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15.美祢の悩み

  京一の仕事が休みのある晴れた日の昼下り。

  いつものように、陽一から送られてきたデータを印刷していた離れに、美祢が入ってきた。

  その日はちょうど日曜日で、学校も休みだった。

  いつもは出勤前の午前中に、いくらかデータを印刷してから朝食を取って出勤するのだが、休みの日は午前中少しゆっくりしてから作業をすることになっていた。

  陽子に言われたのだ。

  「京一君、休みの日くらい少しゆっくりしたら?娘達だって、あなたと一緒に過ごしたがっているわ。貴方を見てると、なんだか毎日張り詰めたような雰囲気で毎日を過ごしているように見えるの。

  記憶が戻らないのは辛いと思うけど、いつも張り詰めてると、糸みたいにいつか切れてしまうかもしれないわ。午前中くらいは、少しゆったりとした気持ちで過ごしましょう?」

  そう言われると、京一は何とも言えなかった。

  そもそも最初の時から陽子には救われっぱなしだという心情が、京一にはある。

  ここには寝る所もある。

  美味しい食事にもありつける。

  現在では仕事もある。

  何よりも、ここには自分を気にかけて、関心を寄せてくれる人達がいる。

  孤独や淋しさを感じなくても済むということに、何よりもありがたみを感じていた。

  もしこの人達に何かあったら、自分は身体を張って守りたいと思うまでになっていた。

  そんな陽子がそう言ってくれるのだから、何だかそうした方が良いような気もしてくる。

  かくして休みの日は午前中は朝食の後は新聞を読んだり、陽子に付き合ってテレビを見たりして過ごした。

  一緒にテレビを見ている時など、陽子は色々と話しかけてくる。

  芸能関係のニュース等に意見を求められても、なんと言って良いか判らない。

  真剣に考え込んでいる様子を見て、陽子は「そんな真剣に悩まなくても良いわよ。単なる世間話なんだから」と言って、朗らかに笑った。

  そんな笑顔を曇らせるような何もかもから、岩倉家の人達を守りたいと、折に触れて考えるようになった。

  『京一君、僕が留守の間、家族の事を頼んだよ。』

  初めの頃に陽一が言った台詞が、いつも心の中で木霊のように響いているのだ。

  『出来る限り、世話になっている恩返しをしなければ。』

  一緒に生活を共にするうちに、京一にとっても岩倉家はかけがえのないものになりつつあった。

  そんな京一のもとに、美祢が浮かない顔でやってきた。

  朝食の後、遊びに行ってくると言って出かけたのだが、いつの間にか帰ってきたらしい。

  「お兄ちゃん、まだお仕事忙しい?」

  そう言ってきた美祢は、何かを京一に相談したげな素振りであった。

  「ああ、美祢ちゃんお帰り。何かお話ししたいのかい?もう少しだけ待っててね。あと少しでプリンターが止まるから、そうしたらお家に戻ろうね。お昼も近いし、ご飯を食べながらお話を聞いても良いかな?」

