8-2
あったけぇ。
実際は二日ぶりの風呂だが、なんだかすごい久しぶりに感じる。ちゃっかり風呂を借りることにした俺たちだが、俺自身は、どことなく罪悪感を感じている。ここはもう、誰のものでもないんだけど、殺して奪い取ったと言われれば何も反論できないからな。
「モトユキ君は、どこから来たの? その様子じゃ吸血鬼ではないようだけど」
イングリッドが言った。
「俺でも分からないんだ。気が付いたらここにいた……自分が居た地名は覚えてる」
「どこだ? それは?」
ギルバードが会話に入ってくる。とげとげした声色はまだ変わっていない。
「日本ってところなんだけど」
「ニホン? 知らねぇなぁ……イングリッドさんは?」
「いや、私も知らない」
三人で入ってもまだまだ広いこの風呂。異世界にもこんな文化があったんだな。サングイスが客間をずっと掃除していなかったから、ここも掃除されていないのかと思いきや、意外にも綺麗だった。恐らく、あいつが生活するうえで必要最低限の部屋を掃除していたんだろうな。
暗い色の石造りで、照明は片隅に輝くぼんやりとした鉱石だけだから薄暗い。でも、落ち着く空間だった。「火魔石」というもので湯を沸かしているらしい。
「お前のあの力は何だったんだ?」
ギルバードが言った。どう答えたものか、俺は少しの間考え込んだ。
「……魔法だよ。特別な」
「へぇ」
正直、念力については俺も良く分かってない点が多い。何らかのエネルギーを発しているのだから、どこからかエネルギーを消費して発動しているはずなのだが……いかんせんそれを見つけたことがない。いくら念力を使っても、自分が飯を食う量が増えるわけではないのだ。
だから、この場は魔法として置いておくのが無難だと思うが、どうせこいつには疑われているな。
「あの力……」
イングリッドが呟いたが、それは質問ではなかったようだ。ギルバードから全容を聞いているのだろうか? そうだとしたら、追及してこないのは警戒されているのだろう。裸一貫のこの状況で、攻撃してくるかどうかを見られているのかもしれない。
「そういやギル。ローレルとはどこまで行ったんだ?」
「は、はぁ!? 子供がいるんだぞ?」
「え? 結構長いこと付き合ってると思ったのに」
唐突にイングリッドが話題を変えた。ギルバードの恋人であるローレルの話らしい。どこまで、という言葉は、未だ「最後」まで行っていないことを指している。
だから思わず突っ込んでしまった。
「お前も何言ってるんだよ!? 平然と会話に入ってくんな!!」
「ABCのどこまで行ったんだ?」
「こーいうのは女子が話すやつだろ!?」
恋のABCってあったんだな、この世界。
つーかこいつ、この慌てよう、まさか……。
「いや、ディオックスからここまで来るのに一か月ちょいかかったけど、私が見張りをしている間、全然物音がテントから聞こえてこないから……」
「致すわけにゃいかんだろ! こっちは命かけてんだから!」
「いや、命かけてるからこそ……」
「馬鹿だろ! 馬鹿だろ!」
このギルバードってやつ、意外にも中身は幼いんだな。それもそうか。俺の元居た世界じゃ色恋沙汰の時期だもんな。んで多分童貞か。頬が赤く染まっているのは、お湯による血行促進のためではないだろう。こいつが勇者なのかと問われれば、らしいのかもしれない。
一か月以上の旅をしてきたというくらいだから、ディオ何とかっていう国はここから結構離れているらしい。そんなところからはるばる来たのに、元気な奴らだな。
「あれ? そういえば旅の道具ってどこにしまってたんだ?」
唐突に気になって質問してみた。
「ん? アイテムボックスを知らないの?」
「何それ?」
「空間魔法の一種だよ。ほら、こうやって……」
そういうとイングリッドは空中に黒い裂け目を創り出した。いとも簡単に、当たり前のように。
「うお、すごい」
「色々入ってるよ。あそこに置いてあるシャンプーもここから出したんだ」
気付かずに使っていたシャンプーはここに置いてあったものではなかったようだ。それもそうか。この辺の地域は溶かされてしまったから、買うも何も、まず店がない。それに店があったとしても、あいつは出歩かないだろう。魔法で石鹸って作れるのかな。
この世界にシャンプーってあったんだな。ボトルの形状は若干違くてプッシュ式ではないが、液体で泡が立つってところはとても良く似ている。元の世界では、一体どれくらい前からあったんだろう?
「それって、中はどうなってるんだ?」
俺はアイテムボックスという魔法の中を覗き込んだ。薄暗い空間で、いろんな荷物が無造作に置かれている。異次元空間というよりか、小さな部屋がそこにあるみたいな感じだ。
……あのとき、俺が居た空間とは別か。
となると、アイテムボックスの原理自体は、俺が無理矢理空間をこじ開けたこととは異なるらしい。異世界転生、もしくは転移の手掛かりが掴めるかと思ったんだけど。
ただ、「空間魔法」というものが存在することが分かった。となれば、異世界から勇者を転生させる魔法とかもあるかもしれないな……その理論だと俺が勇者ということになるな。悪くない響きだが、あいにくそんな器じゃない。吸血鬼一匹殺すのに、どれだけ狼狽えたことか。
俺はそれを覗いた中で、あることを思いだした。
彼らが身に着けていた青いマントのことである。三人そろって着けていたのだから、割と大切なものだと分かっていたが……サングイスの攻撃に消し飛ばされてしまった。
「……ごめん、あのマントは消し飛んだ」
「構わん。あんなの、事が終わればただの布だ」
ギルバードらしい答えが返ってきた。
「まぁ、雪がなくなった今は、魔力を吸って無意味な結界を展開するだけの邪魔アイテムだったからね。マニアには高く売れたかもしれないけど」
「一応英雄なんだ。この先食いモンには困らんだろ」
「それもそうだね」
「それよりも、考えるべきはこの先についてだ。雪雲のおかげかは知らんが、『紅い月』がシューテルには起こってなかっただろ? それの対策とか、他の国からの攻撃にも備えておかないといけない。……モトユキはどうするんだ?」
「……後で考える」
「そうか」
「そうだ……転生者って知ってる?」
「転生者? ギル、知ってる?」
「……」
ギルバードは、その質問がすり抜けていったような顔をしていた。のぼせてきたのだろうか? イングリッドが再び質問してみるが、何の反応も示さなかった。
「いや、いいよ。無理に聞かなくて」
「ごめんね。こいつたまにこういうとこあるから」
「……別に、記憶を探ってただけだ」
確かに、ディオックスっていうところで、イングリッドたちに養ってもらうのも良いかもしれないが……転生に関する情報は手に入らなさそうだ。帰りたいっちゃ帰りたいから、とりあえず転生について調べることを目的に動こう。
そういや俺、普通にタメ口聞いてけど、不自然じゃないよな? このくらいの歳頃、ましてやこの生意気な面なんだから、自然だと思うけど……どうなんだろ。
今の子供たちって、賢いからなぁ。敬語とか普通に使ってそうだよなぁ。