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ローレルが気張り詰める要因、それは「劣等感」だった。
まだ彼女がディオックスに居た時代の話だ。彼女は天才と称されてちやほやされて生きてきた。どんな魔法もお手の物で、教師顔負けの技を連発するスーパー魔法少女。おまけに顔もいい。称賛を浴びるのは当たり前であり、男子からの人気も相当なものだった。
それだけに「失敗」が恐ろしかった。何かを間違えてしまえば、自分の価値が失われてしまうような気がしたのだ。いや、確実に価値が失われる。そう断言できた。ディオックスの魔法学校は実力が全ての世界だった。実力が無ければそいつに人権はない。教師からも適当に扱われ、教科書や装備をぶち壊されるいじめなんて日常茶飯事。
故に、天才でなければならなかった。天才と呼ばれるためだけに筆を杖を手に取り、脳が焼き切れるほどに肉が裂けるほどに骨が軋むほどに鍛錬を繰り返した。そうやって自分を偽り続けるたびに、いつしか彼女はすっかり人を信じることができなくなってしまった。
ギルバードに惚れた理由は、強さでも格好良さでもなく「誠実さ」だった。彼は最後こそトップだったものの、最初から優秀だったわけではない。太陽の魔力を習得する以前は、ナイフ術も下手くそで所謂いじめの対象だった。けれど彼は諦めなかった。誰かが辛い目にあっていたら迷わず助けに行く。敵に回すのが貴族だろうが何だろうがお構いなしに。初めてその光景を見て、惚れて、それから彼に告白したのは半年後の事だった。恋人がいる毎日はとても幸せだった。
……いや、違う。ローレルが幸せだったのは、自分よりも弱い存在を守っている「自分」が存在していた事実を噛みしめていたからだ。
それがいつしか、逆転してしまったのだ。ギルバードの努力量を侮ってはいけなかった。魔法学校の大半の人間の目的は、卒業による資格の取得だった。しかし彼は違う。吸血鬼サングイスを殺すことを目的として、ただ一人黙々と、狂ったように鍛錬を重ねていた。結果、勝利の神は彼に力を与えたのだ。全てを溶かして消してしまうほどの圧倒的火力を手に入れたギルバードは、あの小さな鳥かごの中では無敵。彼女はいつしか文字通り火付け役となり、そしてそれも要らなくなってしまった。
ディアとギルバードが駄弁る少し前、つまり「革命」直前。空が若干青くなってきた頃。
王都アンザールは城壁都市であり、半径約一キロメートルの円形に高さ十メートルの石造壁に守られている。表面は若干白みを帯びた石灰岩が丁寧に研磨されており、内側は漆喰で満たされた頑丈なつくり。さらに魔法障壁も常に貼られているため、夜間は淡く光る。王城は中心より若干北に位置し、各所に騎士兵士宿舎が置かれている。
「目標補足! 牽制します!」
先頭を突き進むビルギットが叫んだ。彼女が見たのは王国騎士と兵士の集団。こちらの騎士とは違って、一律にそろえられた鎧を身に着けている。騎士は硬いプレートが全身を覆う、鋼の重装歩兵。一般市民から徴兵する兵士はそれより軽装だが、ヴァンクールの人間と比べればやはり重装備である。盾剣、槍、馬兵の順番で並び始め、目算百人ほどがこちらを迎え撃つつもりのようだ。
「魔滅砲《Magie Zerstörungskanone》……10%《zehn Prozent》!」
彼女は両掌を彼らへかざし、そこから青く眩い光線を射出する。ヴェンデルガルド戦ほどの威力はないが、音と光は一丁前であり、相手のチープな魔法障壁を破るのには十分。それに恐れおののいた「隙」が生まれ、ビルギットの後方に居たヴァンクール兵が彼らを取り押さえる。
「クッソ! なんなんだあの女!」
「あんな奴がいるなんて聞いてねぇぞ!!」
彼らの罵倒を背に、ビルギットはぐんぐん前へ進む。ここはアンザール王城北約八百メートル地点、城壁の目の前である。突入作戦は至ってシンプルであり、東西南北四か所から壁をぶち破る。一番近い北地点にビルギット隊は配置された。
この隊は攻撃するのがビルギットとローレルくらいしかいない偏った編成になっている。いや、どうしても偏ってしまうのだ。ディアとギルバードほど高威力でないにしろ、一緒に戦えば巻き添えを食らう。今さっきのように制圧をする際の受け取り係をした方が効率的なのが事実であり、それに不満がある人間は少なかった。
ところで、より詳しく見るとアンラサルでの「騎士」は様々な立場の人間を指す。元々のレイスのように国王や貴族などが支配する強い兵士を指す名誉戦士としての意味であったり、統治も戦闘も両方こなす貴族兼兵士のような領知者としての意味もある。一昔前まではもっと細かく区別され、呼び名も地位もはっきりしていたが、現在のプレイアデス七世に代わってからごちゃごちゃになってしまった。民主主義の取入れと相性が悪かったのが原因とされている。因みに、ヴァンクール兵は自分等のことを民営騎士、それ以外を王国騎士と呼んでいる。民営騎士の「騎士」は、実は公的に認められていない。王国側からしたら、騎士ごっこをしている市民だ。
以上のことは革命を起こして国家転覆を目指すヴァンクールにはどうでもいいことだったが、敵の勢力を計る指標としては役に立つ。例えば今の騎士は王国騎士ではあるが、「国王騎士」ではない。どこかの公爵家の者たちだ。つまり、王の身内の人間の勢力だ。となれば我々の動きは王国側の人間に知れ渡っていることが確定する。
が、ここで一つ妙な点がある。それはヴァンクールの人間ならほとんど気付いていることで、それほど高い洞察力を必要としない。
あまりにも段取りが悪すぎるのではないか?
