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ギリギリ間に合った乗合馬車には、クロノ、アンリの他に3人の乗客がいた。この村を最後の経由地として、三か所の村から王都へ向かう人々である。
一人は冒険者だった。魔物討伐の依頼の帰りだそうで、腰に片手剣を下げ、傍らに使い込まれた傷だらけの盾が置いてあった。髪を短く刈り上げた、さわやかな笑顔の青年だ。他の乗客は、娘夫婦に会いに行く爺さんと、働き口を探しに行くという女の子。
ここから王都までは半日ほど。昼過ぎに出発したので、日が暮れきる前には街に入れるだろう。
馬車に揺られながら、景色を眺めたり雑談したりと各々時間を潰している。
ヴァンと名乗ったその冒険者は、クロノとアンリが冒険者試験を受けに行くのだと言うと、懐かしそうに目を細めた。
「俺の時は3人組でブルースライムを6体狩ってこい、ってやつだったんだけどさ。一緒に組んだちょっと老けてる魔導士が、水専門なうえに漂白鏡も属性液も忘れてきてて。おまけにスライムの特性を知らなかったんだよ。そのせいで、そいつが出した水球をスライムが取り込んで巨大化しちまってさ。俺の得物は片手剣と盾だし、もう一人も剣士で、デカすぎて切っても切ってもつながるスライム相手に何もできなくてな。仕方ないから俺とその剣士の二人で不慣れな魔法での戦いをする羽目になったんだ。多少でも氷魔法を使えてよかったよ、ほんとに」
「水路に落ちて巨大化したスライムを見たことがあるけど、あれを少人数で倒すってなると大変だわ、よく倒せたわね。その試験ってメンバーはランダムで決まったの?」
アンリは冒険者の先輩であるヴァンの話を聞いている。一方クロノは興味なさげに壁にもたれて目を閉じ、寝たふりをしていた。冒険者試験の内容は、既にゲームのチュートリアルで経験済みだから、聞き出す必要も特にないだろうとの判断だった。王都のすぐそばのダンジョンで、初級の雑魚敵を6体倒す。倒した魔物の素材を持ってギルドに帰る。それだけ。ちなみにゲーム内では、そこで近接のアクションコマンドと、回避と、魔法の操作方法が表示される。
さっきヴァンが話していた『スライムに同属性の魔法は吸収される』も、魔法部分のチュートリアルでやった覚えがある。ゲームではノーダメージの表記が出るだけで、話に出たような巨大化はしなかったが。
「チームメンバーはギルド側がランダムで振り分けたよ。俺も知り合いの弓使いと一緒に試験を受けに行ったんだが、試験での組み分けは別だった。選んで組むなら、あんなお荷物魔導士は願い下げだね」
よほどその一件でその魔導士が嫌いになったのだろう。思い出すのも嫌そうな顔をしながら、ヴァンはやれやれと首を振った。
「ああ、同じパーティーだったとしても、ギルドに戦果物を出しても全員がライセンスを貰えるわけではないから気を付けるんだよ。アンリちゃんはしっかりしてそうだから大丈夫だと思うけど。噂では、試験官が隠匿魔法を使いながら見張っているらしい」
「ということは、もしかして」
「そう、俺の時は素材は人数分しっかり提出したし、マイナス評価になっても嫌だから道中でのスライム巨大化の件は伏せたんだけど、そのアホ魔導士は試験に落ちたよ。まぁ何もしてないどころか足を引っ張ったんだから当然か」
ハハッ、と笑いながら語るヴァンは、当時を思い出してか目が死んでいた。
陽が傾き始めたころ、馬車は両脇を木々に囲まれた道へと差し掛かった。元々森であった場所を、交易のために道を拓いた場所だ。馬車が通りやすいように整備されているとはいえ、道から少し外れれば草木が生い茂り、森そのものといった道だった。
