13-1 「かくれんぼ」
その男は、約二十年ぶりに目を覚ました。
体を起こしてまず気づいたことは、とても寒いということだった。部屋中を満たしているのは、肌を締め付けるような冷気。もう一度暖かい毛布にくるまりたい思いをぐっとこらえて、彼は行くことにした。自分の責務を果たすため。
いや、少し違う。二十年ぶりに目を覚ましたというのは少し違う。
彼は、彼の偽物が行動している様子を、ずっとずっと眺めていた。偽物と言っても他人ではない。行動自体は自分そのもの。自分の思い通りにならない少々意固地なところがあるが、すごく不愉快だったかと聞かれれば否と答えるだろう。
彼は穏やかだった。
ここはどうやら病院の一室のようだった。エミーの病院。彼の良く知っている白いコンクリ造りの無機質な空間ではなくて、少し暗い色の木造。暖房はしっかりあったのだが、隙間から入ってくる風が冷たい。早朝であるから仕様がないのかもしれない。
彼には少しだけ特別な能力がある。
「念力」。念じるだけで物を動かすことができる。と言っても、偽物ほどの力は出せなかった。偽物は「無限」の念力を持っている。山をえぐることも、海を割ることも、いやもっと大きな、地球や太陽も容易に壊せる。宇宙全体から物質を集めて無理やりビッグバンを起こすことだって可能かもしれない。
ところが、本物である彼は精々山をえぐりだすまでが限界だった。不思議に思わない人はいないだろう。本来ならば「本物」と称された方が性能が上でなければいけない。そうでなければ意味がないのだ。しかし、ここでいう「本物」とは「上原基之」についての言葉であるから、念力の強さは関係ない。
彼こそが「本物」の「上原基之」。
彼は、二十年の時と世界の壁を越え、意識神の少女の力を借りてやっと、自分の体を取り返したのだ。感想は特にない。先にも記したように、彼は穏やかだった。その頭には、ルルンタースという、自分を救い出してくれたあの少女への悔恨と懺悔を、静かに眠らせているだけ。
彼の肉体の年齢は二十五歳時点のものだった。つまり、偽物が使っていた時よりも十年ほど時が進んだことになる。さほど大きさは変わらなかった。男のくせに随分と小さな体。けれど、当時していた仕事柄、筋肉は十五歳時点よりもさらについていた。服で隠してしまえばわからないが。
体は「本物」の方に呼応している。自分がぎゅうぎゅうに押し込められていた時、この体は「十歳」を示した。その次に、偽物が十五歳の時の思い出を語ると「十五歳」の体を示し、精神世界(便宜的な呼称だが)の「本物」は少しだけ自由が利くようになった。そして今、体の主導権が「本物」にある今、彼の肉体は全盛期の頃を示している。これも、彼が「本物」であることの根拠となるだろう。
肉体と同時に「服」も変化を起こしていた。パジャマから学ランに、学ランから「作業服」に。土木の作業をするときの灰色のつなぎ。着始めてから五年が経過していたから、結構泥だらけでボロボロ。今自分が着ているのは恐らく病院着で、それ以外の服を入れたリュックは自分のベッドの近くにおいてあった。特に荷物がなくなるなどはしていない。通信器(ダラムクスとの緊急連絡用)も特に反応はしていない。
つなぎは流石に寒かったから、彼はミヤビが用意してくれた服を身に着けた。特に変哲のない上下の服と、大きめの黒いコート。彼女なら似合うのだろうが……。
出発の時、彼はとある人物に会った。
やはり無気力で、何も話さなかったが。
☆
大地の巨人出現十分前。
ヘンリエッテから他の神霊種騎士の情報を聞き出したレイスは、神霊種騎士の弱点と、ギルバードの保護命令を部隊全てに飛ばした。しかし、依然として劣勢にあるのは変わらない。
ベラベラと能力を話したヘンリエッテであったが、その情報に嘘は無いようだった。というのも、レイスの能力「真実」は、相手の心を読むとまではいかなくても嘘を見破ることくらいはできる。人には「オーラ」という独特の生命力があり、それは日常の些細なことで変化する。立った座った、寝た起きた、怒った泣いた、「嘘をついた」……ヘンリエッテのオーラには、嘘をついたようなゆらぎはなかった。従って、少なくともこれは信じられる情報だろう。
以下、神霊種騎士の情報を並べる。
・憤怒神イスェーフ=グラ
…宿主はパウル・ヘルムドソン。血圧を操るという能力を持ち、基本的な戦闘スタイルは、自身の血圧を上昇させることによる身体能力強化及び近接戦闘。また、その操作範囲は相手の魔力量に反比例するが、相手の血圧を操作することもできる。
