12-1 「誰かの掌の上で」
目が覚めたのは、また、あの「中間地点」だった。
白いタイル張りの床がどこまでも広がっている。空は真っ暗で、星も何も見えない。地平線がただ、白と黒とを分けている空間。心臓は動いていないし、呼吸もしていない、不思議な感覚。
――――何が、起こっている!!??
もしかして俺、死んだ!?
嘘だ、そんなはずはない。でなけりゃ、あの「白髪の子」が俺を殺したということに。いや、ありえなくはない? 「敵」はこちらの動きに気が付いて、刺客を先に送り込んでいたとか? 「未来予知」系の能力だったとか? いや、ありえない。ディアを戦闘不能に、しかも指一本も触れずにできる実力者が居るんだ。わざわざ毒のキスを仕掛けて殺すとは思えない。でも、「未来予知」と組み合わせたなら? 俺が逃げることを想定して動けた? 嘘だ、本当に終わりなのか? いや、もう一度考え直せ。そもそもここはどこだ? 何故俺はまたここへ戻ってきた? あの「白髪の子」は何が目的なんだ? 俺を殺すこと? 無力化すること? 俺の「念力」は一体いつの場面でバレた? ここから出る方法は? 出たところで「ダラムクス」に戻れる保証は? 考えろ、落ち着け……! クソ、クソッ……!
「あれ、お客さん?」
ふと、声が聞こえた。
その声はなんだか不思議な感覚がした。男性でも女性でもない、大人でも子供でもない、機械でも人間でもない、何とも言えない「声」。文字を読んだ時のような、音として聞き取れないような「声」。そもそもここには空気が無いのだから、耳から聞こえるわけない。
だが確実に、今、「耳」から聞こえた。方向もつかめる。
背後。嫌な予感がして、俺はその方向を向く。するとそこには「黒い靄」があった。人型……とギリギリ言えるくらいの形で、紅い目をしている。「敵」の、仲間か!?
「誰だ!?」
俺は「力」を使って、その靄を捕えようとした。
「へぇ、『念力』か。面白いイメージだね」
「……は?」
今度はその声が「どす黒い声」に変化した。嫌な予感がする。ますます黒い靄が禍々しいオーラを放ち、俺の肌はピリピリとそれを感じ取る。
……だが、念力が空を切る。
「まぁまぁ、おちつきなよ」
「クソ、何が目的なんだ!? お前らは!?」
「『お前ら』……? 僕が複数人に見えているのかい?」
「お前も、ダラムクスを襲っている奴らの仲間なんだろ!?」
「ん、待って、ちょっと待って。今、『ダラムクスが襲われている』って言った?」
「言ったならなんだ? ここから出せ!」
「あー、えっと、おちついて。僕は敵じゃない」
「敵じゃなかったら何なんだ!?」
「うーんと、君と同じ死んだ人間かな」
「……は?」
死んでいる? 君と同じ?
この黒い靄は、元々死んだ人間……?
「うーん、何から説明しようか。ひとまず、自己紹介かなぁ。僕は『ホルガー』」
瞬間、その靄野郎が変化した。……俺の知っているホルガーに。
彼は古びた服を着た骸骨。それなりに長身だが、骨だから肉つきはもちろんわからない。陽気な骸骨が、身振り手振りをしながら話している。不思議な光景だ。
「えっと、ダラムクスを知ってるんなら、『ビルギット』も知ってるかな? 僕の自信作なんだけど……つまり、そいつの製作者ってことさ」
「な、ど、どういうことだ? どうして骸骨の癖に喋れる!? とっくにホルガーは死んだはず……」
「あれ、もしかして僕今、骸骨? ふーん、なるほど。君は僕の家に訪れたのか。んで、白骨化している僕を見たと。しまったなぁ、僕が死んだときのプログラムを入れ忘れていたな。見苦しいものを見せてしまったね」
「何が起こっているんだ?」
「さぁね、僕にも詳しくは分からない。君の名前は?」
「……モトユキ」
「モトユキ……ジャパニーズ? あぁ、ごめんね。こっちの世界の人は知らないのか」
「……いや、知ってる! 俺……いや、私の元居た世界も、あなたと同じ世界です! それと、確かに日本人です」
「へぇぇ、こりゃすごいや」
骸骨は、その顎をカタカタ動かして見せた。白骨化して、ボロボロになったものとは違い、どちらかというと水分を多く含んだ、健康な骨だ。
こいつ、本物の、ホルガーだ。いや、それが分かったところで……。
「ふーむ。君は今、『ダラムクスに戻りたい』、そうだね?」
「はい。戻る方法を知ってるんですか!?」
「いや、知らない。ただ、今のやり取りでいくつか分かったことがある。ゆっくり考えていけば、もしかしたら戻せる方法が見つけられるかもしれない」
「……ゆっくりって、それってどのくらい時間がかかりますか?」
「分からない。早くて一時間、長けりゃ一生戻れないかもね」
「そ、そんな、私は一刻も早く戻らないと……ダラムクスが……!」
「君を戻せば、ダラムクスを救うことができるの?」
「わ、分かりません。だけど、もし……」
「もし?」
「もし、私が今、仮死状態にあるとしたら……『暴走』してしまうかもしれません」
「暴走、さっきの『念力』が?」
「……はい」
「へぇ、君はここに来るときにそんな能力をもらったのか。僕は何にもなかったなぁ」
「いえ、私は生まれつき念力が使えて……」
「……世の中には不思議なことがあるもんだねぇ」
「……あんまり驚かないんですね」
「そりゃあ、もう、死んじゃってるからね。へへ」
俺の焦りは最高潮だった。一方でホルガーと名乗った骸骨は、表情が読めない癖に飄々としている。だが、さっきまでとは違うオーラを感じる。彼には、「賢者」という言葉が一番近いかもしれない。さっき、今の会話で「いくつか分かったことがある」と言っていた……いったい何を?