少し進むと陽が傾いたのも相まって、道の両脇の樹が高く、落とす陰のせいで薄暗く不気味な雰囲気がある場所に差し掛かった。こういうところにはだいたい決まって――
「おい!そこの馬車!止まれ!」
変な輩が沸くものだ。
馬車の前に、曲がった刀身の……シミターだったか、そういった剣を構えた輩が現れた。
見るからに盗賊風情といった大男が、刃をこちらに向け、声を張り上げる。
「おう命が惜しけりゃ積荷を全部置いていけ!乗っている奴らも全員降りろ!」
クロノがそっと聴覚強化をして足音を聞くと、御者を脅している男以外の奴が、馬車の裏から詰めてこようとしている。
「……こういうド定番イベントは主人公に対してやってくれよ」
誰に聞こえるでもなく小さくつぶやき、どうしたものかと思案していたその時。
「みんなはここに残って。俺がなんとかする」
事態を察知したヴァンが、盾と剣を構えつつ、馬車の乗り口から外へ出た。
「なんだぁお前は?殺されてぇのか」
外に出たヴァンを待ち構えていたのは、数名の盗賊だった。
「これでも冒険者なんでね。さぁ、痛い目を見たくなかったらさっさと諦めて帰るんだな」
ヴァンはちらりとこちらを見てから盗賊側に向き直る。アンリにいいところを見せたい、って顔をしているが、そんなうまくいくわけがないだろ。
「お前ひとりで何ができる?こっちは大勢居るんだよ!」
男たちがヴァンに襲い掛かった。ヴァンの腕がどれほどかはわからないが、盗賊たちの動きはそう手練れには見えない。一人であれば簡単に倒せただろうが、数の暴力の前に劣勢だった。盾でなんとかいなしてはいるが、防戦一方で攻めの手を何一つ繰り出せずにいる。複数人を相手に耐えているだけで十分だろう。
「あたしも加勢する!あんたも冒険者になるんでしょ、行くわよ!」
「待って、今僕たちが無策で行っても足手まといになるだけだよ」
引き留めたクロノをアンリは呆れたような眼差しで睨むと、大剣の柄を握り馬車を飛び出した。
「あんたみたいな根性無しは、端っこで指でも咥えてなさい!」
策もなさげに飛び出していったアンリを見て、クロノは眉間を抑えた。
「……ったく、できるだけ魔法使わずどうにかしようって考えてるっつーのにさぁ」
クロノは髪の毛を一本抜くと、怯えているお爺さんと女性に向かって微笑んだ。
「お二人はとりあえず、のぞき込まれても静かに待っていてください。僕がなんとかしますので」
二人が頷いたのを確認すると、何かを呟いて引き抜いた髪を乗り口に置き、クロノも馬車の外へ出た。
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「このあたしが相手になってやる!かかってこい!」
アンリは盗賊の前に繰り出し、大剣を構えた。身の丈に不似合いなほど大きなその剣を、小さな体でしっかりと支えている。
「アンリちゃん!?危ないから出てきちゃだめだよ!」
攻撃をいなしていたヴァンがアンリの登場で動揺した、その隙を盗賊は見逃さなかった。
「どうした女に目ぇ向けてる暇はねぇぞ」
「しまっ――」
下からシミターでかちあげられ、片手剣を弾き飛ばされた。武器を失ったヴァンは二人の攻撃に耐えきれず、腹部を殴打されて体勢を崩す。
「ヴァンさん!今、助けますからね!」
アンリの琥珀色の魔石が輝くと、地面が隆起してヴァンの前に土壁が形成される。生成された土壁に手をついて身を反転したヴァンだったが、立て直すことはできず地面に崩れ、そのまま盗賊に組み伏せられた。ヴァンを組み伏せた盗賊の右手が淡く緑色に光ると、どこからともなく蔦が現れ、ヴァンの両手を後ろ手に拘束してしまった。
「アンリちゃん、逃げなさい!君でどうにかなるような相手ではないよ!」
「ヴァンさんになんてことをするの!このあたしが成敗してあげるんだから!」
