クリームソーダは裏メニュー
「あれ? クリームソーダってメニューにありましたっけ?」
酷暑の午後。
街歩きの最中に、堪らず喫茶店に逃げ込んだわたしは、店員に訊ねた。
「はい。あれは、裏メニューなんです」
「クリームソーダが裏メニュー?」
この店には初めて来た。
クリームソーダは美味しそうだが、いきなり裏メニューを頼むのもなんだかな、としばし店内を観察する。
クリームソーダを美味そうに飲み食いする客は大学生くらいの男子。
そして、斜め向かいに座るのは上品な身なりの老女。
「……でね、嫁が言うには……」
男子はうんうんと相槌を打ちながらも、食べる手は止めない。
すると、そのうちクリームソーダはきれいに完食された。
「あらやだ、もう少し聞いて欲しいのに」
「パンプディング食べたいな」
「いいわよ! って言うか、いいの?
パンプディングは待ち時間を含めて三十分かかるけど?」
「大丈夫です」
若い男子は爽やかに微笑み、上品な老女は薄っすらと頬を染める。
「なんじゃ、ありゃ?」
思わず口にしたところで、店員が来た。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「とりあえず、ブレンド」
「かしこまりました」
「ところで、パンプディングも裏メニューなんですか?」
「はい、そうです」
「三十分というのは?」
「実は、裏メニューは基本、自分で注文できないんですよ。
奢ってもらうのが前提なんです」
「奢ってもらう?」
「ええ。その代わり、メニューに応じた時間分、奢ってくれる相手の話を聞くのが決まりです」
「どんな話でも?」
「流石に、秘密を無理に教えるとか、そういうのは駄目です。
それと裏メニューを注文できるのは身元の知れた常連さんだけです」
「奢られるほうは、一見でもいいんですか?」
「はい。そもそも、この店にはマスターのお眼鏡にかなったお客さんしか入れませんし」
そう言えば、入り口を入ってすぐのレジの前に、やたら綺麗で細マッチョの中年男性がいたが、あの人がマスターか?
「いらっしゃいませ」とにこやかに迎えられたので、「こんにちは」と頭を下げたけど。
「お客さんは、お眼鏡にかなったんですよ」
店員の視線が入口の方に向く。
つられて、そちらを見ると新たな客が入って来た。
ガラの悪そうな三十前後の男が二人。
「……くそ暑いな! ビールでも飲もうぜ」
「お客様、当店はアルコールは扱っておりません」
「固いこと言うなよ、駄賃をはずむから、その辺の酒屋で買って来いや!」
「申し訳ありませんが」
「ガタガタ言うな。言うこと聞かねえと、少し暴れさせてもらうぜ?」
「あ、兄貴!」
「なんだ?」
弟分らしい男が、兄貴分のシャツの袖を引っ張った。
仕方なく、兄貴は店の奥を見る。
「なんだって……! !? !?!?!?」
店の奥の席には、カンカン帽に落ち着いた色合いの作務衣を着た、貫禄のある老人が座っているだけだ。
「あ、こりゃ、お騒がせしてしまって。
し、失礼しました!」
兄貴分は直角に腰を曲げて、店全体に向けて謝ると逃げるように出て行った。
弟分も、それに倣う。
「あちらのご老人は、その筋の?」
「いえいえ、ごく普通の穏やかなご老人ですよ。
……礼節を弁えた一般人にとっては」
「ハハハ」
凄い店に入ってしまった。でも、運ばれたコーヒーは美味しい。
「御馳走様。コーヒー美味しかったです」
「ありがとうございます。またのご来店をお待ちしております」
「ええ、是非」
マスターの綺麗な笑顔に見送られ、気分良く店を出た。
わたしは、そこまで気が長い方ではない。
さすがに、見知らぬ人の愚痴を含むだろう話を黙って聞くような余裕はないのだ。
おそらく裏メニューを食せることは無かろうが、表メニューだって十分魅力的だった。
そうして通うこと五回。
六回目には、なんと、店員さんが裏メニュー表を携えて来た。
「あの、わたし、誰かに何か話したいわけでは……」
「いえ。マスターがあなたを常連と認めましたので、今日から裏メニューもご注文になれますよ」
「あ、そういうことですか」
基本の決まりはあるけれど、全ての決定権はマスターにあるのだ。
マスターと目が合ったので、軽く会釈したら微笑まれた。
相変わらずの綺麗系細マッチョ。
「何になさいますか?」
「せっかくなので、クリームソーダをお願いします」
「畏まりました」
シュワシュワと爽やかなソーダ。
しつこ過ぎず、まろやかなアイスクリーム。
真っ赤なチェリーは鮮やかに。
わたしを、秋の入口へと誘った。