「い、急いでください! 時間がありません」
「焦ったところで、分からないものは分からないよ。僕たちはコンピュータみたいに計算が得意じゃないんだから」
「じゃあ、どうすれば……!?」
「だから落ち着いて、ね?」
落ち着けと言われても、こんな状況で誰が落ち着いていられるというのだ? 今、「現実」では、たくさんの命が刈られようとしているのに。一体、何人が殺されていた? 俺が見ただけで、何人……。
俺の思考を遮るように、ホルガーは言った。
「この空間に名前を付けるとしたら、『意識の世界』だね」
「意識の世界……?」
「そう、『意識』。感覚は何もなく、全てが『思考』によって構成されている」
「……感覚は、ありますけど」
「どんな?」
「た、例えば、ここが肌寒いとか、それから『声』で話をしているところとか」
「それらもすべて、『思考』によって作り出されているモノなんだよね。ただ、『声』的な情報はお互いに交換できるみたい。でも、それは『声』じゃない」
「……?」
「うーんそうだな。今、僕は、『顔の分からない日本人』と話している状態だ。しっかりした受け答えと、正体が分かってから丁寧な口調になったところとか、それまでは焦って脅迫していたところとかを踏まえると、おそらく『成人男性』。低い声に、日本人だから低身長、好戦的な『イメージ』があるから、髭が生えているかな……? ともかく、私は『大人の男』と話している。間違っていたらごめんね」
「……」
意識の世界。お互いは、それぞれの思考の中にいる。でも、「声」的な情報は交換できる。だけどそれは「声」ではない。
ホルガーは、俺のことが分かっていない……?
俺の体も、声も、変化はしていない。小さな体に高い声音、どっからどう見てもクソガキ。ホルガーの言っていることとは違う。
……無意識のうちに敬語を使っていたな。普通に、年上と話すっていう状況だったから、自分が子供であることを忘れて話していた。まぁ、アビーに注意されたから、子供であることを覚えていても、敬語を使ったかもしれないが。
「いえ、私は、子供です。男なのは正解ですが……」
「子供!? すごいね、最近の子は……」
「いえ、子供は子供なんですけど、中身は大人です。こちらへ転生するときに、体が変化していて」
「……へぇ。『何かの思い出の日』?」
「は、はい」
「なるほど……なるほど……自分のイメージがそこで止まっていたのか」
この人、俺の考えにすぐに辿り着いた……!?
「まぁ、こんな風に互いのイメージが違うんだよね。声は通るみたいだけど、僕はさっきまでおじさんの声を聞いていた。でも君は高い声のまま話していた。つまり、この音自体は『声』ではなく『情報』ってこと……分かってもらえた?」
「はい……」
「そう、だから、こんな使い方もできる。『リラックスできる部屋』!」
ホルガーがそう言った瞬間、辺りの風景が様変わりする。ぐわんぐわんと空間が歪んだかと思えば、そこは「俺の部屋」になった。
……そう、俺の部屋。俺が一人暮らししていた、アパートの畳部屋。寝室として使っていて、ちゃぶ台とその上に乗っているノートパソコン、焼酎、諸々のつまみ。それから、座布団、旧型の照明、テレビとその台として使っている本棚、敷きっぱなしの布団……すべて「あのとき」のままだった。俺が一人で晩酌していて、そのあと死んだ、あのとき。
「なっ……!?」
「ま、これはイメージだから、言ってしまえば偽物なんだけど……君はどんなところが思い浮かんだ?」
「……私の、部屋です」
「どんなところ?」
「えっと、ホルガーさんには狭く感じる、畳の部屋です。私がここへ転生してくる際に最後に見た光景が、そのまま残っています」
「なるほど。僕は病院のベッドの上だ。昔っからここが僕の寝床だったからね」
俺は座布団に腰を下ろした。するとホルガーは対面に座る。……でもこれは俺のイメージらしく、詳しくは「座らせた」というのが正しい。
「さて、じっくり話し合おうじゃないか。まずはここに来た経緯を詳しく教えてね。僕はあんまり記憶力が良くないけど……頑張るよ」