03.生々流転
「どうかね?良かったらここに一緒に座らんかね?」と、膳場会長は京一に促した。
京一としては特に拒否する理由もない。
「はい。」と言いながら、向かいの椅子に腰を下ろした。
「ちょっとお腹が空いちゃったんで、これ食べても良いですか?」と相手に聞き、ガサガサと包を開いて、パック牛乳を飲みながらサンドイッチを食べ始めた。
それを見ていた会長は「美味そうだな。」と呟いた。
袋にはタマゴサンド、ハムサンド、ポテトサラダサンドの三種類が入っていて、京一はタマゴサンドを食べていた。
「良かったら、お一ついかがですか?」と、京一は相手に勧めたが、相手は大丈夫だと言って手に取ろうとはしなかった。
「申し出は有り難いんだがね。腹も減ってはいるんだが」と、苦笑いして「明日エコー検査と胃カメラがあるのだよ。だから食べたくても食べられないんだ。だから私の事は気にしないで食べなさい。」
膳場会長はそう言って、京一に全部食べるように勧めた。
「ありがとうございます。」
京一はそう言って食べ続けた。
しばらくの間、静かな時間が続いた。
「あの……」
「そういえば」
二人同時に相手に何か言おうとして、お互い途中で言葉に詰まってしまった。
ごく短い沈黙の後「何だね?」と聞いてきたのは膳場会長の方からだった。
「いえ……そちらからどうぞ」と京一は譲ろうとしたが、「いい若いもんが遠慮するんじゃない。キミの方から話してくれ。」と膳場会長が言ってきたので、京一は言いそびれていた言葉を膳場会長に言った。
「今日はありがとうございました。助かりました。困っていたので。」
京一はそう言って、膳場会長に頭を下げた。
それを聞いて、膳場会長はそんなことは無いと言いながら手を振った。
「寧ろこちらが詫びなきゃいけないほどだ。私の部下が君達に大変不快な思いをさせてしまった。それどころか、そもそもの原因は、あいつの息子が事故を起こしたことに端を発してるのだからね。とにかく君の身体が大したことがなくて本当に良かった。」
膳場会長はその後に、身体の方は本当に大丈夫か、どこかに痛みとかは無いかどうかを聞いてきた。その顔には真正からの心配の色があった。
「ええ、すっかり大丈夫みたいです。
明日診察してもらって何ともなければ退院だと教えてもらいました。」
京一はそう言ったが、それでも今ひとつ心から晴れ晴れした様子では無いことを会長は見逃さなかった。
「一体どうしたね?明日退院だというのに嬉しくないのかね?」
京一はそう問われて、なんと言って良いか逡巡した。
一体何処まで話したら良いものか。
でも、もしかしたらこの人なら力になってくれるかもしれない。
そう思い、京一は事情を話してみることにした。
実は……と口火を切って、今までの経緯を全部話した。
話し終わったとき会長は、ほう……と言ったきり、しばらく無言だった。
ちょっと煙草を吸っても構わないかね?と言いながら、会長は持っていた煙草に火を付けた。
ふーっ!と大きな溜め息のように煙を一息吐くと「それはまた大変だったね」と言った。
「としたら……君は事故に遭わなければ記憶を失うことも無かったかもしれない訳だ」と言った。
「君もそう思うだろう?」と京一に言った。
「そうかもしれませんけど……美祢ちゃんを助けたことは後悔してません」と、きっぱりした感じで京一は言った。
会長は「そうか……。」と言ったっきり、また煙を大きく吐いて、しばらく何かを考えている様子だった。
「で……君はこれからどうするつもりなんだね?」と会長は聞いた。
「まだ全然決まっていません。陽子さんたちにはこれ以上負担をかけるのが申し訳ないので、明日来るまでに黙ってここを出ていこうかと思ってましたが、しっかり釘を刺されてしまいました。居なくなってしまったら、酷く落ち込んでしまうと。」
京一は、ちょっと困ったというような表情をしてそう言った。
会長は煙草を燻らせながら、京一の記憶がないこと、その為に何処にも行き場がないこと、相手がそうまで言ってるのなら今は甘えたほうが良いこと、返せる機会はきっと来るから現在の借りはその時に返せば良いと言った。
「わしは、これは何かの巡り合わせだと思う。悪いことは言わん。今はその波に乗りなさい。」
そう諭すように京一に言った。
京一は「解りました」と言って、会長に軽く頭を下げた。
「君の質問の後に、わしの方でも色々聞こうと思ったが、今の話ですっかり聞いてしまった形になったな」と会長は言った。
「聞きたいことは色々と聞かせてもらったので、他に聞きたいことがあれば聞こうじゃないか。」と会長は言った。
「他に何かあるかね?」と訊ねた。
京一は、会長が何故この病院に入院してるのか、消灯時間を過ぎたこんな時間に何でデイルームに居たのかを訊ねた。
「なに、どうということはない。別に大した理由でもないんじゃが……」と言って、いくつか理由を述べた。
一つは健康診断で胃の検査を勧められたこと。
二つ目は翌日の検査を控えて、空腹で眠れなかったこと。
三つ目ははどうしてもタバコが吸いたくなったので、申し訳ないと思いつつ、こうして夜遅い時間に吸っていたこと。
そうして最後に、窓の外に灯る明かりを見ながらもの思いにもふけっていた事などを上げた。
「まあ……胃カメラとエコー検査が控えているんじゃ仕方がないんじゃけどな」
会長はおどけたようにそう言うと、短くなったタバコを携帯灰皿の中に押し込んだ。
「外に広がるこの明かりを見てみたまえ。」と京一に言って、窓の外に広がる景色に目をやった。
「あの灯火のひとつひとつに生活があり人生がある。その下には幸せな人も、反面大変な人生を送ってる人も居るじゃろう。
君が今大変な状況にあるのはよく分かる。よく分かるが……何で自分だけがこんな目に、等と考えてはいけないよ?
頑張って生きていれば、きっと物事は良い方に動くこともあるもんじゃ。」
普通こんな事を言われたら、何を偉そうにとか思いそうなものだが、この人が言うと不思議とそんな嫌味な感じはしなかった。それはこの人の言葉に、それを乗り越えてきた自信と確信と温かみがあるせいではないかと京一は思った。
しかし、その言葉にどんな言葉を返せば良いのかよく分からなかったので「はい」とだけ返事をして会長を見つめた。
「さあ、それでは話はこれでお終いにして、そろそろ寝よう。でないと見回りに来る看護師さんに、タバコを吸ってたのがバレてしまう。」
そう言って悪戯っぽい笑みを浮かべた後、会長は病室へ戻っていった。
そんな会長の後ろ姿を眺めつつ、京一も病室へ戻っていった。