第九十三話 ウィザリング・トゥ・デス
前回
無意識下で本能のままに戦う道成寺陰斗に東瀛除丸を飲ませ、沈静化することに成功した岬守航。
逃げる者と追う者の戦いで優位に立った根尾弓矢。
二人は神瀛帯熾天王の一人、八社女征一千を追い詰め、更に皇國の三人娘を投入することで、とうとう世界の裏で動く陰謀の真に迫ろうとしていた。
そして八社女を助太刀しに顕れたもう一人の神瀛帯熾天王、推城朔馬によって遂にその全てが明かされようとしていた
岬守航と虻球磨新兒が椿陽子と出くわしたのと同じ頃、麗真魅琴はある場所へと疾風とも形容できぬほどの速度で急いでいた。
彼女一人に指定された場所は、久住双葉が倒れていたとされる袋小路。
そこへ、正にその彼女、久住双葉の身を案ずるならば一人で来いと彼女の電話にメッセージが入ったのだ。
魅琴の身体能力ならば、都内である限り目的地までにかかる時間は無いに等しい。
辿り着いた袋小路で待っていたのは一人の大男だった。
「来たか……。」
「推城……朔馬……!」
魅琴を待ち受けていたのは彼女らが追い求めている暗躍者達、神瀛帯熾天王の一人、推城朔馬だけだった。
彼女の胸に怒りと焦燥が込み上げる。
「久住さんは何処?」
「ふ、何も知らぬとは滑稽なことだ。あの女なら今頃先日に引き続いて貴様らを裏切ろうと張り切っているだろう。何かあるとすればその後、今日誰と会ったのか、その事実を隠蔽すべく我らが動いた時だけだ。」
推城はそう告げると、右腕に紫の靄を纏った。
――神南菊花ノ槍・秋明――
靄が晴れると、推城の右手には長槍が握られていた。
どうやら彼はこの場で魅琴と戦うつもりらしい。
「今の言葉は久住さんを手に掛けようとしているという意味かしら、その行動は私への宣戦布告と解釈していいのかしら。もしそうだとすれば身の程知らずにも程があるわね。」
「ふむ、御尤も。さりとて私も責務は果たさねばならんのでな。」
推城は槍を構え、ようとしたがその前に魅琴の拳をしこたま胴部に浴びせられた。
「がっ……はッ……⁉」
「果たす前に果てなきゃいいけどね。一応訊き出すことはあるから手加減はしてあげるけど、地獄を見る覚悟はしておきなさいね。」
推城の巨体が足元もおぼつかずよろめく。
すかさず体勢を立て直そうとする推城に、構える隙も与えぬ雨霰の如き連撃が襲う。
「くっ‼」
推城は躱すので精一杯といった様相だ。
それどころか、何発かは躱し切れずに貰ってしまっていた。
その度に推城は鈍い音と共に呻き声を上げた。
魅琴の攻撃一つ一つが彼に与えるダメージは凄まじいものであることが、彼の苦悶の表情から見て取れる。
一方的に攻勢に出る魅琴であったが、一つ不気味な違和感を覚えていた。
推城という男の殴り心地、手応えは未だ嘗て無く奇妙なものだった。
人間を殴っている気がしない……!――魅琴はその気味の悪さを払拭するが如く推城の蟀谷に蹴りを放ち、彼を大きく弾き飛ばした。
「久住さんは何処? お前達の企みは何?」
推城の起き上がりに魅琴は問いかける。
推城は息も絶え絶え、肩を揺らしながらにやりと笑って答える、
「察しの通り私の目的は貴様の足止めだ。貴様に邪魔立てされては困る策謀を今、八社女の奴が進めているのでな……。」
焦らす推城の態度に苛立った魅琴は更にもう一発、彼の鼻っ柱に拳を炸裂させた。
「ガパッ‼」
「久住さんは何処? 八社女は何をしている?」
「くくく、勝てぬまでも目当ての場所へ行かせぬが為の足止めよ。」
「あ、そう……。」
再び推城の全身に隈なく拳が、蹴りが叩き込まれた。
焦りと苛立ちから魅琴の攻撃は力加減が強くなっており、推城は激しくよろめく。
彼の長槍はここで初めて、二本の足で立つこともままならない彼の杖として初めて役に立った。
「ぐ……おのれ……!」
「口が動き舌が回る内に答えなさい。」
魅琴は再び推城を蹴り飛ばそうとした。
