10 「最強の勇者と最恐のドラゴン」
ギルバードはディオックスの勇者である。
「太陽の魔力」を有し、それを駆使してここまで成り上がってきた。その端麗な容姿と圧倒的な魔法の才能、剣術の才能により、女子人気はかなり高いほうだった。だが、彼自身に色恋をする暇というのは無かった。雪を降らせる悪人に常恨みを募らせていたから、今までは「かわいい」とか「美しい」とかいう感情がなかなか女性に湧かなかった。唯一沸いたのが、ローレルであった。
しかし、雪が降り止んだ今、彼の心にも「余裕」というものが生まれた。
なんだこいつ、かわいいな。
そんなわけで、ギルバードはディアを撫でたい感覚に襲われていた。
事の発端は三十分前、大体正午の時間に遡る。
段々と暑苦しくなって、彼は目が覚めた。どうやら寝すぎたようで、少しだけ気分が悪かった。ローレル、イングリッド、モトユキの三人は、アルトナダンジョンに調査に行くようで、「ディアちゃんのお世話よろしくお願いします」という置手紙が置いてあった。
少し不服だった。二人のことをよく調べずに、別行動をしてしまうのは危険だ。だが、彼らを追いかけることはしなかった。昨日のあの態度でモトユキがこちらに敵対しているとは思えなかったし、第一ここにはディアという女の子が残っていたからだ。
腹の減りを感じた彼は、ひとまず昼食をとることにした。
ディアが一体何者なのか彼には分からない。彼女は魔力を隠してはいたが、彼にとってそれはあまり意味がない。奥に感じる、子供にしては強大な魔力を持っていることを知っていた。
だから、警戒しつつ、部屋を訪れた。でも一応世話をしてと頼まれたのだから、彼女にも昼食をつくるつもりでいた。
ディアは未だに寝ていた。
その時はまだ、彼は何も思わなかった。
「起きろ、昼飯の時間だ」
言葉遣いは変わっていないが、いつもの刺々しい感じではなく、若干柔らかい感じの声でそう言った。すると熟睡していたのが嘘かのように、ディアが跳び起きた。
「飯!?」
「……おぅ」
ギルバードはアイテムボックスの中から簡易的な調理器具を取り出し、屋敷にある調理台で早速始めた。
「何が食べたい?」
「……ん? あ、あの銀色が作ってたやつがいいな」
「吸血鬼か……ってそれじゃわからん」
彼には、サングイスとディアがどんな関係にあるのかは知らなかった。見たところ、血縁者ではなさそうだったが、それなりに親しい関係だったんじゃないかと考える。そう思うと、なんだか可哀想に思えた。
だが、不思議な点もある。一切の悲しみの感情を、彼女から感じないのだ。泣いた形跡もなければ、気分が沈み込んでいるわけではない。空元気なわけでもない。
「なんか、魚を焼いたやつだったな」
「焼き魚か? お前、それも見たことがないのか?」
「いや、焼き魚くらいはあるぞ。あれはちょっと違った」
「どの辺が?」
「なんか、甘い味がした」
「甘い味?」
「うん。少し油っぽい」
「油か……それってもしかしてムニエル?」
「さあ? わからん。お前が言うんならそうなんだろ」
「……なんのムニエル?」
「ん? 魚だが?」
「いやだから、何の魚?」
「知らん」
「えぇ……」
口の悪いガキだな、と彼は思った。モトユキもそうだが、自分が子供ではないと伝えているようなものだった。こちらを威嚇しているのかそれとも舐めているのか、はたまた気にしていないのどれなのかが分からないから、余計な気を使ってしまう。
だが同時に、彼女が圧倒的無知なのも気になった。価値観の違いというか、文化の違いというか、ともかく自分たちとは何か大きく違うものを感じた気がした。
とりあえず、ムニエルをつくることにした。何の魚かは分からないから、適当に選ぶ。
詳しい作り方は忘れてしまっていた。塩とか胡椒とかを使って味付けした後に、小麦粉まぶして焼く……みたいな調理法だったはず。そう思って適当に進めていくことにした。
「まだ?」
「まだ材料用意しただけだ。そんなに早く食べたいなら手伝え」
「……分かった」
「……フン」
素直な奴だ。そう思うと、少しだけ気分が良くなった。
包丁を使うところと、焼くところは任せられないが、粉をまぶすところは出来るだろうと思って、胡椒を渡してみた。
「それをこれに振りかけるんだ」
「分かった」
とりあえず切り身を一つ渡して、指示してみる。その間に彼はもう一つ切り身を作り出した。
だが、これがいけなかった。少しなら目を離しても大丈夫だろうと踏んでいたが、振り返った瞬間に彼が見たのは、こんもりと山になった胡椒だった。
「このくらいか?」
「馬鹿、かけすぎだ」
「?」
大きなため息が出た。だが、そんなに悪い気はしなかった。
胡椒をほんの少しだけ自分の切り身に移し、それからある程度は捨てる。それでも辛い味になってしまうのは避けられないだろう。
ま、これは俺のにするか。
いつしかギルバードは、ディアの姿に自分を重ねるようになった。
復讐を誓ったあの日よりも、ずっと前。調査団として活躍する父と母に憧れていた時だ。もうほとんどその記憶は覚えていないが、こうやって一緒に料理をしたのは覚えている。あの時の自分は、ここまでの馬鹿ではなかったが。
そうだ、俺は調査団になりたかったんだ。海に出て、「満月」で新しくなったこの世界を、再び調べなおしたい。そう思っていたんだ。懐かしいな。
下準備は終わった。いよいよ焼きの工程。
流石に危ないから、離れておけとは言ったが、どうやら気になるようでディアは厨房に居た。
「見えん」
「ははは、残念だったな」
台の高さにディアの身長は届いていない。さっきの胡椒の時も、椅子の上でやらせた。
ところが彼女は諦めることなく、台の上に登ろうとした。しかし、完全に油断をしていたギルバードは、しばらくのあいだ気が付かなかった。
そして……小麦粉と一緒に落ちた。
台自体はそこまで高くはない。から、怪我は無かった。
だが、小麦粉を頭からかぶってしまって、綺麗な紫色の髪の毛が白くなってしまった。
「うわっ!」
「おいおい! 大丈夫か……フフッ」
「笑うな」
――――なんだこいつ、かわいいな。
小麦粉をかぶったまま真剣な表情で言ってくる。
そんな彼女が、凍てついた彼の心を溶かしたのだ。