13-5
「それで、作戦とは何なのですか?」
ビルギットとジルベルトは、誰かに悟られぬように静かに行動していた。と言っても誰がいるわけでもなく、街は寒々とした静寂に包まれている。既に市民の非難は完了していたのだ。
「……ディアさんを、起こします」
「……ディア……ディアケイレスのことですか?」
「はい」
「すべての戦況をひっくり返せるほどの力を持つという……何者かに攫われたと伺いましたが」
「正確には眠らされています。ルルさん……ルルンタースの手によって」
「る、ルルンタースが!?」
ジルベルトはルルンタースと面識がある。まるで雪で作られたかのように美しく、触れてしまえば溶けてしまいそうな造形の少女。それにぶたれたことも。ルルンタース、ディアケイレス、ビルギット、モトユキ……一体この四人は何者なのだろうか。何か、恐ろしいものと対峙しようとしている気がして、雪でも降りそうなじめじめとした寒気がした。
「ルルさんは意識神ウォルンタースの能力を持っています」
「……!? まさか、ルルンタースもアンラサルの手によって……」
「いえ、違います。古代文明で作られていた生物兵器で、いわば人間と神霊種の……合成種です」
「古代文明……それって二千年前の……」
「ええ。奇跡的に生き残っていた……としか今は言いようがありませんが、とにかく彼女が王国サイドにつきました。元々は我々の味方だったんですが……ルルさんが何を考えているかまでは分かりません」
「それで、今からどうやってディアケイレスを起こすの? そもそもどこにいるの? なぜワタクシが必要なんですの?」
ビルギットはほぼ真上を指さした。ジルベルトは彼女が何を指したのかしばらく理解できなかったが、張り詰めるような冷気の晴天に針で穴をあけたような影があることに気が付いた。
「あそこにルルさん、ディアさん、エミーさんがいます」
「……エミー!?」
「連絡にありませんでしたか? 今回の神霊種騎士を生み出していたのは彼女です」
レイスから飛ばされた必要最低限の情報の中に、黒幕がエミーであるというものは無かった。瞬間、ジルベルトの中にあの日の記憶が蘇る。……なるほど、自分に対してあんなにも悪意を持って接していたのはそういう理由だったのか。革命に反対していた理由にも合点がいく。
意外にも、彼女は自分の心をすんなりと落ち着けることができた。
「……上空、どうやって乗り込むんですの? そもそもワタクシたちで勝てるんですの?」
「今は、とある賭けの真っ最中です」
「賭け……?」
「こちらへ、魔力は極力抑えてください」
そう言うとビルギットはジルベルトを誰かの家へ入らせた。塗ったばかりのニスの匂いがした。恐らく改築したばかりであろう階段をずかずかとビルギットはのぼる。さらに天井の裏にのぼり、その窓からまたあの影を観察し始めた。
「ジルベルトさん、今この状況、エミーさんにはどのように見えるか分かりますか?」
「この状況……?」
「こちらの兵士たちが作り出した中央集合の地獄窯。そして、レイスさんの狙撃とモトユキさんの隠密行動……」
「――――神霊種騎士を、一人一人確実に仕留めようとしている……?」
「はい」
「でもそれは……あまりいい作戦だとは言えませんわ。相手の能力が未知数ではないとはいえ、情報は依然少ない。神霊種騎士でなくとも……」
「索敵のできる騎士が居ればこちらがぐっと不利になる。加えて、作戦が知れ渡ってしまえば、二撃目に移りづらい……ですか?」
「そうです」
「……確かにあなたの言い分は正しいと言えるでしょう。元々はモトユキさんが他の神霊種騎士を引き付ける予定だったのですが、あの巨人に手間取っているようです。冷静に判断すれば私たちが不利であるのは依然変わらぬ状況です。しかしエミーさんから見たらそうでもないかもしれません」
「……」
「既に五人、神霊種騎士を無力化しています。加えて、モトユキさんにはとある情報のアドバンテージがあると言います」
