13.5 「絶望の中で」
モトユキが暴走した直後、足場から落とされた「白髪の子」ルルンタースとファンヌは、アビーの魔法により一命を取り留めた。
ギルド付近。モトユキとミヤビが暴走しだした地点の近くの為、流石のレベル3の魔物でも逃げ出し、この付近にいる魔物は少ない。所謂、台風の目のような場所であったが、それももうじき地獄と化すだろう。
そこで、沈黙するファンヌを宥めようとしているのが、「アビー」だった。彼女は、この状況を打破できるのはミヤビしかいないと考えていたため、レベル3が解放された後でも、ギルドの付近に残っていたのだ。……たとえ、その選択をして死ぬ人間がいたとしても、彼女は「最善の選択」をしたつもりだった。
だが現実は、冷たい背中しか向けてくれない。
ファンヌはルベルを抱きしめたまま硬直している。落ちてくるときも、受け身とか考えずに抱きしめたままだった。彼女にとっては、一緒に遊んでくれるお姉さんだった。悔やむ理由もアビーには良く分かるが、今はそんなことをしている暇はない。魔物が戻ってくる前に、彼女らとともに逃げることを決意していた。たとえ、ここのすべての人々を切り捨ててでも。
「アタシの魔法で、アタシと、あなたたち二人、なら、安全に、逃げられる、はず、だから」
いつもより焦っているつもりだが、どもる。
それでも、言葉を絞り出す。
「――――逃げま、しょう?」
しかし、ファンヌはそれに答えてくれない。ルベルの横に跪き俯き、拳を固く握ったまま動こうとしてくれない。ルルンタースは、ぽけーっとした様子で上空の二人の戦いを眺めている。雨にずぶぬれになるのを顧みずに。
ルベルは……。
――――否、違う。
アビーは気が付いた。ファンヌはルベルの亡骸にすがっているのではない。「ルベルの首」を動かさないように押さえているのだ。あの時、落ちた瞬間から、ずっと。助けようと……している……!
「――――いやだ!! ルベルちゃんも、ミヤビさんもまだ、生きてるから!!」
ファンヌが叫ぶ。豪雨と爆音の所為で、その掠れた叫び声自体は響かなかったのに、アビーはしっかりとその声を聴いた。不思議な気分だった。まるで、快晴の下で矢を放ったかのような、そんな感覚があった。
……でも。
「……でも、無理、よ!」
アビーは特殊魔力「真実」でルベルの様子を見た。確かに、まだ死んではいない。首の中を通る神経と血管が、まだ何本かダメージを受けずに残っている。奇跡、と言うほかない。あの状況下であれだけ雑に扱われたのに、まだ、彼女の体が生きていることが。
……たとえそれでも、もって一分程度……いや、一分も生きることができるなら奇跡。もう、あと数十秒も残っていない。
諦めるしかないんだ。どんなに悲しくとも、避けられない運命はある。
なのに、どうしてか、ファンヌは「生命」の魔力を放つ。薄桃色の光が辺り一体を包み込み、雨で冷めてしまった体に暖かな感覚をもたらす。美しい光、希望の光……アビーはその響きを聞くだけで、頭が割れそうになる。
届かない、希望に。
無駄だ、何をしても。
「――――絶対に、助ける!!!」
ファンヌも半ば絶望の中にいた。希望の光など一つも見えない暗闇に。でも、そんな暗闇の中でもどこかを目指して走り続けている。今走らなければ、駄目な気がしたから。今諦めてしまえば、全てが終わってしまう気がしたから。ただ、ただ、それだけの理由で。
否。どこかバグっていたのかもしれない。彼女はまだ風邪の熱が下がったばかりで、雨に打たれたせいでぶり返してしまった可能性もある。
だからなんだ? 関係ない……!
「……分かった、わ」
アビーはすべてを覚悟した。今この状況で、彼女を無理やり救えば「後遺症」が残ることも考えられた。足や手が動かなくなるならまだしも、「脳」にまでダメージが及んでしまう心配もある。ミヤビを、忘れてしまうかもしれない。認識できなくなるかもしれない。
だけど……その責任のすべてを、自分がとる。そう決めた。
彼女が望めば、自分の手で彼女を殺すことも誓った。
ファンヌの手を掴んで止め、もう一度「真実」でルベルを確認する。首の骨が折れているが、その破片は厄介なところに転がってはいない。然るべきところへ移動できれば、くっつくはずだ。神経や血管がいくつか切れているのでそれも直す必要がある。
便利ナイフを取り出し、針の形に変形させる。そして彼女の頭を持ちながら、慎重に、慎重に首に針を刺し、筋肉、血管、神経、骨の位置を整えていく。一寸の震えも許されない。「器械」を相手にしているときとはまるで違う。医者ではないから、と言う理由では済まされない。
天才魔法道具技師の成せる業。
左手に伝う、ぬるい血の感覚。遠くの方で響く、雨音と爆発音。集中して、集中して、どこまでも深い海の底の如く……。
「――――今! お願い!」
「――――ルベルちゃん!!!!!!!」
回復魔法。
魔力の扱いに長け、なおかつ心優しい人間の魔力でなければ、発動してくれない技。その繊細な感覚と大胆な気持ちを乗せて、薄桃色の暖かな魔力がルベルに注ぎ込まれる。
「諦めない」「助けたい」……たった二つの気持ち。
その気持ちが、この「絶望」の中で抵抗を始める。
……もしかしたら、救えたところで、また殺されてしまうかもしれない。それに、もう二度と、「皆」で笑い合うことはできないかもしれない。
ルベルの蘇生という一瞬の最中、ファンヌの中で様々な思いが過った。兄である「アウジリオ」をはじめ、「ドナート」や学校の皆は、もう、殺されているだろう。お父さんやお母さん、先生、パン屋さんや肉屋さんも……もう。
……だからこそ。