・大地神ラゾル
…宿主はディートリント・アーラース。大地を操る能力を持つが、訓練にはあまり参加しなかったため、詳細は不明。
・稲妻神フルレラン
…宿主はチェチーリア・オア。雷を自在に操る。本人は遠距離魔法を苦手としているため、「憤怒」と同様身体強化による近接戦闘を行う。非常に素早い動きと、彼女自身の筋力が相まって、得意の間合いに入られたら勝てる者はいない。
・悪夢神アルプ
…宿主はマルク・デュマ。魔力を消費して、様々な奇々怪々なモンスターを生み出す。能力や知性を好きに操れるというわけではないので、望みのモンスターを召喚するのには時間がかかる。通常の召喚魔法と違って、例えば一つの能力に特化したような「存在しない」モンスターも生み出せる。
・死神ラ=ムエモルス
…宿主はアーグニヤ・バシマチニコフ。相手の魔力を視界に入れただけで奪うことができる。その量は自分の魔力量に依存するが、高火力高消費の魔法と合わせれば、ほぼ無限に戦うことができる。本人は回復魔法を得意としている。
・蟷螂神プレディカドール
…宿主はエディト・ブタン。蟷螂の形質がその体に現れ、身体能力が大幅にアップしている。憤怒、稲妻同様に近接型だが、攻撃速度でいえば一番である。
・罪神アマルティア=トゥム
…宿主はマダリン・ダンクワース。詳細については一切不明。ディートリントのように訓練に参加しなかった上に、自分の能力について一切話さない。初期の作戦では、ディアケイレスを無力化するために動員されるはずであった。
ほかの人間も十二分に気持ち悪いのだが、最後の人間だけ特異だった。あの化け物ディアケイレスを無力化するはずだった……では誰が代わりに行ったのか聞いてみたが、それは分からないとヘンリエッテは答えた。
白旗を挙げて捕まった方が今なら怪我は浅くて済むのではないか……そういう弱気な考えも、レイスの頭をよぎる。勝てる見込みはほとんどない。自分の人生を捨て去ってすべてなかったことにできるのならば、それは安いことだろう。下唇を強く噛んだ。しかし、この先、この王政勢力に勝てる武力が市民側にあるのかどうか、もしなかったら、王の悪政は少なくとも自分が生きているうちには無くならないということ。弱者が搾取され続けるということ。勇気を奮わせて戦っている仲間は真っ暗闇の中で悔悟し続けるということ。
イブは……殺される。吸血鬼だから。それだけの理由で。負ければ、諦めれば、何の罪もないあの少女の人生を、終わらせてしまうことになる。悔しい。悔しい。悔しい。
「――――レイスさん!」
声のする方を見ると、右腕を失い、残った左腕でローレルを抱えるビルギットが飛んできていた。
「主力部隊は壊滅。ギルバードが参加したが苦戦していて、おまけにディアケイレスも失った。そうだな?」
「……そうですね」
「……降参するしかないな」
「……」
ビルギットはローレルを地面にやさしく寝かせる。ロボットには悲しいという気持ちはないのだけれど、今のレイスはどこか、命令のカードを失ってしまった時の自分と似た何かがあると思った。その何かを必死に探ってみて、物理的な解は無かったのだが。
「生命反応を確認。誰かが近づいてきます」
「ああ、誰か逃げ遅れたやつが……」
建物の間から顔をのぞかせたのは、異国の少年……いや大人だ。随分と小さな身長で、顔が平べったい。ところがそれまでだ。何か特別なオーラをまとっているわけでもないし、魔力は全く感じられない。無力な一般市民。それがレイスの第一印象。
「まだ……待ってくれねぇかァ? その、降参って話」
ビルギットは認識した。この男はモトユキ・ウエハラであると。前にも一度体が急に成長したことがあったから、今回もそれが起こったのだろうと、その事実まではすんなり受け止めることができた。しかし、彼女のコンピュータは驚くべきことをしたのである。なんと、前のモトユキ・ウエハラとは別のオブジェクトを作成したのだ。
つまりそれは……「彼を別人だ」と判断したのだ。これは矛盾している。体が成長したからと言って、別人になるわけではない。コンピュータは「成長した」と判断した。だが、「別人である」とも判断したのだ。これはおかしなこと。ビルギットは混乱した。エラーが立て続けに起こった。
「レイスさん。この方が、私の雇い主、モトユキ・ウエハラさんです」
「そうか。これはどうも」
「――――でも……誰、ですか?」