9-5
ミヤビは戦慄した。
紅い月のせいで、ルベルに土産話をしたり、体を休めたりする暇を削ってギルドに駆けつけたというのに、奴がいた――――。
……雨野蓮。
間違いない。奴だった。
湧き上がる吐き気を堪え、あたかも、気づいていないかのように振る舞う。
「ユーグ。調査班、今帰った。状況は……って、そちらのお兄さんは?」
ブライトンの部屋。ギルドの奥に設置されたそれは、重要な会議が行われる際に利用されることが多い。ミヤビは特殊な動きをさせることが多いから呼ばれることが多く、今回も一応呼ばれている。今この場にいるのは、ブライトン、ミヤビ、ユーグ、レン。
「あ、初めましてブライトンさん。それから……」
「ミヤビ。よろしく」
「よろしくおねがいします、ミヤビさん。私は、『幻魔教紅緋派代表』のレン・アメノと申します。布教活動とためにこのダラムクスを訪れているのですが、『紅い月』が来ると聞きまして、現在ギルドと協力している状況です」
白々とレンは話す。ミヤビにとってそれが気持ち悪くて仕方がない。
「……幻魔教?」
「細かな説明は後です。あ、そちらのミヤビさんは――――ご存じなんじゃないですか?」
「……はぁ? しらないよ、私」
「……まあいい。今は状況を把握することからだ」
話を聞いている間、ミヤビは落ち着かなかった。
レンは、何食わぬ顔で、ギルドのメンバーに溶け込み、「紅い月」に協力するという誠実な青年を演じている。その光景が、奇妙で、奇妙で、仕方が無かった。狂人だ。狂人がいるんだ。何食わぬ顔で人を殺せる奴が、何故こんなところにいる? 早く何とかしないと。早く殺さないと……!
「……聞いてるのか? ミヤビ」
「え……うん。ともかくいつも通りやってけばいいんでしょ」
「まぁ、そうだが……」
「では、私も警備に向かいます。今日は人員が足りてるので、あまり無理をなさらないでください。必要な時に、動けるように」
「……それもそうだな。俺たちはここで仮眠をとるとするか」
そんなブライトンの話を聞かずに、レンは言った。
「ミヤビさん、少しお話が」
……来たか、と。
奴の狙いは一体何かが分からなかったが、嫌なことが起こるのは間違いなかった。
レンは、ブライトンに隠れてにやにやしている。だが、ミヤビはその案に乗り、二人きりになることにした。というより、乗るしかなかった。断ればどんな目に遭うか分からなかったから。
「おいおい、レンさん、そいつに手を出すのはやめといたほうがいいぜ」
「あはは、そういうのではないんです」
「えーでも、私は結構タイプだよ?」
「手を出すのはミヤビの方だったか」
……クソくらえ。
ミヤビは心の中で呟いた。本当は思いきり叫びたかったが。
かくして、ブライトンの呆れた目を背に、ギルドの裏の物陰へと二人きりで向かう。その光景は、一見すれば馬鹿な二人に見えたかもしれないが、二人の間にはそれぞれの思惑がある。特にミヤビが、命を懸ける覚悟をしているとは絶対に分からないだろう。
「……で、なにが目的なの? なんでこんなところに?」
初めに聞き出したのはミヤビだった。彼女はレンの能力を知っているが、今この場で使ってくる性格ではないことも知っている。と言うのも、レンが「能力」を使って人を支配するのはあくまで最終段階で、初めのうちはその反応を楽しむためにあえて使わない。正直気持ち悪いが、今この場はそれにあやかるしかない。そうしなければ、殺せない。目だけは見ないように細心の注意を払う。
ミヤビは不意を突かなければならなかった。レンたちはこちらの動きを把握しているはずだから、ギルドのメンバーに話したとて、無駄なのだ。囲っていることが分かってしまえば最悪の事態になりかねないし、そもそも自分の話をギルドのメンバーが信じてくれる可能性も100%ではなかった。さっきの誘いを断ることは不可能だっただろう。
「んー? 暇つぶし? あとはかわいこちゃん探しかなぁー」
へらへらと彼は答えた。
「へぇ。それはそれは、楽しそうだね」
「ははは、殺しに来たってことは、分かってんだよ?」
「……いや、そうじゃないよ?」
「へ?」
焦るな。落ち着け。