拘束されながらヴァンが叫ぶ。だが、アンリの耳には届いていないらしい。
「やぁぁぁぁぁぁ!」
重い一撃が盗賊を襲う。ただ大きさに見合う鈍重だったその一撃は、盗賊にあっさりと避けられた。
そのまま足払いをかけられ、転倒。そのまま拘束されてしまったアンリは、蔦の拘束魔法を掛けた盗賊に抱えあげられた。
「このガキ、なかなかいい身体してますぜ兄貴!楽しんだ後に売り飛ばしましょうぜ」
「放しなさいよ!このこのこの!」
アンリは足をばたつかせて暴れているが、後ろ手に縛られて抱えられているせいで身体が浮いている。
「くっ、アンリちゃんを離せ!何かするなら俺だけにしろ!」
「こいつらうるせーし口も塞いどけ。おいお前、馬車の中の残りの人間を引っ張り出せ」
「ふぐ?ぐぐふぐぐぐ」
布を嚙まされたアンリが何かふごふご言っているが聞き取れる言葉じゃなかった。よかった、盗賊がアンリに猿ぐつわを嵌めてくれて。
「兄貴!馬車の中はからっぽですぜ、こいつらしか居ねぇみたいだ。見てくだせぇ、荷物すらなく空っぽだ」
小柄な盗賊が馬車の中をのぞき込む。確かになにも見当たらない。積荷も、人影も何もない。
「フン。湿気てんな。こいつのせいで時間も食ったし無駄足じゃねぇか」
頭領らしき男も中をのぞき込んで確認し、拘束され立たされているヴァンに向き直ると腹部を拳で殴った。姿勢を崩し、苦しそうに膝を折る。
同時に、頭領の顔も地面に叩きつけられる。
「何しやがるてめぇ!俺を誰だと思ってやがる!」
小柄な盗賊が、頭領の後頭部をいきなり殴りつけた。
不意打ちも相まってかド派手に張り倒された頭領は、叩きつけられて切ったのか、口の端から血が流れている。
ニッ、と嗤ったその盗賊は、どこからともなく薄紫の剣を取り出し、ヴァンの手枷となっている蔦を切った。
霧散した鏡像の下から黒髪が覗く。
「立体鏡像、難しくない?身体に纏う系にしたらなんとかなるかと思ったんだけどもう解けちゃったわ」
「普通思い付きで出来ねーよ、俺がこれを作るのに何か月かかったと思ってんだ」
抱えられたままのアンリも、アンリを抱えてる盗賊も、手枷から解放されたヴァンも、状況が飲み込めないようできょとんとしている。
クロノは、地面から起き上がろうとしている頭領を横から蹴りつけ、頭を踏みつける。
「起き上がっていいなんて誰が言ったよ」
凍てついた声でクロノが睨む。足蹴にしながらその盗賊の服を引き千切り、千切った布で両手を括ると、髪を一本抜いて、盗賊を括った布に硬化の魔法を掛けた。
「女の子には優しくしろって習わなかったか?」
腹部に蹴りを入れて、両手を拘束した男を転がす。
そのままアンリを拘束している男の方に向かい、放心している男の顔面を吹っ飛ばした。よろけた男からアンリを取り返して降ろすと、そのまま胸倉を掴んで男を地面に叩きつける。頭を強打したのか、男はそのまま気絶した。
呆然と事態を見ていた残りの盗賊たちが、ハッと意識を取り戻したかのようにクロノめがけてシミターを振り上げる。数は3。
剣の柄を深く握ると、薙ぐように振るい、一人の得物を弾き飛ばす。
そのまま返す姿勢で、別の一人の足を払う。
飛びかかってきた三人目を身をひねって躱し、みぞおちに剣の柄を叩き込む。
あっという間に盗賊たちの山が出来上がった。
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「もう大丈夫ですよ、遅くなってしまってすみません」
馬車の中に残っていた二人と御者に、クロノは優しく声をかける。
「お前さんが待ってろ、って言ってから外の様子がまるで分らなかったんじゃが、本当にもう終わったんかい?」
爺さんが怯えながら訊ねた。女性のほうはまだ馬車の端に縮こまっている。
