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39.それぞれの居場所、そして出発へ

  翌朝8時。

  慎一は祖父である膳場会長の邸宅を訪れた。

 ピンポーンとチャイムを鳴らすと、お手伝いの島田加代さんが玄関先まで出迎えてくれた。

  加代さんはもう70を越えてるが、慎一のことは子供の頃から知っている間柄だ。

  70代と言っても、顔にあまりシワも目立たず若々しい。

  慎一から見たら、子どもの頃のイメージと然程変わってなく見えるくらいだ。

  「あら…まあ…坊っちゃん!」

  加代さんはいつも慎一の事をこう呼ぶ。

  「加代さん…毎度お願いしてるけど…もう坊っちゃんは勘弁してくれないかなあ。俺ももういい歳なんだし。」

  慎一はそう言って苦笑した。

  「何言ってるんですか!亅

  加代さんはそう言って、慎一の背中を思いっきり叩いた。

  「イテテテ…」

  70代とは思えない力強さに、思わず呻く。

  「私にとっては、いくつになっても坊っちゃんは坊っちゃんですよ。子供の頃、雷が怖いと言って、私の寝床に枕持って潜り込んできたのは誰ですか?」

  加代さんは、そう言ってカラカラと笑った。

  「でも加代さんも、もういい歳だろ?

  長年この家に尽くしてきたんだし、爺さんもそれなりの退職金出してくれると思うけどね。それで楽をしたらどうだい?

  年金だって出てるだろ?」

  慎一としては加代さんを気遣ったつもりだった。

  しかし、そう言われて加代さんは少し寂しげな表情をした。

  「坊っちゃんは…私がもうこの家に居ないほうが良いですか?」

  慎一は虚を突かれたような 思いをした。

  「そ…そんなことあるわけないじゃないか!俺は加代さんにずっと元気でいてほしいから、もうそろそろ楽をしてくれても良いんじゃないかってさ。」

  慎一は加代さんを傷付けたかと思い、必死になって弁明した。

  「気遣ってくれるのは嬉しいんですけどね。

  でも、ここを辞めたとして、何処に行きます?何をします?

  田舎なんて戻ったところで、もう知ってる人なんて誰も居ませんし、姉弟は散り散りで地元には誰も居ませんし、普段交流もないですし。私の居場所なんて何処にもありませんよ。

  でもね。ここだけは違うんです。ここは若い頃に旦那さんに拾ってもらって以来の、私の居場所ですから。」

  そう言った加代さんは、いつでもハツラツとして見えた。

 自分なんかが何かを言うのは余計なお節介なように思えて、何だか恥ずかしくなってきた。

  「加代さん。何だかごめんなあ。余計なお節介言っちゃって。」

  慎一は、申し訳ないという思いでそう言うと、加代さんにまたパァンと背中を叩かれた。

  「なに殊勝なこと言ってんですか!

  普段あんまり顔出さない坊っちゃんが、顔を見せに来たっていうことは、また旦那様に車を借りに来たんでしょう?旦那様なら、リビングでお待ちですよ。」

  加代さんは慎一の気分を払拭させようと、努めて明るい感じでそう言った。

  「こりゃ!慎一!そこでなに加代さんの仕事の邪魔しとるんじゃ!」

  会長が、加代さんと慎一の会話を聞きつけて、玄関先までやってきたのだ。

  「あ…爺さん。別に邪魔してた訳じゃ…」

  慎一は弁明しようとしたが、会長は聞く耳を持たなかった。

  「うるさい。それよりお前は車を取りに来たんじゃろう?さっさと持っていけ。しかしその前に…喉が乾いたな。

  何か飲むから、慎一、お前も付き合え。」

  そう言って会長は加代さんの方へ向き直った。

  「加代さん。すまんがな。先日頂いた限定の、高原野菜とハチミツのジュースあったじゃろう。あれ、持ってきておくれ。」

  会長は穏やかな声で加代さんにそう言った。

  「はい、かしこまりました。では後ほどリビングの方にお持ちしますので。」

  二人がリビングに腰を落ち着けて間もなく、加代さんがジュースの入ったグラスを2つ持ってきた。

  「ああ、ありがとう。」

  そう言って二人はジュースを飲んだ。

  「うん!こりゃあ美味い!

