13-3
場面は戻り、王都中央。戦場に訪れた刹那の静寂。
清々しい空を見上げれば、巨人の拳が高々と掲げられ、国家に反逆するものをすべてまとめて消し去らんとしていた。
死を目前にした人間は何を考える?
千差万別、人の数だけ解がある。理解する者、怒る者、混乱する者、受け入れる者、諦めない者……それぞれの乾いた瞳に映る巨人は、自分たちが勝たねばならなかった「悪」の権化。だが勝てぬ。どうあがいても勝てぬ。それくらい悍ましく、厳かなのだ。
だが。
「……オイ、どうした?」
この沈黙を最初に破ったのはチェチーリアだった。巨人を操る者、ディートリントに向かって、「なぜ早く攻撃しないのか」と聞いたのである。彼は、ひどく汗をかいていた。加えて、虎の色をしたその髪が逆立っていた。三度乾いた唇を舐めると、彼はゆっくりと口を開く。
「動か……ないんだ」
チェチーリアがその言葉の意味を理解しようと、脳を動かし始めたその瞬間だった。
「――――ッ!」
突如、蟷螂のエディトと、憤怒のパウルが崩れ落ちた。まるで操り人形の糸をプッツンと切ってしまったかのように、急に体から力がなくなり、そのまま地面へと転がった。二人はそれぞれ、「鳩尾」と「背の心臓の位置」から血が吹き出ていた。
遅れて飛んでくる二つの破裂音。
瞬間、時が止まる、そんな感覚にチェチーリアは陥った。
彼女には、今、何か光の線のようなものが飛んできたように見えた。凄まじい速さだった。音を置き去りにするほどのこの速度は、自分が全力を出してやっと届くかどうか。今は魔力を抑えている状態だったが故に、チェチーリアには何が飛んできたのかは分からなかった。
答えは銃弾。この国では魔法による戦闘技術が発達してきたため、火薬で鉛玉をぶっ飛ばすこのような武器はなかなかお目にかかれない。加えて、狙撃された箇所は二人が神霊種を移植された場所ど真ん中。神霊種騎士の唯一の弱点と言えるこの場所を、正確に狙ってきたわけだ。銃を使う、非力で狡猾な「敵」……それは、レイス・エクスダイアただ一人。敵勢力ヴァンクールの頭である。
彼女は、武器こそは分からなかったが、急所を的確に狙えるという情報からレイスが今の事をやったと断定した。半ば本能的に、銃弾が飛んできた方向に自分の剣を投げつけた。間にあった建物を紙の如くすっぱりと切り裂きながら、真っすぐ奴がいると思われる方向へ。
時は動き出す。
「レイスの野郎だ!! テメェのモノをしっかり守らねぇとぶち抜かれるぞッ!!!」
チェチーリアは叫んだ。
「ざっくり三人です!! 二人は、今、蟷螂と憤怒を撃った人間! もう一人は、僕の巨人の動きを止めている人間!」
ディートリントも続けざまに叫ぶ。
瞬間、敵味方含めた全員が、その場に走る妙な魔力に気が付いた。今までに感じたことはないその力は、まるで蜘蛛の巣を貼るかのようにその辺に散らばっている。「もと」を辿られないようにするためのものだということに気が付いた国家側の人間は、素早く仲間で情報を伝達し、そいつを見つけ出そうと殺気立った。チェチーリアは、自分が狙撃手を追うことを告げるとすぐにレイスがいるだろうその方向へ飛んでいく。
ヴァンクール騎士も初めこそは戸惑っていたものの、これも作戦のうちであることに気が付き、ならば時間稼ぎをしようと戦闘を再開した。レイスは何かをしようとしている。今、自分たちには、それを信じて従う他の道は無い……。
「クッソッ! どこだ!?」
銃弾が飛んできたのは、二つとも貴族街の方向からだ。角度的に狙撃手は一キロ程離れていると考えられる。彼女が向かったのはまず西の街。四、五階建ての建物が立ち並ぶこの場所で、たった一人の人間を探し出すのは骨が折れる。
彼女の瞳に血が走る。禍々しいオーラを放つこの焦燥のほとんどは、いつ撃たれるか分からない恐怖を裏返したものであった。
「オイ!! 今からここで暴れるぞ!! まだ逃げてねぇ奴がいるなら叫んで教えろよ!!!」
彼女は優しい性格をしている。人を殺したことは無い。無罪の人間を殺すなどもってのほかだった。
その忠告が静寂の中に響き渡る。しばらく待ってみたが、何も聞こえなかった。時間がない。これで「今ここには誰もいない」と打ち切らねばならない。
彼女は、自分に大量の電気をまとわせた。バチバチと弾ける音がする。
次の瞬間、迷路のように入り組んだ路地を高速で飛び回る。直線的な幾何学模様を描きながら。上空から見れば、それはとても美しく見えただろう。しかし、しばらく飛び回ってみたが、誰も見つからなかった。
「チッ、中かよ……」
次に彼女は、建物をぶち破るルートを取る。石材や木材が壊れる異常な音が、まるで機関銃のように続けざまに響く。しかし、仮に敵のいる建物に突っ込んでも、そこから出るまでの間で見つけられる可能性は限られる……。
焦燥と騒音に包まれる最中、彼女は王の事を思い出していた。
チェチーリア・オア。家業は「冒険航海士」。貴族でも何でもない平凡な民であったが、その一族の魔力量はほかの人間よりもはるかに多く、体つきも逞しい。そこで何不自由なくすくすくと育った彼女は、一族でもトップの戦闘センスを開花させる。彼女は騎士を志し、まずは一般兵として国の下で働いた。人格者の両親に恵まれた彼女は、その力を悪に使うなどと言ったことは絶対にしない。確固たる正義を持ち、悪に立ち向かう。その信念は、騎士道と素晴らしい調和を見せた。
そんな彼女が……なぜ、王に協力し続けるのか?
王が生命税を続ける旨を表明したとき、彼の下から多くの貴族が離れるか沈黙した。今回の戦争に参加している兵士は、全盛期時に王が所有していた兵の約一割。
……チェチーリアは恋をしていた。王、プレイアデスに。
凛々しい瞳に、勇ましい思想、華奢な腕だが達者な剣技。自分にはない華やかさを羨ましく思い、同時に憧れ、同時に好いていた。無論、叶わぬものであることは分かっていた。身分も違うし、王は既に結婚もしている。不貞を犯す自信も勇気も悪意もなかった。彼女は見ているだけでよかった。
だが、王を肯定するばかりではなかった。生命税に関しては本当に反対していたし、騎士をやめることも考えていた。普通ならば、あの事件が起こる前には辞めているはずだったが、彼女の恋心がそれを引き延ばしたのである。
あの事件、それは、王子アーフィの公開処刑。
チェチーリアは激怒した。邪知暴虐な王を倒さねばならぬと決意した。あの集会の場で暴れることはしなかったが、当時は今すぐ暴れたい気分でいっぱいだった。王子には何の罪もない。ただ健康に恵まれなかっただけで、どうして死なねばならぬのか。人の尊厳を、人生を奪うことなど、誰にも許されない。たとえそれがどれほど敬愛し忠誠を誓った王であろうと。
その晩、血液が沸騰するほどの怒りを胸に、小さなナイフをその手に、チェチーリアは王の寝室に侵入した。足跡は殺意に満ち満ちていた。
彼女は見てしまった。
――――我が子の亡骸を抱かれ、ただ涔々と、ただ涔々と悲しまれる王を。