しかしその時、推城の身体が忽然と消えた。
「何⁉」
いつの間にか、魅琴は推城に背後を取られていた。
反射的に裏拳を繰り出したが、推城の鼻先を掠めるに留まった。
これには流石の魅琴も驚愕した。
「莫迦な……! もう回復したというの?」
「ふむ、どんどん質問が増えるな。まあ、別に答えようと支障無かろうものもあるが、どうする? お前はまず何から訊きたい? え、麗真魅琴?」
魅琴は鼻血を拭い不敵に笑う推城を睨み上げる。
「私の質問は変わらないわ。久住さんは何処? 八社女の企みは何?」
「成程……。」
推城は槍を振り回し、右腕に携える形に止めた。
「ほんの小手調べのつもりだったが、本気で戦おうがお前には傷一つ付けられまい……。武人として誠に口惜しいが、ここは手を変える他無さそうだ。」
「勿体ぶって負け惜しみをほざいてないでさっさと答えなさい。それとも、まだ拳や蹴りが欲しいのかしら?」
魅琴の挑発に、推城は眉間に皺を寄せて悔しさを滲ませる。
「八社女の狙いはお前たちの本拠地だ。襲撃時、お前まで居ては目当ての相手を討つことは到底出来ん。私ですらこの様なのだからな。故に、その間の足止めを私が引き受けた。」
「つまり、八社女は今あのホテルを襲撃しているということね。」
「そうだ。だが、そこへ今向かうことは勧めん。これは我らの作戦の為ではなく、お前のもう一つの懸念を思っての忠告だ。」
今度は魅琴が眉を顰め、焦燥を露わにした。
もう一つの懸念、その言葉が意味することは久住双葉に何かがあるということだ。
「繰り返すが麗真魅琴よ、あの女は貴様らにとってとんでもない裏切り者だ。貴様らにとって致命的な情報を、昨日既に天下の乱れを飯の種とする下衆な商売人、記者へと売り渡している。」
「何ですって⁉」
推城は瞠目する魅琴を見てさも愉快そうに口角を上げる。
「そして今日、また奴は同じ記者に貴様等への裏切りとなる情報を売り渡すだろう。全く、小躍りしたくなるほどの恩知らずで惚れ惚れするな!」
「黙れ‼」
魅琴は怒りから今までで一番強く推城の頬を殴り飛ばした。
推城の巨体は勢い良く地面に叩き付けられ、弾みに宙返りして着地した。
しかしダメージは大きいようで、脚は小鹿の様に震えている。
「ぐはッ……ははははは! 言っておくが私の言葉に偽りは無いぞ! では、その上で今あの女に降り掛かっている災禍を教えてやろう!」
「災禍?」
推城に明かされたその内容に、魅琴の全身から一気に血の気が引いた。
彼は更に愉悦を顔に浮かべる。
「さて、このまま捨て置けば久住双葉から記者に情報が渡ることは無くなる。また、八社女の企みを止めねばならぬというのも急務だ。奴の狙いは岬守航と根尾弓矢、何れも貴様にとって縁深き者よ。その上で問うが、貴様は久住双葉を、貴様の友情を拒絶した裏切り者を助けるか? それとも、今なお縁が繋がりし者達を取るか?」
魅琴には一瞬の迷いも無かった。
推城の言葉を最後まで聞くことも無く、彼女は双葉が危機に見舞われると思しき地点へと豪速で駆け出した。
その場にはただ一人、ボロボロにやられた推城が心底草臥れた様子で尻餅を突いていた。
「許せ八社女……。流石にこの私とて荷が重過ぎた……。せめて……助太刀に行ってやらねば……。」
推城はそう言い残し、袋小路から姿を消した。
⦿⦿⦿
八社女征一千を追い詰めた岬守航達の前に突如顕れた推城朔馬は傷付いた体の痛みを噯にも出さず語り始めた。
「貴様等の睨んだとおり、我等『神瀛帯熾天王』は日本国と神聖大日本皇國との間に起きた様々な争乱に裏から関わってきた。多くの誤算と軌道修正はあったものの最終的には概ね意図通りに事を運んだ。」
どうやら推城は本当に神瀛帯熾天王について知っていることを吐いてしまうつもりらしい。
その意図は解らないが、語りだしの言葉から航は一つの事が気に掛かった。
「日本と皇國が戦争になったことも……?」