「大丈夫ですよ。襲ってきた奴らは全員捕まえました」
ほら、と視線を促した先には、盗賊が5人、縄でグルグル巻きにされ束ねられていた。
「あとは冒険者のヴァンさんが憲兵に引き渡して終了です。王都までもう少しですし、このまま馬車の後方に乗せて連行しようかと」
「ひぃっ、こんな人らと一緒に乗るんかいの、大丈夫なのかい?」
「大丈夫ですよ、俺がきっちり拘束してますんで。もし何か起こそうとしたら走行中の馬車から棄てます」
縛り上げたあと、ヴァンが氷魔法で縄の上から拘束を重ねている。濡らした布を凍らせて巻いているので盗賊たちはさぞ冷たいことだろう。
「暴れるようであれば僕も加勢しますので、安全は保証しますよ」
クロノが冷めた目で睨め付けると、何か言いたそうにもごもご動いていた盗賊は瞬時に黙り込んだ。馬車の中の空気が一層冷えた気がした。
「……クロノ君、本当に俺の手柄にしていいのかい?盗賊を倒したのは君だろう」
王都まであと少し。小声でヴァンが話しかけてきた。
「僕はまだ冒険者ライセンスを持っていません。この場で盗賊の捕縛が可能なのは、ライセンスを持っているヴァンさんだけです。本来ならライセンスのない僕が戦ってしまうと、盗賊とはいえ人間に危害を与えたことを罰せられますから……」
はは、とばつが悪そうにクロノが笑いながら答える。
正直なところを言うと目立ちたくない。なにせ神子ご一行のイベントに干渉してジェシカが死ぬ未来を変えないといけないのだから、変に目立って行動に制限がでるのはよろしくない。
「確かにそうだな、それじゃあ俺がこいつらを引き渡しておく。もしこいつらに懸賞金がついてたら、次に会った時に飯を驕るよ」
「その時は遠慮なくごちそうになりますね」
「ところでさっきはどうやって盗賊に化けていたんだい?姿を変える魔法なんて聞いたことがないよ」
「はは……ほら、認識阻害の眼鏡とかあるじゃないですか、あれの強化版みたいなものですよ」
咄嗟にでたらめを言ってはぐらかそうとするが、ヴァンはあまり納得していない様子だ。
「そうか……そんなものなのか?俺は魔法に疎いから全然ピンとこねぇや。ところでさっき出てきたときに誰か別の人の声も」
「何かありましたっけ?」
「……いや、気のせいかもしれない」
歴戦の勘、というやつなのか。何かを悟ったヴァンは、それ以上訊いてくることはなかった。
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王都に到着し、城門前でヴァンと別れたクロノとアンリは、今夜の宿へと向かっていた。
陽が暮れたばかりの薄暗い中、魔石式の街灯が等間隔に灯っている。
薬屋の卸しに時々付き合って王都まで来ていたクロノは見慣れているが、アンリは初めて見る光景に辺りをきょろきょろと見まわしている。ただ、先ほどの盗賊の件で拗ねているのか、道案内に従ってはくれるが、口をきいてくれなかった。宿と明日朝のギルドへの案内を済ませればジェシカからの依頼は達成ではあるから、まぁ別にご機嫌取りする必要もないだろ、とクロノはニコニコ笑顔の事務処理モード全開での対応を決め込んでいた。
「さぁ、着きましたよアンリさん。ここが僕と薬屋のお兄さんがよく使っている宿です。女将さんも優しい方で、料理も美味しいんですよ」
高級過ぎずボロ過ぎず。それでいて大通りから少し離れているからか、質の割に値段が安い。
なによりご飯が美味しい。クロノは薬屋の手伝いに王都に来るときは、決まってここの日替わり定食を食べていた。
「こんばんは女将さん。2人で1泊したいんですが、部屋空いてますか?」