例えば、民営騎士と同様に騎士の拠点はアンザール以外にも存在する。しかしこちらに邪魔をしてくることは全くなかった。国家転覆を企んでいる奴らに探りを入れず、物流の邪魔さえもしなかった。加えて、まだ王都に突入していないとはいえ迎え撃つ戦士たちはほんの一握り。ジルベルト王女失踪の件も全く公にはなっていない……どうなっている?
考えられるのは、この革命が王位継承権争いの土台にされているということくらいだ。敢えてプレイアデス七世を捕まえさせて、ヴァンクールに天下を取らせて、それを奪い取る。統治能力はこちらにはほとんどないから、不可能ではないとは言い切れない。その隙を虎視眈々と狙っているのではないか。その仮説が正しいのなら、恐らく今さっきの騎士たちはブラフで、その貴族があくまで国王に賛同していると見せかけているだけになる。しかしこの説には矛盾がある。「ヴァンクールに協力していないこと」と「ジルベルト王女失踪の件を明かしていないこと」の二つ。どうせ後から奪い取るなら、わざわざ天下を取るまで待っている必要はない。事前にこちらに物資の協力などを持ち掛け、あとからの政治に有利になるような条件を挙げて取り込んでしまえばいい。加えて、ジルベルト王女の失踪を流せば国王の信頼は落ちるから、革命の後押しとしても利用できる。
どっちつかずの行動に、結局「段取りが悪い」で落ち着いてしまうのだ。
だがこちらとしては好都合。いずれにせよ、王位継承最有力候補の「ジルベルト」が仲間に居る。仮に裏切りであったとしても、貴族側がこちらに何を取引したわけでもないから、結局政権は支持の多いこちらに残るはずだ。
――――ドォォォンッ!!
様々な疑問が渦巻く中、ローレルが北門をぶち破った。魔法相手にも硬い城壁を、無理やりながら薄氷の如く破った彼女と、これから始まる革命の戦いに、一同は戦慄した。「正義のため」……そう信じて突入する。
主力二人の活躍は想像以上のものだった。圧倒的な力で牽制してその隙に拘束を繰り返し、大量に沸いている敵戦士を簡単に蹂躙していく。二人だけではなく、その周囲のヴァンクール兵も強かった。実地経験の豊富な彼らに、鍛錬だけを積み重ねてきた人間が適うはずがない。
モチベーションも違う。人は正義のためならどこまでも強くなれるのだ。こちらにあるのは「残酷な王を打倒」という目的であり、政治がどうなるにしろそこだけは揺るがない。故に無尽蔵に力が湧いてくる。
「ローレルさん?」
「……! っはい! なんですか?」
「……いえ、どこか上の空でしたので」
「すす、すみません気を付けます」
だが、ローレルだけは全く別のことを考えていた。
先に述べた劣等感。何よりもそれを後押ししたのは、ギルバードが親のことを隠していたことだった。ローレルはアンラサルにわたってすぐに彼の親に挨拶しようとしたが、すでに亡くなっていたことを告げられた。それがまるで「信用されてない」様に感じられて仕方がなかったのだ。自分はギルバードの前で親の話ばかりしていた。「こんなにかっこいい人を育てられる親は最高だ、早く会いたい」、そんなことを繰り返し言っていた。今思い返せば、ギルバードはそのたびに悲しそうに笑っていたのだ。それに気が付けなかった。申し訳なかった。悔しかった。
本当は自分は必要ない人間なのではないか。
必要とされる側に居た人間が、突然要らない側になってしまった。当然劣等感が膨れ上がる。このままギルバードに捨てられてしまうのではないかと思うと、恐怖で頭が埋め尽くされてしまった。
彼女にとって、この革命は自慰行為に近しいものだった。勿論、生命税という残酷な仕組みは許せない。しかしそれ以上に、自分を守るために正義を掲げていたのだ。今に始まったことではない。昔からそうだ。サングイスを殺しに行った時でさえ、本当は悪の元凶なんてどうでも良かった。ただギルバードに良く見られたいから、思いやりのある人間だと思われたいから、行っただけ。
怖い。怖い。怖い。
どこからともなく湧いてくる、恐怖と虚しさ悔しさ。彼女の握る杖の装飾が、攻撃の爆音と騎士たちの罵声の隅で、カタカタと小さな音を響かせていた。