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30.儀式

  先生と呼ばれている男は、部屋へ入って行った。

  その部屋は建物の地下にあった。

  地下へ降りていく階段も、この建物の 目立たない場所に位置していた。

  儀式用に作った部屋なのだ。そうそう簡単に場所が割れては困る。

  しかし儀式用と言ったところで、それ程広い部屋という訳でもない。せいぜい5~6人も入れば狭苦しく感じてしまう程度の広さだ。

  だが、それでも全く支障はない。

  もっと一般的な儀式の際には、もっと広いホールも用意してある。

  外からやって来た人間に見せるには、そんなホールで十分だ。

  これからこの部屋で執り行われる儀式は、そんな訳には行かない。

  それはこの教団の信者にとって、秘儀とも言えるものだからだ。

  「用意は出来ておるか?」

  教祖は自分を呼びに来て、付き従っている女に、そう声をかけた。

  「はい。ここに居る人間には十分に言い含めて、心の準備をさせております。」

  教祖はその言葉を聞いて、ぐるりと部屋を見渡した。

  床には十分に厚みのある絨毯が敷いてあり、部屋の中には殆ど何もない。

  部屋の中には予め待機していた女性信者5名、教祖と教祖を呼びに来て同行してきた女性の2名、合わせて7名が部屋の中にいた。

  「先生、そろそろ…。」

  教祖と一緒に入ってきた女性は、そう言って教祖を促した。

  「うむ。麻由、お前はどうする?お前は一度経験してるんで、この部屋から出て行っても構わないが…。」

  教祖はどちらでも構わないという風に、麻由と呼んだ女に向かってそう言った。

  この部屋に居る女性達は、みんな若く美しい。

  人生に於いて、いくらでも選択肢はあるだろうに、何故にこの宗教施設に集ってきたのかと不思議に思われるくらいだ。

  「いえ、私も改めて儀式を受けたいと思います。先生からお受けした波動が弱くなってきたので。」

  麻由がそういったのを受けて、教祖は「そうか。分かった」と言った。

  「では仕切りはお前に任せることにしよう。」

  そう言いながら教祖は麻由の顔を見てニヤッと笑った。

  麻由は驚いたような顔をして教祖の顔を見た。

  「良いのですか?」と問いかけると「構わんよ」という返事が返ってきた。

  「手順は分かっているのだろう?」と教祖が問いかけると、麻由は「はい」とだけ返事をした。

  「なら始めよう」

  そう言うと、麻由は部屋に居る全員に、着ている白いベールの様な服を脱ぐよう促した。

  そして香油の入った壺を取り出し、それを全身に満遍なく塗るように促した。

  5人の女性信者は恥じ入りながら戸惑った表情を見せていたが、麻由の指導に従って、身体の隅々まで香油を塗るように務めた。

  「手の届かないところはお互いに塗りあって下さい。それから、大切なところにも隈なくですよ。」

  5人は恥じ入りながらも指示に従った。

  「あ…あの…」

  一人の女性信者が勇気を振り絞ったという感じで質問してきた。

  「何ですか?」と、麻由がその信者の方へ、冷静な目を向けた。

  「これから一体、何が始まるんですか?」

  麻由は、フッという感じで僅かに笑みを浮かべると「心配することはありません。指示に従って行っていけば、じきに終わります。」

  そう言って、全員が香油を塗ったのを確認すると、お互いに手を繋ぎ合って、放射状に円を描くように、仰向けに寝るように促した。

  そうして、その姿勢が完了したら、全員が目を瞑るように促した。

  それと前後して、部屋の中の灯りは消えた。

  全員が目を瞑るのが先だったのか、灯りが消えるのが先だったのか、それは分からない。

  しかし、全員の視界はこれで奪われることになった。

  密閉されて窓もない部屋の中で、一切の光もない真っ暗闇の世界である。