「クロノ君今日は一人……じゃなくて女の子と一緒なのかい!?すまないねぇ、1部屋しか空いていないんだよ、それでもかまわないなら部屋に寝具を運ばせるけど」
女将さんは困ったような、でもどこかにやついたような顔でそう告げた。
「それでお願いします。あと女将さんが思っているような関係じゃないですよ。姉にこの子の王都案内を頼まれたんです」
「あたしゃ何も変な目で見てないよ。そういうことにしておいてやろうじゃないか」
「女将さん、にやにやが隠せてないです」
「いやぁ若いっていいわねぇ」
そういう関係じゃないです、と再度強く否定すると、女将はつまらなそうに口を尖らせた。
「追加の寝具を旦那に運ばせるから、ご飯がまだならその間に食べていきなさいな。今日の日替わりはあんたが好きな香草チキンの揚げ物だよ」
併設されている食事処の方を見ると、今日はほぼ満室とのこともあって人で賑わっていた。スパイスをまぶして揚げられたジャンキーな味のチキンは、クロノと薬屋のお気に入りメニューの一つだ。漏れてくる香ばしい匂いが鼻孔をくすぐる。
「それにしても今日は人が多いんですね、何かあったんです?」
「知らずに今日来たのかい?運がいいねぇ。今代の神子様が王都にいらっしゃっているんだよ。噂を聞きつけた人が神子様を一目見ようって王都に集まってるってわけさ」
「神子様が!?なんでまた……」
「なんでも神子様の幼馴染が従者として立候補したそうでねぇ、その子が護衛につけるように冒険者ライセンスを取りに来たんだけどね、それに神子様もくっついて来ちゃったみたい。他にも何人か護衛を探すって話だから、どうにか神子様とお近づきになりたいって冒険者もギルドに戻ってきているみたいよ」
『精霊石物語』のストーリーが、始まっている。オープニングが終わったところか?チュートリアル前か?主人公の試験が済んでるならチュートリアル後か?クロノは口元に手を当てながら思考を巡らせる。
「なんでもその幼馴染の子は明日の試験を受けるらしいから、明日の冒険者ギルドは人でいっぱいになるだろうねぇ」
オープニング後、チュートリアル前、確定だ。
思えばチュートリアルで同行するアンリが明日試験を受けるのだから、それもそうかという感じである。
「ええ……実は僕たちも明日、冒険者試験を受けに行く予定なんです」
「あらあら!それなら噂の神子様の幼馴染君と一緒に試験を受けるかもなのね。もしかしたら神子様の護衛に選ばれちゃうかもしれないわねぇ」
「はは……お眼鏡に叶えばその栄誉を賜れるかもしれませんね」
なるべく目立たないようにしよう、とクロノはそっと誓った。
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部屋に案内され一息ついても、アンリは一言も話さなかった。
「アンリさんはベッドの方を使ってください、僕はあっちで寝ますので」
備え付けのベッドの対岸に、宿屋の旦那が運び込んでくれた寝具がある。ベッドよりは多少固いが、体を休めるには充分だ。
「ちょっと外に出てきます。僕にかまわず明日に備えてゆっくり休んでくださいね」
ベッドに腰かけたアンリに告げ、クロノはジークを抱えて外へと出た。
薬屋と王都に来た回数は数度だが、クロノ自身は嫌というほどこの街を知っていた。
人通りが少ない路地を選び、そこから浮遊の魔法を使って、そっと屋根伝いに王立図書館棟の上に登る。月明かりに照らされる王城の荘厳さと、賑やかな明かりの灯る城下町が一望できるこの場所は、クロノが考え事をしたり、ゲームをつけっぱなしながら飯放置をしたりするときによく訪れていた、お気に入りの場所だった。
「ジークぅ、俺なんか嫌われるようなことしたかなー」
「俺に聞かれても分からん」
図書館棟の屋根に腰掛け、クロノは空を仰いだ。