  京一がそう言うと、美祢は「うん、いいよ。」と言って、それでも家には戻らず、印刷作業が終わるまでずっと京一の側にいた。

  そこへ陽子もやって来た。

  昼食の準備が整ったことを知らせにやって来たのだ。

  「京一君、ご苦労さま。ご飯できたわよ。あら美祢、あなたこんな所に居たの?帰ってきたならちゃんと教えてくれなきゃダメじゃない。今日のお昼はカレーよ。」

  「カレーですか。それは嬉しいですね。」

  京一は陽子の作るカレーが大好きだった。

  料理を自分からリクエストすることは無かったが、カレーの時だけは、他のメニューの時に比べて、どことなく嬉しそうだった。

  京一も何でこんなにカレーが好きなのか判らない。

  もしかしたら失われた記憶とカレーの味が直結してるのかもしれなかった。

  家に戻って三人でカレーを食べたが、麗華の姿は無い。

  例によって試合の助っ人を頼まれて、試合後に皆で食べてくるという。

  食事の間も、美祢は何処か浮かない様子だった。

  普段はカレーの時は必ずお替りするのに、それも無しだった。

  「美祢、あなた具合でも悪いんじゃないの?」

  陽子は心配げにそう尋ねた。

  「ううん、大丈夫。」

  美祢はそう言ったが、陽子は心配げに美祢の額に手を当てた。

  「だって、あなた今日カレーお替りしてないじゃない!」

  美祢は陽子の手を払いながら「大丈夫だってば!」と言った。

  「食欲のない時だって、たまにはあるよ。ちょっと菜子ちゃんの事が心配だったの。」

  そう言って、美祢は表情を曇らせた。

  「そういえば美祢ちゃん、さっきお話を聞いて欲しそうだったよね。それは菜子ちゃんの事だったのかい?」

  京一からそう聞かれた美祢は、コクリと頷いた。

  菜子ちゃんは京一も何度か会ったことがある。

  美祢と仲の良い友達で、作業中の離れに来たこともある。

  作動中のプリンターを、もの珍しそうに見ていたのが印象に残っていた。

  日曜日に休みが被ったときなどは、菜子ちゃんを含む三人で、トランプに付き合わされたこともある。

  「二人でババ抜きやったって面白くないんだもん」

  そう言って、半ば強引に付き合わされたのだ。

  二人にそれぞれ平等に勝たせるように、少し苦労したことを京一は覚えている。

  どちらかが勝つ度に、もう一度もう一度と、何度も付き合わされたものだ。

  そんな菜子ちゃんも、何度も会ううちに、お兄ちゃんと慕ってくれるようになった。

  明るい時間などは、公園で遊ぶことも多かったが、最近めっきり見かけることがなくなったという。

  公園どころか学校も休んでいる。

  担任の先生に菜子ちゃんの事を聞くと、具合が悪くて休んでいるという話だ。

  病院に入院してるのかどうかを聞くと、それもはっきりしない。

  菜子ちゃんの母親からは、具合が悪いので、暫く休ませますという連絡が来たきりだという。

  「美祢ちゃんは、菜子ちゃんのお見舞いに行きたいのかい?」

  京一がコップに残った水を飲みながらそう訊ねると、美祢は浮かない顔のまま頷いた。

  京一は陽子と二人で顔を見合わせた。

  出来る事ならお見舞いに行かせてやりたいが、菜子ちゃんの両親がそれを望んでるかどうか判らない。本人がそれを望んでいないかもしれず、その場合はいくら見舞いに行きたくてもそうする訳には行かない。

  「ねえ、私菜子ちゃんの様子を見に行きたいの。具合悪いようなら元気づけてあげたいの。ダメかなあ。」

  美祢は二人に、思い詰めたように訴えかけた。

  「ねえ、美祢。」

  陽子は跪いて、美祢と同じ目線で語りかけた。

  「あなたが菜子ちゃんを、とても心配していることは、よく解るわ。あなた達はとても仲のいいお友達ですものね。でも……」と、そこで言葉を切って、なんと言えば良いのか、少し考えながら言葉を続けた。

  「それを菜子ちゃんのお家の人が望んでるかは、まだ解らないわ。もしかしたら、お見舞いはもう少し後にして欲しいと思っているかもしれない。菜子ちゃんのお父さんやお母さんの考えを無視して強引にお見舞いに行くことは出来ないの。判る?」

  陽子のその言葉を聞いて、美祢は頷いたが、その表情には未だ納得しかねるものがあった。

  「それは分かったけど……でも……心配だなあ。」

  美祢はそう言って、表情を曇らせた。

  暫くの間、三人は考え込むように、静かな時間が流れた。そうして陽子は、意を決したように「よし、分かったわ」と言った。

  「お母さんが菜子ちゃんの家に、電話で様子を聞いてみてあげるわ。それで菜子ちゃんのお父さんやお母さんにお許しが出たら、一緒にお見舞いに行ってみましょう?」

  陽子がそう言うと、美祢はそこに一縷の希望を見出したような表情をした。

  「うん、分かったよ。でもお母さん、いつ電話してくれるの?」

  美祢にそう聞かれた陽子は、思わず京一に「京一君、いつにしたら良いかしらねえ。」と問いかけた。

  唐突に聞かれた京一は「え?僕に聞くんですか?」と、思わず言ってしまった。

  美祢は今度は京一の方を見つめている。

  京一は、う~んと考え込むと「陽子さんの仕事はまだ残ってるんですか?」と尋ねた。

  「私の仕事は、今日はこれで一区切り付いたので、続きはまた明日やる予定よ。」と言われたので「なら、まだ明るい時間ですし、今かけてみてはどうですか?」と言った。

  陽子は助け舟を求める気分で京一に話を振ったのだが、逆にオウンゴールを決めてしまった気分になった。

  考えてみれば京一は常に美祢に優しい。常に美祢の側に寄り添ってるのを忘れていた。

  「お母さん、お願い!」

  美祢は自分に向かって、拝むように手を合わせてきた。

  面倒な事態になりそうだったから先延ばしにしたかったが、こうなってはもう、どうしようもない。

  「わ、分かったわよ。今かけてみるから。」

  陽子は観念したように、スマートフォンを取り出し、菜子ちゃんのお母さんの番号を調べ始めた。

  やがて番号をタップして、相手が出るのを待ってみたが、反応は無いようだ。

  「駄目だわ。15回以上鳴らしてみたんだけど。」

  陽子は首を横に振りながら、残念そうにそう言うと、スマートフォンをテーブルに置いた。

  「今かけたのは、ご自宅の方ですか?」と京一が聞いてきた。

  陽子がそうだと答えると、ではスマートフォンの方はどうですかと聞いてきたので、生憎知らないのよと答えた。

  「美祢、今日はお留守みたいだから、また明日電話してみない?」と陽子が聞くと、美祢はうーんと考え込んでしまった。

  「でも、もし明日も電話に出なかったら?」

  美祢にそう聞かれても、二人には答えようがない。

  「ねえ、京一君はどう想う?」

  陽子に聞かれて、京一も考え込んでしまった。

  「そうですねえ。家にかけても出ないということは、病院に入院してるのかもしれませんね。」

  そう言って、しばらく考え込んでいる様子だったが、やがて意を決したように言った。

  「いっその事、思い切って入院してそうな病院に行ってみたらどうですか?」

  京一にそう言われて、陽子は少し驚いた。

  「でも、何処に入院してるか分からないのよ。入院自体してるかどうか分からないし。教えてもらえないかもしれない。」

  「ええ、それはよく解ります。だから、入院してそうな病院を一箇所だけ。そこを当たって駄目なら他の所を当たっても駄目だろうなという所だけを当たって見るんです。

  そこで駄目なら美祢ちゃんも諦めるでしょう。

  そこに居なければ、そもそも近場には居ないかもしれないですし。」

  そう言って、京一は美祢の方へ顔を向けた。

  「美祢ちゃん、それで良いかい?」

  「うん、分かったよ。」

  京一は美祢のその言葉を聞いて、ニッコリと笑った。

  「で、何処の病院を当たるつもりなの?京一君。」

  そう聞かれた京一は、考えるまでも無いという様子でこう言った。

  「KK新日病院です。当たるとしたら、そこしかない。これから早速行ってみましょう。」

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