。

 そう思ったとき、レニオスが地面に手をかざした。

 刹那、土の壁が二人と魔獣のあいだにできる。

 しかし、魔獣の攻撃を一つ受けただけで、土の壁は砕けちってしまった。


「レニオス様、今の力って……!」

「ああ、神の恩恵だ。力は弱いが」


 レニオスは眉尻を下げながら言った。

 攻撃を一度防ぐ程度だと言いたいのだろう。


(見つけた……!)


 クラリッサは口角を上げた。


「レニオス様、もう一度力を使えますか?」

「ああ。だが、この程度の力では、どうにもならない」

「いえ、絶対にどうにかなりますから」


 クラリッサはニコリと笑う。

 そして、両手を胸の前で組んだ。


「天上の神よ。どうか、この者の力を開花させ、この国を護りたまえ」

「何を……?」


 レニオスが不思議そうな声を上げる。

 クラリッサは眉尻を下げた。

 そして、空を見上げる。魔獣は待ってくれそうにもない。


「説明は生き残ったあとでも?」

「そうだな。死ねば説明をもらっても意味がない」


 レニオスは小さく笑うと、地面に手をかざす。

 そして、眉を寄せる。

 地面にかざした腕には血管が浮いていた。


(お姉様以外に使うのは初めてだけれど……大丈夫なはずよ)


 クラリッサは再び両手を胸の前で組む。


「神よ。私が生きる新しい土地を護って」


 途端、レニオスの手が光に満ちた。

 土が刃となり天に向かう。土の刃は一瞬で魔獣の心臓を貫いた。


「ギィィイイイイ」


 魔獣の断末魔が響く。

 それは鐘の音よりも大きく、鼓膜が破れそうなほどだった。誰もが両手で両耳を塞ぐ。

 土の刃が魔獣を訓練場の真ん中に引きずり落とす。

 砂埃と大きな音を立てて、魔獣を地面へと叩きつけた。

 あっという間の出来事だ。

 今までの闘いなど忘れてしまうほど、あっさりとしていた。

 その様子をレニオスは呆然と見つめる。


「よかった……」

「一体、何が……」

「それは……」


 クラリッサは説明しようとしたが、身体から力が抜けていくのがわかる。


(こんなに頑張ったのは久しぶりだから……)


