8-2
彼女らの話は二時間近く続いた。他愛のないものであったが。ディアケイレスの強さの秘密の議論から、亜人や古代文明の分析、神霊種の生態などの難しい話。そこから飛んで、ギルバードを振り向かせる方法に、モトユキの人格分析、恋や愛とは何かの哲学的な話もした。特にビルギットが興味を持ったテーマは、「愛」である。
「……やはり性欲じゃないんですか?」
「うーん、確かに理論的な着地をするとなると、そうなっちゃいますよね」
「でも違う何かがあると?」
「はい。確実に存在するんです!」
どうにも、彼女には愛と性欲の違いが分からない。ついでに恋とやらも曖昧だ。ローレルも、この手の話題に関して馬鹿正直に考えたことが無かったので、迷ってしまう。確かに、アンラサルにもそういう哲学書はあるが、二人ともわざわざ読むようなタイプではなかったので、経験則と生物学的なもの以上の答えは見つけられなかった。
気が付けば、ディアが居なくなり、酔いつぶれる人間も多くなり、酒場は静かになっていた。彼女が眠いことを察した大人たちは、素直に彼女を宿に返したのである。
「私もそろそろ帰ります。ビルギットさんは?」
「そうですね。私も……」
「帰ることにします」と、合成樹脂でできた口が言いかけたその時だった。カラン、と店のベルの寂しげな音がして、中背の男が入ってきた。レイスだった。その歩き姿は、前に見たときよりも疲れを帯びているようだ。足音が少々乱暴になり、脱力をしているためか体の揺れが大きい。なぜか彼は、ビルギットを見つけると、こちらにまっすぐ向かってきた。
「ここに居たのか」
「何の御用でしょう、レイスさん」
ローレルが「こんばんは」と挨拶をすると、彼に「二人だけで話したいことがあるから、席を外してくれ」と言われた。彼女はその様子を不思議に思ったが、特に詮索をすることなく、素直にその場を後にした。
「何か悪いことをやってしまいましたか、私?」
「いや、別にそういうわけじゃねぇから、身構えなくていい。ただの業務連絡と、愚痴だ」
「愚痴?」
「そんなに大したもんじゃねぇんだけどな」
彼は、ローレルがさっきまで座っていたところに腰を下ろすと、下がり気味の眼鏡を中指で押し上げた。店内を照らす橙の淡い光が眼鏡に強く反射し、一瞬の間だけ、その乾いた瞳を隠す。普通の人間なら緊張を覚えるだろうが、生憎目の前に居るのはロボット。彼女は一切の物怖じをしない。
「連絡っつーのは、新しく仲間が増えるっていう話た」
「新しい仲間、ですか」
「ああ。『ジルベルト王女とエミーの仲間たち』だ」
「……」
「……ま、分かってたけど、全然驚かねぇよな、お前」
「ジルベルト……お姫様がどうして?」
「そこが解せねぇところでもあるな。王族を始めとした貴族たちは、生命税の件についてはだんまりだったのに、何故か姫様だけが反旗を翻そうとしている。『そういうニュース』が流れてないのも、『エミー本人がいない』のも不思議だな」
「……いつ、仲間に加わろうと?」
「今さっきだ。ジルベルト王女と、その護衛二人が、俺のところに来た。力添えしたいだとさ。でも、資料と名簿を見る限り、どうにも嘘じゃなさそうでな。もともとそういう話は上がってたから、王女がいる以外は別に変なことじゃないが」
「モトユキさんの名前はありましたか?」
「モトユキ? いや、そんな名前の奴はいなかったと思うが……お前の雇い主か?」
「そうですね」
「そいつのこと、バラして良かったのか?」
「いずれ協力することになります。早くても問題ないかと」
「ふぅん。そいつとエミーにどんな関係があるのか知らないが、エミー自身の力は借りられないそうだ」
「ということは、エミーさんは仲間を奪われたと解釈すべきでしょうか?」
「だろうな。どういう成り行きかは知らん。だが考えられるのは、奴が平和主義者で戦争が嫌で、仲間を食い止めていたが、それを見かねたジルベルト姫がそいつらを扇動したってことだ」
「それなら、エミーさんはジルベルトさんの動きを知らないことになる可能性が高くなりますね」
「ああ。こんな夜更けに少人数で会いに来るんだ。衛兵の目をかいくぐる目的もあるんだろうが、それ以上にエミーから隠れる必要があったんだろうな。つか、衛兵が見たところで、あの風貌じゃ、誰か分かんねぇだろうし」
「どういうことですか?」
「短髪になって、顔に一文字の傷を入れていた。よく見りゃ姫様だが、ぱっと見じゃただのガキにしかみえなかったぜ」
ビルギットは一考する。刹那の間に。
モトユキは、異世界から帰る方法を模索するために、エミーに会いに行ったはずだ。既に情報を得ることができているか、それともアポを取れずに右往左往しているか、そのどちらかのはずだ。エミー革命軍は水面下で動いていた。となると、革命の件に巻き込まれているのはこちら側だけ。モトユキが名簿に載っていないのにも納得がいく。ならば特に気にすることはない。自分たちの「革命」という目的を果たせればそれで良い。目的に特に修正点はない。
「戦力になりそうですか?」
「ああ、十分だ。あっちには戦える人間が千人ほどいる。こちらと合わせれば大体三千人。王都には約三万の人間がいるから、全員を丁重に避難させてやれるはずだ。王国騎士拠点襲撃にもう少し人員を割けるかもしれない。明日、もう一度作戦を練り直す。お前も来い」
「分かりました。ディアさんも連れていきますか?」
「好きにしろ。どうせあいつは聞かんだろうし」
「了解です。ところで、なんでローレルさんを帰したんですか? こういう話なら、彼女も聞くべきじゃ……?」
「今から話す『愚痴』に関係がある。少ししんみりした話になるから、できればお前と一対一が良かったんだ。会議のことは後で俺が言っておく」
「はぁ、そうですか」