07.拠り所
僕の仕事を説明するよ、と前置きして話し始めた陽一の仕事は、こういう内容だった。
日本が好景気を謳歌していた時代から、アメリカの経済破綻にも匹敵するような不況の波を、もろに被って不景気の波が押し寄せ、最悪の経済不況と言われた時代。
それは日本だけではなく全世界的に不況の嵐が吹き荒れたものなのだが、徐々にそんな不況の波から世界は立ち直っていった。
だが、それは決して足並みを揃えてというわけではない。
当然ながら、それぞれの国が不況の波から立ち直るタイミングには、タイム・ラグが存在していた。
そんな中、日本はどうだったかというと、かなり出遅れていたことは否めない。
多くの国が経済的に盛り返し、日本へ観光に来る外国人客も増加する中、出遅れた日本は苦しい生活に喘いでいる人も数多く居た。
親からの資産を受け継ごうにも、多額の相続税を払い切れずに資産を処分したり、土地を処分したりしてお金を作らねばならぬ人達も数多く存在していた。
そして、そんな処分のために売りに出されていた土地を買っていたのは、何も日本人ばかりではなかった。
諸外国の投資ブローカー等が、値上がりを見越して土地を購入した例など、その時期にはいくらでもあった。
だが、ここで大きな問題が生じてきた。
池や沼や、河川の一部にかかってたりしてる土地を、海外のブローカーが購入してる事例が目立ってきたのだ。
河川や水源というのは、国を生き物に例えると、血液が流れる血管に等しい。
もしその調子で水源に関わる土地をどんどんと海外のブローカーに買い占められて、水源の安定供給を妨げられることにでもなったら大変なことになる。
これは国会でも取り上げられ、野党も与党に対して追求し、国民も注目するところとなった。
数年に渡る審議の末、与党はやっと重い腰を上げ、資源庁が民間会社に委託する形で、全国規模の水源調査を行うことが決定した。
水源に関わる維持が民間で難しい場合には、国から派遣された管理官がその土地を維持することになった。
ふさわしい価格で国へ譲渡の同意が取れた場合には、国の所有とする事も決まった。
そしてこれらの管理も、国から委託された民間会社が行うこととなった。
陽一の仕事というのは、これらに関わる仕事ということになる。
川や河を遡っての水源の調査。それに関わる土地の持ち主の調査。現場写真の撮影。水源に関わる土地を手放そうとしている土地所有者に対しての交渉。それらの全てが陽一たちの仕事である。
当然ながら出張が多い仕事となるので、家の事は殆ど陽子に任せっきりである。
そのかわり、プライベートと仕事の区別が付きにくい仕事であるので報酬は高く、経済的な苦労をあまりかけさせることの無いことが唯一の救いだった。
現在居住している家に関しても、もっと豪邸にする事も可能ではあったのだが、夫婦揃って派手な生活にはさほど興味がなく、人は働いてこそというモットーを持つ陽子は、街に出てきた当初から勤めていた会社で今だに現役として働いている。
陽一が陽子に専業主婦を望んだときにも「何言ってるの。そう望む女性も多いだろうし、決してそれを否定しないけど、私は働きたいわ。働いて社会と接点を持って、貢献してるという実感を持つ事で生きてるってことを実感したいのよ。それに、あなた出張が多いでしょ?」と、そこまで言われては、陽一には何一つ反論の余地は無かった。
「で……君にやってもらいたいのはね。」と、陽一は京一へ語りかけた。
要はスマートフォンで資料写真を撮影し、添付メールとして離れに設置してあるパソコンに送るので、それをプリントアウトして欲しいという話だった。
プリントしたB5の用紙の枠外に、写真のファイル記号を書いた後、パンチで穴を空けファイリングしてほしいという話だ。
陽一は一連の作業を一通りやって見せ、実際に京一にもやらせ、詰まったところを何度か教え、数回で京一は作業をすっかり覚えてしまった。
「どうだい?出来そうかい?」
陽一がそう聞くと、京一は「大丈夫です!」と、自信に満ちた声で答えた。
「それなら、これで君はうちに居ることに肩身を狭くすることはないよ。これは立派な仕事だからね。それに特にノルマは設けないから、出来るときに出来るだけで良いよ。本来これは僕がやらなきゃならない仕事だしね。」
陽一はそう言って、良かった良かったと言いながらハハハと笑った。
「でも、ずっとこればっかりやってるわけにもいかないよね。何かちゃんとした仕事も紹介してあげなきゃなあ。そうする事で生活にもメリハリが出るだろうしね。自分で自由に使える給料も得られるし。」
陽一は重ねてそう言った。
「ねえ、お兄ちゃんはここに住むの?」
美祢はそうあって欲しいという願望を声音に滲ませながら、京一へそう聞いた。
京一はしばらく考えた素振りをしていたが「はい、じゃあ……お世話になります。よろしくお願いします。」
そう言って頭を下げた京一の顔には、どこか吹っ切れたものがあった。
そんな時。
「ただいまあ!」
玄関の方から元気な声が聞こえてきた。
「いっけない!麗華の了承を取るのを忘れてたわ!」
陽子は手を額に当てて、しまったという顔をした。
「おいおい、こんな大事なことを麗華にまだ全然話してなかったのかい?」
陽一は呆れたように陽子に言った。
「すっかり忘れてたわ。美祢が事故に遭いそうな所を助けてくれた人がいるっていう話はしてたんだけどね。京一君とはまだ全然会ったことは無いのよ。」
陽子はどうしようという表情になった。
「僕は知らないよ。キミの方から麗華を説得してくれよ。」
陽一はこの件に関して、すっかり陽子に丸投げの体制である。
「大丈夫だよ。あたしからもお姉ちゃんに頼んであげるから。」
美祢は自信満々の顔でそう言った。
「みんなどこにいるのー?庭の方?返事してよー!」
麗華が呼びかける声が、庭の方へ響き渡った。