「クラリッサ!?」


 レニオスの声が遠くのほうで聞こえた。

 しかし、返事をすることは叶わず、クラリッサは暗闇へと吸い込まれていったのだ。


 ***


 目を覚ましたときには、ふかふかのベッドの上にいた。


「目を覚ましたか?」

「レニオス様?」


 ここはクラリッサに与えられた部屋だ。

 クラリッサがどうにか起きあがろうとすると、レニオスがそれを支える。


「心配した」


 レニオスは青い顔で言う。

 クラリッサは首を傾げた。

 ただ少し倒れただけではないか。


「君は十日眠ったままだった」

「十日も!?」


 レニオスの言葉に目を丸くする。

 どうりで背中が痛いわけだ。


「十日も眠るのは初めてです」

「あの力は君が?」


 すぐに彼の言いたいことがわかった。

 クラリッサの中ではつい数時間前のことだ。

 レニオスは自分の力が強くなったことを言いたいのだろう。


「実は私も恩恵を持っているんです」


 この話をするのは、実のところ二人目だ。

 オーリアン王国では最後まで公表しなかった。


「レニオス様の恩恵は土を操る能力ですか?」

「ああそうだ」

「私の恩恵は他者の恩恵を増幅させる能力です」

「他者の恩恵の増幅……。だから、私の力が強くなったのか」

「はい。ですが、能力自体はレニオス様のものです」

「なぜ、今まで秘密にしていた?」

「他者に依存した力なので、私の恩恵は自慢できるようなものではないのです」


 クラリッサは困ったように眉尻を下げる。

 姉のエレオノーラのように、己の力のみで民を幸せにできたなら、胸を張って言えたかもしれない。

 しかし、この力は目に見えたものではない。

 そして、恩恵を得た者に寄生しなければならないのだ。


「君の能力がどれほどすごいかわからないのか?」

「すごいのは、レニオス様ですよ。私は土を操ることはできません」

「だが、君の力がなければ私ができるのはせいぜい土の壁を作ることくらいだ。君のおかげで今回、死者がでなかった」

「お役に立てたのであれば、よかったです」


 クラリッサは顔を綻ばせる。

 この国にも恩恵を持つ人がいてよかった。

 しかも、夫となる人が恩恵を持っていたのはクラリッサにとっては幸運だ。

 彼のオマケとして生きることが許されたような気がした。


「目が覚めて早々で悪いが、外に出られるか?」

「はい。もう回復していますから、大丈夫です」

「では侍女を呼んでこよう」


 レニオスはすぐに立ち上がり、部屋から消えていった。

 ポツンと残されたクラリッサはなんだか少し寂しさを感じた。

 レニオスが側にいると安心するようだ。

 クラリッサは魔獣から助けてくれた彼の背中を思い出す。

 あんなに大きい背中を初めて見た。

 あんなふうに命をかけて護ってもらったのは初めてだった。

 クラリッサはぎゅっと枕を抱きしめる。


 ***


 クラリッサは侍女に着替えを手伝ってもらった。

 侍女はクラリッサを見るなり泣きだし、何を言っているのかわからない状態だった。相当十日前のことが胸に来ているのだろう。

 着替えを終え、レニオスに連れられて向かった先は訓練場だ。

 まだ修繕中らしく、騎士の他にも多くの人が仕事をしていた。

 しかし、レニオスを見つけた瞬間、作業をしていた者たちが集まってくる。

 騎士だけではない。その中には大工などもいた。


「クラリッサ様! ありがとうございます!」

「クラリッサ様!」

「あなたこそ女神だ!」


 騎士たちが感謝の言葉を口にする。

 クラリッサは目を丸くして、呆然とその様子を見た。

 人によってはまるで神のようにクラリッサに祈りを捧げる者まで現れる始末だ。

 この姿をクラリッサは知っている。


(何これ。聖女みたいな扱い……)


