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平地に出ようと川沿いに下っていた俺たちの目の前に現れたのは、恐らくゴブリンというモンスターだった。
子供位の身長で二足歩行をしているが、その骨格は明らかに人間ではない。雑に鍛えられた筋肉を緑色の肌が覆っていて、鼻も耳も長く、瞳孔は羊みたいに横長い。ボロ布を腰に巻き、右手には棍棒がある。ある程度の知能はありそうだが、その低い唸り声とじっとこちらを睨みつけてくる眼球は、最早ただの獣だ。
獲物を殺すことしか考えていない。
RPG序盤で出てくるモンスター。俺がもう少し幸せ者で、初めにここに降り立っていたら、こいつに対して感動をするだろう。「ゲームのような世界に転生した」って感じで。でも残念ながら、俺はもうアルトナダンジョンを(逆から)クリアし、ステータスがカンストしているドラゴンを仲間にしているんだ。
負けるはずがなかったし、喜べるはずもなかった。
「ん? なんだあいつ」
「魔物だろ」
「あんなに弱そうなのは久方ぶりに見たな」
彼女は、そのまま殴り殺せば血しぶきが凄いから、適当な枝を見つけて軽く投げつけた。それは脳天を通過し、後ろの木に突き刺さる。豆腐のように脳を貫かれてしまったゴブリンは、そのまま地面に伏して死体となった。
魔物の命は、無いに等しい。寧ろ無いほうがいい。
でもなぜか、もう何匹も殺しているのに、少しだけ情が湧いてしまうんだ。今のは無駄な殺生だっただろう。しかし、そんなの魔物の世界では当たり前。食わなくとも、気に食わなければ殺す。いや、人間の世界だって同じだ。だからといって、今の殺生が許されるかと言えばそうではないだろう……そもそも、許すとか許さないとか誰が決めるんだ?
そんなことを考えているときだった。
「モトユキ!」
「……!?」
俺の背中の方へ飛んできたナイフを、ディアが弾き飛ばした。
振り向きざまに見たその光景は、一瞬時が止まったようにも思えた。
空中に舞うシンプルなつくりのナイフ。
そして、俺の目の前に壁になるように立つディア。
「なんだ?」
「わからない。が、結構強い。魔力を隠しているのかは知らないが、ともかく気配がない。いくら吾輩たちとは言え、油断すればすぐに死んでしまうかもな。モトユキが」
確かに、ディアが守ってくれなければ俺は死んでいたな。これからはバリアを貼っとくか。
しょうがない、使うか。
《念力探知》……見つけた。
「気をつけろ。蟻位の攻撃となると、流石の吾輩でも守り切れるかは怪しい」
「いや、もう大丈夫。見つけた」
「……?」
ナイフが飛んできた方向の木の上、恐らく女。
俺はそいつを捕まえたまま、空中に浮かせた。
「……参った参った。そんなに怒らないで」
サングイスとは違って、彼女は暴れることは無かった。良かった。身体を潰さないで済む。
しかし、こうも諦めが良いとなると、恐らくこの先打開策的なモノがあるんだろう。仲間か、仕掛けか。
そんな警戒とは別に、何となくだが彼女が特殊であることに気が付いた。
彼女は奇妙な仮面をしている。確かにそれは特殊だが、特筆するべきところはそこではなく、「上着」だ。その上着は、青一色とシンプルで、フードが付いている。ファスナーがあって開け閉めできるタイプのやつ。
ファスナーがこの世界に存在するのだろうか。サングイスたちが着ていたものと比べると、全然違うものを感じる。彼女が履いているズボンは、間違いなく異世界のものだ。機能性の意味が違う服。丈夫で、動きやすさに特化したものだが、昨今の俺の世界ではあまり見かけない。ブーツもそうだ。いわばファンタジー風、と言ったらなんか日本語おかしいけど。
つまり違和感がある。服装としてはそこまでダサくはないが、上下で時代が違うような印象を受ける。考えすぎかもしれなかったが。
「いやぁん、そんなじっくり見ないでよー」
あからさまな棒読みだ。仮面の下も笑っているのか。
「何も私は、君たちに敵対しているわけじゃないよ」
へらへらと彼女は言った。
嘘つけ、がっつり殺そうとしたくせに。
「どうする? モトユキ。こいつ」
長身の女だ。顔はにっこりと笑う不気味な仮面に隠れて見えない。気の抜ける低い声をしているが、男ではないとはっきりわかる女性的な声だ。
「……ひとまず話を聞こう」
「油断するなよ。殺すことも視野に入れておけ」
「えっ!? ちょっと待ってって! 別に怪しい組織のスパイとかじゃないからさー! 何何怖い怖い怖い!! 私何されるの!?」
……心の底から怖がっている様子はない。
☆
「えぇとつまり、めちゃくちゃでかいドラゴンが見えて、様子を見に来たら、魔力の大きな存在が居たから殺そうとした……ってこと?」
「そゆこと。だけど、殺そうとしたってのは間違いだよ。あくまで殺せたらいいなぁ、くらいの感覚で、実際は力を計ったらすぐに逃げようと思ってたんだよ。まさか、こんなにあっさりと捕まってしまうとは思わなかったけどね」
殺そうとしてんじゃねぇか。
「……」
ディアはなんだか不服そうだ。スリット状の瞳孔が、じっと彼女を見つめている。いつもと目つきは変わらない……はずなんだが、少しだけ威圧を感じる。
「もしディアの魔力をかぎつけてきたのなら、何故俺から殺そうとしたんだ?」
「戦闘において雑魚から殺っていくのは基本じゃん? とくにボスがあまりにも強い場合は、その取り巻きから倒さないと。後々のターンになって苦労しますぜ?」
さらっと「雑魚」と言われたな。
それもそうか。
変な奴だ。クラスにいるとしたら、ネタ系女子とかその辺だろう。お調子者と何か同じものを感じる。
ただ、よくもまぁここまでぺらぺらと舌が回るものだ。普通なら、何者か分からない俺たちを相手にして、取り乱してもおかしくない。あれだけの強さを誇ったサングイスでさえも、狼狽えていたんだから。
……さっきから、言い回しが何か引っかかる。