  加代さんもお飲み。」

  会長は、そう言って加代さんにも勧めた。

  「まあ、良いんですか?」

  「ああ、美味いものは皆で飲んだほうがもっと美味い。ついでに我々にも、もう一杯ずつ持ってきておくれ。3人で飲もう。」

  会長は上機嫌で加代さんにそう言った。

  「爺さんよ。後でトイレ近くなっても知らないぜ?」

  慎一は多少揶揄するように言ったが、会長は気にしなかった。

  「余計なお世話じゃわい。どうだ、加代さん、美味いじゃろう。」

  「ええ、本当に。美味しいものをいただきまして、ありがとうございます。」

  加代さんのその言葉を聞いて、会長は機嫌が良くなってきた。

  「なに、気にすることはないわい。

  ワシもな、家のことは加代さんに任せっきりじゃからな。

  もし、いきなり居なくなられたりしたら大変じゃ。これからもよろしく頼むよ。」

  加代さんを見つめる会長の瞳には、全幅の信頼が宿っていた。

  「はい。こちらこそよろしくおねがいします。」

  加代さんはそう言って、飲み終わったコップを下げて引き下がった。

  「さて…車が必要じゃったな。取りに行こうか。」

  会長がそう言って、二人は腰を上げた。

  何台も車を止めてある、ガレージ・スペースに移動するためだった。

  ガレージ・スペースへ続く廊下は、雨の日でも濡れる心配のないように作られていた。

  蛍光灯のスイッチを会長が入れると、光が車たちを照らし出した。

  そこには会長が長い時間をかけて集めた車達が10台ほど並んでいた。

  「いつ見ても壮観な眺めだな。」

  慎一が呆れたように言うと、会長は「これでも数は減らした方じゃ。ただ飾って眺めておくだけの車なんぞ、持っててもしょうがないからの。」と言った。

  「お陰で仕事に役立たせて貰っているよ。」

  慎一は素直に感謝の意を述べた。

  「別にお前の為に集めたわけじゃないがの。こっちだってお前が遊び回るためなら貸しはせんわい。

  お前の探偵という仕事を通して、いくばくかでも世間様のお役に立てればと思えばこそだな…」

  慎一は「はいはい、わかったわかった。もう何度も聞いてるよ、その話は。」と会長の話を遮るように言い苦笑いした。

  「車借りるたびに聞かされてるからな。」

  会長は話の腰を折られ、少しムスッとしたような顔をしたが、気を取り直して、目当ての車まで慎一と一緒に歩いていった。

  「まあ、それはもう良いわい。

  で…オフロード仕様の車という事じゃったな。それならこれが良かろう。」

  そう言って、会長は一台の車の前で止まった。

  それは、一台のジープ・ラングラーだった。

  艶消しの渋い緑色をした、無骨なジープ・ラングラーが威容を誇っていた。

  「ランドクルーザーとどちらにしようかと思ったがの。慣れない山道を走るならこちらの方が頑丈じゃ。小回りも効くしな。」

  会長はそう言いながら、愛おしそうに車体を軽く叩いた。

  「爺さん、ありがとよ。

  これに乗って、きっと現地で真相を突き止めてくるよ。」

  慎一は目の前のジープ・ラングラーを見つめ、静かに確信した。こいつとなら、きっと行ける。

  会長はシャッターのスイッチを入れた。

  ガレージは家の中から入ることが出来るが、シャッターを開けることにより、直接車を出すことが出来るのだ。

  慎一は車に乗り込もうとしたが、そこでお待ちなさいと声がかかった。

  いつの間にか加代さんもガレージに来ていて、包みを慎一に渡した。

  「おにぎり作ったんで、お腹空いたら途中でお食べなさいな。調査頑張るんですよ。」

  慎一は加代さんの気遣いにジーンとした。

  「慎一、それからこれを持っていけ。」

  会長はガレージに向かう途中で手に下げていた日本酒の一升瓶を慎一に渡した。

  「もしかして、話を聞く上で一緒に酒を酌み交わすことになることもあるかもしれんじゃろう。そういう時にこちらからも手土産を持っていったら、相手も心を開いてくれるかもしれん。」

  「二人とも…すまねえなあ。感謝するよ。じゃあ行ってくる。」

  イグニッションキーを回してエンジンに火を入れる。

  ガレージを出て慎一が向かう姿を二人はずっと眺めていた。

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