そう、何度も自分に繰り返す。
「『前』はさ、私弱かったし、散々ひどい目に遭ったけど、今は結構強くなったんだよ。んで、ここで暮らしてたんだけど、体にしか興味がないクズ男ばっかでさー」
「へぇへへへへ……」
「だから、さ、仲間に入れてくんない? 『前』は君のを断っちゃったけど、今は好きにしていいから、さ。それに、幻魔の考えもそんなに悪くない気がしてきたんだよねぇ。悪者が魔物の餌になるところを想像すると、確かに痛快さ」
「ほーう。でも、それもいいかも。ここには君を超えるかわいこちゃんいなかったしなぁ……」
「なんなら結婚、していいよ?」
「ほんとに?」
「うん」
ミヤビはレンの首筋に手を回し、一気に距離を詰める。流石のレンも、少しだけ動揺し、顔が赤くなる。
馬鹿な奴……。
それから、キスをすると見せかけて、殺す。奴は能力を除けば普通の人間だから、これを避けられないわけがない。
――――ナイフが弾かれた。
「でもごめんねぇー。俺もう婚約してんだぁー」
その声は、あまりにも、わざとらしかった。
「クソ」と言葉を漏らし、次の攻撃をしようとするが、ナイフを弾いた何者かに取り押さえられる。すごい力だった。女と言えど男顔負けの筋力のあるミヤビが、いとも簡単に押さえつけられる。声を出そうにも布を咬まされ、もがくことしかできない。
「ダーリン? 浮気したら許さないからね」
「するわけないじゃないか、ヴァン」
「ミヤビさん久しぶりー☆」
ミヤビは肩越しにそいつの顔を見た。街灯のほんの少しの光だけが、顔を照らす。フードをかぶっていてもすぐに分かった。長い耳に、高い鼻。つややかな金髪……。
――――ヴェンデルガルド。
ルベルの、『実』の母親……。
「……っ!」
「なんで一緒にいるのか、ですって? そんなの簡単よ」
「ヴァンがかわいかったからだね」
「んもう、やーねぇ」
最悪の組み合わせだった。腐りきった屑同士が、ダラムクスを、壊そうと……。
「あっれぇ? 泣いてるの? ま、いいや。それより、『レセルド』、元気にしてるー?」
「レセルド?」
「ワタクシの子。浮気じゃないの、信じて」
「あぁ、ヴァンを襲ったとかいう、愚かな人間の子か。でも、君の子なら、きっと可愛いんだろうね」
「いーや、クソブスよ?」
「……なら、殺した方がいいね。生きてる価値ないし」
「そうそう。で、元気してる? あ、喋れないか、ごめーん」
しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった。しくじった……。
ルベルを守らなきゃ。私がどうなったとしても。
シラを切れ……!
「……?」
まるでその名が分からないかのように。忘れてしまったかのように。奴らをにらみつけつつ、隠し通さなければ……っ。
ミヤビは、体中に冷汗をびっしょりと掻いている感覚がした。心臓は恐怖で叩き鳴る。
「わかんないって顔だなぁ」
「んーん、違うわ、ダーリン」
「ん?」
「嘘ついてるわ、この子」
……!
「さすが、エルフの観察眼」
「ねーねー、ミヤビさん? 今、レセルドとは一緒に住んでるのね?」
「……」
「住んでるって」
「へぇー、すごいや。良く分かるね」
「どうするの、ダーリン? こいつもお人形さんにしちゃう?」
「うーん、ちょっと遊ぶ」
「わぁ、楽しみ! 早速?」
「いや、明日かなぁ。ちょっと疲れたし。それに『浄化』を始めるにしても、暗くてよく見えないからなぁ。ミヤビはずっと縛って近くに置いておこう」
「あら、もう『浄化』を始めるの?」
「うん。ここには人間の『格差』がないから、『正義のヒーローごっこ』はできなさそうだし。全員殺す方針で。それをこいつに見せて、遊ぼうか」
「………………っ!!!!」
もがいても、一切体が動かない。このままでは駄目だと分かっているのに、どうしても動けない。ミヤビの頭の中をたくさんの事柄が通り抜けるが、打開策は出ない。出るわけがない。
「楽しみね♪」
「ああ、そうだな……ってかうるさいなぁ。調節できるかな……?」
レンはミヤビの目を開き、じっと見つめた。
瞬間、彼女の意識は暗闇に包まれてしまった……。