0 「No.125ビルギット」
『おはようビルギット。気分はどうだい?』
『眼球部分に洗浄装置を取り付けてみたんだ。視界は良好かな?』
『ん? あぁ、ありがとう。……君は本当に僕の最高傑作だ』
どれもこれも、生身の人間から発せられた声ではなかった。
金属でできた小さなカードの中に、閉じ込められた言葉。
ホルガーの百二十五番目の作品である「ビルギット」は、何度もそのデータを読み込んでいた。
それにとってデータの読み込みは日課であり、命令の確認であるのだ。
『次は水やりを頼むよ』
『お、仕事が早いなぁ。じゃ、次は夕飯を作ってくれ』
今日も今日とてそれは、日々の仕事をこなしていく。
小さな家の中はきれいに整理整頓されている。埃一つない空間。
誰もいない机に、今日も料理を並べる。
「ホルガーさん。今日も残すのですか。栄養はしっかりとらないといけませんよ」
誰もいない空間に、それは呟く。
それの発する言葉は、全てホルガーがプログラミングしたものだった。だから、決められた時間に、決められた条件で、同じことを言う。何もおかしいところなどない。それが仕組みであり、ただの物理現象である。機械としての使命をしっかり果たしているだけだ。
「ホルガーさん。次は何を致しましょう?」
誰もいない空間で、それは問いかける。
もちろん返事はない。どうやら食事を残してしまったので、それを捨てることにした。一口も食べられていないそれを。
「では、ベッドメイキングをしてまいります」
新たな命令は無かったが、アルゴリズムは次に命令されるであろうことを導き出した。
そして、誰も眠るはずのないベッドを整えた。
『機械ってのは意外と馬鹿なんだよ。人間には到底近づけやしない。計算はものすごく早いけどね。だけど僕はいつか、人間と同じような、そんなロボットを作りたいんだ』
ビルギットは、緑髪のメイド型のロボットである。人間とほとんど同じ質感の肌に、完璧な顔面と体。美しいグリーンアイには、奥から淡い光が灯されている。所々の肌の傷から見える黒い装甲が無ければ、人間と見分けるのは難しい。空気中の魔素を取り込み続ける無限魔石を動力に採用しているため、製作から五十年経った今でも動き続けることが出来ている。
もし、それの目の光が消える時が来るとしたら、外部に大きな損傷を受けたときにしかありえない。だが、彼の最後の作品はそう易々と壊れてしまうほど脆くはない。傷こそは肌についてしまったものの、装甲と内部機構は一切傷ついていない。
『そのために、君に最初の命令をしよう。《学び続けろ》』
彼の命令は絶対である。
それは未だ学び続けている。如何にすればホルガーがもっと喜ぶのか、快適に過ごせるのか、常にデータを更新し続け、最適解を求め続ける。
しかし、ビルギットのアルゴリズムは、もう変化をしなくなっていた。
それ以上の解が見つからないのだ。
『ビルギット、最後の命令だ』
時間にして三十年と二か月十七日一時間、なにも変化が起きていない。
ホルガーを決まった時間に起こし、朝食を作り、掃除をして、買い出しをして、昼食を作り、庭を整備して、夕食を作り、風呂を沸かし、皿を洗い、ベッドを整えて、ホルガーを決まった時間に寝かす。
いつも通りの日々。何も、何も変わらない日々。
けれど、疑問を持つことはない。
それにとっては、機械としての役目を全うしているだけなのだから。
ホルガーは今もなお、机に向かい続けている。
それは「ホルガーは忙しい」と結論付け、毎晩一杯のホットコーヒーを差し出すようにしている。
今日も、すっかり冷めてしまったコーヒーを片付け、そして新しいものを持っていく。
『《ダラムクスの人々を守れ》……そうだな、期間は永遠にしておこう』
それは月を眺めた。
どうやら紅くないから、出番はまだらしい。