鋭い視線で睨む航に質問の理由を悟った推城は歯を剥き出して笑って答える。
「察しの通り、我等の導きによるものだ。そして、あの時動いたのは確かに、当時能條緋月首相に仕え官邸に控えていたこの私だ。」
航は拳を握り締めた。
握力の余り掌を爪で切り、流れる血の滑りを感じていた。
「それはつまり、お前が虎駕を嵌めたって事か……!」
「その通り。ただこれだけは言っておくが奴が日本を捨て皇國に奔ったのは事実だ。そこには何の偽りもまやかしも無い。だが、能條が日本への攻撃と戦を宣したこと、それから貴様等の元仲間、虎駕憲進がそれを受け容れ自ら願ったこと、それらは私が発言を切り貼りし捏造したもの。二人の名誉を汚したことは流石に少々気に病んでいる……。」
瞬間、航の右手に備わった光線銃が推城に向けられた。
この行動を予測していた根尾が左腕を前に出して止めなければ確実に撃っていたであろう。
「落ち着け、岬守君。奴を殺すわけにはいかん……!」
「ええ、すみません根尾さん……。」
航も頭では解っていた。
だが心が推城を殺せと叫び、その怒りが腕を後は発射だけというところまで動かしてしまったのだ。
鼓動は早鐘を打ち、航は己の殺意に少し驚きながらどうにか抑えていた。
「神瀛帯熾天王、お前たちの目的は何だ。」
根尾が推城に問い掛けた。
それは部下である仁志旗蓮が追い求め、辿り着いてしまったが為に命を落としたものの答えであり、今根尾が最も知りたいことだ。
「我等四人は何れも違う時代に生まれ、そして時の帝に強い恨みを抱いた。」
「時の帝……。お前達は奈良時代と南北朝時代、共に末期か。」
八社女と推城がそれぞれ既に開示していた情報から、恨みの対象がどの天皇であるかは凡そ見当がつく。
八社女は奈良時代の孝謙天皇、重祚して称徳天皇。
弓削氏出身の僧、道鏡を篤く信頼し皇位を彼に譲ろうとした宇佐八幡宮神託事件は有名である。
この時、道鏡に皇位を継承すべしとの神託を偽りであると看破したのが和気清麻呂であり、孤児であった八社女を引き取ったという和気広虫の弟である。
天皇はこれに激怒し、清麻呂を姉の広虫共々改名の上配流とした。
推城は後小松天皇、明徳の和約によって南北朝合一が為された時の北朝の天皇である。
明徳の和約は彼が養父と言った楠木正儀が深く関わっているが、その際の条件として南北朝筋から代わる代わる帝を立てる両統迭立があった。
しかし後小松帝と彼の後ろ盾になったとも傀儡にしたとも云われる足利氏はこれを無視し、以後全ての天皇は北朝筋に連なっている。
後は閏間三入、彼が恨んでいると嘯くのが昭和天皇であることは、彼が生きた時代から明らかである。
天皇への恨み、それが鍵となっていることは根尾も感付いていた。
推城はそんな彼らにさも恨みの込められた恐ろしげな低い声で言葉を続ける。
「軈てそれは天皇そのもの、脈々と受け継がれたる皇統自体を憎むに至り、そしてある時は現人神、ある時は君主、ある時は象徴として時代時代で有難がる『日本』をも遂には呪った。故に我等は一つの世界、『日本』という概念が消失した世界を『樂園』と呼び、幾百幾千年の時を掛けて旅を続けてきたのだ。」
推城が語る言葉、その想像を超えた話に航と根尾は言葉を失った。
一方で皇國側の一人、魅継東風美は動揺を隠せず目を泳がせていた。
「そんな……。日本を消すだなんて、冗談ですよね、〝多聞天〟様? 曾御爺様がそんな企てに関わりを持っているだなんて……。」
そんな東風美を横目に一瞥し、推城は彼女を嘲るように笑った。
「魅継家の生き残りよ、冗談どころの話ではないぞ? 何せ〝持国天〟こそは我等が最初の媛、〝広目天〟が最も期待し、我等の悲願を最も大きく前進させた男なのだからな。」
推城の答えに東風美の表情は見る見る曇っていく。
そんな彼女に容赦無く、この国賊、朝敵は更なる事実を告げる。
