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馬車を降りたローザリアはオズモンドに背を押されたサイラスに手を取られていた。
ダニエルはオズモンドが抱っこをして降ろした。
「サイラスおかえりなさい。覚えていないと聞いたけど貴方の妻のローザリアよ。そして息子のダニエルよ」
「こんなに綺麗な人が僕の奥さんで可愛い息子のダニエルなんだね。頑張って生きていて良かった」
一瞬だが泣きそうな顔になったのをローザリアは見逃さなかった。
「無理に思い出さなくてもいいわ、もう一度知り合えば良いのだから。ゆっくりでいいの。生きていてくれただけで嬉しいわ」
「綺麗なだけでなく性格も良いんだね」
周囲は生温かい空気になった。
オズモンドが皆を促した。
「さあ、このホテルの最上階を貸し切りにしたからゆっくり話そう」
ローザリアとダニエルが一部屋、サイラスとオズモンドが一部屋、ミリーがローザリア達の側に一部屋、護衛達も一部屋ずつ割り与えられた。
一番広い部屋がオズモンドの部屋なので、そこで話が行われた。女性の部屋で集まる訳にはいかないからだ。
「サイラスにとって僕も含めローザリア達は見知らぬ人だ。護衛もね。少しずつ距離を縮めて欲しい」
「済みません、沢山心配をかけてしまいました」
「父さま抱っこしてください。父さまが遠くへ行ってたから母さまよく泣いてたよ。涙を拭いてあげたけどハンカチが沢山いるんだよ。もう遠くへ行ったら駄目だからね」
「うん、もう遠くへは行かないよ。約束する。おいでダニエルは良い子だね」
ローザリアは記憶を無くしている間の夫に恋人が出来ているのかどうかが心配だった。
恋愛小説の中に川に流れ着いた記憶喪失の男が、介抱して助けてもらった女性と恋に落ちるという物が多くあったのだ。
行方不明になってからは本を読む気力も無かったが、幸せだった時に沢山読んでいた。まさかそれが今頃頭を過るとは思わなかった。
もしそうなら愛人として認めて何処かに囲わせるのか、断腸の思いでサイラスと別れるのかと不吉な考えが一瞬心を重くさせたが、サイラスが生きていてくれダニエルが笑っているのを見て頭を切り替えた。後継ぎはいるのだと。
事実と決まった訳でもない事で悩むのは悪い癖だ。だから敢えて明るく尋ねた。
「どうやって助かったのか聞いても良いかしら。助けてくださった方がいればお礼をしなくてはいけないでしょう」
「自力だよ。無我夢中だった。気が付いた時は木の枝を抱きしめていて、恩人と言えばその枝かな。幸い川の中に尖った石があってナイフ代わりに出来たんだ。魚や鳥や兎を食べて飢えを凌いだ。火も熾したよ、棒でね」
「父さま凄い。僕もやりたいです」
「あまり美味しくはなかったよ。塩も調味料も無いんだよ。水は川に降りて汲んでいたし」
「誰も持って来ないですか?」
「父さましかいないんだ、ダニエルにはピクニックの方が楽しいよ」
恋愛小説のような事は起こらなかったようだとローザリアはほっとしたが、大変な思いをして帰って来てくれたのだと思うと涙が込み上げそうになった。
「サバイバルな能力があったのね、無事で良かったわ」
「兄上に見つけて貰えて本当にありがたかった」
「あなたにとっては、皆がはじめましてですものね。無理はして欲しくは無いの」
「一日でも早く思い出したいから早く屋敷に帰りたいな」
「屋敷に帰ったらお医者様に診ていただきましょう。街ではお医者様にかかれていないのでしょう?それに御両親も家の両親も顔を見たがっているのよ」
「雇われる前に街の医者に診てもらったけど、記憶以外は大丈夫だった」
「大きな怪我が無かったなんて奇跡ね、神様に感謝をしなくてはいけないわ」
馬車の中ではダニエルが久しぶりの父親にべったりだった。外を見ては色々質問をしていた。
ローザリアは聞きたいことが沢山あるはずなのに、何を話して良いのか分からず困っていたので助かった。
タウンハウスに帰って来た。使用人や騎士達が勢揃いで出迎えてくれていた。
「若奥様、若旦那様お帰りなさいませ。
オズモンド様大変お世話になりましてありがとうございました。
ダニエル坊ちゃまお疲れでしょう。さあ早くお入りくださいませ。両家の旦那様達がお待ちかねでございますよ」
応接室での久々の対面は涙交じりの温かいものになった。
「私は帰る事にするよ。仕事が山のように溜まっているんだ。サイラスの冒険談はゆっくり聞くと良い。では父上母上お先に帰ります。ダグラス伯爵様奥様失礼します。ローザ、サイラス、ダニエルまた来るよ」
「兄上ありがとうございました。感謝してもしきれません。これからもよろしくお願い致します」
「手のかかる弟を持つと苦労するよ、またな」
兄弟の間に温かいものが流れた。
その夜、伯爵邸では屋敷全体でお祝いが繰り広げられた。騎士や使用人にもご馳走やお酒が振る舞われた。
サイラスは久しぶりの自室で休むことになった。以前は夫婦の寝室を使っていたそうであまり使用していなかったらしいが、まだ何も思い出せない上に緊張があった。サイドテーブルにはランプと水が置いてあり花が飾ってあった。
当たり前だが子爵家の使用人のベッドよりずっと高級だ。隣に続くドアを開ければ彼女と息子が眠っているのかと思うと、なかなか寝付けなかった。
綺麗な人だった。幼いころからの婚約者だったと兄から聞いた。もう一度恋をしそうな気がした。
街に出て働くようになって身なりを清潔にした辺りからよく女性に声をかけられた。知り合いかと足を止めれば熱のある目で見て来て気持ちが悪かった。
一時の遊び相手に誘われていると分かった。どうやら自分の見目は良いらしいので気をつけようと思ったのが幸いした。
記憶が無いとはいえ彼女を裏切っていたら此処には戻れなかっただろう。兄が見つけたとはいえ、身辺は調べただろう。
入婿に浮気を許す家庭ではなさそうだ。跡取りはいるのだし用なしと見做されるところだった。
無意識に女性を排除するくらい、どうやら自分はかなり妻一筋だったようだ。
ほうっと大きく息をしていたら安心したのかいつの間にか眠っていた。
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