 オーリアン王国の民は姉のエレオノーラをこんなふうに見ていた。

 クラリッサはずっとそれ遠くから眺めていたのだ。


「クラリッサが驚いている。静かに」


 人々を制したのはレニオスだ。


「みんなが君に礼を言いたいと言ってきかないんだ。すまない」

「いえ……。ですが、お礼を言われるようなことを私は何もしていませんよ」


 魔獣と闘ったのはレニオスだ。

 賞賛されるべきはレニオスだろう。

 その証拠に、クラリッサは一度だってオーリアン王国で賞賛されたことはない。

 長年、聖女であるエレオノーラを支え続けたけれど。


「皆、私の恩恵の力は知っている。あの力のほとんどが君のおかげだとわかっているということだ」

「そんな……! 無を有にはできません! レニオス様がいなければ、私はただの人なのですよ?」


 エレオノーラがいたから、クラリッサはオマケになれた。力を使い、エレオノーラの力を強めることで。

 もしも、一人だったらクラリッサは恩恵を持っていても何も意味がないのだ。

 すると、一人の騎士がクラリッサの足元にひざまずいた。


「クラリッサ様。俺たちは魔獣に多くの仲間を殺されました」


 彼の言葉にどう返事をしていいかわからない。

 オーリアン王国の王都に魔獣が出たことはなかった。だから、魔獣に仲間を奪われた人など物語の中の話だけのような感覚だったのだ。


「われわれは、大切な人を魔獣から護るために日々闘っています。今回のように一人も死人が出なかった闘いは初めてなのです」

「私は……本当に何も……」


 ただ、祈っただけ。

 感謝されるほどのことをしているのだろうか。


「十日も寝込むほどの力を使った。そうだろう?」


 レニオスが言う。


「それはそうなのですが、こういうのに慣れていなくて」


 クラリッサは困ったように笑った。


「間違いないことがあるとすれば、君がいなければ死人が出ていただろう。それくらいあの魔獣は強かった」

「ありがとうございます! あなたは私たちの女神です!」

「どうか、これからも我々をお救いください……!」


 騎士たちが口々に感謝を述べる。

 まだどうしていいのかわからない。けれど、「違う」と言っても納得はしないのだろう。

 不思議だ。

 感謝されなくても、居場所を作るためにも力を発揮するつもりでいた。しかし、今はもっとみんなのためになることをしたいと思っている。


「あまりすごいことはできないのですが、私を受け入れてくれたこの国のために、できる限りのことをします」


 クラリッサの言葉に騎士たちが沸いた。

 その日、カルデロン王国に女神が誕生したのだ。

 記念日に制定されるのはもう少し先の話である。


 ***


 カルデロン王国に来て三か月が経った。

 魔獣の一件以来、クラリッサがカルデロンの民に受け入れられるのは一瞬だった。

 連日クラリッサを見るために王宮を訪れる民があとを絶たなかったのだ。


『聖女の妹はわれわれを救う女神だった』


 そんな噂が立ち、クラリッサの王宮での待遇は格段に上がった。

 護衛の騎士が数人ついたし、世話をしてくれる侍女も増えた。

 そして、毒見役まで現れたのだ。

 今はこの国の宰相と話している。


(われながら出世したものね)