「魅継家前当主、康彌などは父親の役に立ちたい一心で強引に戦端を開いた。その後もあらゆる知恵を絞り、この日本国を亡ぼそうとした。だが、流石に無能を晒し過ぎたのでな。〝広目天〟が直々に始末した。そして先日、我等は魅継家自体に見切りを付けた。手を下したのは他でも無い、貴様の曾祖父である〝持国天〟だ。」
一族皆殺しの真実を明かされた東風美は愈々堪え切れず、叫び声と共にアスファルトを蹴った。
同じ皇國の別府幡黎子と牧辻野愛琉が抑えなければ彼女は推城に飛び掛かっていただろう。
「許せない‼ 殺してやる‼ 殺してやるゥッッ‼」
「東風美さん、落ち着きなさい!」
「まだ肝心なことを聞けてない。」
そう、野愛琉の言う通りだ。
ここまで推城が語ってきたことは航や根尾が訊きたい本題ではない。
彼らが知りたいのは永い年月の大望でもなければ、魅継家襲撃の真相でもない。
もっと具体的な、近年彼ら行い、そしてこれからやろうとしていることだ。
「前進、とはどういうことだ? 閏間三入は何をした? どうやって貴様等はその大それた悲願とやらを達しようというのだ?」
平静を取り戻した根尾が推城に問い掛けた。
ふむ、と推城は一呼吸置き、八社女に目配せした。
それに対して八社女は、勝手にしろ、と言った面持ちで顔を背けた。
「閏間三入、奴の成果は謂わば、日本が辿り得た歴史という大樹、その殆どが朽ちて落ちた那由他の枝から『皇國』という甘美なる檸檬の生る枝を見出したことだ。貴様等の『日本』という、我等にとっての酸鼻なる葡萄に取って代わる枝をな。」
推城と八社女の表情には何処か自嘲的な、寂しさの様な悔しさの様な者が滲んで見えた。
その印象を補強するように、八社女は小さく呟く。
「いきなりあんなことをされちゃ、僕達は長年一体何をやっていたんだって話だよね……。」
「広目天の奴が我等より持国天を信頼するのも宜なるかな。」
推城も概ね同じ意見の様だ。
だが、航達はそんな感傷に用は無い。
「つまり異なる歴史を辿った時空を越えて皇國と日本を引き合わせたこと自体が閏間三入の仕業、そしてお前らの陰謀だということか?」
「神州丸ごと時空を越えるなどという大技は神皇の神為有りきだが、旅路をこの時空へ導いたという意味ではそうなるな……。」
航の問い掛けに推城は微妙に顔を背けつつ答えた。
八社女がそこに捕捉を入れる。
「どうやら上古代に広目天の御媛様が何かをやらかしたらしくて、そこから日本、当時は葦原中国やら八洲、秋津洲などと呼ばれた大地に無数の時空が分岐して異なる歴史を辿ったらしい。その辺の詳しいことは僕すら知らないけどね。そして凡そ八十年前、持国天の奴がその中から宝石のような果実を見つけたのさ。」
「八社女と私、そして閏間はそれぞれ帝に抱いた恨みを買われ、広目天から不老不死にして不死身の、人ならざる命を授けられた。」
「人としての死を捧げた、と言った方が適切かな? そしてその対価として穢詛禁呪を授けられ、共に樂園を目指すことを誓い合ったのさ。」
彼等の異様な不死性について根尾に問い質された時、八社女は穢詛禁呪によるものだということを否定はしなかったものの歯切れの悪い答え方をした。
これは彼等本人の力ではなく、〝広目天〟こと貴龍院皓雪の穢詛禁呪によるものだということだろうか。
八社女のはぐらかし方が気になっていた根尾はそんなことを考えていたが、二人は不死についてそれ以上言及しなかった。
文字通り致命的な情報を与えることを避けたのだろうか。
話題は再び閏間三入と皇國の関係、時空転移に切り替わる。
「閏間は穢詛禁呪によってこの世の摂理を捻じ曲げ、二つの時空を繋ぎ合わせ、人が通れる程度の道を開けた。」
「計算外だったのは奴の長男、同音の麗真魅射を名乗る男が父に反抗し、対抗する為に繋いだ二つの時空を通ってこの時空に帰り、そして術式神為で通路を閉じてしまったことだね。同じ系統の能力だと穢詛禁呪は術式神為に及ばないからなあ……。」