「最善策だと思ったんだけどなぁ。鏡像ドッキリ大作戦も成功したし」
「その立体鏡像だが、術式を教えたわけでもないのにとっさによく出来たな」
「見よう見まねで、できた。イメージは既にあったから」
ゲーム内には見た目だけを好きに変えられる課金アイテムがあった。イメージは完全にそれだった。
「でも思ったより持続時間がなかった。別に魔力切れとかではなかったはずなんだけど」
クロノは不満そうに指ぬきグローブを外す。無為に魔石なしを晒して騒ぎになるのを嫌って、気の知れた人以外が居るときには必ず着けるようにしていた。
「やっぱ魔石がない分、魔力の練りとかが足りないんだろうか」
痣がある手を月にかざす。
「魔石なしで魔法を使えること自体が珍しいんだ。まだ魔石が原因と決まったわけでもないし、あれだけできれば練度を上げれば問題ないだろう……今後使う場面があるかは置いといてな」
「いやにフォローしてくれるじゃん。俺が作った魔法がそんなにやすやす使えてたまるか、とか言われるかと思った」
「石なしとかいう大きなハンデがある上に、師が居たわけでもないのに身体強化系を使いこなしているだろう?俺に自由の利く体があるなら、直々に鍛えてやりたいと思うくらいには逸材だよ、お前は」
「ハハッ、名家イグナーツのお坊ちゃんのお褒めにあずかり光栄です」
「人が真面目に褒めたってのに、死にたいのかお前は」
照れ隠しにまた家名を出してきたクロノに、呆れた声でジークが返す。
「冗談冗談、ごめん。遠からぬ未来に教えを乞うことになりそうだから、その時は頼む」
右手にグローブを嵌めなおし、月を見上げる。
「明日、おそらく神子と、主人公……勇者を見かけることになる。彼女らの今後の行動計画をどうにかして聞き出さないといけない」
「ジェシカが危険に晒される、という例の件だな」
「その通り。神子一行が3か所の目の精霊神を倒す前に村に着いてしまうとまずいから、どういうルートで来るのか把握して止めたいんだ。2か所目あたりで介入して、3か所目を村から離れた精霊碑に行かせるとか」
精霊石物語の精霊神――召喚ボスは攻略順に縛りは無かった。フィールド上に存在しているボスの討伐数によってストーリーが進む。だから苦手なギミックのあるボスは後回しにしたりもできた。
王都近辺には5か所あり、そのうちの1か所が村の近くの、先日薬屋と一緒に訪れたドラグノの森だ。その森のボスに挑む場合、直近の村が、クロノたちの住むルーノ村となる。
ジェシカが命を落とすイベントの発生条件は、ストーリー第二章までにルーノ村を訪れ、ジェシカに話しかけること。第二章への進行条件は上記の5か所のうち、3か所のボスを倒すこと。
3か所目の討伐のイベントが起きた後は2章へのイベントが始まるから、一旦村に来る余裕がなくなるはずだ。ゲーム本編でもフラグがなくなる。
「どう誘導するかとかの目途は立っているのか?精霊碑はドラグノの森にもあるから、森に神子が来るとなると村を経由してしまうが」
「王都を挟んで村の反対側に港があるだろ?あっちの方の精霊碑に向かわせる。そこから迂回路を通って行くルートに入れば、もし3か所目をドラグノの森にされても、アクス村側から森に入る筈だ」
そろそろ宿屋に帰らないと。と、クロノは立ち上がって伸びをした。
「まぁ、神子様が元から港ルートなら何もしなくていいし、明日の調査次第かな」
「試験の心配はしなくていいのか?」
「もしかして俺が試験に落ちると思ってる?万が一もないよ」
アンリもおそらく、シナリオ通りなら問題無いはず。
「それにしても、人目のないところじゃないとジークと話せないのは不便だな。なんとかならない?」
「無茶言うなよ、剣の状態で思念でも飛ばせってか」
夜闇に、一人と一振りの影が消えていった。