10-3
ほんの数十分前まで、ビルギットは活動を停止していた。
理由は、「命令」が無くなったからだった。いかなる機械も、「命令」に従って動いている。ビルギットとて例外ではなく、ホルガーに与えられた「カード」を読み取ることにより、最近まで業務を行ってきた。
それなのに、ルベルに壊された。
命の令であるそれを壊されてしまえば、もう動く理由は無く、というか――――「物理的に不可能」だった。所詮は鉄塊。そこにあるのはただの「物理現象」。
だったはずなのだが。
眼球の洗浄装置が、故障した。
五十年間壊れることのなかった、それが故障した。だらだらと、無駄に洗浄液を流し続けてしまう。ビルギットは優秀なロボットだから、マニュアルさえあれば、故障部分を自分で治すこともできる。しかし、何度も何度も直しても、直らなかった。
同時に、いくつものエラーが発生する。
もう自分には「命令」が存在していないのに、「任務失敗」と何度も何度も頭の中で繰り返される。
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――――Gefühl des Verlustes
この現象に、ビルギットの修復プログラムは、「喪失感」という名前を付けた。それに伴って、「感情」というシステムを作り上げた。
システム……?
否、ただの膨大な、エラー。
だが、何かが確実に、変わった。
「……」
怒り《Wut》
「……ホルガーさんが、プログラムを隠して……いや、そんなことは……」
虚無感《Ein Gefühl der Leere》
「これは、何?」
悲しみ《Traurigkeit》
「私は、何?」
分からない《Verstehe nicht》
「ホルガーさんは、死んだ?」
絶望《Verzweiflung》
「今、ダラムクスが、危ない?」
疑問《Frage》
「何が、何が、何が……」
熟考《Nachzudenken》
「私は……『ビルギット』」
存在《Existieren》
それは、いや、彼女は、この瞬間、「生まれた」―――――。
☆
ビルギットは、「ダラムクスを守る」という任務を遂行中である。状況は最悪。すでに子供が何人も殺された。彼女には生き残りさえも守れない。なぜなら、「個々」が強すぎるからだ。子供を人質に取られてしまえば、それまで。ジリ貧で、何もかもおしまいだ。
交渉は不可。それを判断したのは、もちろんビルギットのプログラムだが……俗にいう「勘」というやつだった。不可能である確率はゼロではないのに、そのプログラムを無視して、彼女は「ルベル」を守る手段にでた。
最善の、解の、「はず」。
計算が導き出す最適解は、「交渉・和解」、それが不可なら「より多くの人命を救助」だった。だが、それでは、「ルベルが死ぬ」。ビルギットの「勘」によれば、「ルベルが死ねば、全てが終わる」。ルベルが何かを知っているという予測は、ただ単に彼女が「必死で結界の外に出ようとしていた」というだけであり、彼女を信じるにはあまりにも材料が足りない。それに、もしそうだったとしても、それが成功するかどうかは、神のみぞ知る。
「死ねぇぇっ!!!!」
戦闘中なのは、エルフの女。風の魔法を使いこなし敵を追い詰める、手数と速度で戦うタイプ。だが、こちらの方が基礎能力は上だ。普通に戦っていれば負けることはない。
しかし、段々と移動させられている。それは分かっているのだが、的確に追い詰められ、ジリジリとその方向へ。
……子供たちがいるところに。
さらに、仲間がそれに気が付き、集まり始めた。誰もかれも、そのエルフと同等の戦闘能力を持っているから、ビルギットは当然追い詰められる。
「フフフフフフ!!! 形勢逆転かしらぁ? 豪風槍!!!」
風の上位互換、豪風。風魔法特有の「切る」能力がさらに増し、「切り裂く」と表現することもできる。その名の如く、彼女が飛ばした黄緑色に光るその槍は、周りの建物を「切り裂き」ながら、一直線にビルギットに向かう。
「獄炎斬《PrisonFlameSchwert》……!」
ビルギットの能源剣を青い炎が包み込み、その槍を、割く。
だが、完全に防御したとは言い切れず、ビルギットの肌にいくらか切込みが入る。血が出ることは無いし、痛くもない。ただ、「不快」だった。
「あっらぁ? そんな大技出していいのかしら?」
小さな生命反応……「子供」。
近くに居て、ぶるぶると震えている。恐怖で泣いているが、必死で声を抑えているようだった。パニック状態、扇動による避難は不可能に近い。ここを切り抜けるしかない。
「ほらほらほら! 『お人形さん』たちの攻撃が当たっちゃうかもよー☆」
彼女の応援に来た仲間たちが、次々に魔法を飛ばしてくる。弾幕の如く飛び散り、破壊に破壊を重ねる。
ビルギットは気味が悪いと感じた。彼女らには、「感情」が無かった。ロボットである自分が思うのは変だと感じたが……目が、死んでいる。
「お人形」と呼称される彼女らは皆、意識が、無い……。
「……これじゃ、嫌われるのも無理ない、ですね」
皮肉にも、今この瞬間、自分が気味悪がられていた理由を知った。