 オーリアン王国では考えられないような待遇だ。

 今やクラリッサは『聖女の妹』ではない。

 第二王子レニオスのオマケでもない。

 カルデロン王国に現れた『女神』だ。

 それはそれでくすぐったいのだが、こうして力を認めてもらえたことは嬉しかったりする。


「では、クラリッサ様のおっしゃるとおりにしてみましょう」

「よろしくお願いいたします」

「あと、こちらの件ですが――……」


 宰相が途中で言葉を止め、目を見開く。同時にクラリッサは目を丸くした。

 宰相の出した書類に目を通していると、突然、後ろから抱きしめられたのだ。


「そろそろ妻を返してもらえないか?」

「レニオス様……!?」


 クラリッサを後ろから抱きしめていたのは、レニオスだった。

 胸が大きく跳ねる。

 正確にはまだ結婚式は行っていないため、正式な夫婦ではない。

 本当はさっさと結婚式を済ませるはずだったのだが、クラリッサが『女神』として親しまれているため、予定よりも盛大にしようという話になったのだ。

 だから、「妻」と呼ばれると少し緊張してしまう。


 まだ宰相との話が途中ではあったが、「次の予定が詰まっているから」と言われ、連れ出されてしまった。

 廊下を歩きながら、クラリッサは首を傾げる。


「次の予定ってなんでしたっけ?」

「休憩だ」

「休憩?」

「朝から宰相につかまって休んでいないだろう?」

「もしかして、休憩を入れるために来てくださったのですか?」


 レニオスはわずかに顔をそめるとそっぽを向いた。


「君が政治に詳しいとは知らなかった」

「政治に詳しいのではありませんよ。オーリアンでは王宮で暮らしていたから、いろいろな話を耳にしていたのです」


 子どものころから王宮で暮らしていたから、いろいろなことを見聞きしてきた。

 それがここで役に立つとは思わなかったのだが。


「最近、宰相が君を離さなくてみんなが困っている」


 レニオスは苦笑を浮かべた。

 必要とされている。

 なんだか不思議な気分だ。

 いてもいなくても変わらない。そんな人生だと思っていたのに。


「そうだ! レニオス様、試したい事があるのですが……」

「なんだ?」

「レニオス様の力は土を操る力でしょう?」

「ああ」

「その力で、土の性質を変えられないかと思いまして」

「土の性質……?」


 レニオスが目を丸くした。

 この様子だとまだ試したことはないようだ。


「土に干渉する能力なら、土壌を変える力もあるかもしれません。それがうまくいけば……」

「うまくいけば、わが国でも作物がたくさんつくれるということか?」

「そうです。一昼夜でできることではありませんが、王宮の敷地で試してみませんか?」


 レニオスの恩恵次第であるため、彼の負担が大きくなることでもある。

 しかし、エレオノーラも少しずつ力を強くしていった。だったら、気長に挑戦すればいつかこの痩せた土地でも作物がたくさん育つのではないだろうか。

 そう、思うのだ。


「君には驚かされる」

「この国で暮らす以上、私はみんなに幸せになってもらいたいのです」


 できることは少なくても、クラリッサができる最大限のことをしたい。

 クラリッサを受け入れてくれたこの国の人々のためにも。


「ではさっそく外に行きましょう」

「だめだ。君は働きすぎだ。まずは休憩だ」

「少しくらい」

「だめだと言っている」


 レニオスは眉根に皺を寄せると、クラリッサを抱き上げる。


「キャッ! レニオス様、おろしてください!」

「君を歩かせると、働きに行くからな」


 クラリッサがいくら暴れても意味はない。

 彼は屈強な戦士だ。

 びくともせず、まっすぐ廊下を歩いた。

 クラリッサにできることは、誰にも鉢合わせないことを願うことだけだった。


 ***


 そのころ、オーリアン王国では異変が起こっていた。


「聖女様、どうか息子をお救いください」


 一組の親子がエレオノーラのもとを訪れた。

 週に一度、聖女に救いを求めた民に力を与える日だ。

 母親は熱にうなされ、意識のない子どもを抱きかかえている。

 この程度の病気であればエレオノーラの歌ですぐに治るはずだ。

 しかし、いくら歌っても子どもはよくならなかった。

 ほんの少し顔色がよくなっただけ。

 エレオノーラは部屋に戻って頭を抱えた。


「どうして? 力が弱まってしまっているの……?」


 力が弱まり始めたと感じたのはちょうど三か月前。

 妹のクラリッサがいなくなって半月くらいしたころだった。


「もしかして、クラリッサが?」


 エレオノーラは昔の話を思い出す。


『お姉様。実はね、私にも恩恵があるの』

『あら? どんな恩恵?』

『お姉様の力を強くする力よ。こうやって神様にお願いすると、お姉様の力が強くなるの!』


 妹のクラリッサは胸の前で手を組んだ。

 あのとき、エレオノーラは冗談だと思った。

 何も持たず「オマケ」と言われるのがつらくて言っているのだろう。

 可哀想な妹。


『私、お姉様のためにずっと側で祈るわ』

『まあ、嬉しい。ずっと側にいてね』


 そんなふうに返事をしたけれど、エレオノーラはクラリッサの言葉がおもしろくなかった。

 まるで自分の功績だと言っているようだと思ったのだ。

 エレオノーラの歌が民を癒している。クラリッサの力ではない。

 それなのに、クラリッサが祈ったからだと言われているようで、苛立った。

 だから、遠くへ追いやる計画を立てたのだ。

 厳しい土地で自分の無力さを知ればいい。

 そうしたら、彼女は気づくだろう。ずっと姉に寄生して生きていたのだと。


「わたくしはどうしたらいいの!?」


 このままではそのうち力が弱くなったことがバレてしまう。


「それはだめ! それはだめよ! わたくしは聖女なのよ! このままじゃ……」


 エレオノーラは青ざめた。

 頼る実家はない。

 両親も祖父母もいない。


(そうよ……。クラリッサを連れ戻せばいいんだわ。きっと今ごろ反省しているはず。わたくしは優しいお姉様だから、許してあげないと)