「しかしそれでも、神皇の神為によって孰れ再び二つの時空が繋がるであろう、というのは持国天の息子も予測した事であり、そして現実になったわけだがな。」
二人によって日本と皇國が引き合わされた真相が明かされていく。
そしてそれは二人を囲む五人に不穏な予感を齎した。
「お前ら、日本と皇國の戦争が終わった今何をする気なんだ? まだ何か企んでいるのか?」
航は最も重要な核心を八社女と推城に問い詰めた。
二人は顔を見合わせ、そして不気味な笑みを並べる。
「戦争が終わったと、安心するのはまだ早い、とだけ言っておこう。」
「ま、実は僕達も詳細は知らないんだけどね。ただ、皇國はまだ使えるということさ。いや、寧ろ神皇が代替わりしたことで計画は一気に終わりまで進むと、御媛様はそう言っていた。」
八社女の言う神皇の代替わりとは、空の皇位に皇太子である獅乃神叡智が近々即位する事か。
しかし寧ろ彼は戦争を終わらせたがっている。
一体何を企んでいるのだろうか、航には見当も付かなかった。
一方で根尾は別の疑問を持ったらしい。
「話を聞くにどうやら貴様等四人の中でもあの女、〝広目天〟だけは別格らしいな。全ての黒幕は奴か。」
八社女と推城はまたしても互いの顔を見合わせる。
そして二人の表情から笑みが消えた。
「流石に喋り過ぎたな。」
「後で怒られるかな?」
大柄な推城が屈み、八社女の身体を抱える。
そして彼は踵を返した。
「待て! 何処へ行く気だ!」
突然態度を翻した二人に、根尾は呼び止めようとする。
そんな彼に背を向けたまま、推城は最後とばかりに言った。
「あと一つだけ答えよう。先代神皇が神為という力を体系付けた始祖ともいうべき男なら、広目天は穢詛禁呪の始祖だ。体系としての歴史は穢詛禁呪の方が遥かに古いということでもある。そう、確かに奴は別格にして全ての黒幕だ。」
「何処へ行くかと問われれば、もうこの国に用は無いと言っておこうかな。要注意人物を誰一人消せなかったのは残念だけど、もう潮時だろう。」
航と根尾が背後から二人に躙り寄る。
相対して向こうでは皇國の新華族令嬢三羽烏が二人の行く手を阻み立ち塞がる。
このまま逃がしたくはない。
だが、それは無駄な足搔きだとも薄々皆感付いていた。
「心しておくが良い。日本という大樹は直ぐに朽ち果て塵に還る。」
「今は束の間の平穏を精々堪能するがいいさ。」
二人はそれだけ言い残し、その場から忽然と姿を消してしまった。
神出鬼没、彼らはいつもそうだ。
神瀛帯熾天王を阻むことは出来ないのだろうか。
彼らはどの様にしてその目的を達しようというのか。
多くが明かされたが、依然として謎も残されている。
神瀛帯熾天王、日本にとっての本当の敵、真に真なる国賊、朝敵。
彼らの永い永い悲願と陰謀は、何としてでも終わらせなくてはならない。
取り残された航達に柔らかな西日が、まるで黄昏時を告げるように差し込んでいた。
⦿⦿⦿
一方その頃、久住双葉は取材を受けるどころではなくなっていた。
人混みを掻き分け、ある人物から必死で逃げていた。
そして彼女の遥か後方では、追手の行く手を阻むものが次から次へと血祭りに挙げられている。
皮肉にも男がこの無差別通り魔行為を片手間で愉しんでいることが双葉の身を守っていた。
双葉は通行人とぶつかって転んでしまった。
小柄な双葉は体格差で大きく突き飛ばされてしまう。
「助けて! 誰か、助けて‼」
彼女は這うように起き上がりながら必死で逃げ、助けを求める。
だが周囲の人間が彼女を助けることは無い。
相手はいつ自分に牙を剥いてくるかわからない無差別通り魔なのだから、当然背後でもパニックが起き人々は逃げ惑うばかりである。
そのことが余計にこの場を混沌とさせ、人の流れが彼女の逃げ道を限定してしまっていた。
双葉は走る。
相手が本気で追ってくればもうその時点で捕まることは確定だが、彼女には二本の脚で走るしかない。
