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44.湯気から垣間見える真実

  加賀美村での夜。

  老人は鍋を振る舞ってくれた。

  野菜は村の周辺から採取し、肉は何日か前に罠にかかった猪を捌いたものだという。

  「凄いな!まさかこんなご馳走が食えるとは思わなかったよ。」

  慎一は内容に驚いてそう言った。

  「今日は久々の客人来訪の日じゃ。特別じゃからな。」

  老人はそう言って、鍋の具材を取り分けた。

  慎一は車から持ってきた一升瓶を、老人の湯飲み茶碗に注いだ。

  それを一気に飲んだ老人はなんとも言えない表情だ。

 慎一も、春菊と一緒に肉を口に運ぶと、なんとも言えない味がした。それを日本酒で流し込む。

  フワフワと心地好い気分に包まれそうになるが、酩酊する前に、聞くだけのことは聞いておかねばならない。

  「爺さん、酒飲んでせっかくいい気分のところ申し訳ないんだけど、色々聞いて構わないかな?」

  慎一は自分で具材を取り分けながら尋ねた。

  「ああ、構わんよ。言えるだけのことは言うから。」

  そこで慎一は、今更ながらにまず老人の名前を確認した。

  老人は谷田部清吉という名前であることが分かった。

  「清吉さん。あんた先程、ここでは留守を守ってるだけって言ってたよな。

  ここはあんたの家じゃないのかい?」

  慎一はさり気なく聞いた。

「ああ、そうだ。ここは本来旦那様と、奥様と、京一坊っちゃんの家だ。ワシはこの家を本来の持ち主に返す日が来るまで、この家と神社をきちんと保っておくことが役割じゃよ。」

  清吉はそう言ったが、その声には何の気負ったところも切迫感も無かった。

  「しかし、そういった所で、もう住人は清吉さん一人だろ?どうしてこうなったんだい?」

  至極最もな疑問を慎一は尋ねた。

  「あんたも途中で看板を見たじゃろう。ここにダム工事の一件が持ち上がったせいじゃよ。」

  清吉は、忌々しそうな口調でそう言うと、湯呑みの酒を、グイッと一口で飲んだ。

  「じゃあ、他の村人は、その為にみんな追い出されたってことかい?」

  慎一は鍋を食べつつ、そう尋ねた。

  「それは様々じゃよ。

  工事関係の筋から金を握らされて、自ら出ていくものもあった。

  しかし、しょうがないんじゃよ。

  ここではもう、学校も廃校になり、子供の教育も出来んようになった。

  子供の将来を考えてと、生活基盤の立て直しを求めて、街へ引っ越す連中もあとを絶たなかった。」

  そう説明する清吉の表情は、苦悶に満ちていた。

  「その反面、最後まで抵抗して頑張ろうとしてた連中も居たよ。しかし、それは年寄り連中が多くてのう。」

  そう言って、清吉は堪らない表情で、また一杯酒を(あお)った。

  「そうなのか。で、その年寄り連中はどうなったんだい?」

  「一人また一人と体調を悪くして、病院へ運ばれおったわい。」

  清吉は、悔しげにそう話して、また酒を飲もうとしたが、湯飲み茶碗にはもう残っていなかったので、慎一が注いだ。

  「爺さんも歳の割には結構粘るじゃねえか。」

  慎一はそう言いながら、湯飲み茶碗を傾けた。

  会長が持たせてくれた酒は、結構良い酒と見えて、普段あまり日本酒を飲まない慎一の咽にも、抵抗なくスイスイと入った。

  「ここに誰も居なくなったら、工事が本格化してしまいかねんからな。

  一人でもこの村に残ってることが肝要なんじゃ。」

  そこで清吉は、思い出したように言った。

  「そういえば、お前さんはよくこの村に入って来れたのう。

  結構手前から、ゲートで塞がれて入ってこれないようになっていたはずじゃが。」

  「ああ。確かにあったぜ。しかし不思議なことに、施錠されてるはずの鍵が外れてたんだ。不思議なこともあるもんだぜ。」

  清吉はそれを聞いて、目を細め、何か思い当たるような表情をした。

  「お前さん、それ以前に、ここに来る途中で何か不思議なことは無かったかね?」

  慎一は、ああ、そういえばと、途中で出逢った不思議な少年の話をした。

  「ったく…せっかくの握り飯とお茶まで全部飲まれたんだから、こっちとしてはいい災難だったよ。」

  本気でそう思っていたわけでは無いが、今更ながらにその不思議な出会いを思い返し、狐か狸にでも馬鹿されたのではないかという思いを拭えなかった。

  少年の何処までも黒く澄んだ瞳が未だに印象に残っていた。あれは…。

  「なるほどのう。

  じゃあ、ゲートの鍵を開けてくれたのは、多分その子じゃよ。

  お前さんはこの村に気に入られたということじゃな。」

  静かな空間に、鍋のグツグツいう音だけが静かに響く。

  慎一は、一体何を言われているのか、皆目見当が付かなかったが、走り去る少年の姿が掻き消えた場面を思い出し、少し背筋が涼しくなるような思いを感じた。

  湯気越しに見える老人の口から、この先どんな話が出てくるのか、慎一には見当が付かなかった。

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