 エレオノーラは叫び声を上げた。


「誰か! 誰か、クラリッサを連れ戻して!」

「クラリッサ様は聖女様がカルデロン王国とご縁をつないで差し上げたのではありませんか」


 心配そうに侍女が言う。


「そんなのどうでもいいの! 今すぐ連れ戻して! きっと、今ごろクラリッサはさみしがっているはずよ」


 エレオノーラはその日、叫び続けた。

 あまりにも必死だったため、エレオノーラの手紙をクラリッサに送ることになったのだ。


 ***


 祝福の鐘が鳴る。

 クラリッサとレニオスの結婚を祝う鐘だ。

 控え室で、クラリッサはその心地いい音を聞いていた。

 レニオスが隣に立つクラリッサを見下ろす。


「クラリッサ、君のおかげでこの国は輝きを取り戻している」

「私の力ではなく、レニオス様の力です」


 クラリッサは笑う。

 レニオスはことあるごとに「クラリッサのおかげ」と言ってクラリッサを褒めてくれた。

 そして、民にも「クラリッサがいなければ」とクラリッサの地位を守ってくれている。

 オマケだった人生とは思えない。


「言い方を変えよう。君のおかげで私はこの国にもっと貢献できるようになった」

「はい」

「これから先、ずっと君を大切にしよう。だから、女神の夫となる名誉を私にくれないか?」

「おかしなことを。今から結婚式は始まるのですよ?」


 プロポーズのような言葉に、クラリッサは肩を揺らして笑った。


「そうだな。もっと早くに言うべきだったと後悔している。今、私はもっと君を知りたいと思っている」


 レニオスの言葉に胸が跳ねる。


「順番はおかしいと思うが、これから、恋をしよう」


 恋。

 なんだか胸がそわそわした。レニオスはそういうことに興味がないと思っていたのだ。

 クラリッサとはしかたなく結婚するだけ。聖女の妹であるクラリッサがこの国に必要だから、という義務的なものだと思っていた。

 レニオスの真面目な顔を見るに、どうやらそれだけではないらしい。

 彼はクラリッサと同じような気持ちなのかもしれない。


(遅いわ。私は前から恋をしているのに)


 でも、そのことを言うのは悔しい。

 だから、当分は秘密にしておこうと思った。

 彼がクラリッサに本気の恋をするまで。


「では、これからは夫婦兼、恋人としてよろしくお願いします」

「ああ、よろしく頼む」


 クラリッサが手を差し出すと、レニオスが握る。

 安心感のある大きな手だ。

 すると、扉が叩かれた。

 これからパレードで王都を回る予定だ。その準備ができたのだろうか。


「クラリッサ様、少しよろしいでしょうか?」

「ええ、どうしたの?」


 顔を出したの侍女だった。

 侍女は一通の手紙を差し出す。


「オーリアン王国からお手紙が届いております」

「お姉様から?」

「はい、いかがなさいますか?」


 クラリッサはほんの少しの間、思案した。

 どんな内容かは少しだけ想像できる。

 クラリッサがいなくなって、きっと苦労しているのだろう。


「今、私の代わりに返事を書いておいてもらえる?」

「かしこまりました。どのような返事にされますか?」

「そうね。一言でいいわ」


 侍女がレターセットを出す。

 クラリッサはレニオスを見上げた。

 エレオノーラに捨てられたとき、本当にさみしかった。

 ずっと一緒に生きると思ったからだ。

 けれど、今は感謝している。この場所はクラリッサを受け入れてくれた。


「愛するお姉様。私のことはお気にならさず、忘れてくださいね」


 クラリッサは満面の笑みで答えた。


 オーリアン王国のもとにカルデロン王国に現れた女神の物語が届くのは、もう少し先の話である。


 FIN

最後までお読みいただきありがとうございました^^

楽しんでいただけたら嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
名前が混在してます。 レオニス レニオス どちらが正しいのでしょうか? 読みにくいので訂正をお願いします。
愚かな聖女様にバンザイ(ノ≧∀≦)ノ 妹の想いやり?を無視し自分だけが 尊い存在だなんて傲慢するからだっ! 見事なざまぁめちゃ良かったデス!! もっとトコトン堕ちた聖女様も見たい気がします ( ̄▽ ̄)…
聖女様、途方もなくいけずさんですわねえ。 神のご加護は妹御がマシマシにしてくれていたのにいけずさんは全てを失うことになりますわね。
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