15-2
雨野蓮……彼は、ごく普通の男の子だった。
平凡な家庭だが優しい両親に恵まれ、勉強や運動など、人よりも頭一つ飛びぬけてできる優秀な子。友達ともよく遊び、喧嘩をし、競い合う……。まるで、虫をも殺さないような笑顔をしている。その記憶の欠片すべてが、暖かな色をしている。だが、どこか断片的で、ぼやけているものが多い。
『彼の人生は、父親が死んでから狂い始めた』
ウォルンタースがそう言って、今度は紫色に光るガラス片を見せてきた。それを覗き込むと、どうやら父親の葬儀の時の記憶らしい。喪服を着た幼い彼が、火葬場へ運ばれる棺桶を見ながら泣き崩れている。
『彼の父親は、交通事故で死んだ』
酷く悲しむレンの姿がある。だが、拳を固く握り、強く生きて行こうと決心する様子も、はっきり見て取れた。……どこが狂っている? まだ俺よりはマシな振る舞い、いや、普通の子たちと比べても、立派に見える。壊れる要素なんてどこにも……。
『それから……』
今度の破片では、レンが母親に対して怒鳴りつけていた。今までずっとノーセットだった髪の毛に、ワックスがガンガンつけられていて、服装も乱れている。どうやらグレたようだった。中学生になりたてのようで、ぶかぶかの学ランが妙に似合わない。
「ただの不良じゃないか。人を殺す理由になってない」
『彼が怒っているのは、貧困に陥った母親が風俗で働き始めたからだ。これは、それに気が付いて問い詰めている記憶』
「……」
『そしてそれが周囲にバレて、いじめられるようになる』
もう一つの破片では、机に落書きをされたり、教科書を破られたり、殴られたり、蹴られたり……ともかく散々な目に遭っている彼が映し出される。こっちの記憶は、鮮やかではっきりしている。
『本格的に壊れたのは、母親が友達に強姦されたときだが……残念ながら、その時の記憶は完全に壊れてしまっていて、私でさえも修復ができない』
次に渡されたモノは、自殺をしようとしている光景だった。リストカットで。だが、間一髪のところで母親が帰ってきて、一命を取り留めていた。精神病院でカウンセリングを受けている様子が映し出されたが、彼は俯いたままだった。このころになると、やつれていて、顔色がずっと悪い。
『母親は懸命に彼を支えたが……逆効果だった。レンの怒りは、最初にカウンセラーに向けられた。なぜなら、キレイゴトを言っていたから。彼の母親を強姦したグループは、もともと仲間だった。不良仲間。で、カウンセラーと言葉の棘は違えど、同じようなことを言っていた……だから、同じだと思ってしまった』
次に渡された破片は、ひび割れていて、今にも砕けてしまいそうだった。そして、そのひびだらけの世界に映し出されたのは、彼が「カウンセラー」をペンで刺す様子だった。
『彼は攻撃の最中、理解した。本当の善人などいない、と。自分を必死に助けようとしていたように見えた人物も、攻撃をすれば敵だと見なされる。気に食わないことをすれば、奴らと同じように牙をむく』
どうやらそのカウンセラーは死なずに済んだようだったが、彼の目は確実に「殺そうとしていた」。二人の怒鳴り声が破片の中に閉じ込められている。音のない罵声が、聞こえてくるようで。
『これが、彼が十五歳の時の出来事。そこから彼はさらに歪んでいき、十六歳の時には、自らの母親に性的暴行を加えた。高校には進学せず、ただただ、家で暴れる生活。やがて心に限界が来て、自殺。……今度は成功してしまった』
「……で、お前が力を与えたら、さらに殺戮の限りを尽くした……そういうことか?」
『……私が意図的に力を与えたわけではない。だが、全ての責任が私に無いとは言い切れない』
「神のくせに責任を感じるのか?」
『……』
酷い過去を持っている。これじゃ歪むのも仕方がない。
だが……。
『可哀そうだとは思わないか?』
「――――思わないね」
『何故だ? 彼は確かに犯罪者だが、被害者だ。人間と言う毒に侵された、哀れな人間なんだ。彼の行動を否定することがあっても、存在を否定するのは間違っているはずだ!』
「確かに俺がすべて正しいとは言えないし、人々の多数の意見が正しいとも限らない。それでも、間違っているものは間違っている。壊れたせいで殺しをしたのではない。壊れたのを理由に殺しをした。その本質は……快楽殺人と何ら変わりない」
『……死んだ方がいい人間だったと? 初めから居なかった方が良かったと?』
「……そうだ」
……もし、俺が彼の立場なら、どうだ?