「……?」
「モトユキさんは以前、『無限』の念力を使うことができました。これはエミーさんも知っている事実です。しかし、寝返ったルルさんに気絶させられ、今は別の人格が入っているらしいです。今のモトユキさんは『無限』の念力を使うことができません。精々できるのは、ああやって土の巨人を押さえつけておくことだけ……」
「……!!」
ジルベルトはその事実を必死に飲み込んだ。無限の念力と簡単に言うが、「無限」とは恐ろしい言葉である。しかしそう言わせるだけの強者であるのは間違いないのだろう。現に、あの巨人を止めている不思議な力からは、モトユキの匂いがする。
そして彼女は気が付いた。今この状況は……エミーにとって……
「不安すぎる……エミーにとっては不安な状況……そうですか?」
「はい。エミーさんにとっての不安、それはモトユキさんの完全な『覚醒』。本人に聞いたところ、それは今はありえないそうですが、エミーさんにとっては無視できない大きすぎる敗北要因。モトユキさんが元の無限の念力を取り戻したならあっという間に負けてしまう。そうなる前に彼女はモトユキさんを倒さんとさらに攻撃を仕掛けてくるでしょう」
「しかし切り札である神霊種騎士は既に解き放った。となれば自らが赴くはずだ……」
「その可能性が十分あります。エミーさん自身も魔法の達人であり、光の神グアン=ルークスを宿している……戦闘力は単体の神霊種騎士以上でしょう。戦況を変えうる可能性を秘めています」
「そして戦場に行くためには、昏倒状態のディアケイレスをどこかに置くはずだ……」
「はい。そこを狙い、ディアさんを起こします」
「……理屈は分かりましたが、やはり上手くいくようには……」
「承知しています。エミーさんが想像通りに二人を民家に隠してくれるのが理想ですが、そうでない可能性も否定できません。彼女が敗北して魔力の効果が切れ、二人が落下死する可能性を彼女自身が考えていないか厭わない可能性だってありますし、逆にこちらの狙いに気付かれてあの場から動かない可能性だってあります。今は気絶しているようですが、ルルさんが立ち上がって敵になるかもしれません。もしそれらの難関を潜り抜けても、ディアさんは簡単には起きないでしょう。そうでなければウォルンタースの名折れです。ルルさん自身が意識の鍵ならば……彼女を説得する必要だって出てきます」
「……」
「……モトユキさんから、あなたは、ルルさんが初めて言葉を発した相手だと聞きました」
「……」
「売春行為をしようとしたところを、ぶたれて、『ばか』と」
「……っ、詳しく説明しなくても分かってますわ」
ジルベルトは少しだけ顔を赤らめた。いや、寒さでもともと赤かったかもしれない。
「すみません。しかし、それは、ルルさんが何らかのシンパシーをあなたから感じたということです。もし仮にディアさんが起きるためにルルさんの能力が必要不可欠だとしても……ジルベルトさんなら説得できるかもしれません」
「……」
「加えて、あなたは意識に干渉する特殊魔力を持っています。もしかしたらそれでもできるかもしれません」
ジルベルトの「英雄」は、ルルンタースの「識絶」の完全下位互換だ。彼女は自分でそれを分かっている。顔の傷の痛みと同じくらい分かっている。それが悔しくて、自分の掌をじっと見つめた。水道の水が暖かく感じる程には冷え切っていた。
ルルンタースが何を考えているのかなんて分からない。だって、奴はほんの数時間一緒にいただけの仲だ。友達はおろか、知り合いとも呼べぬ仲だ。
心が読めるという能力。それを直接聞いてはいないが、彼女にはきっとそういう能力がある。一体何を見たのだろう。疲弊しきった民の心を、自分がもっともっと理解してさえいれば……あの子の気持ちも分かるのだろうか? 分からない自分は王女失格なのか?
だが、立ち向かわねばならない。