しかし、信号のある交差点に差し掛かると曲がり角からある人物が右から双葉の目の前に現れ、そしてその女が彼女の足を止めてしまった。
「あ……あ……。」
「あれ、久住さん?」
曽良野千花、高校時代に陰から双葉に嫌がらせを働いていた虐めの主犯格。
彼女は慌てふためく双葉と、それから逃げ惑う人々の様子に怪訝そうに首を傾げる。
そして間が悪いことに、ここで双葉が足を止めてしまったことにより、追ってきた男と彼女の間から人波が逃げ消えてがら空きになってしまっていた。
「何……あれ……?」
千花もまた男を見て瞠目し、硬直した。
そしてその瞬間、双葉の中に悪魔が入り込んだ。
双葉は黙ったまま千花の手を取り引いて、そして自身の後ろに向かって勢い良く解き放った。
「え?」
千花は唐突な双葉の行動と、いきなり血塗れの大男の眼前に放り出されたことに放心していた。
双葉はそんな千花に眼もくれず、交差点を右折して逃走を継続する。
「フゥン、雌狗らしい浅ましい行動だ。」
髭を蓄えた長身痩せ型の男、首領Д・道成寺太は両目を爛々と輝かせながら歪んだ笑みを千花に向ける。
そして手に持っていたくの字型の大刀を彼女に向けて振るった。
しかし間一髪、この瞬間に一人の女が割って入った。
「麗真……さん……?」
千花は黒髪を靡かせ刃を白羽取りに捕らえた女をそう呼んだ。
彼女もまた麗真魅琴の同窓生で、それなりの面識はあった。
そして自身が助かったことを呑み込むと、魅琴に一言も告げることなくその場から双葉を追うように走り去っていった。
魅琴はそんな千花に構わず、狂気に浸り切った道成寺を睨み上げる。
「道成寺太、血迷ったようね。ああ、元からだったかしら?」
道成寺は魅琴に白羽取りされた刃の柄を握ったまま、狂気の笑みを更に歪ませた。
「麗真魅琴、君に言われたくはないよ。いや、狂っているのは君よりも御爺様の方だったかね? 国を護る為だか何だか知らんが所詮は父親の罪を子や孫に命懸けで尻拭いさせるような男だ。寧ろ君は可哀想だね。忠君愛国などという下らん妄想に物を知らん内から洗脳され、生贄にされた幼気な少女なのだから祖父の被害者と言った方が良い。何なら狗の民族の罪を免責してやらんでも無いぞ? 我輩の子を産むならな。」
道成寺の挑発に、魅琴の怒りは更にボルテージを上げる。
「お前の如き下衆な小物が祖父を語るな。私は私の愛と誇りに懸けて戦いを選んだ。その選択に一片の悔いも無ければ、憐れみも必要無い。そしてその私の意思をお前如きが利用出来るとでも思っているのか? 随分頭の螺子を左に巻いてしまったようね。」
魅琴の声には怒りと共に前半は揺ぎ無い矜持が、そして後半は限り無い侮蔑が混じっていた。
白羽取りにしていた刃から手を放し、彼女は構える。
「ところで、ある男が言っていたのだけれどまさか私の大切な友人に手を掛けようとはしていないわよね? ええ⁉」
「大切な友人……久住双葉のことかね? 銀行を襲おうと思っていたら脱走者の女を見かけたもので、再び我輩の女にする為に少々追いかけっこを愉しんだだけだよ。」
道成寺もまた、くの字型の刃を構える。
二人は一触即発、今にも激突しそうな緊迫した空気が血の匂いと共に流れていた。
しかし、そんな状況に水を差すように大きな大きな音が突然鳴った。
ぶつかる様な衝撃音と、急ブレーキを踏むような金切り音、そして騒然とした人々の悲鳴だった。
魅琴は最悪の事態を直感し、その場で振り向いた。
案の定、交差する大通りではトラックが人身事故を起こしていた。
そしてトラックに交差点まで弾き飛ばされて血まみれで倒れているのは魅琴が守ろうとした彼女の片想いの友人、久住双葉だった。
皮肉にも十字路で交わっていたのは、高校時代、彼女らの通学路だった銀杏並木道だった。
次回より第四章クライマックス連続更新開始。
次回更新は、12月8日㈬