好き勝手暴れて、人を殺しただろうか?
「……何がしたいんだ、お前」
『……私はただ、彼を救いたかった。不幸な少年を、この手で救いたかった』
「依怙贔屓だ……被害者で、彼よりも苦しんだ人間もいたはずだ。お前はなぜそれを見て見ぬふりをした?」
『……苦しんだ度合いなんて、君の物差しで測っていいモノじゃない。私の物差しで測った中では、そんな人間居なかった。レンの言う通り、皆偽善者だった! 悪だ!』
「……」
『私は神だ! 神が作った物差しを、人間が守るのは当たり前だ!』
「……」
『だから、レンをあまりいじめないでくれよ』
……ッ。
ふざけるな。
『……もうすぐレンは、本当に消滅する』
「消滅?」
『魂が消える。無くなる』
「……」
『――――だが、これでよかったのかもしれない』
やけに、優しい声音だった。さっきまで、感情的になっていたのが嘘かのように。神のくせに、どこか弱くて、情けなくて、馬鹿で……何がこいつをここまで突き動かす? 神々しい雰囲気なんて、形だけだ。ふたを開けてみれば、俺たち人間と何ら変わりないじゃないか。
「神じゃねぇだろ、お前。俺たち人間と同じような、ちょっと力のある生き物だ」
世界にひびが入り始めた。そこからは、白く眩い光が漏れだす。
『――――そうかもしれない』
ウォルンタースは小さく呟いた。
やがてその光は、全てを包み込む――――。
☆
目を覚ますと、俺はルルにもたれかかっていた。場所は変わらず、あのレンの晒台。レンを見たが、やはり顔色の悪い死体がそこにあるだけだった。
「ルル。君は一体……」
「……」
今、俺が焦らなかったことに気が付いた。いつもなら暴走していないかどうかが不安になるのに、静かな目覚めだった。彼女が、俺の意識の仕組みを理解したのだろう。暴走させないように、どこか別の「意識」へと飛ばすことができる……ルルンタース。
ウォルンタースとルルンタース……響きが似ているのは偶然じゃない。
「何を伝えたかったんだ?」
「……」
「……レンは悪だ。間違いない」
「……」
だが、赤い瞳をこちらへ向けてくるだけで、答えることは無かった。たとえ神霊種であるウォルンタースがレンを擁護しようと、俺は悪だと決めつける。
……なのになんだ? この胸糞の悪さは。
――――あぁ、そうか。
俺だ。俺が、はっきりしてないからだ。
レンは悪だと決めた。サングイスも一応悪だと決めた。あの誘拐犯も悪だと決めた。
ディアは改心したから、仲間にした。
……滅茶苦茶なんだ。なにもかも。
人間を殺した数なら、ディアが一番多い。誰かを苦しめたのも、ディアが一番……。
ウォルンタースの気持ちが、なんとなく分かった気がした。「愛着」、それが答えだろう。愛着が湧いてしまったものは、いくら間違ってたとはいえ否定したくない。もしも俺が、レンと子供時代に出会っていたとしたら……そうでなくとも、殺す前に彼の過去を知ったなら……。
あぁ、圧倒的な力って、嫌だな。
俺の自分勝手な正義が、通ってしまうんだから。