04.帰路
京一が会長と話していたその頃、陽子たちはどうしていたろうか。
二人は病室を出て家路についていた。
しかし二人は歩きながら、いくばくかの不安を抱えていた。
陽子はそれを考えまいとしていたのだが、美祢にはそれは無理な相談だった。
「ねえ、お母さん。」と美祢は陽子の手をギュッと握って言った。
「お兄ちゃん、このまま消えたりしちゃわないよね?明日病院に行ってもちゃんと居るよね?」
そう言った美祢の表情は、物凄く不安気だった。
「大丈夫よ。京一君にはあれだけ釘を刺しておいたんだもの。明日もちゃんと病室に居るわよ。」
陽子は美祢にだけではなく、自分にも言い聞かせるようにそう言った。
「明日病院に行ったら、ちゃんと迎えてくれるわよ。」
正直、その言葉には何の確証もない。
京一は陽子のした事に関して、随分恩を感じているように見えた。寧ろ申し訳ないと感じているように見えたくらいだ。
陽子達が京一に対するあれやこれやを過度に恩を感じて、自分達がそれを負担に感じているなどと考えたら……黙って姿を消すのもありえない話ではないのだ。
美祢は急に歩みを止めた。
「どうしたの?急に歩くのを止めたりして。」
陽子は少し驚いて美祢に訊ねた。
「お母さん。やっぱり病院へ戻ろうよう。京一君の様子を見に。」
陽子は驚いた。
元来美祢は少し人見知りのある子で、子供に対しても、大人に対しても、ある程度時間をかけて慣れないと、人と打ち解けたりしない子である。
それはもしかしたら、未熟児で生まれた事とも関係があるかもしれないし、赤子の頃から平均より病弱であったことも関係あるかもしれない。もしくは入学当初、平均よりも小柄な身体がからかいのネタになり、よく泣いて帰ってきた事とかも関係あるのかもしれない。そのせいかどうかは分からないが、普通の子よりも若干親への依存が強く、幼稚園の年長組の頃など、園に黙って家へ帰ってきて周囲を大騒ぎさせたものだ。
そんな美祢が、知り合って間もない京一には大きな関心を寄せている。
しかもそんな京一は、記憶を失った青年である。
不思議なことである。
それは京一が一切の記憶を失ってるが故に、一切を色眼鏡で見ない事に起因してるのであろうか。
それとも事故から助けられた故に吊り橋効果のようなものが作用し、恋慕のような情が発生したためであろうか。
いや、まさかと陽子は考える。
美祢は何と言ってもまだ小学二年生なのだ。そんなことはあり得ようはずはない。思わずそんな事を考えた自分に陽子は苦笑した。
「無理よ、美祢。いい?よく聞いて」
陽子はそう言って、屈んで視線を美祢と同じ高さに合わせた。
これは陽子が美祢には大事な事を話す時にいつも取る姿勢である。
「京一君は今日はとても疲れてるわ。お母さんがあげたサンドイッチを食べたとしたら、もうそろそろ眠くなってきてる頃よ。あなただって眠っている京一君を起こしたくはないでしょう?どうなの?」
美祢は黙って頷いた。
「それにあなただって、それに勿論私だってお腹が空いているわ。家で留守番している麗華だってきっとお腹が空いてる。それに疲れてるわ。だから今日は帰ってしっかりご飯を食べて、お風呂に入って、ゆっくり寝て明日に備えましょう。京一君は、きっとどこへも行かないで、明日私達を迎えているはずだから。」
そう言われては、美祢としてもそれ以上言う事は何も無かった。
でも……と一度は言いかけたが、大丈夫、きっと大丈夫だからと言われれば、美祢としてもそれを信じるしかないであろう。それがなんの根拠もないものだとしても。
そうしてまた、親子して自宅目指して歩き始めたとき。
お母さーん!と呼ぶ声と共に、こちら側へ走ってくる麗華の姿が見えた。しかもまだ制服姿のままだ。
「あら、どうしたのよ。今帰るところだったのに。」
麗華はハアハアと荒い息をつきながら、今帰るところも何も無いわよと言った。
「今何時だか分かってる?もう8時半よ。いつもなら、もうとっくにご飯食べ終わってお風呂も上がってるような時間だわ。」
そう言った麗華は、幾分か憤懣やるかたないと行った様子だ。
「それはごめんなさい。それにしてもあなた、よくここが分かったわねえ。」と陽子は感心した。
「そりゃあ分かるわよ。ここら辺の近辺で急患が運ばれそうな病院といえば、そこのKK新日病院くらいしか無いもの。私の推測に外れはないわ。」と、ちょっと自慢気に言った。
そうこうしている内に、三人は商店街に入っていった。
しばらくアーケードの中を歩いているうちに、みなと屋と看板の出ている回転寿司屋に出くわした。
「お母さん。もうお腹が空いて、家で料理出来るの待ってられないよ。ここで食べていこうよ。」
麗華はもう辛抱堪らんといった感じで陽子に訴えた。
陽子は、しょうが無いわねと言った風情で二人を見た。
「美祢はどうする?」と訊ねると、「二人がここで良いなら、わたしもここで良いよ」という返事である。
美祢は食事どうこうよりも、やはりまだ京一の事が気にかかっているらしかった。
岩倉家では、外食は特別な事がない限り、ほとんどしない。
食事は家で、家族揃ってがモットーみたいなものだった。
しかしこの日は特別である。
「しょうがないわね。じゃあここで食べていきましょうか。」
そう言って、三人は店の中へと消えていった。