  その部屋の隅では香も焚かれていた。

  皮膚に塗られた香油と、隅で焚かれている香、そして暗闇の世界の中で、信者達は強烈な幻覚を見ることになった。

  円の中心には教祖が胡座をかいて座っている。そして何か印を結ぶように手を合わせ、呪文なようなものを唱えている。

  そうして、どれくらいの時が経ったのか。

  何分かしか経ってないようにも感じられたし、何時間も経ったようにも感じられた。

  塗った香油のせいか、身体全体が火照ったように感じられた。そして焚いている香のせいか、意識も朦朧としてきた。

  そしてそれは、夢と(うつつ)の間を交錯するような感じだったのだが、やがて大きな変化が訪れた。

  仰向けになって互いに手を繋いだ姿勢のまま、グングンと上昇するような感覚が全員を襲ったのである。

  急に襲ってきたその感覚に恐れをなして、手を離そうとする者も居たが、金縛りで硬直したように自由は効かなかった。

  地下にあるこの部屋から、この状態で上昇するなど、現実にはあり得ようはずもない。

  覚醒と催眠の(はざま)の中で、身体に塗られた香油と部屋に漂う香の作用で、全員に見せている幻覚に過ぎない。

  しかしそれは、見せられている当人達にとっては、リアルに他ならないものであった。

  上昇している時に、全身に当たる風を感じ、尚もグングンと上昇していく。

  やがて6人の身体は大気圏外まで突き抜けていき、地球を見下ろすような姿勢に替わっていた。

  広がる海、その海に浮かぶ大地、空を行き交う鳥、そのようなものを眺めるうちに、 様々な情報が自分の中に入ってくる。

  人々の争い。戦争。魔女裁判。ペストによる大量死。天明の大飢饉における、あまりの飢餓による共食い。戦争に巻き込まれて全滅した村の中、たった一人残されて泣く子供。

  それらの事象を、傍観者としてではなく、尽く当事者として体験し、何度も様々な人生を体験するのだ。

  体験の内容も、体験の度合いもそれぞれではあったが、それは過酷な体験と言って差し支えなかったであろう。

  電脳世界でのVR体験とは桁が違う。

  何人分もの悲惨な経験をリアルに受け止めるのだ。

  身体の痛み、心の痛み、喪失感、そうしたものが次々とリアルに襲う。

  もう勘弁してくれ。そういう思いが頂点に達したとき、また上昇する感覚が襲い、今度は自分の身体が宇宙にまで連れて行かれた。

  見回しても誰もいない。一人きりだ。

  一人きりの宇宙の中、生まれたままの姿で燃えさかる太陽と対峙している自分を感じ恐怖を覚える。

  太陽の強大な引力に引っ張り込まれ、抗うすべも無い。

  強烈な熱さに焼き尽くされそうな感覚を覚え、もう駄目だと思った刹那に目を覚ました。

  「全員気が付いたか?」

  教祖がそう声をかけると、全員が半身を起こした。

  誰もが全身にビッショリと汗をかいていた。

  円の真ん中に座っていた教祖は、相変わらず胡座をかいて、印を結ぶような姿勢を取り続けていた。

  「麻由、全員気が付いたようなら、浴場へ連れていき、汗を流させてやりなさい。」

  教祖はそう言うと、服を身に着け、部屋を出ていった。

  「かしこまりました」

  麻由はそう返事をすると、意識を取り戻した女達に、すぐ隣りにある浴場へと導いた。

  女達は裸のままで、すぐ隣の浴場へと服を抱えて移動し、中へと入った。

  湯船は5人程度なら楽に入れるだけの広さがあった。

  麻由は 女達を先ずは浴槽に入れ、こう申し渡した。

  「いいですか?ここで体験したことは誰にも言わないように。互いに話し合うことも禁止です。もし言った時にはすぐに分かるようになっています。もし言った時には……分かっていますね?」

  女達は不安気に目配せし合い、それから麻由の方へ顔を向けて頷いた。

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